探偵のジレンマ
インビジブルはきっと敵ではない。私の淡い期待に真っ向から対立する、新しい事実。翌日、土曜日のアジトで私を迎えた凪の手には、厚手の包帯が乱暴に巻かれていた。
「おはよう」
何事もなかったかのように発せられた挨拶が、かえって私の感覚を麻痺させる。
「無事インビジブルが釣れて何よりだ。柏木さん、尋問の準備はいいかな?」
「またかつ丼かよ」
「ちょ、ちょっと待って」
声のボリュームを落とすことすら忘れ、私は会話に割って入る。
「その腕、何があったの?」
「襲われた。金属バットか何かだな」
聞けば、私たちに連絡したあともしばらく戦っていたらしい。
「ヒビは入ってるかもだけど折れちゃいない。大丈夫」
「凪、大丈夫じゃないよ」
「そうだよ」
侭の言う通りだ。一般的に亀裂骨折は大丈夫とは言わない。そもそも病院行ったの?
「捕獲もできずおめおめ逃げられるのは大丈夫とは言えない」
「そうじゃないよ」
ちょっとこの人たちは骨折というイベントを軽く見すぎている。平日だったら確実にクラスメイト諸君から針の筵にされてただろう。でも今日は土曜日。残念ながら凪の非常識を指摘してくれる人はいない。
「おい凪、ちょっと来い」
と思いきや、いたらしい。上から井垣さんが怒気をはらんだ声で凪を呼びつけ、そのまま病院へと連行していった。ついでにゲンコツでも喰らってくるといいよ、ほんとに。
「井垣さん、いい人なんだけど、まともなんだよね」
加点要素しかないじゃん。
助けてボス。部屋に外道と二人きりなんて耐えられない。あれ、いない。
「ボスは?」
カバーを上げると、つい先日まであったはずの簡易居住空間はもぬけの殻だった。昨日の深夜バイトの報酬で悲願は達成されたのだろうか。
「邪魔だったから井垣さんに預かってもらった。こういうとき便利だよね」
こっちはこっちで減点要素しかない。ダメだこりゃ。
時間はやがてお昼過ぎ。腕にギプスをぐるぐる巻きにされて帰ってきた凪(病院抜け出したりしてないよね?)を含め、私たちは未だ地下の底。
揺らぐロウソクが醸し出す陰鬱な雰囲気は、事件の逼迫した状況を表しているような、そうでもないような。
「さて再開だ。柏木さんに骨占いの心得があるといいけど」
「いらないでしょ」
不本意ながら、凪への襲撃によって私のもとには多くの情報が入ってきている。文字通りの骨折り損にさせないためにもプロファイルを進めよう。
「常盤君、ちょっと腕見せて」
包帯を取ろうとする凪を制しつつ、布越しに患部を観察する。ちょうど右肘の位置に、空き缶サイズの鬱血痕だ。
打撃痕は小さな斜面。あえて腰を落として打ったわけでなければ、身長百五十センチくらいか。三上さんに聞いたインビジブルの印象とも符合する。凪が聞いた声の印象からして、女性であることまでは確定させていいだろう。
「防げなかったってことは、やっぱり相手は透明だったんだよね?」
「ああ」
凪は一度うなずいて、しかし「いや」と言葉を止める。
「完全には透明じゃなかったな。かなり見えにくい迷彩って感じだ」
「うん?」
奇妙な違和感だ。私が見る限り、猫たちは完全に透明化していた。術者と非術者で能力の作用が異なるはずはないし、当然能力者本人の体のほうが抗精神力は低い。だとすると、インビジブルは理由があって透明化の威力を低く設定したことになる。
私の疑問に対し、凪は懐疑的だ。
「完全に透明だと見えないだろ」
「うーん。なるほど?」
透明人間は目が見えない。それは確かに俗説として存在する。人類が特定波長の光を細胞で吸収することで物を見ている以上、あらゆる光を透過してしまう透明人間は光を捕らえることができないという理屈だ。事実として、透明化に襲われた凪も視界を封じられたらしい。
もちろん、超能力者に常識は通用しない。透明になりつつ物を見る能力も存在するだろう。そうしないとするとだ。
「少なくとも、インビジブルはそう思ってるってことかな」
侭が私の見解に「だろうね」と同意する。
能力者の能力は使う人間の主観に大きく依存する。つまり犯人は自由奔放なタイプではなく、常識に基づいて能力を行使していることが分かる。三上さんから聞かされた喫茶店の少女と性格特徴も相違しない。やはりその子がインビジブルなんだろうか。
常識的で、三上さんの話を総合すると性格もおとなしい。けれども猫を透明にすることに盲執し、凪にはバットで襲い掛かる。そのヒステリーともいえる行動の理由こそが、犯人にねじ込まれた鉛の支柱、あるいは五則目の演算子だ。
「ほかに、何か気になることはあった?」
「例えばどんなだ?」
凪の反応は分からないというより選べないといった様相だ。私は情報を付け足す。
「犯人の行動原理が知りたい。どうして襲い掛かってきたのかとか、何に怒ったとか、苦しんだとか、そういうのなかった?」
常識を少しずつスケーリングしていけば見えてくることもあるかもしれない。うまくいった実績のない私の論理展開に、凪は頭をぐるぐる回して結論を出す。
「そういや襲い掛かってきた時、光ってたな」
「透明人間が発光してたってこと?」
「いや、俺のほう」首を振る凪。
「うん?」
凪のサイコキネシスは光らない。だとすると、懐中電灯でも持っていたんだろうか。私の疑問に答える代わりに、凪は侭の方を見る。
「ダメだ」
「そりゃそうか」
二人の間に何の会話が交わされたのかは分からない。けれども何かが決着したらしく、凪は首を振る。
「俺が光ったら、透明人間が襲ってきた。それだけ」
「うーん」
明らかにそれだけじゃない何かがありそうだけど、でも、深く踏み入ってはならない領域だと思えた。侭は「気にしなくていいよ」と言外に秘密の存在を示唆し、でも事件には関係ないと主張する。とすると私としてはこれ以上問い詰めることもできない。
「あと、もう一つ気になったんだけど」
「なんだ?」
「なんで病院じゃなくて路地裏に行ったの?」
「なんでって」
凪は言葉に困り、侭を見る。こいつの仕業か。
「病院は十時までやってるから」
「なるほど?」
確かにそれならインビジブルが来るのはもっと遅い時間になる。
「でも、それを私に黙ってたのはなんでなの?」
「僕は秘密主義なんだ」
ものすごく澄んだ目で不義理を通してくる。もういいや。諦めて推理を進めよう。
なぜ光に襲い掛かってきたのか。光が嫌いなのか、あるいは光ったことで暗闇の凪の姿が視認できたからか。
「蛾みたいだね」
侭がぼそりと言うけれど、案外それは的を射ているのかも。誘蛾灯に引き寄せられる蟲のように、光に飢えた透明人間は光に引き寄せられる、そんな感じ。
「で、傘で何度か殴られたのをいなしてたら、最後にバットで殴られたんだよ」
「念動力で相手の武器を奪っていれば、ここまで攻撃を受けることはなかったんじゃ?」
言ってから、自分がとんでもないアンチマナー行為をしでかしたと気づく。もうやだ。この人といると常識がどんどんおかしくなっていく。
「俺の能力、そこまで強くないからなあ」
凪はこともなげに言ってのけ、聞いてもいないのに能力の解説を始めてしまう。ダメだ。私は常識人。人の能力を勝手に知ってはいけない。いけないのに。
「ここだと、射程三メートル二センチ、動かせるのは千四百グラムジャストまでだな」
ああ、聞こえてしまった。なんというか、思った以上に弱い。普通のサイコキネシスなら無機物二十キロくらいは動かせると思うんだけど。
「サイコキネシスっていうか、ライトキネシスだよね」
侭の小ばかにしたような命名にも「まあな」と満足げに笑うだけだ。力が弱いからこそ練習してそれを補おうとしているのだろうか。能力を使わない人間と同じように、使う人間にも相応の苦労があるのかも。
話を本筋に戻そう。
「ほかには何かあった?」
「あとはそうだな、もう一個だけ」
「どんなの?」
「路地裏にいた猫がさ、動いたんだ」
「凪は知らないかもだけど、猫は動く生き物なんだ」
「うるせえよ侭。そうじゃなくて、動いたっていうか動かせたっていうか」
要領を得ない凪の説明をまとめると、自分の超能力で猫を動かせたらしい。
「だとすると、確かに変だね」
私が知る限り、念動力という異能は触れられない幽霊を動かせるような概念干渉じゃない。ついでに言うと凪のキャパシティが猫の体重未満なこともさっき聞いた。
「行ってみよう」
百聞は一見にしかず。今の理解で説明できない現象が起きたということは、そこには新しい情報があるはずだ。
聞けば、猫を動かしたことを引き金にインビジブルは攻撃を激化させたらしい。不可視の逆鱗は透過された猫にある?
頭をぐるぐるとかき混ぜながら、とにかく事件現場へと足を向ける。
私は探偵が嫌いだ。だって、彼らは無力だから。すべてを明かす知能を持ちながら、どうあっても事件の発生を防ぐことができない。
昨日見かけた透過猫、五所川原は変わらず路地の奥地でこちらに警戒心を向けていた。一方で襲撃が残す変化点、凪が撒いた塗料は確かにインビジブルの小柄な足跡を地面に定義している。
透明と不透明が交差する状況証拠。それは途中で靴を履いたのか途切れ、けれどやはりというべきか@ネメントの方向へと続く。こっちは三上さんに後で聞くとして、問題は透過猫だ。
「どう? 動かせる?」
「ああ。なんでか動くな」
言葉通り、凪はさわれないはずの猫を浮かばせている。奇妙なことに、五所川原は警戒の姿勢を見せたままだ。
「ねえ、変だよね。これ」
隣の侭に同意を求めると。返ってきたのは首肯。当然だ。五所川原は確かに浮いている。だというのにまるで地面に座っているかのように足を四本揃えている。
「なんつーか、立体映像みたいだな」
凪の言葉で私の理解が一つ更新される。もしかすると、大きな誤解をしていたのかもしれない。公園の一件のせいで、猫たちは見た目以外を消されていたのだと勘違いしていた。もしも、この子たちが消されているのではなく、「現わされている」のだとすれば。
思い返せば、透過猫は動かなかった。思い返せば、透過猫は鳴かなかった。透過猫の異能が減衰しない要因は、変質し終わっていた以外にも存在する。そして、椎名侭という嘘つきの能力。私の中で、嫌な予感が巨大な鉄骨建築のように静かに組みあがっていく。
「椎名君、この猫にかかってる能力を消して」
「この猫にかかる現象は完了しているって話じゃなかったかな?」
難色を示す喜色能面。状況が変わったんだってば。
「大丈夫。たぶん、その推理間違いだから」
凪がサイコキネシスを解除すると、カツンと音を立てて何かが地面に落ちる。私が促し、侭がそれを持ち上げる。
一分、二分、三分。私は自分の悪寒が的中しないことを祈り、しかしそうならないことを確信しながら時間を待つ。
「……なるほどね」
背中越しに低い声を発し、その場から体をどける侭。
異能が薄れた先、光量を落とした立体映像の奥にあるもの。それは紛れもなく、猫の白骨死体だった。
井垣雄吾①:相対的にまともな大人です。まともゆえにあまり事件には踏み込んできませんが、あくまで相対的にまともというだけなのでそこそこ出番があります。




