長谷川昭文は送れない
長谷川が手にした機械がピピッと計測終了を告げ、そのまま目の前にいる大野恭子に表示を見せる。
「ゼロ、問題ありませんね」
「んじゃ、行ってくる」
「はい、お気をつけて」
チャリ、と手にしたキーを鳴らして長谷川が事務所のドアを開いて出て行ったのを見送りながら座る。
「はあ……」
無意識のうちに両手は祈るような形になり、ため息も一緒に出る。
「重症ね」
「気持ちはわかるけどね」
「さすがに二度はないと思うし」
日に日に同僚たちのひそひそ声は大きくなっており、自重しなくなっているのは……多分、こちらから行け、という意思表示なんだろう。
「……」
「何?」
「あ、えーと……そうそう、これ、これをやらなくちゃ」
ジト目で見るとあからさまに誤魔化すような、それでいて、誤魔化すつもりのないような。
「……で、どうすんの?」
「え?」
「ちょっと聞いたんだけどさ、東営業所に浅井さんっているじゃん?」
「ああ、いるね」
「……その浅井さんが何?」
「長谷川さん、狙ってるらしいわよ?」
「えっ?!」
思わずガタッと椅子を蹴倒しながら立ち上がってしまう。
「今日、長谷川さんって東営業所経由だっけ?」
「ああ、ヤバいかもね」
「うんうん」
「お持ち帰りコース?」
「いや、いきなりそれはないでしょ?」
「ええ……でもさあ」
一言だけでも言わねばと慌てて外に飛び出したが、時既に遅し。長谷川のトラックはちょうど出て行ったところだった。
「ふんふんふーん」
自分が出たあとの事務所内のゴタゴタなど知る由もなく、長谷川は目的地に向けてハンドルを握る。今日の予定は、荷物を届けた後、他の客先へ向かい、そこで荷物を積み込んで東営業所へ。そこでこのトラックを他の者に引き継ぎ、自分は別の車で戻る。安全運転に心がける必要はもちろんあるが、特にこれと言った懸念はない、ごく普通のいつも通りの仕事だ。
信号で止まったところで手を伸ばし、ラジオのスイッチを入れる。
「ではこ……間の交通情報です。県内、高速……は一部を除いて……に流れています。現在……ンネル内で車両故障のため一車線……」
交通情報の入るギリギリの位置のため、途切れ途切れだが、状況は把握した。
「逆方向だから問題ないな」
そう呟いてハンドルをインターに向けて切った。
「よ、よし……来た」
近くの高校の制服を着た少年は呟いて立ち上がった。少し高台になった場所にこうやって潜り込んで、道路を見張り続けた甲斐があったと、少し頬を緩める。
「きょ、今日こそ……行く」
ゴソゴソと荷物をまとめ、あらかじめ開けておいた金網の穴をくぐり抜けた。あの位置からここまで、順調に来るとしたら五分もかからない。上り下りの方向がどちらになるかが賭けだが、その確認も含めると急がないと。ガサガサと膝よりも高くまで伸びた草をかき分けながら急いで斜面を下っていった。
ETCに反応してカシャンとバーが上がればいよいよ高速道路だ。
「っしゃ!」
両手で軽く頬を叩く。そんなに気合いを入れる必要はないが、高速道路ではこのトラックのようにトン単位の車両はそれだけで凶器。気を引き締めるという意味でやっているルーティーンだ。と言っても、これをやっていても異世界から召喚されてしまったのだから、効果の程はイマイチかも知れない。
「ふんふーん」
ググッと外側への遠心力を感じながらランプを走らせ、その後アクセルを踏み込んで加速していく。長谷川の運転するトラックの場合、制限速度は八十キロだが、会社の規定では七十五キロが推奨されている。つくづくホワイト過ぎる運送会社だと思いながら、ミラーを確認。
「右ヨシ、前方ヨシ」
ピッピッと指差し確認をして走行車線へ乗せると「ふう」と一息。重量のあるトラックではこの車線に乗るための加速が結構気を遣うのだ。
「さて、あとはひたすら真っ直ぐに……ん?」
緩やかなカーブを抜け、しばらく直線。左右には高さ数メートルののり面。そののり面に人影が見えた。いや、見えたというか、のり面を降りて車道に出てきている。
「ちょ!待て待て!待てってば!」
急な出来事にタキサイキア現象――時間がゆっくりに感じるアレ――を引き起こしたことを幸いに感じながらどうするか考える。
「ええと……ええと……」
幸いにしてトラック後方に車はない。だが、ブレーキを踏んでも間に合わない。ただ単に今は時間がゆっくりに感じているだけで、トラックは普通に八十キロ弱を出しているのだ。
「ならこうする!」
幸いここは真っ直ぐ一直線の道路。そして車体もしっかり真っ直ぐを向いているので……素早くシートベルトを外し、ドアから飛び出して走り出した。
「ぬおおおおお!」
長谷川が本気で走ればトラックより速く走るくらいは何とかなる。そして、走ってくるこちらに驚愕の表情を見せている少年をそのまま担ぎ上げる。
「ぐえっ」
「トラック直撃よりマシだろ!」
痛みと衝撃で気絶したようだが、それはそれで幸い。大人しくしてくれるなら何でもいいと思い、スピードを緩めてトラックに追いつかれると、そのまま運転席に飛び込んだ。
「げ、骨折れてる……ったく、面倒な!」
「スマンな、手間をかけさせた」
「いや、たまたま非番だったから別に」
「そうか。助かる」
トラックに乗せたあと、すぐにスマホで村田幹隆に連絡し、この少年の回収を依頼した。もちろん、ハンズフリーモードで。
「はあ……全く、どうしてこういう連中って減らないんでしょうね」
「だな」
長谷川が正直勘弁してくれとうんざりした顔で答えた。
幸いなことに長谷川の前に飛び出してきた場合はこうやって何とか助けているのだが、全国で見ると助からないケースは少なくない……かと思いきや、そこは幹隆を起点とした横のネットワークが生きていて、米山や日野と言った治癒術の得意な者を筆頭に、数名の治癒術の使える者が全国を飛び回ってなんとか回復させている。つまり、今のところ死者はゼロである。
「ぶ、物理的に空を飛ぶとは思わなかったわ」
「飛んでないぞ、跳ねただけだ」
「あの高さは飛ぶっていうのよ!」
長谷川の体当たりを食らった少年は数ヶ所の骨折だけでなく内臓も一部損傷。実は結構ヤバい状況だったということで、幹隆がすぐに茜を通じて連絡のついた日野を抱えて文字通り飛んできたわけだが、その扱いに少々ご立腹な様子。これはあとで何かを奢らされる流れになるなと、幹隆は「財布を忘れた」という言い訳で逃げようと考え始めていた。
「じゃ、あとはよろしく」
「わかりました」
警察に引き渡せばあとは、運良く助かっただけという体にするか、夢でも見ていたんだろうと言うことにして自宅に送りつけるか。
「でもなあ……またやるんだろうな」
この少年、実はこれが三回目。
そう、死んでいないということで、ネット上ではこんな噂がまことしやかに流れている。
「俺たちを異世界に行かせないために、暗躍している者がいる」
「トラック転送が起きそうになると妨害し、何もなかったかのようにしている」
ここまでなら可愛いもの。
「つまり、異世界へトラックで転送できるってのは本当なんだ」
「いつの日か絶対に、異世界へ行ってやる!」
彼ら、中の二な感じの病に罹患しちゃった少年少女と、異世界帰りの面々の水面下の戦いは、当分の間は続きそうである。
皆様くれぐれも「異世界に行きたい」などといってトラックの前に飛び出さないよう、重ねてお願い致します。




