21.水崎姫香の悩み
「水崎姫香さん!一目見た時から好きでした!付き合ってください!」
ある晴れた日。
水崎姫香は困った表情を浮かべている。
原因は目の前にいる名前も知らない男子生徒。
剣山第一高等学校の屋上で水崎姫香は一人の男子生徒に告白されていた。
「あ、あの……えっと」
流れる銀髪が風で揺れる。
手でおさえながら戸惑う。
屋上へ呼び出されたと思ったらいきなりの告白。
何回かあったことだが、未だに慣れることはなかった。
「自分!柔道部の中田といいます!前から貴方のことが好きでした!自分と付き合ってください!」
「えっと、ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけれど断らさせてもらいます」
「それは同じクラスの金城秋人とつきあっているからですか?」
「違います。本当にごめんなさい」
呆然としている男子生徒へ大きく頭を下げて逃げるように屋上から去る。
少し振り返れば項垂れた男子生徒の姿があった。
罪悪感を覚えながら階段を下りていく。
水崎姫香が剣山第一に入学してから二か月と少しが過ぎた。
その間に男子から告白された回数は既に二桁を超えつつある。
流れるような銀髪に整いすぎている顔。
さらにいえば相手を問わず優しい笑顔で接する姿は男子からは天使を、同性からは穢れなき可愛い少女を想像させる。
そんな彼女に惹かれる者は沢山いる。そして告白しようとするのも当然だろう。
選り取り見取りとまではいかないが誰でも選べるというのは幸せだ。
しかし、姫香はそういうことに現を抜かすことをしない。そもそも、彼女にとって恋愛は無縁なものだ。
彼女は魔物と呼ばれる怪物から世界を守るために戦う武器所持者〈ホルダー〉の一人。
駆け出しという前置きがつくがそこは割愛していつ死ぬかわからない状況で誰かと恋愛をするという事に姫香はなれなかった。
なにより――。
「(告白される度にモヤモヤする気分になる)」
異性から告白されると何かが気になる。
それが何かわからず困惑して、自然と断りを入れてしまう。
考えることすらない。
好意を持たれることは嬉しい。そこから先へ発展することをいつかは望む時が来るだろう。
もう一つ告白に関係して悩みがあった。
――金城秋人と付き合っているからですか?
異性から告白され、それを断った際に訊ねられる言葉。
金城秋人、日本で数少ない最強の武器所持者と呼ばれる完璧超人。
イケメンである彼は多くの女性から好意を持たれている。
姫香が能力に目覚めてから同じクラスメイトということもあって親しくさせてもらっているが彼へ恋愛感情のようなものはない。
只傍にいるという事だけで告白してくる者達や彼に好意を寄せている女子等はつきあっているという勘繰りをいれる。
誤解だといっても通じない。信じる者がいなかった。
まるで自分は彼と居ることが当たり前のように誰もがいってくる。
嫌悪感を覚えながら姫香が階段を下りていると前の方から上がってくる人に気づく。
白髪で他者を寄せ付けない鋭い目つき。制服を着崩している姿から不良という第一印象がもたれそうだ。
実際の所、彼は不良という位置にいる。
さらに付け加えるとどういうわけか学校の全員から嫌われている男子生徒。
名前を宮本夜明という。
「夜明君」
自分の名前を呼ばれていることに気づいて顔を上げる。
不機嫌そうな表情をみたら誰もが下がってしまうほど鋭い目。
心無いものは何人も殺してきているのではといっている。しかし、姫香からみれば普通の人より少しきついだけだ。
彼は姫香の隣の席で武器所持者となっても変わらず接してくれる数少ない人間、友達だと思っている。
相手がどう思っているのかわからないが。
「どうやら屋上に今はいけないみたいだな」
屋上に続く入口を見て夜明は呟く。
おりてきた彼女の顔を見て察したのだろう。
「ごめんなさい……」
「お前が悪いわけじゃないだろ…悪いとすれば時間と場所も考えない告白してきた奴だ」
姫香は心優しい、相手の気持ちを汲み取ることができる男の子とみている。
けれど、宮本夜明という少年は誤解されやすい。
良くない噂が彼の周りで囁かれクラスでも浮いている。この前も姫香が告白された後に屋上へ現れた夜明へ男子生徒が掴みかかるという事件が起こった。
振られた場面を笑いに来たんだろ!とその男子生徒は叫んだ。
姫香が止めに入ることで事なきを得たが同じようなことが起こり得ると判断したのだろう、彼は来た道を戻り始める。
気遣いができることも宮本夜明の良い点だと周りが知らない良さを知っていることがなぜか嬉しい姫香だった。
「でも……切欠は私にあるから」
「気にするな」
「むぐ!」
夜明は溜息を零すと姫香の鼻をつまむ。
いきなりのことで彼女は変な声を上げる。
「い、いきなり何をするんですか!?」
「色々なことを気にしすぎ。いつかパンクするぞ」
鼻を離すと少し涙目になりながら姫香が抗議する。
肩をすくめながら歩き出す夜明。
少し遅れて姫香が続く。
微妙な距離を開けながら二人は会話を始める。
「夜明さんはどうして屋上へ?」
「気分転換だ。中庭へいくより屋上で休んだ方がいいかと思ったんだ」
「今日は日差しが気持ちいいですもんね」
「こんな日は学校で授業を受ける気分になれないな」
「そういってサボるのはダメですよ!」
「わかっている。冗談だ」
本気とも冗談とも取れない態度に姫香は半眼で睨む。
時々、授業を抜け出していることから油断ならない。周りから誤解されるなら他の所で誤解されないようにしていけばいい。まずは授業を受けるとこからと姫香は目を光らせることにした。
彼があらぬ噂で誤解を受けていることが嫌だ。
――理由はわからないが、許せなかった。
「夜明君!放課後、暇ですか?」
「放課後?」
「えっと、友人から無料の―」
話を遮るように第三者の声が響いた。
「姫香、ここにいたのか」
二人が顔を上げると手を振りながら一人の男子生徒がやってくる。
名を金城秋人という。
爽やかな笑顔を浮かべてやってくるが夜明の姿を捉えると一瞬だが顔から笑みが消えた。
「金城君、どうしたの?」
「君を探していたんだ。放課後に任務があるんだ」
「え?そんな予定…なかったような」
「君塚さんからさっき連絡がきたんだよ。姫香の返事がないから確認のために俺が来たんだ…何かあったのかい?」
「え?」
「何か悩みとか困りごとがあったら俺に相談してくれ。姫香は大切な仲間なんだからさ!誰かに脅されているとか…ね」
「それは大変だな」
秋人は鋭い視線を隣にいる夜明へ向ける。
対して、彼の事など眼中にないような態度をとおった。
「おい、宮本」
剣呑な空気を察した姫香は慌てて両者の間に割り込む。
「だ、大丈夫です!わざわざ教えに来てくれてありがとうございます」
「わかった、何かあったら相談するんだぞ」
最後に夜明を睨みながら金城秋人は去っていく。
「どうも俺といたせいで迷惑をかけてしまったみたいだな」
「ううん!夜明君のせいじゃないよ、みんな」
いつも姫香はこんな時思ってしまう。
どうして彼は誤解されてしまうのか。
どうして彼は理解されないのか。
どうして嫌われるのだろう。
目の前にいる彼は誰よりも優しく、他人の痛みが理解できる人。
そう思っているのは自分だけなのだろうか。
今の考えを払拭するように頭を揺らしながら姫香は夜明の腕を掴もうとする。
「……」
伸ばした腕をするりと躱して彼はそくささと歩き出す。
行き先を失った手を胸元へもっていく。
「(偶然、だよね?)」
「…どうした」
「う、ううん……何でもないよ!」
笑顔を浮かべて夜明の後を追いかける。
伸ばした手を強く握りしめ歩き出す。
教室へ戻ると一瞬だけざわめきがなくなる。
視線は教室へ入ってきた者、宮本夜明に向けられた。
彼は何も言わずに席へ腰かける。
少し遅れて姫香が入るとクラスメイト達がやってくる。
囲まれたところで雑談が始まる。
輪の中心にいる姫香は嫌な顔せずにみんなとの話を楽しむ。
「水崎さん、大丈夫だった?」
「え?」
話が進んだところで一人の女子生徒が心配そうな表情を浮かべた。
「そうそう、宮本と一緒に入ってくるんだもん、心配したよ」
「アイツ、水崎さんに何かしたら只じゃおかねぇぞ」
「大丈夫だって、いくら不良だからってホルダーの彼女に勝てるわけがない」
「そうそう、てか、アイツなんでまだいるんだろうなぁ」
鬱陶しそうに窓の景色を見ている宮本夜明をみるクラスメイト達。
――まただ。
漂うマイナスの感情。
人の感情に敏感な姫香はうっすらと顔を暗くする。
クラスメイト達が夜明を嫌悪している。
その理由は未だわからない。
何とかしたいと思いつつも彼らの考えはそうそう変わらない。それどころか夜明に脅されているのでは?という厄介な誤解へ向かってしまった。
「そ、そういえば、明後日からオリエンテーションですよね!?」
話題を変えようと姫香は動く。
以前、教師が話していた他校との交流を兼ねたオリエンテーションがようやくはじまる。
「オリエンテーションつっても山道を歩くだけだし、楽しくもなんともねぇよ」
「かわいい子いねぇかな」
「最低ね」
「男子ってやつは」
あきれた表情を浮かべるクラスメイト達の顔を見て姫香は小さな笑みを浮かべる。
この輪の中に“彼”も入っていたら、その場面を想像して少し、ほんの少しだけ嬉しくなった。
▼
『戦闘訓練コードNO:0123を開始します』
機械的な音声が告げると廃墟へ変わる。
その中心に水崎姫香は立っていた。
剣山第一の制服ではなく、彼女が所属している大和機関が作成した特殊戦闘服。
白と赤の戦闘服を纏った姫香の顔は緊張している様子だった。
しばらくして周囲に魔物が複数体現れる。
魔物、それは世界と人類を滅ぼそうと現れる正体不明の怪物。
主要都市に姿を現し世界そのものを滅ぼしかけた危険な怪物と戦える唯一の希望が武器所持者。
二か月と少し前、水崎姫香は魔物における上位種“女王”の襲撃に巻き込まれた。運よく生き延びた彼女はその時から武器所持者としての能力に目覚めた。
彼女はこの力で人々を守るため大和機関に所属し能力の研鑽に努めている。
現れた兵士級の攻撃を姫香は実体化した盾で受け止めた。
受け止めた際の衝撃で倒れそうになるのを堪えて攻撃を防ぐ。
武器所持者は何もない所から武器を生み出す。
種類は多種多様。いくつかの例外を除けばほとんどが刀剣類ばかり。その中で水崎姫香が生み出す武器はなぜか盾。
防具の部類に位置するはずのものを精製したことで数少ない希少能力所持者であることがわかった。
甲高い音を立てて盾が砕け散る。
衝撃で彼女は地面を転がった。
ふらふらと体を起こしてもう一度盾を生み出そうとした。
そんな彼女の背後に兵士級の一体が迫る。
「しまっ」
振り返った瞬間、兵士級の一撃が彼女の体を貫く。
『訓練終了!繰り返します訓練終了』
ブザーが鳴り兵士級の姿が消える。
廃墟もなくなり無機質な壁だけの空間となった。
立体映像が解除され、姫香はぺたんと地面に座りこむ。
武器が壊れるとホルダーへ激しい疲労が襲い掛かってくる。
詳しい原理はわかっていないが精神的なものがあるのだろうとされていた。
荒い呼吸を整えると立ち上がる。
「もう、もう一度お願いします!」
空間に向かって叫ぶ。
二回目の訓練が開始される。
「はぁ……」
リフレッシュルームの一角で溜息をついた。
訓練は既に終わっている。
汗だくの体をシャワーで浴びた彼女はジャージ姿で小さな溜息を吐いている。
「お疲れさま」
そんな彼女の前にスポーツドリンクが差し出された。
「ありがとうございます。君塚さん」
「訓練、頑張っているみたいね」
金城秋人や姫香の指揮を担当している君塚へ感謝の言葉を述べる。
二十代後半で働く女性というイメージが強い彼女は大和機関において覚醒した武器所持者の面倒を見る管理官という役職についていた。
その為、新入りの姫香とも交流は自然とできる。
「他の子達も訓練に励んでいるけれど、姫香ちゃんほどじゃないわよ?」
「まだまだです。金城君や他の人みたいに名前を与えられているわけじゃないですから」
「多くの戦闘をこなしてきたからこそ名前を与えられたのよ?姫香ちゃんはまだ数えるほどしか出撃していないわ」
「でも!」
「無理は禁物!体調管理をすることも武器所持者の大事な仕事なんだから!焦らない事よ」
ポン、と姫香の頭を撫でて君塚は立ち上がる。
「姫香ちゃんも早く帰りなさい?最近は物騒なことが多いから」
君塚の言葉で姫香は思い出す。
一週間ほど前からこの街周辺で不審死が相次いでいる。
警察はおおごとにならないように最低限の情報開示で抑えているが大和機関へ近々調査が依頼されるのではないかという話を耳にしていた。
魔物との討伐を目的としている大和機関だが、怪事件の対処もごく稀だが任務として下されることがある。
「いくら武器所持者だからって女の子なんだからね」
君塚の言葉に姫香は感謝して着替えるためにリフレッシュルームを後にする。
夜道を姫香は歩く。
街灯のない道を進みながら彼女は何度目かの溜息を吐き出す。
頭の中では“悩み”のことで一杯だった。
告白してくる男子達。断りを入れても何度も何度も告げられる言葉。
うまくいかない訓練、他の武器所持者と比べて強度の弱い盾、立ち回れない自分。
そして、宮本夜明のこと。
最後に彼のことがでてきたのが不思議に思うが彼女としてはなんとかしたい問題だ。
他の問題も重要だが、彼の問題の方が難しすぎる。
水崎姫香としては彼に普通の学校生活を送ってもらいたいという気持ちがある。
出会ってまだ短いけれど、彼が誤解されていることを許せない自分がいた。
何故か?敷き詰めようとしたらいつも白い靄が邪魔をするように広がる。
首を傾げながら姫香は自然と何故という考えを打ち消す。
とにかく!自分は彼の力になりたいと思うのだ。
「そうしたら……あの距離も縮まるのかな」
自分と宮本夜明の距離。
無意識なのか意図してなのか。
宮本夜明という少年は自分が近づくことをあまり良しとしていない。
巻き込まれることを心配しているのか別の理由があるのかわからない。けれど、姫香としてはその距離が嫌だった。
それをなくせれたら―。
ドシン、と考え事をしていた彼女の背中に小さな衝撃が走る。
「わっ、とと?」
前のりに倒れそうになったが慌てて堪える。
何が当たったのだろう?と姫香は振り返った。
そこにいたのは小さな子ども。
但し、ボロボロの布きれで全身を覆い隠している。
「た、たス……け、テ」
片言交じりの言葉で毛布の隙間から小さな目が覗いていた。
「え?」
呆然としている彼女の前で銀が煌めく。
――刹那。
何かが姫香を突き飛ばし、黒い影が前に立つ。
瞬きした時、二つの姿はなかった。
「何…だったの?」
口から洩れた声は戸惑いだった