二十三話:悪役令嬢の活躍と、主人公の欠点
成金とはいえ、綾野が生まれる前から神宮路家は成金としての地位を確立しており、綾野は生活に苦労したことがない。
前世の記憶はあるものの、親の過保護ぶりから常に人を使う立場で生活をしてきた綾野は、時間の全てを自分を磨き上げるために使うことができた。
その結果が、成績優秀、スポーツ万能のハイスペック美少女である。
「うわ、また点取ったよ、あの子」
「凄い。バスケ部だったのかな」
綾野の試合風景を見た女子が感嘆の声を上げている。
一方で、綾野の敵チームに振り分けられたまつりは、綾野のフェイクに引っかかって反応が遅れ、追い縋ろうとしたが滑って転んだ。
「うわ、また転んだよ、あの子」
「運動音痴なんだね。頭が良くて、顔もいいけど、さすがに運動神経抜群とまではいかなかったか」
先ほどと同じ女子が、綾野に対しての内容とは真逆の感想を述べた。
ちなみに、まつりが転んだのはこれで三度目である。
(く、屈辱……)
ゴールにボールをお手本のように綺麗なフォームのレイアップで放り込んだ綾野が、転んだまつりの傍へ心配そうな表情でやってきた。
「大丈夫ですの? まつりさんは相変わらず運動が苦手ですのね」
手を差し出した綾野の好意を受け取り、まつりは綾野の手を握る。綾野が引っ張る力に合わせ、まつりは身体を起こした。
ジャージについた砂を叩き落すと、口を曲げてまつりは綾野を睨んだ。
「部活に入ってるわけでもないのに、何でも部員並に動けるあなたの方が異常なのよ。何なのその運動神経。その上私と成績がほとんど変わらないなんて、反則じゃない。妬ましいわ」
無論本気で怒っているわけではないが、羨ましいのも確かである。綾野は性格はぶっ飛んでいるが、天から二物どころか三物を与えられた存在なのだ。
「え? でも学力テストではいつもまつりさんの方が上でしょう?」
「ケアレスミスの一つや二つで覆るんだから、差なんてあって無いようなものよ」
嘆息しながらまつりが言う通り、まつりと綾野の学力はほぼ拮抗している。大抵はケアレスミスの数の差でまつりの方が点が高くなるが、基本は九十点台以上を前提とした話なので、ケアレスミスは全教科を合計して毎回綾野がまつりよりも一つ二つ多い程度である。
二人の調子によっては、順位が入れ替わることもあった。そんなことがあると、まつりは不機嫌になって暇があれば机にかじり付き、リベンジに燃えるのだ。美少女の枠に入っているとはいえ、綾野よりも地味な顔立ちで運動能力でも負けているまつりが、綾野に唯一辛うじて勝てるのが学力なのである。
「学力で負ける分、運動ではそう簡単に勝たせませんわよ。覚悟してくださいまし」
にやりと綾野が淑女らしからぬ笑みを浮かべる他所で、まつりのチームのボールで試合が再開される。
まつりの運動神経がアレなのはもう自チームにも相手チームにもばれているらしく、まつりは空気だった。何しろ味方からパスが回ってこないのだ。パスしてもまつりの腕ではよほど優しいパスでないと取り損ねるだけなので、自然とまつりに対するパスの優先順位は下がる。
とはいえ、そうなるとまた別の意味でパスコースが限定され、相手に読まれやすくなる。現に、綾野は何本もパスをカットし、カウンターでゴールを決めていた。まつりのチームにはバスケ部の部員もいるが、綾野の動きはバスケ部員と比べても遜色ない。
「貰いましたわ!」
まつりのチームメンバーがバスケ部員の少女に出した不用意なパスを、虎視眈々と機を窺っていた綾野が割り込み鮮やかにキャッチする。
もう何度も繰り返された光景なので、綾野のチームベンバーも心得ており、押さえを残して全員が一気に前線を駆け上がった。その中には翔子と由紀もいた。
綾野と翔子の間でパスが繰り返され、一気にボールはゴール前に到達する。綾野からパスを受けた翔子はそのままボールを自分たちを追って前線に上がった由紀にパスした。後から上がってきた故に、由紀にはまだマークがついていない。
「えい!」
可愛らしい声とともに由紀が放ったシュートは惜しくもリングに弾かれたが、リバウンドを取った綾野が遅れてディフェンスに入ったまつりを鮮やかにかわしてシュートを決めた。
翔子が駆け寄り、綾野とハイタッチをする。
「ナイスシュート! 中々やるじゃない! 名前、何だっけ?」
「神宮路綾野ですわ! あなたは確か、飯島翔子……でしたわよね」
名前を言い当てられた翔子はに快活に夏の日差しを思わせる笑顔を浮かべる。
「へえ、もう私の名前覚えてくれたんだ? 嬉しいな」
「当然ですわ。だってあなたはサブ攻略たいs……もごごご」
要らぬことを口走ろうとした綾野の口をまつりは慌てて塞いだ。
試合を通じて、綾野と翔子の仲が深まっている。何も考えないが故に誰に対しても平等に接する翔子と、持って生まれたプライドから誰に対しても物怖じせず態度を変えない綾野は、相性がいいらしい。
綾野に変な発言をさせて仲を悪くさせる必要は何もない。
(っていうか、彼女、女性でしょう! 何で攻略対象なのよ!)
まつりの奇行にきょとんとしている翔子を愛想笑いで誤魔化しつつ、心中でまつりは毒づいた。
本当に綾野が言っていた通り何でもありなゲームなのか。なにそれ怖い。
「もう、まつりさんたら、何をなさるの」
基本的に身体のスペックが高い綾野の方が力が強いので、綾野はまつりの手をやんわりと振りほどいた。
「倉本さんもナイスプレーでしたわ。さすがサブk……もがががが」
「言わせないわ!」
懲りずにまたおかしな発言をしようとした綾野の口を、今度は予想していたまつりが電光石火の早さで塞いだ。
「えへへ……翔子ちゃんたちには負けちゃうよ」
運動神経が悪いわけではないが特別良いわけでもない由紀は、綾野と翔子にはにかんでみせる。
「もう、はしゃぐのは構いませんけど、いい加減してくださいまし」
言葉とは裏腹にどこか名残惜しそうにしながらもう一度優しく振りほどいた綾野は、無理に動いたせいで肩で息をするまつりに目を向け、呆れた表情を浮かべる。
「まつりさんはもう少し頑張った方が宜しいですわよ。先ほどの試合でも何度も同じフェイクに引っかかっていたじゃありませんか」
「身体が勝手に動いちゃうのよ。仕方ないでしょ。それにいい加減にして欲しいのはこっちよ」
「ゲームがそうなんだから、それこそ仕方ないことですわ。ちなみに、残る一人もサb」
不機嫌そうな声でまつりが反論すると、綾野がやれやれとでもいうように肩を竦めて生暖かい目で見ながら、また懲りずに良からぬことを口走ろうとしてきたので、まつりはイラっとして口を塞いだ。その反応速度は今までで一番速い。まつりの特技に「口を塞ぐ」が追加されてしまう日はそう遠くないかもしれない。
ボールを拾った翔子が苦笑する。
「まあ、何でもできちゃうよりかは、何かしら欠点があった方が好感が持てるし、それはそれでいいんじゃない?」
翔子はそのままボールをまつりに渡した。
「じゃあ、続きやろうか」
もっと点差をつけたいらしい。
割と鬼な少女であった。
■ □ ■
放課後になり、まつりと綾野は連れ立って校舎を出た。
綾野の回りでは当たり前のようにボディーガードが警護しているが、まつりと綾野は完全に彼らを無いものとして扱っていた。
まつりはもちろんそうだが、綾野にも迎えの車はなかった。
徒歩で帰るまつりの横を当然のように歩いて手を繋ごうとする綾野に、まつりは怪訝な表情で問いかける。
「青原さんは呼ばないの? 神宮路の家、ここから徒歩で帰るには遠くない?」
まつりの疑問に、綾野はまつりの手を取り胸を張って自慢げに答えた。
「心配には及びませんわ。まつりさんの言う通り、通うには少し遠いですから、近くに部屋を借りましたの」
「へえ。一人暮らしなんだ。よくお父様が許してくれたね」
神宮路家の現当主が娘を溺愛していることを知っているまつりは、綾野が親元を離れて一人暮らしをすることに驚く。
「そのための条件がボディーガードたちですわ」
「ああ、そう。なるほどね」
だからこそのあの警護体制か、とまつりは手を繋いで上機嫌な綾野を見て変な意味で納得した。
どうやら綾野は父親の反対を押し切ってきたらしい。綾野の父親が娘を心配してつけた苦肉の策が、あのボディーガードたちを帯同させることなのだろう。あんなのがいれば、確かに悪い虫など寄ってこまい。むしろトラブルの種の方から綾野を避けるだろう。
歩きながら、まつりは綾野を盗み見た。横を歩く綾野は上機嫌だ。まつりと綾野だけなら普通の女子学生の下校風景だが、周りのボディーガードたちが完全に周囲から浮いていて不審者と化している。
(うーん、この状況でスーパーに寄りたいとは言い出しにくいな)
いろいろ食料や生活雑貨を買い揃えたいのだが、あまり悪目立ちはしたくないまつりだった。
今更である。
「まつりさん、ちょっと寄っていきたいところがあるのですけれど、宜しくて?」
「ああ、うん、別に構わないわよ」
珍しくも綾野が寄り道をしたいと言い出したので、まつりは快諾する。綾野が寄りたいところというのがどこなのか、少し興味もあった。
綾野が選んだ道は、まつりが行きたいと思っていたスーパーへ続く道だった。
「寄りたいところって、もしかしてスーパー?」
狐に摘まれたような顔でまつりが綾野に尋ねると、綾野は少し困った顔をして嘆息した。
「ええ。何しろ引っ越したばかりなので、色々生活必需品が足りていませんの。今日の夕飯と明日の朝食も買わなきゃいけませんし。出来れば買いだめしたいのですけれど」
舌が肥えている綾野が既製品で満足できるのか心配になったまつりは、恐る恐る綾野に聞いた。
「……自炊はしないの?」
綾野が唇を尖らせてまつりをにらむ。
「包丁を持つのはコックの役割ですわ」
できないとはっきり口にしない辺り、綾野のプライドが伺える。
「コックじゃなくても、主婦なら包丁持ってもおかしくないと思うわよ」
遠回しに自炊を進めてみるまつりだが、遠回しすぎて綾野には伝わらなかったようで、あっさりと言い返されてしまう。
「残念ながら、婚約破棄されてしまった身ですので、主婦になる予定はしばらく無さそうですわ。それともまつりさんが貰ってくださるの?」
「女同士であなたは何を言っているのよ」
「もちろん、冗談でしてよ?」
まつりと綾野は目を見合わせ、同時にぷっと吹き出した。二人して、くすくすと忍び笑いをする。
婚約破棄の件を思い悩んでいる様子を見せない綾野に、まつりは少しホッとすると同時に心配になった。
心の整理がついているのならいいのだが、隠して見せないようにしているだけなら問題だ。
とはいっても、まつりが下手につついてもやぶ蛇になるだけだろう。今はそっとしておくしかない。
自動販売機の傍を通り過ぎる。綾野が無言で自動販売機を見つめ、やがて目を逸らす。
「……少し、喉が渇きましたわね」
しばらく歩いていると、綾野がぽつりと言った。別に綾野は運動不足というわけではないが、歩いて帰るのと車で帰るのとではやはり感覚が違うのか、まだ慣れないようだ。
「そうね。午後は体育だったし」
まつりはとりあえず同意しておく。
「ああ、喉が渇きましたわ」
聞こえよがしに、同じことを綾野が二度言った。
ボディーガードたちが顔を見合わせ、一人が先ほどの自動販売機に向かって走っていく。
どうやら今のは、綾野の暗に飲み物を買って来いという命令だったらしい。
はっきりと口にしないであくまで自発的という形を取らせるのが、淑女の嗜みである。割とどうでもいいことだが。
「にしても、今まで大して意味のないものだと思っていましたが、あの自動販売機というものは中々便利ですわね」
待っている間、綾野がそんなことを言った。
「まあ、車で登下校してたらまず使わないからね。スーパーやコンビニでも買えるし、基本的にはその方が安いし」
父親と生活することで庶民に染まってきているまつりは僅かな値段の差をつい気にしてしまうが、綾野にとっては誤差の範囲内なのだろう。
「ですが、わざわざ店に買いに行く必要がないというのが気に入りましたわ」
確かに値段を考えなければ、その場で飲み物を買って飲めるというのは、自動販売機の強みだ。
自動販売機で飲み物を買ったボディーガードが戻ってきた。
「あら、気が利きますわね。まつりさんにも渡してくださる?」
「私にもくれるの? ありがとう」
自分の分もあるのだと知り、まつりは少々驚きつつ受け取った。
神宮路家の人間ではないまつりの分も用意してくれる辺り、確かに気の利くボディーガードである。そもそもボディーガードがするような仕事ではないかもしれないが。
やがてスーパーにたどり着いた。




