プロローグ
王城の裏手に広がる庭園のさらに奥、深い森の境目にある大樹の下で、十歳の二人は出会った。
きっかけは、不釣り合いな枝の揺れと、落葉に紛れて見え隠れする上質な絹の白だった。
「……おい、落っこちても知らんぞ」
見上げて声をかけたのは、騎士である叔父の従者として王宮に入り込んだばかりのアッシュだった。
硬い黒髪をくしゃりと掻き上げ、琥珀色の瞳を細める。下町の路地裏でガキ大将として走り回っていた彼にとって、木登りなど日常茶飯事だったが、目の前の光景には思わず目を丸くした。
大樹の太い枝の上、可憐な刺繍が施された上等なドレスの裾を大胆に破り捨て、必死に幹にしがみついていたのは——この国の第一王女、アイリスだった。
ふわふわとした金髪の巻き毛を葉っぱだらけにし、空と同じ青い瞳で、彼女はアッシュを見下ろした。
「……なんですの、貴方は。無礼ですわよ」
声は高らかに強がっていたが、小鹿のように震える膝までは隠しきれていない。
その口調と高貴な佇まいに、アッシュは目の前の少女が失踪騒ぎを引き起こした張本人であることを確信した。呆れたように息を吐くと、慣れた手つきで幹に手をかけ、猿のような軽やかさでアイリスのいる枝まで登っていった。
「無礼もなにも、こんなとこで何してんだ王女サマ。みんな探してるんだそ。ほら、手を出せ。降りるぞ」
「っ、少し一人になりたかっただけですわ……!」
アッシュが差し出した、擦り傷だらけの大きな手を、アイリスは一瞬ためらった末にギュッと握り返した。その小さく温かい手のひらに、アッシュはどこか胸が締め付けられるような感覚を覚える。
枝の上から見下ろす王宮は、どこまでも煌びやかで、そしてどこか冷たかった。
「仕方ねぇから、みんなのとこに連れていくのは、少し待ってやるよ」
「……感謝致しますわ」
吹き上げる風にふわふわと金の髪を揺らす王女を、アッシュは見つめる。アイリスは王宮ではなく、街の方を眺めていた。
「あなた、名は?」
「アッシュ」
家名も名乗らない不躾なアッシュの顔をアイリスは見つめ返した。彼のその視線は王宮の欺瞞と蔑みの欠片もみられない。
母が亡くなった今、王宮にはアイリスの味方は皆無だった。周りにいるのはほぼ、父王に阿るものばかり。
アイリスは国王の息がかかっていなさそうな彼に、自分の考えが間違っていないか聞いてみたくなった。
「アッシュ。あちらに見える下町は、朝餉や夕餉の時間帯ですら、冬も半ばで煙の数が半減します」
「……うん」
アッシュも知っている。食料も薪も少なくなる冬の終わりは、残り少ない保存食をかじって身を寄せ合うのが下町の過ごし方だ。
「それなのにお父様は……国王陛下は、税を軽くしません。それどころかまた魔獣狩りと称して遠くの村を焼いたのです」
アイリスは溢れ出そうになる涙を、破れた袖でゴシゴシと拭った。ほんわかと可愛らしい見た目からは想像もつかない、燃えるような強い意志がその青い瞳に宿っていた。
「みんなが泣いています。お母様が教えてくださった『ノブレス・オブリージュ』……高貴な者は民を守らねばならないという教えを、お父様は踏みにじっている。……私は、あんな理不尽を絶対に許さない。いつか必ず、私がみんなの未来を守ってみせますわ」
アイリスは真剣に聞いてくれるアッシュに考えを語るうち、それがいつの間にか誓いの言葉に変わっていった。ここにきて初めて、アイリスに覚悟が決まったのだ。
「……そっか。王女サマは頑張るって決めてんだな」
アッシュは握りしめた彼女の手を、もう少しだけ強く握り返した。
これまでのアッシュにとって、王とか王女とかいうものは、理不尽に民を虐げて贅沢を極めるものだと思っていた。逆らうと酷い目にあうから大切にしている振りをしているだけなのだ、と。
――でも、こんな王女がいるのか。
下町で理不尽に虐げられる民の姿を嫌というほど見てきたアッシュの胸の奥で、熱いものがカチリと音を立てて弾けた。
「……なら、俺も背負ってやるよ」
アッシュは笑った。下町のガキ大将らしい、不敵で、けれどどこか騎士の矜持を感じさせる真っ直ぐな笑みだった。
「あんたが本気でその未来を守りたいってんなら、俺は騎士になる。あんたの足元に跳ねる泥も、背負う悪名も、全部俺が肩代わりしてやる。だから——諦めるなよ、王女様」
アイリスは息をのむように目を見開き、それから、涙で濡れた顔をパッと輝かせて頷いた。
「ええ……約束ですわ、アッシュ。……私の騎士様」
木漏れ日が二人を照らしていた。
十年後の再会が叶うまでに言葉を交わしたのは、後にも先にもこの一度きり。
二人の長い「言葉なき戦い」が、ここから始まったのだった。
とあるボカロ曲に影響を受けて一気に書き上げました。
なんなら、書いてる間ずっと聴いてた。




