20.怪事件のはじまり
次は週末投稿予定
ドラマにあるような怪事件や怪異変というのは人の気づかないところで起こっている。
少し目を凝らせば気づくような異変。
だが、人というのは怠慢な生き物だ。
どれだけ自然や周りで予兆が起きていようとそれは関係のない事、自らに災難が降りかからない限り気づかない。気づこうとしないものだ。
何かが起こった時が後の祭りかもしれないという危険をはらんでいる。
だからこそ、身近に犯罪者がいることを最上綾乃は知らなかった。
中学二年生になりたての彼女は塾が終わって暗い夜道を歩いていた。
鞄を揺らしながら道を歩いているとからからとカートを押した男の姿が見える。
いきなり飛びかかってくるかもしれないとポケットの中にある防犯ブザーを握りしめた。
最近、不審者がうろついている話を聞いていたということもあったし、臆病だからこそ、見知らぬ人が近づいてくると身構えてしまう。
足早に過る。
角を曲がるまで振り返らない。
一つ目の角を曲がった所で振り返る。
カートを押した男の姿はない。
ふぅ、と安堵の息を吐く。
空は既に暗い。
今日は長く居すぎたなと彼女は思う。
お母さんが心配している。
父親のいない綾乃にとって母親以上に大切なものはない。
逆に母も綾乃のことを大切に思っている。
魔物によって父親を失った二人にとって互いが大事、互いが幸せになることを願っている。
塾にいかせたのも頭が良ければこれからが有利になるからということで母親がいくように勧めてきた。綾乃も嫌な顔一つせずにそれを受け入れた。
友達と遊ぶ時間が減ることはつらいけれど母さんが喜ぶなら頑張ろう。
大好きな母さんの下へ戻ろう。
笑顔の母親を想像して急いで帰宅のルートを歩く。
綾乃は途中から走り出す。
薄暗い夜道をひたすらに走る。
しばらくして自分の住んでいる家が見えてきた。
「ごめんなさいねぇ」
速度をあげようとしたところで呼び止められる。
慌てて止まるとマンションの入口で杖をついた老婆が立っていた。
その足元にはたくさんの荷物が置かれている。
買い物帰りだろう。
「実はここの六階に荷物を持っていきたいんだけど、数が多くて。少し手伝ってもらえないかしら?」
綾乃は荷物を見る。
確かに老婆が運ぶにしては少し多すぎるだろう。
しかし、これを手伝えば帰りが遅くなる。
お母さんが心配するかも―。
少し悩みながらも綾乃は手伝いを申し出た。
時間はかかるかもしれない、けれど困っているなら助けてあげなさいという母親の言葉を思いだした。
「荷物、持ちますね」
中学生の綾乃にとっても苦労するほどの荷物。それらをエレベーターに乗せて目的の部屋まで運ぶ。
綾乃はくたくたになっていた。
最後の荷物を部屋において綾乃は外へ出ようとした。
「ありがとうね。綾乃ちゃん」
そこで綾乃は「え?」と声を漏らす。
――何で自分の名前を?
綾乃の首筋に何かが当たる。
バチィィィンと音がして綾乃の視界は真っ暗になった。
ハッと目を開けると綾乃は薄暗い部屋の中に閉じ込められていた。
慌てて右や上へ視線を向ける。
壁や床はコンクリート。窓と思える場所はない。扉はノブがない。試しに押してみたがビクともしない。
天井にある丸い電球だけが室内を照らしている。
薄暗い室内で綾乃は怯えた。
――ここはどこ?
困惑しながら綾乃は叫ぶ。
――だして、ここからだして!
――助けて!誰かいないの!?
涙を零しそうになりながら綾乃は喉が痛むのを気にせず叫んだ。
扉が開く。
入ってきたのはあの老婆だ。
綾乃は老婆へ詰め寄り叫んだ。
出して、自分をここから出して、と。
叫んでいた所で綾乃の視界が揺れた。
何が起こったのかわからない。
困惑していた綾乃の顔へ老婆は杖先を突きつける。
「ガタガタ騒ぐんじゃない!」
老婆のどこにこんな気迫があったのか驚いて動けない綾乃の腹部、下腹部を触っていく。
抵抗すると殴られるという事がわかったことで恐怖心が勝り彼女は動けない。
しばらくして老婆は語る。
自分は魔物の毒を体に受けた。
その毒を治すために若い女性の臓器が必要なのだと。
しかし、普通の臓器ではダメだという。
「みんな穢れている。穢れが落ちたものでないと私は治らないのさ。綾乃ちゃんにはここで穢れが落ちるまで大人しくしてもらうよぉ」
そういって放置された。
水や食事も与えられることなくひたすら放っておかれる。トイレは置かれているおまるで済ますしかない。
臭い自分というものを老婆に教え込まれているような気がした。
コンクリートで出来た壁、窓もない空間によって時間の感覚も失われていた。
空すら見えない独房の中で綾乃は横になる。
いつか脱出できる瞬間がある。
その時まで彼女は弱った振りを続ける。
大好きなお母さんに会うまで。
――そうだ。お母さんに会うんだ。
綾乃はお母さんの顔を思い出す。
きっと心配している。
絶対にここから抜け出す。
ぽろぽろと涙が零れる。
早く、お母さんに会いたい。
その気持ちだけで綾乃は必死に見えない抵抗を続けていた。
どのくらいの時間が流れたのだろう。
綾乃の耳が扉を開く音を捉える。
ぼんやりと動けない振りをして綾乃はじっと待つ。
老婆は綾乃の服をめくり触る。
ねとねとした感触に抵抗したくなったが堪える。
ここで暴れたら元も子もない。
「そろそろかねぇ」
老婆がにやりと笑ったところで綾乃は突き飛ばした。
ぎゃっ!と悲鳴を漏らして転倒する老婆の声を後ろに聞きながら空いている扉から外へ出る。
右か左もわからない部屋の中を走る。
しばらくして扉のようなものに当たった。
綾乃は扉を開ける。
「うっ!」
広がった光景に綾乃は吐き気を催した。
そこにあったのは瓶詰にされた子どもや女の子たち。
数はとても目で測りきれない。
あまりの多さ、おぞましさに声が出なかった。
「綾乃ちゃーん、いけない子ねぇ。もう少しで穢れが落ちるのよぉ~戻ってらっしゃーい」
聞こえてきた声に綾乃は部屋を抜け出して走る。
走るといっても自身も気づかないくらい疲労しており傍から見ればふらふらと歩いているようにしか見えない。
老婆が自分を探している。捕まったら終わり。
あれのようになってしまう、逃げるんだ!と頭で自分の声が叫んでいる。
綾乃は必死に走ってベランダにたどり着いた。
かなりの高さだ。
飛び降りたら危ないかもしれない。
恐怖で尻すぼみしていると後ろから足音が聞こえた。
――近づいている!
後ろを見て、前を向く。
このままだと自分はあの瓶の中の臓器と同じ末路。
綾乃は意を決して手すりから身を乗り出す。
乗り越えようとした足を老婆が掴む。
振り払おうと乱暴に足掻いた時だった。
「あ!」
バランスを崩しそのまま下に落ちた。
揺れる視界、全身に襲い来る風。
ガサガサと大きな茂みの上に落ちた綾乃はしばらく動けない。
手足に枝が突き刺さってじわじわと痛みが上がってくる。
「うぅ……うぁ…」
ふらふらと体を起こす。
瞼が閉じようと動く。
出来るならこのまま眠ってしまいたい。
――ダメだ。
綾乃は意識を取り戻す。
まだ助かったわけじゃない。
あの老婆がすぐに追いかけてくるかもしれない。
綾乃はふらふらと体を起こす。
茂みから這い出る。
家へ戻るんだ。
お母さんに会おう。
全てを話して警察を呼んでもらおう。
綾乃はふらふらと歩いていると反対側から男の人がやってくる。
「おい、どうしたんだ?」
男の人はボロボロの綾乃を見て驚きの声を上げた。
助かった。
「あの、私……」
綾乃はやってきた人へ事情を話す。
「そうか、大変だったな。ゆっくり休むといい」
男の人はそういうと綾乃の腕を掴んで座らせる。
しばらくして綾乃は目を見開いた。
向こう側からやってきたのはあの老婆。
立ち上がろうとした綾乃の体を男の人はやんわりと戻す。
「何やってんだよ。婆ちゃん」
「いやぁ、お転婆な子でねぇ、忠邦のお蔭で助かったよぉ」
この人は老婆の仲間だった。
綾乃は逃げたかった。
しかし、体の疲労がピークに達していて足が鉛のように重たい。
「さぁ、戻りましょうか」
「そうだね」
逃げられない。
背けていた絶望がむくむくと頭をあげる。
あの部屋に戻されたら終わり。
暴れる力、抵抗する力もない。
「何をしているんだ」
耳元へ届いた声に綾乃は顔を上げる。
訊ねてきた人物は白髪でどこか鋭い瞳、いや冷たい印象を相手に与える男の子。
綾乃は彼を知っていた。
知っていたからこそ戸惑った。
どうして、彼が声をかけてきたのかということに。
「少し遠出の散歩をしていて疲れてしまったみたいだね。さ、もう少し頑張ろうな。綾乃に婆ちゃん」
「そうだねぇ」
老婆が綾乃の腕を掴む。
余計なことを言えばどうなるかわかっているな?という意図に気づく。
少年から死角になっている所で男はナイフを握りしめている。
逆らえば彼は死ぬ。
綾乃は助けを求めることが出来るのに出来ない。そんな状況に涙を流しそうになりつつ、首を横に振る。
「大丈夫、だよ」
「そうか」
彼が頷いた。
――あぁ、これで去ってしまう。
綾乃が項垂れようとした瞬間、悲鳴が漏れた。
顔を上げる。
ナイフを持っていた男が地面に倒れている。
男は苦悶の表情を浮かべて腹を押さえていた。
そして、彼が拳を前に出していた。
彼が男を殴ったと理解することが出来なかった。
「てめぇええ!!」
老婆が杖を振り上げる。
それよりも鞄が老婆の顔を殴る方が速い。
派手な音を立てて地面に倒れた。
乾いた音を立てて杖が地面に落ちる。
老婆を感情のない目で少年はみていた。
そんな彼へナイフを構えた男が静かに忍び寄った。
殴られたダメージから回復したのか、演技だったのか?
綾乃が危ないと叫ぼうとするよりも彼が動く。
ぐるんと回転して手の中にある鞄でナイフを落とす。
動揺した男の顔へ鋭い拳を放った。
ぐぼぉと変な声を上げて後ろに倒れる。
あっという間の出来事。
呆然としている綾乃へ彼は近づく。
赤が混じった瞳が自分を見た。
「もう大丈夫だ」
投げられた言葉。
愛想もやさしさの欠片もないもの。
けれど、何かが綾乃の心を満たしていく。
ぽろぽろと涙を零す。
綾乃は声を上げて泣き出した。
目の前の彼が困惑するとかそういうことは一切考えなかった。
助かった。助けられたという事実に彼女は嬉しくて、堪らなくて泣き叫び続けた。
▼
「チッ」
俺は舌打ちをする。
これでもかというほど機嫌が悪かった。
感情を隠す訓練をしているから表へだすなんてヘマをしてないが、今日ほど、機嫌が悪いのは久しぶりだ。
今、警察署に俺はいる。
ことのはじまりは朝まで遡る。
珍しく俺はいつもの時間より早く起きた。
ルームシェアをしている彼女を尾こそ内容にして部屋をでる。
日課のランニングをしていると大きなアタッシュケースを持った男とぶつかる。
「気を付けろ!」と叫ばれた事に何の感情もない。
あの程度の相手と言い合いをしてもこちらが損をするだけ。なにより掃除屋としての修業と比べるとこの程度は軽い。
問題は時間が少し進んだ後だ。
制服に着替え寝込みを襲おうとした吹雪を簀巻きにして放り出し通学路を歩いていた時、たまたま一人の女の子をみつけた。
その子の名前を憶えていなかった、ただ、どこかで会ったような気がする。
なにより少女は傷だらけで“衰弱”していた。
気になり俺は声をかけた。
傍に老婆と男がいた。
その時に二人がただ者でない事を見抜く。
普通の人を装っているが動きに無駄がない。なにより周囲の警戒心が強かった。
そして男の方は殺意を込めた目で少女を見ている。
こんなのが普通?
影として多くの武器所持者を処理してきた俺にとってこの程度の殺意は温い。
隠しきれていなかった。
だから行動に移した。
二人を無力化させた後、わんわん泣き続ける少女に困惑していると警察がやってきて連行された。
人の行き交いが多い時間帯であんな騒ぎを起こしてしまったら当然だろう。
わんわん泣いている少女と目つきの悪い不良の足元で倒れている人達。
有無を言わせず少女と共に警察署へ連れていかれた。
彼女も事情聴取されるのだろう。
今になって思えばなんと浅はかな行動なのか。
影の武器所持者として戦っている自分が根拠や確信もない、一つの感情で動くことなどあってはならない。
それは自分が処理してきた連中と差がない。
だが、脳裏に少女の顔が過る。
助かったと自分が救われた者のみが浮かべる表情。
名前を知らない少女が見せた感情に少なからず安堵している俺がいた。
警察へ少女はどんな話をするのか。影としての経験上、あの二人組はかなり狂っている。
猟奇的な殺人が行われていない事を切に願うばかりだ。
「ついてきて」と制服の警官にいわれてある部屋へ誘導される。
会議室と書かれている扉が開いた時、俺は溜息を零したくなった。
扉の向こう、そこにいる人物を見て自然と眉間へ皺が寄る。
「やぁ、とっても恐ろしい連続殺人鬼からか弱い乙女を救った英雄君~」
「……どうしてお前がここにいる?」
「おや、無視かい。本当ならマスコミに報道されて大々的に英雄としてアピールされるところなんだけどそれを事前に阻止した僕に対してねぎらいの言葉とかくれてもいいんじゃなーい?本当なら公表したかったのに残念だよぉ」
おちゃらけた態度の男に何もいえなくなる。
これが素なのか演技なのかわからない。
もしかしたら全てが演じているかもしれないのだ。
黒土という男は底の知れない人物。
敵に回す時があれば、覚悟しなければならない。
この怪物と戦う覚悟を。
「おや?真剣な顔をしてどうしたのかな」
「何でもない。それで影が表へ出ないように処置する為だけに来たわけじゃないだろ」
「察しがいいね。その通り僕がここへ来たのはキミへ指令を下す為だ。その前にキミが確保した二人組についてだけど面白いことがわかってね」
黒土の話によれば老婆は色々と狂っていたらしい。
「魔物の毒で臓器と頭の一部をやられていたらしい。清らかな少女の臓器を食べれば自分は治るものだと信じていたようだ。さらに、ネットの根拠のない書き込みを信じて実行に移したようだ」
――百人の女子どもの臓器を集めて喰らう。
――ただし、臓器は穢れのないものでなければならない。
「くだらない」
「普通ならそう一蹴するさ。当人からすれば藁にもすがる思いだったんだろう。ま、他人の命を奪う理由にはならない」
「その話と指令に関係があるのか?」
「間接的にだけど、キミは魔術や錬金術というオカルト的なものを信じるかな」
「俺達や魔物みたいな存在がいるのに今更オカルトを否定しろと?」
手厳しいねと黒土は笑う。
魔物によって世界は壊されそれに抗うために生み出されたかのように武器所持者が姿を見せる。
能力の根源が何かはっきりしていない武器所持者を一部の学者はオカルトと関与があるのではと考察していた。
その為に現在の学問の中で魔術や幽霊といったオカルト的なものも重要視されている。
「その中にある錬金術というものを知っているかな?」
「金属を生み出す術」
「まぁ、正解、もっと細かく言えば」
――錬金術。
近頃では手を叩いてモノを作り出すというイメージが定着しているが本来は化学的手段を用いて卑金属から貴金属を精練しようとする試みであり広義においては金属に限らず物質や人間の肉体や魂を対象としてそれらをより完全な存在に錬成するもの。
「どうやらその錬金術とやらが現代に残っていたらしくてね。キミが捕まえた猟奇殺人鬼たちもそれに影響を受けたみたいなんだ。ま、それだけで終わればまだ優しいほうなんだけど」
「その男を捕まえないと世界が滅ぶとでも?」
「最悪、起こりうる」
ふざけてみると意外にも黒土は首肯する。
「話を続けろ」
真面目だということに気づいて続きを促す。
「指令の内容は一つ、錬金術師がこの国へ持ち込んだホムンクルスを三日以内に見つけだして殺すこと。そうしないとこの大陸はおそろしい怪物によって沈む。よろしく頼むよ」
メガネを戻して告げる黒土の言葉に俺は静かに頷く。
「命令ならこなすさ。どんなことだろうとな」
その目はどこまでも冷めていた。




