第三十三章
Agを追跡する伊武。
ようやく、目的地に辿り着いた。
Hgの工房――Hgが死んでいた場所。初めてAgと会った場所。
枯れない花が咲き乱れる、不気味な場所。
伊武は、ここがどうしても好きになれなかった。理由もなく不安になる、胸がざわつく。夜の墓地に足を踏みいれた時のような気持ち。
伊武は工房の前に立ち、入り口の扉を見た。最初に来た時、破壊したのだが、その後にAgが簡易的な修理をしたようで、一応、新たな扉がついている。
しかし、今はその扉も破壊されていた。扉の下には、Agの破片らしきものが落ちている。扉を壊すときに力を入れ、それに耐えられずに壊れた箇所があるのだろう。
間違いない。Agはもう、ここにいる。
なんのために? 死に場所を選んで? それとも、まだここに奥の手があるというのか。
伊武はフリアエを取り出すと、慎重に工房の中へと入っていった。
扉をくぐって、花の咲く部屋に入る。
足下に、草花を踏んだ感触がある――この前はなかった。
灯りはついていた。前と同じように、蝋燭が弱々しく燃えていた。
ぼんやりと、部屋の様子が目に入る。
あのHgとAgが自慢していた草花が、無残にも荒らされ、地面に落ちていた。部屋中にプリザーブドフラワーが散乱している。
Agが自分でやったのだろうか。それ以外は考えにくい。
理由は、部屋の中を見て、なんとなくわかった。
部屋に敷き詰められていた四角いオブジェ。これまでは、上に花が飾られていたため、花壇の変わりだと思い込んでいた。
だが、花がなくなった今、それは花壇ではなく、いくつもの大きな箱、だということがわかった。長方形の、大きな箱――縦に2メートルぐらいはあろうか。それが部屋に敷き詰められている。
伊武は箱に近づき、目をこらす。箱の上面は蓋になっており、外すことができそうだった。
上面が外せて、人が入りそうなほど大きな長方形の箱――それはまるで――。
伊武は、ざわつく気持ちを抑えて、一気に蓋を開けた。
「なに……これ……」
思わず、独り言を発してしまう。
中には、Agが眠っていた。
見間違うはずがない。先ほどまで戦っていたのだから。
もちろん、良く出来た人形だった。動く気配もない。
伊武は恐る恐る、顔に触れて見た――柔らかい。
次は体に触れる。今度は硬い。
Agのように、体中に武器を仕込んではいないかと調べてみる。だが、体のどこも開閉する様子はない。本当に、ただの人形のようだった。
これが動けばAg。動かなければ人形――その違いは、魂とでも言うのか。
伊武は、隣りの箱――棺桶を開けた。
ここにも、同じようにAgが入っている。
次は、後ろにある箱を開ける。ここにも人形のAgが眠っている。
全部同じなのだろうか。ただのAgのスペアが入っているだけか。
伊武はまた、次の箱を開けることにした。どんどん部屋の奥へと近づいていく。
次に開けた棺桶に入っていたAgを見て、伊武は理解した。
このAgは、若い。
最初の棺桶に入っていたAgを見返してみる――これも戦ったAgより若いが、1歳ぐらいしか違わない。だから、暗がりでは気づかなかった。
恐らく、部屋の奥に向かうごとに、棺桶の中にいるAgは若くなっていくのだろう。
どういうことだ――なぜ、Agはこんなことをするのか。
次の棺桶、そしてまた次の棺桶。伊武は中身を開けて、Agが若返っていくのを確認する。
「はぁ……はぁ……ひゅっ……かはっ!」
確認するたびに、伊武の呼吸は乱れ、心拍数はあがり、汗が流れ出る。
漠然とした予感でしかない。それでも、伊武がおかしくなるには十分だった。
残る棺桶は3つ。
伊武は意を決して開けた――このAgは、すでに少女と言って差し支えない。
幼く可愛らしい顔立ち。細い手足。薄い胸板。汚れの無い、真っ白な肌。
すやすやと眠る少女の顔を見ると、涙がこみ上げてきた。
「ああ……ああああ!!」
伊武は涙を流しながら嗚咽を漏らす。涙が少女の顔にこぼれた。
こんなことがあっていいのか。
どうして自分は、こんな恐ろしいものを見なくてはいけないのか。
血の気の引いた手を無理矢理に動かし、新たな棺桶を開ける。もう、手に感覚がない。
さらに幼い少女の人形が眠っている。
「やだ……嫌だっ! どうして……どうしてこんな!」
伊武は叫んだ。声が部屋に反響する。少女達は眠ったままだ。
Agは伊武の面影があった。だが、伊武ではない。背も、体系も、顔立ちも表情も、何もかもが伊武とは違っていた。
そして、ここに眠る少女達はAgだ。どんどん若くなっていく、逆回しの成長過程だ。
Agを見た時には気が付かなかった。だが、若くなればなるほど、伊武は、この人形の作られた理由に気が付いて、苦しくなっていった――呼吸ができない。空気が重い。現実感がない。まるで悪夢の中にいるようだった。
「ひっ……ひぅっ……かはっ!」
伊武は嗚咽を上げながら、最後の棺桶の蓋を開ける――。
中には、何も入っていなかった。空っぽ。
ここには、一番恐ろしいものが入っているはずで――それが、なかった。
「はぁ……はぁぁ……」
伊武は呼吸を整えると、目元をぬぐった。
ただの、気のせいだったというのか。
これまでの人形達は、伊武が見たことがないもの――ここに入っているはずのものは、恐らく、伊武も見たことがあるもの。
きっとそれが、Agの目的。動機。
自分を斬ったHg。枯れない花。自分の面影のある殺戮人形。
「――気が付いた?」
部屋の奥から、声が聞こえた。
Agの声ではない。もっと幼い、少女の声。
「お着替えをしていたの。あの格好のままだと、ね?」
花を踏みしめて、少女が一歩ずつ、伊武の方へと歩み寄ってくる。
「私を止めたければ、器を壊さないと。こうやって、お着替えできちゃうから」
「……Ag……なの……?」
「ええ。先ほど、あなたに壊れたAg――でもあります」
くしゃっと。一際鮮やかな花を踏みしめて、少女が姿を現わした。
蝋燭の炎が、ぼんやりと彼女の姿を浮かび上がらせる。
そこに立っていたのは、白いワンピースを着た少女だった。
幼いAg――いや、違う。
伊武は崩れ落ち、地面に両手をついた。
「どうして……私……が……」
少女は伊武のそばへ来ると、しゃがみこんで伊武と目線を合わせた。
「そのとおり。これはあなたの姿――いえ、全部あなたなんですよ」
「嘘……そんな……私じゃない……」
「いいえ。あなたですよ――あれらはすべて、アブエルが付かなかった場合のあなたです。背も筋肉も発達せずに育った伊武希衣が、成長した姿です――そして、この体が」
少女は伊武の顔を両手で持ち上げ、自分の顔を無理矢理に見せた。
「アブエルが付く直前の伊武希衣――ね? これだけは、見たことがあるでしょう?」
はっきりと、伊武の記憶に残っている顔だった。
幼い時、アブエルを付けられる前の顔と姿。お気に入りの白いワンピースまで同じだ。
この後、伊武はアブエルを付けられ、それに耐えるために肉体は急激な成長を遂げる。そして壮絶な戦いの中で、顔つきも性格も、すべてが変わり、今の伊武希衣になるのだ。
アブエルが付く以前の伊武を知っている人間。
魂さえ生きていれば、体を乗り換えられるのだという――お着替えをしてきたとも言った。
ということは、Agの中身、少女の中身――その魂は。
「――Hg」
伊武が嗚咽まじりに呼びかけると、少女はにっこりと笑った。
「ええ、そうよ。私はHg――久しぶりね、希衣」




