いきなりの視察①
潮の香りが微かに漂う街セアポリス。
港から内陸への街道沿いは朝夕問わず多くの人々の笑い声が聞こえる。
様々な種族と言語で彩られた街の広場に訪れた者は、日々が祭りのようと表した。
その通りを抜けた先、衛兵の詰所を越えた辺りで通りは馬車のものとなり、人が歩く姿をとんと見かけなくなる貴族街がある。
よく整備された雑草一つない舗装路が賽の目状に敷設された貴族街の景色は、雑多に建物が並び人に溢れる市場の周辺とは別世界のように美しかった。
当然、貴族街の通りは見通しがきき、遠くからでも徒歩の人間はよく目立つ。
実際今も貴族街の奥から短距離走のように全力で走る初老の男と、執事服を来た猫顔の男と執事服を着た大柄の二本角の鬼のような2人組は通りで周囲の視線を集めていた。
「待てやゴラァーー!! 」
「待つくらいなら逃げんわい!! バーカバーカ 」
ローブをたくしあげ、引き締まったふくらはぎで全力スプリントする老人は都市伝説になりそうなほどに異様だが、脚力に定評のある獣人と鬼の亜人達がジリジリと差を広げられているのがこれまた異様である。
「このあとは商工ギルドとの打ち合わせに、壁外での農作の相談。夜には奥方様に必ず食卓につけろと言われてますのに……」
「どうするよ執事長ォ! 」
灼けた肌をした二本角の鬼の相談に、猫の顔の男は涼し気な顔のまま、白い手袋を外し鋭く尖った爪を眺めた。
「そうですね……ゴーズくん。足を狙いましょうか」
「了解ィ! 」
鬼のゴーズの応答を合図に2人は左右に間隔を開け、猫は爪を鬼は角が微かに伸ばし、街路はハンティングの様相を呈した。
「き、貴様らぁ! 領主にそれはあんまりじゃろぉ! 老体をいたわらんかぃ!! 」
「応! わかったぜ領主様ァ! しっかりいたぶるんだな! 」
満面の笑みの鬼のゴーズの顔を彼らは直視出来なかった。
「しめた! このまま行けば行き止まりです」
集団のしばらく先には、周囲の建物より一際高い防犯用に街を区切る内壁が広がる。
この先は内壁を迂回し詰所を経由して市場側に出る必要がある。
「観念しなァ! 」
壁に向けて徐々に速度が落ちる初老の男に向け、闘牛よろしく角を向け前傾姿勢で突撃する鬼のゴーズ。
「壁とは! いつだって越えるためにあるんじゃァーー!! 」
「!? いけませんゴーズ君! 止まって! 」
初老の男は内壁に向かい飛び蹴りのように飛び込む。
そのまま猫のように壁を蹴り後方へ高く飛ぶ。
飛んだ先には、闘牛のように駆け込む前傾姿勢のゴーズ、男はゴーズの走りを利用し、カタパルトよろしく踏み台にし内壁を軽々と越えて行った。
「ふっ! ……はッ!! とぅ! 」
つま先から地面に伏せるように回転しながら衝撃を逃がす。
5点着地を慣れたものとこなし、初老の男、領主であるパトリック=マルシアスは街の奥へ視線を向けた。
「どれ、フクロウ堂はあの辺かの? 」
ローブを整え、領主パトリックは鼻歌交じりに街の雑踏に潜っていった。
同時刻、日本の寂れた郊外の町、もう1つのフクロウ堂がある寂れたアーケードの片隅でコソコソと隠れる男がいた。
メガネに白髪、ベストにチノパンの気の弱そうな男は、久々の商店街を楽しむ余裕もない。
「今日はフクロウ堂休みなんだ……イズミくん居ないだろうけど、少しお邪魔しちゃおう」
気の弱そうな男の名前はサカキ=ヨウジ、このフクロウ堂の元店主で現オーナー、イズミにとってオジサンと呼ばれる人物。
うらびれた商店街のアーケードには昼下がりでも人影がほとんどない。
それでも何かから隠れるように身を屈めて、サカキはフクロウ堂の裏口へ回った。
「えっと……合鍵は……あったあった」
木彫りのフクロウがついた合鍵で開いた扉からは、懐かしい香りと少しの違和感。
イズミを幼少の頃から知るサカキとしては、店を任せて半年足らずだが店舗に関して心配もしていなかった。
むしろ働きすぎてないかという心配くらいだが、定休日は守っているようだしとりあえずは安心したところだ。
「……頑張っるなぁ」
店舗の1番前、入口の周りには安価なメガネセット。
店内も国産や価格帯としっかり陳列が区分けされ、掃除も行き届いている。
店を預けた時にはなかったブランドも増えている。
鼻パットがない乗せるだけのメガネ、一山と呼ばれるものや、耳にかけずにすむ顔を挟むデザインのブランド『パラサイト』などは正にそれだ。
こういった品揃えを見ても、量販店でなく専門性を重視しているイズミのこだわりがよくわかる。
「やっぱり……帰ろうかな」
1年の約束で預けたが、それでもまだどこか自分の店と思っていたことをサカキは反省した。
いくら理由があっても、イズミの努力してる店に黙って入ったことに気が咎めたのである。
「おーーい、誰もおらんのか? おーーい」
なるべく店の物に触れないよう裏口へ戻ろうとしていたサカキを呼び止めるように、店の玄関を叩く訪問者が現れた。
サカキが現役の頃から、営業時間外でもこういった客には必ず対応はしていた。
現代社会ではメガネがないと車に乗れない、書類が見れない、授業が見えないと様々な苦労があり、急を要することをサカキは経験として理解していた。
だからこそ、こうした客は人助けとなるべく対応をしていた。
「あ! ……いますいます! 今開けますよ」
サカキが玄関のカギを開くと、同年代ほどに見えるが年の割に筋肉質で、白髪にローブと珍しい衣装の男が飛び込んできた。
「おぉ! ここが話に聞いていたメガネ屋か! 狭いが良い店構えじゃな! 」
「い、いらっしゃいませ……」
いきなり現れた彫りの深い大柄の外国人、彼の勢いに驚いたサカキはすっかり腰を抜かして床に座りこんでしまっていた。




