第五話
婚約式典の当日。王都は、偽りの祝祭ムードと重苦しい緊張感に包まれていた。
天を突く王城の大聖堂。その中央には、豪華絢爛な装飾と狂王の威光を誇示する巨額の資金が投じられていた。隣国の皇子を迎えるための式典だが、その実態は国を売り飛ばす調印式に他ならない。
親衛隊の銀嶺の甲冑に身を包んだアッシュは、大聖堂を望む回廊の持ち場に立っていた。
兜の隙間から覗く琥珀色の瞳が、淡々と城内の配置を検分する。
親衛隊の正門警備は、予定通りアッシュが指示を出して薄くしてある。スラムの地下道から城内へ繋がる隠し通路の鍵はすでにグレンとゼシカに渡したので、あとは合図を出すだけだ。
手筈は整っていた。
式典が佳境に入り、狂王が調印書にペンを走らせる直前——グレン率いるスラムの無頼漢と、ゼシカ率いる精鋭の機動部隊が城内へなだれ込み、狂王を拘束する。
アッシュ自身は表の親衛隊として混乱を収拾するフリをしつつ、真っ先にアイリスのもとへ駆けつけ、彼女を安全に確保する手はずだ。
だが、大聖堂のバルコニーを見上げたアッシュの眉根が、かすかに寄った。
最前列に佇むアイリス。
仕立て直された純白の式典ドレスを纏い、威風堂々とした立ち姿で眼下を見下ろしている。その青い瞳には恐怖も迷いもなく、まるで「何かを引きずり出すための引き金」が引かれるのをじっと待っているかのような、狂気的なまでの静寂が宿っていた。
アッシュが微かな胸騒ぎを覚えた、次の瞬間だった。
ゴオオオオン——!
開式を告げる鐘の音が響き渡ると同時に、王城の西門から突如として天地を揺るがす叫びと、金属の打ち合う凄まじい轟音が響き渡った。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
親衛隊の騎士たちが慌てふためき、剣を抜く。
アッシュの目が鋭く光った。西門……?
スラムからの突入口は「東の地下水路」のはずだ。裏の軍勢の突撃にしては位置が違いすぎるし、何より規模が大きすぎる。
「狂王の暴政を正し、他国への国売りを阻止する! 我ら辺境伯軍、正義の名のもとに王宮の腐敗を断罪せん!」
地響きのような咆哮とともに、鉄甲に身を包んだ三千の騎兵隊が大聖堂の前庭へと雪崩れ込んできた。
先頭で大剣を振りかざしているのは、狂気に満ちた野望の笑みを浮かべた男——辺境伯、ヴァルツだった。
「な……辺境伯の私兵だと!? なぜ奴らが王都の懐深くまで侵入している!?」
親衛隊がパニックに陥る。
回廊の上で、アッシュは固く奥歯を噛み締めた。
クーデターを計画していたのが自分たちだけではなかった事実が目の前に突きつけられたのだ。
混乱の中、アッシュの視線が大聖堂のバルコニーへと飛ぶ。
狂王が顔を蒼白にして狼狽する傍らで、アイリスだけが……微かに、冷酷な笑みを口元に浮かべていた。
まるで、すべてが自分の描いたシナリオ通りだと言わんばかりに。
(……まさか、アイリス殿下ご自身が……!?)
アッシュの頭の中に、稲妻のように疑問が解けた。
アイリスは最初から誰の助けも期待せず、何らかの手段でヴァルツを利用し、自爆覚悟で狂王を討ち取る仕掛けを施していたのだ。失敗すれば処刑。しかし成功しても——
「……っ、くそ、死ぬ気か!!」
アッシュは兜を叩き割りかねない勢いで吐き捨てた。
自分を犠牲にして国を救う? 悪名を被って一人で死ぬ?
冗談じゃない。そんな結末を迎えるために、十年間泥を舐めて生き抜いてきたわけではない。
その時、東側の通路の扉が豪快に蹴り破られた。
「おいおいおい! なんか予定より泥棒猫の数が多いんじゃねぇか、頭目ぅ!?」
鉄パイプを担いだグレンと、両手に短剣を構えたゼシカ率いる「裏の軍勢」が、怒号とともに城内へと突入してきた。
王宮親衛隊、ヴァルツ率いる三千の辺境伯軍、そしてアッシュ率いるスラムと野盗の裏の軍勢。三つの勢力が入り乱れる流血の乱が幕を開けた。
しかし、狂王の警戒心は悪魔的だった。隠し通路から溢れ出した親衛隊の精鋭と暗殺部隊により、大聖堂へ突入したヴァルツ軍は狭い聖堂内で挟み撃ちに遭う。
「ぐ、あぁぁっ!?」
最前線で大剣を振りかざしていたヴァルツは、狂王の手先からアイリスを庇うように刃を受け、胸と腕を深く斬り裂かれて激しく鮮血を散らした。
「ヴァルツ様! 駄目です、罠です! お引きください!」
「くっ……アイリス……殿下……っ!」
重傷を負い意識を失いかけたヴァルツは、無念の叫びとともに配下たちによって強引に戦場から後送されていく。
唯一の武力を失い、退路を断たれたアイリスは、大聖堂のバルコニーで絶体絶命の窮地に陥った。
ドォォォォン——!
大聖堂の分厚い城壁が、凄まじい爆発音とともに内側へ崩壊した。
煙が舞い散る破城口の中央で、回廊から兜を投げ捨てたアッシュが飛び降り、大剣を掲げて咆哮した。
「グレン! 大怪我を負ったヴァルツ殿と辺境伯軍を至急保護し、後送して手当てしろ!」
「応よッ!」
「ゼシカ! お前は別動隊を率いてアイリス殿下を速やかに確保しろ!」
ゼシカは強く頷いた。
「こどもの救世主に、傷一つ付けさせないわ」
「……っ?!」
「任せなさい!」
一瞬言葉を詰まらせたアッシュの背中をゼシカは強く叩いて走り去る。
続けて、旗を失って撤退しようとする辺境伯軍にも激を飛ばした。
「ヴァルツ殿は助かる!助けてみせる!今はこの革命を成功させるんだ!」
狼狽える辺境の兵士をアッシュの率いる軍が追い抜いていく。
「俺たちに続け!怯むな!吠えろ、叫べ!お前たちは今まさに、腐った国を倒すその瞬間にいる!」
瞬く間に辺境伯軍の統率が取れていく。
アッシュの軍と連携をしながら国王の兵士に対抗し始めた。
そこからは危なげがなかった。
負傷したヴァルツとその軍勢は無事に救援・後送され、ゼシカの手によってアイリスの身柄は無傷で確保された。
そしてアッシュはただ一人、玉座に君臨する狂王へと向かって踏み出した。
「狂王。お前の腐った治世も、民を虐げた罪も、すべてここで終わりだ」
「ひぃっ! だ、誰か! こいつを殺せ!」
狂王の悲痛な叫びも虚しく、圧倒的な物量とアッシュの纏う凄絶な武力と恐怖の前に、兵も貴族も誰一人として動けない。
大剣が一閃。
大聖堂を揺るがす肉音とともに、この国を長年苛んできた狂暴な王の時代が、完全に幕を閉じた。
アッシュは大剣を引きずりながら、息を呑む者たちを見下ろし、邪悪なまでの失笑を浮かべて言い放った。
「この国の泥も、悪名も——俺がすべて背負って持っていってやる」
圧倒的な存在感とともに、アッシュは狂王を打ち倒し、王宮を完全に制圧したのだった。




