二十二話:悪役令嬢の流儀と、主人公の達観
生徒たちでごった返す購買の入り口で、綾野は嫌そうな表情を浮かべて立ち尽くした。
「人が多過ぎますわ。この中に入らなければなりませんの?」
中に入らずとも、入り口にいる時点で分かるほど、購買は人で溢れかえっていて、さすがの綾野といえど、この状態の購買に傍若無人に飛び込んでいく勇気は無かったらしい。
「綾野が入りたくないなら入らなくてもいいけど、入らなきゃ何も買えないわよ」
冷めた口調でまつりが言うと、綾野は唇を噛んで悔しそうな表情になった。
「くっ……。仕方ありませんわ。背に腹は変えられませんもの。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですわ」
「あなたは購買を何だと思ってるのよ」
呆れたように苦笑しつつ、まつりは綾野より先んじて購買に入る。
「あっ、まつりさん! お待ちになって!」
慌てた綾野が僅かな逡巡のうち、思い切って後に続く。
購買に入った綾野は即座に己の行動を後悔することになった。
「この人混みでは、髪が乱れてしまいますわ」
下手したら隣の人と肩がぶつかり合いそうになるほど混んでいる購買の中で、綾野がまつりの傍に擦り寄って泣き言をこぼす。
人の波に揉まれ、縦ロールも心なしか元気が無い。
「ちょっとあなたたち、わたくしの半径一メートル以内にまつりさん以外の人を近付けないでちょうだい」
無茶振りをされた綾野のボディーガードたちは、顔を見合わせて戸惑ったような雰囲気を発している。
サングラスで目元が隠れているのでまつりには分かりづらいが、「お前が行けよ」「俺は嫌だ、お前が行けよ」と責任を擦り付け合っているように思える。
「それは無理よ。どれだけ人がいると思ってるの。綾野、言っておくけど郷に入れば郷に従いなさい。ここは杉並じゃないんだから」
まつりが嗜めると、綾野は悔しそうに身体を震わせる。
「反論できませんわね。くっ、このわたくしが庶民に道を譲らなければならないなんて、屈辱ですわ」
「ならさっさと買って出ましょう。お弁当、パン、おにぎりがあるけど何がいい?」
振り向いて尋ねるまつりに、綾野は胸を張って即座に答えた。
「決められませんわ!」
「威張りながら言うようなことじゃないでしょう」
冷静に突っ込まれた綾野は、甘えたようにまつりに顔を向けて唇を尖らせる。
「仕方ないではありませんの。見なれない商品ばかり並んでいるのが悪いのですわ」
そう言っている間にも、綾野の視線は盛大に目移りしている。
「確かに杉並じゃ売られてない商品が多いけど、正直杉並のレストランの方が美味しいと思うわよ」
「それくらい分かっていますわ。わたくしにだって、前世の記憶というものがありますもの」
久しぶりに聞いたフレーズに、まつりはくすりと笑った。
「あ、まだ引きずってたんだ、その設定」
「設定じゃありませんわよ!」
かなりの勇気を振り絞って明かした前世の記憶を設定扱いされ、綾野が吼えた。
「だって、前世の記憶なんてものがある割にはあなた、ブルジョワジーに染まりきってるじゃない。むしろ杉並の他の子たちよりも違和感が無いわよ」
怪訝そうな顔のまつりに、綾野は肩を竦めて答える。
「仕方ありませんわ。人格というものは生まれと教育に大部分が左右されるものですもの。十年以上暮らしていれば、変化は避けられませんわ」
「つまり、今の綾野はこうなるべくしてなったわけね。前世の記憶なんて私には無いから分からないけど、そういうものなのかしら?」
「そういうものですわ」
本人の中では分かりきったことなのか、断言する綾野には迷いが無い。
「で、結局何にするのよ。無理にでも選ばないと、昼休み終わっちゃうわよ」
「……では、一番値段が高いお弁当にしますわ」
ある意味綾野らしい選択に微笑ましいと思いつつも、まつりは念を押す。
「それでいいの? 普通の生徒は、できるだけ安くて良い物を捜そうとするものだけれど」
「神宮路の娘が安物で妥協したなんてことがお父様に知られたら、お叱りを受けてしまいますわ。神宮路の財力を知らしめるためにも、お金を惜しむわけにはいかないのです」
「……あなた、以前ケーキ買ったとき、もっと安いものがあると知って悔しがってなかった?」
まだ杉並に通っていた頃のことを思い出し、まつりは怪訝な顔をした。
「知らなかったのが落ち度だからです。知っていて敢えて一番高いものを購入する、それが神宮路一族に課せられた使命なのですわ」
「嫌過ぎるわよそんな使命……!」
冗談のような台詞だが、綾野はこれを大真面目に言っている。常人とは根本的に感覚が違う。まつりもその自覚はあるが、綾野はそのさらに上を行く。
「わたくしはこれにします」
綾野が選んだのは、一つ二千円もする予約制かつ数量限定の特上幕の内弁当だった。
案の定、予約がない綾野はレジで販売員に止められる。
「わ、わたくしには売れないですって!? いい度胸ですわね!」
激昂する綾野を宥めながら、まつりは驚いて目を白黒させる販売員に愛想笑いをした。
「はいはい落ち着きなさい。予約制なんだから仕方ないでしょう。諦めなさい」
「くっ……」
諦めきれない様子の綾野の横で、気弱な国語教師が綾野が持つ弁当と同じ品物をレジに持ってきた。
綾野と担任の視線が交わる。
担任が持つ弁当に綾野が手を伸ばした。
「じ、神宮路さん、何かな」
弁当をしっかりと掴んだ綾野は、艶やかな微笑みを浮かべて担任を見上げた。綾野の顔を見た国語教師がヒッと小さく悲鳴を漏らしたあたり、微笑というよりもそれは得物を捕らえた肉食獣の笑みである。
「先生、これ、譲ってくださいませんか? もちろん、代わりのお弁当を含めて、御代はお持ちしますから」
「え、でもこれは僕の数少ない楽しみで……」
「まさか、このわたくしのお願いを嫌とは言いませんわよね?」
困って綾野から視線を逸らした国語教師は、回りの生徒たちがさりげなく全力で目を逸らし係わり合いにならないようにしていることに気付き、涙目になった。
さらに、国語教師を取り囲むようにして綾野のボディーガードたちが国語教師にプレッシャーを与える。
「ど、どうぞ」
「感謝しますわ、先生!」
すごすごと弁当を差し出した国語教師に、綾野は飛び切り邪気の無い笑顔を向けた。
結果的に昼食代が浮くことになった国語教師が不幸かどうかは、判断が分かれるところである。
■ □ ■
教室で昼食を食べ終えたまつりと綾野は、水筒で喉を潤す。
綾野の水筒は、表面にごてごてと金箔が貼られ、繊細な細工の彫刻と宝石で飾れられた豪華なものだ。
「……あなた、それどこで買ったの?」
「ふふ。職人に作らせた一点物の特注でしてよ」
ともすれば悪趣味になりがちだが、縦ロールの髪を靡かせる綾野が持つと意外に様になっている。綾野からは成金オーラでも出ているのだろうかと、まつりは考えて自分の考えに苦笑した。
「そろそろ着替えましょうか。午後の授業は体育よ。綾野、ジャージは持ってる?」
「さすがに高浦高校指定のジャージはまだ用意できていませんわ。一応杉並学院で使っていたジャージを持ってきていますけれど」
まつりを追いかけて急いで転校したので、綾野は制服すら杉並学院で使っていた頃のままだ。仕方ない。
「じゃあそれでいいんじゃない? 次は来週だし、それまでには揃えられるでしょ」
「もちろんですわ」
ジャージを取り出した綾野は、回りを見回して怪訝な顔をする。
「皆さん、どうして教室で着替えてますの? 更衣室はありませんの?」
いつの間にか男子は教室からいなくなり、残った女子たちが着替えを始めている。中にはもちろん、翔子や由紀の姿もある。
「更衣室は無いわよ。体育は必ず二クラス合同だから、男子はまとめて隣のクラスで、女子は全員こっちで着替えるのよ」
「なるほど。道理で見慣れない方もいるわけですわね。前世で通っていた高校にはちゃんと更衣室がありましたから、気付きませんでしたわ」
隣のクラスの女子生徒たちはまだ慣れていないのか、綾野の回りを気にしているようだった。
正確には、綾野の服を脱がし、てきぱきと杉並のジャージを着せていくボディーガードに視線が注がれている。
男性顔負けの体格で短髪なので分かりにくいが、よく見ると胸が膨らんでいる。
どうやら女性らしい。
「……まさか、ボディーガードに着替えさせるなんて、さすがの私も想定の範囲外だったわ」
目の前の光景に、まつりは頭痛を感じたかのように額を押さえた。
綾野のボディーガードたちは着替えが始まる前に廊下に出ていたが、唯一綾野と同性であるそのボディーガードだけは教室に残り、綾野の着替えを手伝っていた。
というより、着替えさせていた。綾野はただその都度腕や足を突き出しているだけである。着替えさせてもらうのを当然とする様は、さながら中世のやんごとなき身分の方々のようである。
杉並はジャージですら高価な生地を使っているので、見た目だけでも高浦のジャージと比べると布地の違いがはっきりと分かる。
さらに、著名なデザイナーがデザインを担当したので、並べると高浦のジャージが非常に野暮ったく見える。
着替え終わった綾野は、女性のボディーガードからタオルやら、昼食に使った水筒とは別の、スポーツドリンク入りの水筒やらを渡されている。
もちろん、普通はたかが体育の授業でそんなものは持っていかない。
教室を留守にする際綾野の私物は全てボディーガードが管理するらしく、昼間の水筒などが入った綾野の鞄を回収していた。
高価な品物ばかりなので、防犯を考えるとある意味妥当ではあるが、自分で持たずに他人に持たせる辺り、綾野らしい。
「終わりましたわ。まつりさん、行きましょう」
「……そうね、行きましょうか」
今後のためにも色々アドバイスしておきたい気もするまつりだが、多少丸くなったとはいえ、唯我独尊を地で行く綾野がそれを聞くとも思えないし、逆に素直に生徒たちと同じことをされても、それはそれで違和感がある。
まつりは思考を放棄して全てを棚に上げた。まつりは何も見ていない。高浦の常識を真っ向から無視した綾野の行動にいちいち突っ込んでいたら、きりがないのである。
校舎の外に出た綾野は、グラウンドを一目見るなり眉を寄せた。
「狭いですわね。どこかに第二グラウンドでもあるのかしら? これくらいの広さだったら、第四グラウンドくらいまではあるはずよね?」
「そんなものは無いわ。杉並のグラウンドが広すぎるのよ。普通の高校はこれくらいが普通よ」
狭いと言われているが、高浦高校のグラウンドの広さはごく一般的なものである。
「そうなんですの? 手狭なんですのね」
スタスタと綾野がグラウンドに出て行くと、すでにグラウンドに出ていた生徒たちが蜘蛛の子を散らすように綾野から離れていく。
綾野の回りには、当たり前のようにボディーガードたちが同行していた。着替え中はいなかった男のボディーガードたちもきちんと戻ってきている。
「さすがに体育の授業中くらい、別の場所に待機させておいたら?」
「それもそうですわね」
素直に頷いた綾野は、自分のボディーガードたちに離れているよう命令した。
ボディーガードたちは、少し離れた場所で一糸乱れぬ整列をする。
「まつりさん、これでよろしいのでしょう?」
「ああ、うん、いいんじゃないかしら」
わりとまつりの返答は投げ遣りだった。いちいち綾野に突っ込みを入れるのがしんどくなってきたのかもしれない。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴って体育教師がやってきたが、聳え立つボディーガードたちを見て思わずといった様子で後退った。体育教師も中々の強面だが、完全にボディーガードたちに気圧されている。何せ、ボディーガードたちはサングラスをかけているので表情が分からない。
「あー、授業を始める。まずは準備運動から。二人一組になって、ストレッチを始めろ」
どうやら体育教師はボディーガードたちを見なかったことにしたらしい。
自然とまつりは綾野と組むことになった。
綾野は他の生徒たちに敬遠されて、誰にも近寄られなかったのである。




