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そこにあるものは絶望か、希望か

【前回までの話】

副隊長ソウマの陰謀によって、隠密部隊は壊滅した。死すら覚悟した先にあったものは――

 目覚めた時、視界に広がっていたのは真っ白な天井だった。

 体を起こそうとした瞬間、刺すような痛みが走る。それでも我慢できないレベルではない。状況を確認すべく、痛みを堪えながら上半身を起こした。

 場所は簡素な病室。周囲に他の患者はいない。

「随分と長いお昼寝だったな。お姫様はとっくにお目覚めだぞ?」

 知らない声。ハスキーだけど、おそらく女性だ。

 けれど、ミツバは身構えなかった。そもそも、始末するならとっくに始末されているはずだ。寝起きとはいえ、それくらいの判断能力は持っていた。

 それどころか、体を縛られてすらいない。敵意を向けるのは逆効果だ。

 目の前で丸椅子に座っていたのは、巻き髪の若い女性だった。口調や雰囲気からは男っぽい印象を受ける。けれど、雰囲気はどこか落ち着いていて、今は足を組んで背もたれにどっさりと寄りかかりながら、目を細めてミツバのことをつぶさに観察していた。

「サクラも無事なんですね」

「ふうん、彼女はサクラという名前なのか。エイくんではないじゃないか。ああ、彼女もすぐに来るさ」

 エイ――Aか。どうやらサクラはまだ任務モードらしい。面倒なことを起こしていなければ良いが。

 そう思ったミツバの不安とは裏腹に、しばらくしてからサクラは落ち着いた様子で部屋に入って来た。

 ミツバとサクラはどちらも言葉を発さなかった。サクラは全く意に返さない様子で、ミツバは何と声を掛ければ良いか分からなかったのだ。

「ひどい有様だったな。でも、二人とも肉体は肋骨が数本折れていただけで、その骨も悪いところに刺さったりはしていなかった。血液はかなり減少していたけど、輸血にちょうど合う血もあった。そして何よりも敵にトドメは刺されず、そして命がある時に偶然ボクが通り掛かった」

 最後に二人の方を振り向いて告げた。

「とにかく運が良かった。逆に、これまで一体どんだけ不運な人生だったんだか」

 運が良かった。そう言われたのは人生で初めてのことだった。

 けたけたと笑う彼女の真意が掴めず、ミツバは恐る恐る尋ねる。

「……それよりも、状況を整理させてほしい。ここはどこで、アンタらは誰だ?」

 そういえば説明を忘れていたな、とその女性は頷いた。

「ボクはムツキ。橙鶴(とうかく)で研究者をやっている」

 端的な説明。それで充分、ミツバも状況を理解した。

「橙鶴が俺たちを助けて人質にしたってことか」

 ただ、自信を持って正しいと思っていたミツバの理解は、即座に否定される。

「あん? 人質なんてそんな効率の悪いことはしねえよ」

 ちっちっちと指を左右に振ると、ムツキはにかっと笑って続けた。

「培養すんだよ」

 砕けた口調に明るい印象。ミツバが今まで出会ってきた科学者とは少し雰囲気が違っていて、ミツバは少し気圧されていた。見た目は女性なのに、男っぽい話し方も相まっていたのかもしれない。

「色々気になることがあるからな。手伝ってもらうぜ」

 それを聞いて、ミツバの中で嫌な記憶が蘇る。意図せず、険しい顔になっていた。

「つまり、奴隷ってことか」

「おいおい、言い方が悪ぃな。そんな酷え扱いしねえよ」

 ケラケラと無邪気に笑うムツキに対し、ミツバは距離感を掴みかねていた。

「橙鶴は医療の力じゃ塔の中で随一だ。命を救った結果、この塔に住み着く人間も多い。あんたらも傷が癒えたら、好きにすればいいさ」

「好きにすればいいって……」

 ミツバは言葉に詰まる。それを見たムツキが告げた。

「だってアンタら、だいぶヤバい道を通ってきたみたいじゃねえか」

「あなた、どこまで知っているの?」

 思わずこれまで口を閉ざしていたサクラが口を開いた。けれど、ムツキは相変わらずの様子だった。

「何も知らないさ。でも、予想はできる」

 滲み出る自信。それほど歳の差があるとは思えないくらには若いが、何が彼女を彼女たらしめるのか。

「あんた、何者だ?」

 くるくるとした毛先をさらに人差し指で巻きながら、ムツキは不遜に言い放った。

「ただの天才だよ。なんてな」

 さらに続けて言った言葉に、ミツバは言葉を失うことになる。


「この世界は、何かを隠しているぞ」


 サクラと同じ言葉。サクラとミツバは、言葉を失った。

「それを研究している、しがない科学者さ。ま、気が済むまで橙鶴にいれば良いさ」

 ミツバとサクラの、橙鶴での不可思議な療養生活が始まった。


   □ □ □


 その後、ミツバとサクラは橙鶴を案内してもらうことになった。

 病室を出てまず目に入ったのは、大量のガラス瓶だった。

「これは……何だ?」

「細菌やカビの類だ。医学には必要不可欠なもんでな。食えるものもあるぞ」

 ムツキは気さくに橙鶴を紹介して回った。その多くは医学や生物の研究所で、白燕や黒鷹には存在しない光景が広がっていた。

 それどころか戦闘員らしき人間はおらず、みんな華奢だ。肉付きが良いのは大工や配達員くらいなもので、それでも黒鷹の戦闘員と比較するとかなり見劣りする。

「本当に戦闘員がいないんだな……」

 今まで橙鶴と深く関わることはなかった。ミツバが持っているのは、白燕の塔で教育された上辺の知識だけだ。

「うちは戦うことを放棄しているからな」

 そう、それが橙鶴の塔の異質さ。

「戦闘員はいない。攻め放題だ。だが、攻めてきたらウイルス兵器で道連れにする」

 専守防衛。ウイルス兵器によるカウンターで、絶対に攻めさせない。

 それならばウイルス兵器で敵を攻めれば良いと考えるかもしれないが、それは悪手だ。この世界で敵を虐殺するのは、勝利ではない。敵を殺してしまうと労働力が増えないため、資源を獲得したところで何もできないからだ。

 敵を攻めることはしないが、攻められたらただでは済まさない。そうやって橙鶴は平和を構築した。

 そして、その平和は橙鶴の文化を構築する礎となっている。

 白燕の平和とは少し異なる。白燕は戦闘員が存在し、戦っていた。それによって「勝ち取った平和」だった。一方の橙鶴は絶対に戦わない。いわば「作り上げられた平和」だ。

 どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、それだけ歴史や文化が異なるということだ。

 ゆっくりと建物の外に出ると、明るいライトが彼らの視界を照らした。ミツバは少し眩しそうに目を逸らす。白燕や黒鷹と比較して少し光度が高いようだ。

 穏やかな景色。それは白燕や黒鷹の居住区画と大きくは変わらない。

「やあムツキちゃん」

 話しかけてきたのは、年老いた男性だった。腰が大きく曲がっており、ふらふらとした足取りは少し危なっかしさを覚える。

「おっす、シゲ爺」

「新しい人かい? 若い人が増えるのは良いことだねえ」

 じいっと見つめられて視線が合う。目尻をはじめ顔全体にしわができており、随分と歳を取っていることが分かった。

「あなたほどのお年寄りは初めて見ました……」

「ほっほっほ。そうかね」

 それを聞いていたムツキはふんと鼻を鳴らして自慢げに告げる。

「ウチの化学力の賜物ってやつだ」

 塔全体を通して化学――研究の色合いを強く感じる。他の塔では戦闘に割いている資源を、化学に投資できているのかもしれない。病院に大量のガラス瓶があったこともそうだが、街中には多くのカメラが存在している。ムツキに聞いたところ、人の動きを記録して生活の向上に役立てているらしい。

「だが、その割にはお年寄りの数自体は少ない気がするが……」

 ミツバは人の往来を見ていた。ごく稀にシゲ爺のようにかなり歳を取った人がいるが、k図事態は決して多くはない。平均年齢も大して違わなさそうだ。

「この人は優秀な研究者だからな」

 その言葉に、ミツバはハッとする。

「なるほど……平均寿命が伸びすぎると、間引かなければならないわけか……」

「ああ。生産が消費を下回るようになった場合、その人間は処分しなければならない」

 それは橙鶴が特別非情という訳ではない。白燕や黒鷹は平均寿命が短いため表面化しにくかっただけだ。

「そうだ。折角だから、シゲ爺のラボに行こうぜ。ミツバは起きたばっかりだしな」


   □ □ □


 彼らがやってきたのは、研究所という雰囲気ではなかった。

「研究って……食べ物か?」

 端的に言えば、食堂。昼時というのも相まって、よく賑わっている。

 ムツキは自身のカードキーをスキャンさせた。すると、自動的にお盆に乗った食事が配膳される。このあたりは白燕や黒鷹と大きく変わらない。

 異なっていたのは、その食事内容だった。

 小さな豆のようなものが、主食にも主菜にもスープにも入っている。

「なんだ、これは?」

「スーパーフードってやつさ」

 ムツキは自分事のように自慢げに鼻を鳴らした。その直後、

「おいしい……‼︎」

 何も言わず一足先に食べていたサクラが、いつもより数段大きい声で仰反るように反応した。追いかけるようにミツバも料理を口に運ぶ。

「何だこれ……こんな美味しいもの、食べたことがない!」

 口に入れた瞬間に豊潤な香りが口の中に広がり、豆のようなものは噛めば噛むほど旨味が溢れ出す。さらに特異なのは味の変化だ。二口目、三口目と食べるほどに味が変化しているように感じる。

「これは脳科学的に人間が美味しいと感じるように作られた作物だ。ボクとシゲ爺の共同研究でな」

「健康はまず心が大事だからね。美味しくないものは、いくら栄養があったって健康食品とは言えないのよ」

 ムツキとシゲ爺は、互いに顔を見合えわせてにぱっと笑った。サクラは目を見開きと、料理をバクバクと口に放り込む。

「ははっそんなに美味しかったなら良かった。けど……」

 ムツキはサクラを覗き込むように告げた。

「笑わないんだな、サクラは」

 そう、サクラは笑わない。別に感情表現がないわけではないけれど、表情筋が動かないと言えば良いのだろうか。

「あまり意識したことが無かったわ」

 そんなサクラは、それほど気にせず首を横に傾げるだけ。

 ミツバは内心思った。それはサクラの特殊な生育環境によるものなのだろう、と。


   □ □ □


 シゲ爺と別れて、一行は違う研究所へとやってきた。

「これは……なんだ……?」

 ガラスの板の先に二人が見つけたのは、巨大な楕円形の装置だった。中は人型に凹んでおり、周囲と内部には大量の配線が敷き詰められている。

「これは人体の総合検査装置さ。ありとあらゆる項目を検査することができる。そうだ、お前らも入ってみるか?」

 そう言った直後、ムツキは思い出したように体を前に乗り出した。

「そうだ! 特にサクラくん! 君の体をじっくりと調べさせて欲しい‼︎」

 ムツキがサクラを手を力強く握った。鼻息が荒く、顔は紅潮している。サクラは困った様子でミツバに助けを求める視線を送ってきた。

「やめろ変態科学者。なんで科学者っていうのはこんな感じなんだ?」

 犯罪者を見るようなその視線に気付いたムツキは、懸命に弁明を図る。

「ち、違う! 放射能汚染されても生きられるその体に興味があるだけだ! そう! あくまで研究! 決して変な意味ではない!」

 その否定もあまりに余裕がない。どこか下世話な想像をしてしまうのはなぜか。そもそもが女性同士で、武闘派のサクラを襲おうとしたら負けるのはムツキに決まっているのだが。

 しかし、ムツキはすぐに冷静を取り戻して首を横に振った。

「いや、いけない。この装置はある程度の強度の放射線も照射するからな。サクラくんの体にいきなりそんな無茶はさせられない……」

 ムツキは少しだけ名残惜しそうに、うんうんと何回か頷いた。そして、真っ直ぐにサクラを見つめる。

「それでも、もし君が許すのなら、しっかりと研究させてほしい」

 この時のムツキは真剣そのもの。研究者の顔だった。

「そんなにサクラの体は特殊なのか?」

「うむ、これだけ放射能汚染されながら健康な肉体は今まで見たことがないし、古い過去の症例を漁っても無いだろうな。不謹慎かもしれないけど、堪らないよ、これは」

 サクラもミツバも、その話を真剣に聞いていた。

「だってサクラくんの体を調べて、もしも放射能汚染しても生きられるようになるかもしれない。そうしたら、人類はこれから放射線に怯えなくて良いんだ」

 ムツキはふっと笑って言い放つ。実に晴れやかな笑顔で。

「なんて夢があることだ」

 夢。そんな言葉を聞いたのも、随分と久しぶりだった。


   * * *


 芝生が生い茂る高台にある公園。眼下には簡素な住宅街の景色が広がっていた。

 ここは住民の精神的衛生のために作られた施設。肉体的な健康だけではなく、精神的な健康まで橙鶴は研究している。

 見たことのない眺望に、つい時間を奪われる。サクラも同じだったのか、ベンチに腰を掛けてしばらく眺めていた。時間を潰すために来たため、目的と合致しているわけだったが。

 ムツキが誰かに呼び出され、しばらく待っていて欲しいと頼まれたのだ。時間を潰す場所として、ムツキはここを提案した。

「サクラ、君はどう思う?」

 おもむろに話しかけたミツバに、サクラは首を傾げる。

「どうって……どういう意味?」

 ぴゅうと風が吹く。自然現象ではない、作られた心地の良い風が。風に運ばれた草の香りが鼻をかすめ、ほんの少しだけむず痒い。

 ミツバは少し言葉を選ぶ様子で、じっと溜めてから答えた。


「このまま橙鶴で暮らさないか……?」


 サクラの眉が少しだけ上がった。でも、表情は変わらない。

「俺には黒鷹にも白燕にも居場所なんてない。でも、ここなら0から始めることができる」

 橙鶴はあまりにも平和だ。同じ世界だとは思えないほどに。

 居場所がないのは、サクラも一緒のはずだ。副隊長のソウマから命を狙われている以上、戻るのは危険だ。

「ここなら、もう戦う必要だってないし、それに――」

 語りかけるように。諭すように。腹を括って告げる。

「君の居場所だって、ちゃんとあるんだ」

 居場所。

 ムツキはきっと橙鶴に居場所を用意してくれるだろう。サクラは体をじっくりと調べてもらって、楽観的かもしれないが多少なりとも治療できるかもしれない。

 説得するため、ミツバはあえて酷い言い方をした。遠回しに「黒鷹にはサクラに居場所がない」と。

「長生きだってできるかもしれない」

「……どうして?」

「そりゃあ、ここの医学が発達しているから――」

「違う」

 サクラは首を横に振った。そして、ミツバをじっと見て告げる。

「どうして私に構うの?」

 言葉が出なかった。

 どれだけサクラの純粋な瞳を見つめても、答えなんて出やしない。

「どうして……? どうしてだろうな……」

 確かに、ミツバにとってサクラは関係ない。自分一人で橙鶴に暮らす決断をすれば良いだけ。なのに、いつの間にかサクラのことを考えていた。

 答えに窮したミツバに向かって、遠景を見つめながらサクラは淡々と告げる。

 ただ真っ直ぐに。淀みなんて全くない声で。


「私は、戦うよ」


 風でサクラの長い髪がなびく。絹のように滑らかに曲線を描いて。攻守が反転するように、今度はミツバが聞いた。

「……どうしてだ?」

「私がここでやめたら、今まで失ってきたものに申し訳が立たないもの」

 迷いなんて一切ない即答。揺るがない覚悟。

 その言葉に、ふと思う。君は一体―


 一体、どれだけのものを背負って、失ってきたのだろうか。


 サクラの顔が夕焼けに照らされる。

 今にも消えそうなほどに儚く、ただ素朴に綺麗だと思った。


   * * *


「悪いな。急な用件が入っちまって」

 用事を済ませたムツキから連絡が入り、二人は大きな施設の中へと案内された。

「ここが私のラボだ」

 ムツキが最後に連れてきたのは、彼女の研究所だった。とは言っても、見た目はただの簡素な一部屋だ。中に入っても、印象は変わらない。奥の一番大きい机に一台の大きなコンピューターが鎮座しているだけだ。

「綺麗にしているんだな」

「本当は紙に書いて研究したいんだがな。資源が限られているからそうもいかない」

 資源枯渇の波に晒され、結果的に綺麗にならざるを得なかったという皮肉か。

「で、あんたは何の研究をしているんだ?」

 ムツキは椅子に座り、さも当然のように答えた。


「私がしているのは、放射能を除染する研究だ」


 ……は?

 ミツバの口が開いたまま塞がらない。サクラですらも、動きが止まった。一旦冷静に、心を落ち着けてからミツバは尋ねた。

「放射能を除染する? そんな大それたこと、本当にできるのか……?」

 ムツキはふんと鼻を鳴らし、ショートカットの髪を靡かせて答える。

「当たり前だろ。ボクは天才だからな」

 それはあまりにも唐突で荒唐無稽で。しかし、ムツキの自信満々な物言いに、どこか気圧される。

「放射能汚染の科学的な状態というのは、励起状態――つまりエネルギーが高い状態になっていることに他ならない。ならば、そのエネルギーを取り出してやればいい。ニュークリア・スノウから莫大なエネルギーを取り出すと共に、そのエネルギーで雪を溶かすこともできる」

 もしもそんなことができれば、本当にこの世界を全て変えてしまうことになる。

「ボクはこれを放射能発電と銘打った」

 専門的な知識がないミツバには、それがどれだけ実現性のあることかは分からなかった。

 けれど、既に強い期待を抱いていたのは確かで。

「理論には自信がある。ただ、どうしても足りない」

 ムツキはここで語気を落とす。

「足りない? 何がだ?」

 ムツキは半分諦めた口調で答えた。


「ブラックホールだ」


 ミツバの息が止まる。

「嘘だろ……?」

「ブラックホールがあれば、私の研究は完結する。そんなもの作れるわけがないがな」


 そんな偶然、あるのだろうか。

 全部。全部無駄じゃなかった。

 自分も、サクラも、ギンも。

 今まで戦ってきたことも。白燕が滅ぼされたことも。研究も。

 全部、今に繋がっていた。


「黒鷹には、ブラックホールを作ろうとしている人間がいる。ギンって男だ」


 それはムツキが想像もしていなかった事実だった。

 だってこんな時代にブラックホールなんて役に立たないものを研究するはずがないと。

 合理的な考え方をするからこそ、思い描けなかった。

「これは……偶然という神の悪戯か? それとも……」

 それしきり、ムツキは考え込むように黙りこくった。耐え切れず、ミツバが口を開く。

「ムツキとギンが力を合わせれば、本当にこの世界からニュークリア・スノウを消すことができるのか……?」

 ムツキはしばらく考えてから、俯いたまま静かに答えた。

「……できる、と言いたいところだが」

 それはミツバも思っていたことだった。

「黒鷹だけでブラックホールを作ることはできないだろう。サイズも物資も足りない」

 そう、それはギンも言っていた話。六つ全ての塔を円形に繋ぐような装置が、ブラックホールの生成には必要不可欠だと。

「けれど、もしもそれが実現できたとしたら……」

 もう既に、ほんの少しの可能性の種が生まれていた。そして、それは「希望」と言うに値するもので。

 そう思った瞬間、ムツキの通信端末に通知音が鳴った。

「そうだ、君たちに伝えていなかったな。迎えが来たぞ」

 迎え? その言葉に、ミツバとサクラの動きが止まる。ムツキの説明中も、思考はやめなかった。

「悪いが私たちも慈善事業じゃないんでな。相応の対価は要求させてもらった」

 誰が、どうやってここを突き止めた? そう考えるだけで、必然的に最悪の状況が浮かび上がる。

「副隊長直々の来訪らしい」

 何の意外性もない予想通りの来訪者で、最悪の状況だった。

 今度こそ確実にサクラを始末するため、自ら橙鶴に赴いたというシンプルな話だ。

 サクラは腕を押さえ、俯いた。それを見たムツキは、手を口元に当てて考え込んだ。

「そうか……君たちが孤立していた原因は……お前らの隊長は何を考えているんだ?」

 ムツキはある程度状況を察したかのように数回頷くと、ミツバに向かって告げた。

「……言っておくが、サクラくんは戦えないぞ。こう見えて、なかなかの重症だ」

 サクラは一日中、食事中も左腕をほとんど使っていなかった。それはミツバも把握している。腕一本分のハンデは、流石に戦えない。

 ミツバは考えた。けれど、この状況を打開する方策なんて思い浮かぶわけがない。

 ずっと同じだ。

 何もできず、力に飲み込まれるだけ。

「サクラ、逃げるか?」

 サクラは首を横に振った。

「だよな」

 そう、逃げないのではない。逃げられないだけだ。

 ミツバとサクラが橙鶴に来たことは黒鷹の人間は誰も知らない。ソウマには二人の居場所を知る方法があると考えた方が自然だ。

 体に力がこもったミツバを見て、サクラが小さく首を横に振った。

「ダメよ。戦っては、ダメ」

 強い瞳の力で、ミツバの戦意を押さえ込もうとしてくる。自然と以前の会話を思い出していた。

『絶対に、隊長と副隊長とは正面から戦ってはいけない』

『それは、立場としてということか?』

 サクラは真っ直ぐな目で首を振った。

『あの二人が出世したのは、頭が切れるからでも世渡りが上手いからでもない』

 その時のサクラの自信なさげな表情を、ミツバは忘れられなかった。

『単純に強い。単騎として。私でも、勝てない』

 地下でユキヤと戦った時、ミツバはユキヤの力の底を知ることができなかった。圧倒的な実力差で、ずっと手加減されているのが分かった。

 サクラにも勝てず、そのサクラでも勝てない相手。ミツバが勝てる道理はないし、どれだけの差があるのかすら想像も付かない。

「ミツバ、あなたは逃げて」

 ミツバだけならば、確かにソウマの追撃から逃れる可能性は0ではない。

「これ以上、周りに迷惑を掛けるわけにはいかないわ。私一人で良いの」

 サクラは一人、部屋を出る。ソウマの元へ向かわんとして。

 あの時と一緒だ。

「どうするんだ、ミツバは?」

「覚悟は決まっている」

 ミツバは静かに前を向いた。

「アイクスがある場所まで案内してくれ」

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