準備された覚醒
【前回までの話】
敗北の末やってきた橙鶴の塔には、不戦の平和が構築されていた。さらにニュークリア・スノウを除染する可能性が示唆されるが、そこには副隊長ソウマが迫っていた。
橙鶴の塔のエントランス。ぴりぴりとひり付くような空気が広がっていた。
ソウマは警戒度の高い橙鶴の隊員たちに告げる。
「おっと、橙鶴の皆さんは手を出さないでくださいね。私は裏切り者を処分するだけです。あなたたちに危害は加えませんし、対価も支払います。あなたたちが私に手を出すということは、黒鷹への単純な攻撃行為になります。全面戦争は避けられません」
その言葉だけで、ソウマはその場を制圧した。実に落ち着いた、強者としての振る舞い。
「来たか、サクラ」
コツコツという足音。サクラはゆっくりと歩み寄り、ソウマに相対した。防護服は着ておらず、ストックも携えていない。完全な丸腰だ。
一方のソウマは当然フル装備。アイクスに乗ったまま塔の中へ入ってきていた。
「随分と生き延びたようだが、もう終わりだ。ユキヤが隠密部隊が何を為そうとしていたかは分からないが、これで壊滅。じきにユキヤも殺し、私の時代が来る」
隊長であるユキヤと副隊長であるソウマの権力闘争。それに巻き込まれ、ユキヤ直属の隠密部隊は狙われてしまったというシンプルな話。
「なあ、どういう気分だ?」
ほくそ笑み、ソウマは問いかける。
「聞かせてくれよ。クソみたいな人生を味わった感想を」
その言葉に、サクラは唾を飲み込んだ。
サクラは感情を表に出さないけれど、無感情な訳じゃない。
「ゴミ親の子もゴミ。平和な世界を奪った原発事故の責任者なんかが子を作るから、殺人なんてするゴミが生まれた。当然、その子もゴミだ」
サクラの瞳が揺れる。小さく握った右手も、弱々しく震えていた。
「お前は世界の癌なんだよ」
瞬間、静寂の中に音が聞こえた。
エンジン音と、タイヤの擦れる音。アイクス乗りなら、誰もが聞き馴染んだ音だ。
その音が、ドップラー効果で強く歪んだ。
刹那、飛び込んできたミツバのストックと、右腕でソウマが振るったストックが激しくぶつかり合い、火花が散った。
体勢を整えつつ駆け抜け、ミツバは振り返る。
「あまり舐めたこと言うなよ」
「あ?」
ソウマの眉間にシワが寄る。
勝てるはずはない。それでも。
今、退く訳にはいかない。
「聞こえなかったのか? その薄汚え口を閉ざせって言ってんだよ」
戦うことは死を意味する。それでも。
「お前が世界の道理を決めるな」
やっと見えた何かを、この手で掴まなければならない。
眉間を歪ませたソウマに、ミツバは半身で双剣を構えながら言い放った。
「サクラは、ただ真っ直ぐに生きているだけだ」
ようやく、自分の感情が整理できた。
サクラという人間は、不幸だ。
狂おしいほどに。筆舌し難いほどに。
ありとあらゆることにおいて、彼女は世界に拒絶されている。
でも。
彼女は世界のせいにしない。
世界を憎まない。人を恨まない。ただ真っ直ぐに前を見ている。
その姿に、ミツバは成り得なかった自分の未来を見た。
「サクラを侮辱するな」
だから、サクラのために命を張ると決めた。
怪我の酷いサクラは戦えない。純粋な一対一で、格上を制すしかない。
ミツバは真っ直ぐにソウマを見据える。
「貴様、この塔の人間ではないな。なるほど、隠密部隊の新入り……無礼な男だ」
ストックを持つミツバの手が震えた。それは生物としての生存本能に他ならない。
「だが構わぬ。すぐに殺してやろう」
圧倒的な威圧感が、周囲を支配した。痺れるような、凍てつくような圧。
でも、その本能を理性で押さえつける。守りに入ったら勝ち目はない。
ミツバは深く腰を落とし、疾駆した。ソウマに向かって垂直な方向に。
その意図を図りかねたソウマだったが、そこは歴戦の戦士。すぐに並ぶように加速してくる。
ここで既に、ミツバのイメージしていたプランからは外れていた。もっと様子見をしてくるかと想定していたからだ。ここからは即興で戦闘を組み立てなければならない。
でも、不思議と迷いはなかった。
ソウマも加速し、間もなく間合いに入る。その直前にミツバは体を大きく倒してカーブした。それもソウマとは離れる方向に旋回する。
ソウマはそれを追いかける選択をした。それは当然のことだった。
マシンスペックは、明確にソウマのアイクスが上だった。それは直線の加速で互いに認識している。
加速限界に到達した最新鋭のアイクスに対し、ミツバのアイクスは見た目からオンボロだった。それも当然。古いパーツを寄せ集めただけの、ジャンク品だ。
だから、ソウマは追いかけるだけで良い。逆さえ突かれなければ、いずれソウマの間合いに入る。
たった数秒でその戦いは終わる。
はずだった。
「(なぜ)」
ソウマは思案する。
「(なぜ追いつけない)」
焦りはない。ただ、いくら冷静に分析しても、腑に落ちる答えは導かれなかった。
やや内側の軌道で弧を描いて追いかけているのに、差は縮まるどころか広がっている。
「(マシンスペックはこちらが上。そして加速限界まで到達しているはずなのに、なぜ距離は詰まらない……?)」
ソウマは素直に追いかけるのをやめた。一度距離を取り、正面からミツバと相対する。
だが、その時にはもう遅かった。
それは異様な光景。
立ち止まったソウマを、ミツバが高速で旋回し続けている。その速度は止まることを知らず、時間が経つほどに勢いを増していた。
ソウマも、その部下たちも一度加速したミツバに介入する隙を見つけられない。不用意に入ることは、高速道路の真ん中に飛び込むようなものだ。
「付いて来られるなら付いて来い」
ミツバは小さく呟いた。自らに言い聞かせるように。
「俺は、加速限界の先に行くぞ」
鈍色の一閃。
その瞬間、ソウマの肩に衝撃が走った。直後に脳が鈍痛を感じ取る。
ようやく斬られたことを認識したソウマは、眦を釣り上げた。だがさらに、背後からの追撃。あばら骨が数本折れた音がした。
(反応できない――)
神速の斬撃が幾度となく空間を、肉体を斬り裂いていく。速度に比例した撃力が、そこに痛烈な痛みを生じさせていた。
ミツバは黒鷹でただ復讐に心を取り憑かれていただけではない。
したたかに敵を刺す刃を研いでいた。
新型アイクス。ジャンク品を組み合わせて作った、世界に一つだけの奇品。
それはギンの研究――粒子加速器であるシンクロトロンから着想を得たアイデア。
粒子を直線で加速させるには限界が存在した。パワーも、加速するための距離にも限界があるからだ。
それを解決したのがシンクロトロンの考え方だった。シンクロトロンでは粒子が円運動をする時、円の中心方向に前方への速度に比例した力を与える。すると、遠心力と打ち消し合うだけで軌道は変わらず、力を与えれば与えるほど加速できるのだ。
これで加速距離の問題は解決する。
ただ、アイクスにおいて釣り合わせる力は複雑だ。
アイクスが曲がる原理は、体を傾けることによるステアリングの効果だ。タイヤの傾きによって生じるキャンバースラストと、横滑りによって内向き方向の力――コーナリングフォースが発生する。一方で遠心力はもちろん、ジャイロ効果による外向きの力がかかる。
通常はこれを釣り合わせてバランスを取る訳だが、ミツバ特製のアイクスは違った。
コーナリングフォースが過剰にかかるように本体やタイヤが設計されている。その過剰なコーナリングフォースを傾いたタイヤの狭い接地面で受けるとどうなるか――爆発的に加速するするというわけだ。
そして、直進方向の速度と内向きにかかる力を線形に保つように制御する。
だから、この円運動による加速は「持続する」
ミツバはこれを、円運動加速攻撃(Circular Motion Acceleration Attack)――CMAと名付けた。
ただし、CMAは一朝一夕で習得できるものではなかった。元々制御の複雑なアイクスを、さらに暴走させるような改造だから。
一瞬で制御を失う暴れ馬のようなアイクスだ。
事実、これは一人で完成させたものではない。ミツバ一人では不可能だった。
ミツバが助けを求めたのは、白燕の同志で優秀なアイクスエンジニアのスギ。
ミツバが深夜にスギの元を訪れると、彼は涙を流して歓迎した。そして、CMAのアイデアを伝えると、新型アイクスの製作に寝る間を惜しんで協力してくれたのだ。
スギとの記憶が脳裏によぎると共に、ミツバの全身に更なる力がこもる。
必ず、この男を倒す。
それは正義なんて綺麗な代物なんかじゃなかった。
ただの私怨による殺意。
白燕の人間の首を斬り飛ばしたこと。ギンを連行して非道な拷問をしたこと。
そして、サクラへの言動――侮辱。
この人間だけは、絶対に許さない。
その思いだけが、ミツバを奮い立たせる。
骨が軋む。その未だかつてない高速の世界に、肉体が悲鳴を上げていた。
左右にかかる力は通常のアイクスの比ではない。ただでさえ肋骨が何本も折れている。体が引き裂かれるような痛みが全身を支配していた。
それでも、加速を止めない。アドレナリンによる脳への麻酔だけを頼りに、怒りを力に変える。痛みに耐えながらさらに一つ前傾し、空気抵抗を減少させた。
ここで、ミツバの肉体は最高速度に達す。
新たな次元の加速限界へと到達した瞬間だった。
再び強くストックを握り直し、ソウマに肉薄した。そして、そのまま真一文字に薙ぎ払う。辛うじて反応したソウマだったが僅かに剣が届かず、腹部に強烈な斬撃が撃ち込まれた。
アクセル全開の一撃に、ソウマの肉体が浮く。そのまま壁に向かって勢いよく吹っ飛び、背中から叩きつけられた。ソウマはそのまま、項垂れるように崩れ落ちる。
一方のミツバは、慣性力に身を任せたまま膝に手をついていた。肩で息をしながら、最後の一撃の勢いを殺し切れずにそのままソウマの方へ滑る。
すると、入るタイミングを逸していたソウマの部下たちがにじり寄ってきた。
「動くな……‼︎」
姿勢を起こすと共に精一杯の声を張り上げ、ミツバは剣を横に振るった。
「はぁ……はぁ……こいつは……人質だ……‼︎」
あまりにも息が切れていて、満身創痍だ。ソウマの部下たちは顔を見合わせ、機を伺う。
「動くなっつってんだろ‼︎」
ミツバはソウマの腕に向かって、剣を思い切り振り下ろした。ボキッという鈍い音が鳴る。骨がへし折られた音だった。
ソウマの悲痛な呻き声をかき消すように、ミツバは言い放つ。
「俺は、本当にこの男を殺せるぞ」
それは虚勢ではなく、事実。
その鬼気迫るような怒りに満ち溢れた表情が、強い説得力を生み出していた。
元来、彼らには「殺人」に対する忌避感が存在する。厳罰化が進んだため、それは三百年前よりも強い。それはミツバとサクラが止めを刺されなかった理由の大部分でもあって。
しかし、ミツバが見せる殺意は、あまりにもリアリティがあった。
だが、ソウマの部下たちに退くという選択肢は無かった。ここで退いたところで、彼らの完全な敗北。勝利するには、差し違えてでもミツバを倒してソウマを救出するしかなかった。そして、ミツバにもそれを止める術はないと思われた。
彼らは一瞬だけ顔を見合わせて、攻撃を仕掛ける覚悟を決める。
たった少しの逡巡。けれど、それがミツバを助けた。
彼らの背後から、影が忍び寄っていた。ソウマの部下たちはそれに気づく間も無く、あっという間に制圧された。
ミツバも虚を突かれ、驚いた様子で彼らを見つめる。
そこにいたのは黒鷹の隊長、ユキヤたちだった。




