二十一話:悪役令嬢の活躍と主人公の戸惑い
何とか綾野を説き伏せようとしたまつりだったが、説得は失敗に終わった。
まつりとしては綾野の転校を翻すことは無理でも、せめてボディーガードだけでも帰らせようと思ったのだが、転校の際に綾野の父親が出した条件が、ボディーガードを連れ歩くことだったらしい。だから綾野もそこは頑として譲らなかった。
それに、元を正せば何も言わずに学園を去ったまつりが悪い。
(……まあ、身から出た錆よね)
ため息をついて、まつりは気持ちを切り替える。
自身も突然のことで、できたのは最低限自分の派閥の引継ぎをするくらいで、それ以上他人のことを考える余裕がなかったし、ある程度状況が落ち着いてからはいつ話そうか考えてはいたけれど、こうなった以上はただの言い訳だ。
今はただ、綾野が自分を追いかけてきてくれたことに、まつりは感謝する。
「それでは戻りましょうか、まつりさん。わたくし、庶民が受ける教育に興味がありますの」
「杉並で受ける授業の内容に勝るとは思えないけれど……」
苦笑と共に漏らしたまつりの呟きは、当たり前のように綾野に黙殺された。
教室に戻った途端、綾野に生徒たちの視線が集まった。
注目されているのに気付いた綾野がにっこり笑って教室中を睥睨する。
目が合いそうになった生徒たちがそっと目を逸らした。
「もっとリラックスしていいんですのよ? 別に取って食べたりはしませんわ」
綾野本人は落ち着いた余裕の表情だが、背後のボディーガードたちはサングラス越しに目を光らせ、周囲を威圧している。
「ええっと……君の席は、ここだ」
さすがに気になる様子で、ボディーガードたちにちらちら視線を向けながら、担任の厳島京子が綾野を席へと案内する。綾野の席は、廊下側の最後尾だった。
自分の席を、綾野は面白く無さそうに見つめ、京子をにらみ付けた。
「まつりさんたちとずいぶん離れていますのね。離れすぎじゃありませんこと? それに、後ろ過ぎてこれでは黒板がよく見えませんわ」
「そうか。じゃあ前の誰か、代わってくれる奴はいないか先生が聞いてくるから、ひとまず神宮路は座ってくれ」
「それには及びませんわ。自分で交渉できます」
教室を見回し、綾野はまつりの席を捜した。まつりの席は、窓側の女子の列の二番目だった。
颯爽と歩き出した綾野を、生徒たちが恐々とした目で見守る。綾野が立ち止まったのは、まつりの目の前の席、つまり最前列に座る女子生徒の前だった。
「ねえ、貴女。席を替わっていただけないかしら。今の席では、前がよく見えませんの」
にっこり笑いながら頼む綾野だが、当の女子生徒にしてみれば、それは命令にしか聞こえない。何しろ、綾野の背後ではマッチョな黒服の男たちが周囲に対して睨みを利かせているのだ。
女子生徒は涙目になりながら荷物をまとめ、すごすごと綾野の席に移動していった。
満足そうに微笑んだ綾野は、まつりの前の席に座ると、振り向いてまつりを見た。
「また、近くの席ですわね」
「……力尽くで席を替えさせておいて、あなたは何を言っているのよ」
ジト目でまつりが見つめると、綾野は肩を竦める。その拍子に豪奢な巻き髪が揺れる。
「力尽くだなんて、心外ですわ。わたくしは誠心誠意お願いしましたのに」
「だったら、回りの男たちを何とかしなさいよ。立たれると、黒板が見えないわ」
まつりの指摘を聞き、綾野はどうやらようやくそのことに思い至ったらしく、きょとんとした顔でまつりの席と自分のボディーガードたちの姿を見比べる。
「……それもそうですわね。あなたたち、教室では皆さんの邪魔にならないように一番後ろに立っていてくださる?」
綾野のお願いという名の命令に、黒服の男たちは頷いて教室の後部へと移動していく。
教室の後部に大人がずらりと並ぶ様子はまるで授業参観を彷彿とさせる光景だが、大人たちが皆黒服サングラス姿なので異様な光景でしかない。
席を替えさせられた女子生徒は必然的に背後に立たれることになり、しきりに背後を気にしては何も言えずに泣きべそをかいている。
「ねえ、綾野。いまさらだけど、くれぐれも他の子に迷惑をかけないようにね?」
「もちろん、承知していますわ」
自信満々に頷く綾野だが、ボディーガードの一件もあり、大いに疑わしい状態である。
「ええと……神宮路綾野さん、だったか。何なんだ、あの後ろの男たちは」
隣の席になった秀隆が、恐る恐るといった様子で綾野に話しかけた。
翔子や由紀、高志を含め、回りの生徒たちが固唾を呑んで綾野の回答を待つ。
「わたくしのボディーガードですわ。わたくしは別に必要ないと申し上げたのですけれど、お父様がどうしてもと仰るので仕方なく連れてまいりましたの。なるべく迷惑をかけないようにいたしますから、許してくださいましね?」
すでに今の状況が迷惑なのだがと突っ込みそうになった秀隆は、視線を感じて反射的に口を噤んだ。
振り返れば、黒服の男たちが秀隆の一挙手一投足を注視していた。
結論。とても、怖い。
「ああ、分かった。好きにするといい」
黒服の男たちの威圧に負けた秀隆は、言葉を飲み込んだまま、そっと目を逸らした。
「おい、秀隆。それはないだろ」
後ろの席の高志に声をかけられた秀隆は、高志を振り返ると顔を顰めて反論する。
「高志。お前はこの状況で、彼女に否と言えるか? 後ろを見てみろ」
「へ? 後ろ……?」
言われるままに振り向いた高志もまた、二の句が告げなくなった。
男たちはいつでも飛び出せるように、秀隆や高志から、正確には綾野の周辺から視線を逸らさない。綾野本人は意に介さないが、綾野の回りは男たち全員に注目されていた。
「ねえ、何なの、あれ。怖いんだけど」
翔子がまつりに話しかける一方で、由紀は顔を青くしている。
「あの人たち、私たちのこと凄い見てるよ……」
深いため息をついたまつりは、翔子の質問に答える。
「綾野の言った通り、彼女のボディーガードよ。置物だとでも思っていればいい。その方が精神衛生上安全よ」
「そんなこといわれても、気になっちゃうわよ。ほら、先生なんか凄い不機嫌になってるじゃない」
朝のホームルームの続きをしている京子は、男たちが気になって仕方ないようだった。無理もない。
そんなこんなで、綾野を交えた初めての授業が始まる。
■ □ ■
高浦の教師たちにとって、綾野がいるクラスの授業はとてもやりにくいものであった。
何しろ、教壇からは教室の最後列に立つ黒服のボディーガードたちがよく見えるのだ。気にするなと言われても、無理なものは無理なのである。
さらに言えば、綾野は杉並学院にいた頃からずば抜けて成績が良く、各科目についての知識が豊富だった。
例えば数学の授業なら、教科書に書かれていないようなより踏み込んだ数式を綾野は知っている。
「先生。その問いの答えはこうすればもっと早く導き出せますわ」
本来なら教える必要のない解き方を解説する必要に迫られ、その数学教師はしどろもどろになった。
また、国語の授業では。
「先生。その文章だけを取り上げるのはフェアではありませんわ。こちらの文章もきちんと取り上げるべきでしてよ」
綾野が指摘したのは、教師間でも解釈によって意見が分かれる部分の問題だった。どちらも間違いではないが、どちらかというと教師が始めに選んだ方を答えとする解釈が多い。
結局その教師は解釈の違いから国語教師たちの性格の違いについてまで説明する必要に迫られた。
外国語である英語の授業では言うまでもない。
「先生。その訳は少し違いますわ」
重箱の隅をつつくような些細なものから、大幅に意味が変わってしまうものまで、次々とニュアンスの違いが綾野によって指摘される。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、授業を受け持っていた教師が青い顔で背を丸め、そそくさと教室を出ていった。
「……高浦の教師たちは、ずいぶんと程度が低いですわね」
そんな教師を見つめ、綾野が漏らした感想がこれである。
「あんまり教師たちをいじめないであげて。見てるこっちが居た堪れなかったわ」
若干疲労が滲んだ声でまつりが綾野に苦言を呈すると、綾野は振り返りまつりにきょとんとした顔を向けた。
「あら、どうしてですの? こちらは学費を払って授業を受けているのですから、より質の高い知識を授けられたいと願うのは、当然の権利でしょう。それを果たせないような教師は、淘汰されてしかるべきですわ」
まつりは漏れそうになったため息を辛うじて堪える。
仮にも杉並学院に通っていた生徒として、まつりはどちらかといえば綾野寄りの意見を持っていたが、それがこの高浦でも正しい意見であるとは限らないと知っている。
「そういう発言は、それこそ杉並や、そうでなくてももっと偏差値の高い進学校でするべきよ。何も可もなく不可でもない高浦でする必要はないでしょう」
「それくらいわたくしだって分かっていますわよ。ですから、きちんと最低限の指摘だけで済ませたでしょう? 本当なら逐一全部訂正したかったですけど、これでも我慢して、流せるものは流しましたのよ?」
(……あれで?)
十五分に一回は綾野の指摘が飛ぶ午前中の授業を思い出し、まつりは教師たちを哀れに思った。きっと今頃は、職員室で同僚たちを相手に不満をぶちまけているに違いない。
「そんなことよりも、まつりさん、お昼ですわよ!」
「……ええ、そうね」
またしても急転換した話題に、まつりは若干戸惑いながら相槌を打つ。
「レストランに行きましょう! 杉並ほどのレベルは期待してませんけど、高浦のレストランは美味しいのかしら?」
「綾野。高浦高校にレストランは無いわよ」
冷静に突っ込みを入れたまつりの前で、綾野は目を丸くして「えっ」と口を半開きにする。
「……ありませんの?」
確認する綾野に対して、まつりは重々しく頷く。
「ど、どうしましょう。わたくし、お弁当なんて持ってきてませんわ!」
「じゃあ、購買で何か買う? 今から急いで行けば、何か買えると思うわよ」
まつりは頭の中で、今から購買に着くまでの時間を計算する。
やや出遅れた感はあるが、まあ何とかなるだろう。
「案内してくださいまし!」
「はいはい。じゃあ行きましょ」
苦笑したまつりは、綾野と連れ立って教室を出て行く。その後ろを、綾野のボディーガードたちがぞろぞろと続いた。
「……何も口出し出来なかった」
まつりを誘おうとして逡巡していた高志が、まつりが出ていった廊下に目をやってがっくりと肩を落とす。
「仕方ないわよ。あの転校生は藤園さんしか見てなくて、こっちなんか眼中にない感じだったし」
苦笑する翔子は綾野の強烈な個性を見せ付けられても物怖じせず、普段通りの態度を貫いている。綾野について語る態度はいつも通りだ。
「でも、できれば仲良くなりたいなぁ。せっかく同じクラスになれたんだもん」
由紀は自分の鞄から弁当箱を取り出し、机に置きながら唇を尖らせる。
そんな由紀に、秀隆が横から声をかけた。
「彼女は藤園さんに対しては親しく接しているようだから、藤園さんと仲良くなれば神宮路さんとも仲良くなれるんじゃないか?」
秀隆の手にも弁当箱が握られている。どうやら秀隆も、由紀と同じく弁当持参のようだ。
落ち込む高志の肩を、翔子は軽く叩いた。
「ほら、私たちも早く購買に行きましょうよ。早くしないと目ぼしいもの無くなっちゃうわ」
昼休みの購買は昼食を求める生徒たちで混雑しているので、弁当はもちろん、おにぎりやパンといった惣菜でさえ、すぐに無くなってしまうのだ。カップ麺などなら残っていることも多いが、仮にも女子である翔子としては、学校でカップ麺を昼食にするのはちょっと遠慮したい。
「そうだな。行くか。急げば合流できるかもしれないし」
とたんに元気になった高志は、いそいそと立ち上がって歩き出す。高志が誰と合流することを望んでいるかは、誰の目から見ても明らかである。
「現金な奴なんだから……」
高志に促され、翔子は苦笑しながら後に続いた。




