第十二章
リムジンの後部座席に、アイシャと高田が向かい合わせで座っている。Aの運転するリムジンは、静かに、しかし止まることなく走り続けた。
高田の手には、ブランデーの入ったグラスが握られている。アイシャが注いだものだ。
「どうぞ、お飲みになって? 気に入らなければ、お好きなものを用意させますので」
「い、いえ……これで結構」
高田は小さく息を吐くと、ブランデーに口を付けた。他と比べようもない、素晴らしい香りと、濃厚な味。度数は高いはずなのだが、アルコールの刺激はほとんどない。ヴィンテージならではのなめらかな風合いだ。
いつも高級品を口にしている高田だったが、その味に驚きを隠せなかった。
「――飲んだことのない味だ。なんという銘柄ですか?」
「執事の用意したもので、私は詳しいことは。お口に合いまして?」
「ええ、とても美味しいです。驚きました。こんな酒があるなんて」
いつも高級品を口にしている高田ですら、驚く程だった。それもそうだろう。このブランデーはもう、市場には出回っていない。Aがずっと昔に購入し、保管しておいたものだ。誰もしらないので、コレクターにも値段の付けようがないような逸品。
高田がグラスを空けると、アイシャがすぐに二杯目を注ぐ。一杯目よりも量が多い。
「あ、いえ……こんなには……」
「もう少し、緊張をほぐしてください。あなたが緊張していると、私まで息苦しくなってしまいますから」
「――なら、もう一杯だけ」
高田はグラスを傾けると、3口でグラスを空にしてしまった。熱い息を吐いて、グラスのふちを指でぬぐう。アイシャは高田の顔を見て、酒が入ったことを確認すると、透明な白黄色した液体の入ったグラスを傾けた。
その様子を見た高田が、言ってもいいのかというように、迷いながらたずねる。
「高宮さんは、その、ワインを?」
とまどいながらたずねる高田に、アイシャは笑いながら答えた。
「ジュースですよ。こんな子供が、ワインを飲むわけがないでしょう」
アイシャが飲んでいるのは酒ではなく、葡萄ジュースだ。とはいえ、ただのジュースではない。高級なブランデーを作る前の果汁を瓶詰めにしたもので、一本、数千円はする。まるで果実を飲んでいるかのような濃厚さなので、普段使いには適していない。
ちなみに、アイシャは酒を好まない。成長の止まった体が酒についてこないのと、長い時間を生きるアイシャが酒に溺れれば、ろくなことにはならない。だから避けている。
アイシャがジュースを飲んでいるのだと聞いて、高田は安心した表情をする。こういう所は真面目なのかもしれない。
二人が揃ってグラスを置くと、アイシャはあえて姿勢を崩した。
「さて、高田さん。お話を聞かせてください。クリエイターの名前は伏せていただいて結構。まずは、話したいように話していただければ」
アイシャは、高田と目も合わせずに言った。独り言のように話させるのが目的だからだ。聞かせろと迫れば警戒する。誰もいなければ話さない。誰かがいて、害がないと思えば話す。王様の耳はロバの耳。最初に真実を聞いたのは地面に掘った穴だ。
高田は少し考えてから、あきらめたように口を開いた。
「僕は魔術具を集めていましてね。中でも、気に入っているクリエイターがいました。出たものは全部買っていまして。そのうちに会ってみたくなったんですよ。まあ、よくあることじゃないですか。作品が気に入って、そのうち作者が気になる、なんてことは。で、会ってみたいと魔術商に言ったら、向こうが了承してくれたんです。僕はお得意様ですから」
アイシャは顎を手に乗せて、物憂げに窓の外を眺めていた。もちろん、高田の話を逃さずに聞いてはいる。
高田が話を止めると、「聞いているよ」と言うかわりに、ゆっくりとうなずいた。
「それで、ある時、魔術商と一緒に僕の家に招きました。物静かな方で、食事も少しだけ。肉や魚は苦手だと言っていました。酒も礼儀として一口だけ。こちらが何かたずねないと、口を開くことすらなかった――不思議な人でしたが、クリエイターというのは、こういうものなのかなと、そう思っていたんですよ」
「――それで?」
高田が話し始めてから、アイシャが初めて口を開いた。高田は、ほっとしたような、怯えたような表情を一瞬だけ見せて、話を続けた。
「話を聞くと、生活に困っているようでした。どうやら、身を隠して生きているようで、あまり派手な活動はできないと。設備があれば、もっと色々なものが作れるのに、と――それで僕は言ったんです。僕が面倒を見るから、専属になってくれないかと。相手は少し驚いた後に、色々と条件を出してきました。基本的には、金と場所を出して干渉するな。欲しいものがあれば作る――そんな感じです。僕は、ただ支援するつもりだったから、全部、受け入れることにしました。それですぐに契約をして――それが半年前のことです」
高田はそこまで話すと、酒が回ってきたのか、水を欲しがった。アイシャが車に備え付けのクーラーから、水を取り出して、グラスに注いでやると、高田は一息に飲み干した。
「それで……色々なものを作ってもらって、調子に乗って、「星の鷹」を始めて、失敗して。珍しく、怒られて。これで十分だと光る杖をもらって――その後――」
「連絡が取れなくなった」
アイシャが言うと、高田はがっくりとうなだれた。
「――そのとおりです。ここしばらく、連絡が取れません。だから、新たな魔術具のオーダーもできない、ということです」
「なるほど。それが、あなたとクリエイターのいきさつ、というわけですか」
「ええ……」
「で、その続きはどうするつもりなの? 直接、様子を見に行けばよいのに」
「来るなと、言われていて……とはいえ、僕はパトロンだ。連絡が取れないなら、確認する権利ぐらいはある。工房だって、僕が提供したのだし……でも……」
「なぜ、見に行かないのですか??」
「……踏ん切りがつかないというか。もし、何かの事件だったら大変でしょう。僕だってバカじゃない。魔術の絡む事件に巻き込まれるのが、どれだけ大変なことかぐらい、わかります」
わかってないから、星の鷹を起こしたり、得体の知れないクリエイターを支援しているのだろうに。しかし、アイシャはそれを言わなかった。高田を説教しても自分に得がないからだ。
まあ、ようするに。何か面倒くさそうだし、怖いから見に行くふんぎりがつかない、ということなのだろう。
「――高田さん。そのクリエイターはもう諦めなさい。そんな不義理な人、これ以上関わっても損するだけ。もう、縁を切る覚悟をした方がよいでしょう」
アイシャがきっぱりと言うが、高田の返事は、まだはっきりとしなかった。
「それは、まあ……それでいいんですが……でも、あの土地も建物も僕のものだし、結構な資金提供もしてるし、放っておくわけにも……」
「じゃあ、嫌われる覚悟で工房に行くのはいいのね? それだけ答えて。いいのね?」
アイシャが身を乗り出し、高田に迫る。
「え? あ、まあ……うん。そうだね。それはもう、しょうがないかな」
アイシャの勢いに押されて、高田は思わず了承してしまう。
その瞬間から、アイシャは態度を豹変させた。
「よし、決まり! この件は、たった今から高宮が引き取るわ! A! あいつらに連絡しなさい! すぐに車回して回収したら、工房に直行するわよ!」
「かしこまりました」
Aが後部座席と運転席の間を、防音ガラスで仕切る。そして、インカムをつけて、どこかへ電話を始めた。だらだらと走らせていた車は、明確に目的地へと向かい出した。
「え? 高宮さん? え? あれ?」
高田は、態度の急変したアイシャと、この状況について行けず、きょとんとしている。
「あの……え? これから、工房に行くんですか?」
「そうよ。ただまあ、あんたの言うとおり、何かあるといけないからね。援軍を拾ってから向かうことにするわ。もうちょっと付き合いなさい」
「は、はぁ……」
「大丈夫よ。あんたの胸に突っかかってる問題は、今晩解決してあげる。その代わり、私達は工房にいって、そのクリエイターに会わせてもらう――いればだけどね。なんかあっても、今日だけはあんたのことを守ってあげるから、黙って言うこと聞きなさい」
「わ、わかりました……?」
高田は首をかしげて、ごにょごにょ言っている。アイシャはその姿を見ると、チッと大きく舌打ちをした。
「バカのくせに悩んでんじゃないわよ。酒でも飲んで、テンション上げておきなさいよ」
「あ、いや……酒はもう……」
高田が、ちびちびと水を飲んでいると、車が静かに停車した。
そして、リムジンのドアが両側から空き、一人ずつ乗り込んできた。
「や、久しぶり」
「……どうも」
直巳と伊武だった。高田が逃げられないよう、両側から挟んで座る。伊武は布で巻いた大きな棒状の何かを、無理矢理車の中に持ち込んでいた。ちなみに、Bは伊武が助手席に放り込んである。
乗り込んできたのが、直巳と伊武だとわかった瞬間、高田が絶叫に近い叫び声をあげる。
「あああああああ!! き、君達はぁぁぁぁ!?」
「うるさい!」
アイシャが高田の頭を、スパンと引っぱたく。それでも、高田は騒ぎ続けた。
「だって! え!? なんで!? 僕、この人達にボコられたんだよ!?」
「だから! それを今から説明するから! 少し黙りなさいよ!」
ギャーギャーと喚く高田を、アイシャが怒鳴りつけた。
「説明!? ああ、いいよ! してもらおうか!」
高田はキレたのか開き直ったのか、腕組みをしてアイシャを真っ直ぐに見据えた。
「この二人はね。最初っからあたしの仲間なの。星の鷹を潰した時もね。だから、なんていうかな……えーっと、平たく言うと……ま、あんたを騙してたわけよ」
「平たすぎるよ! ひどいよ!」
「だから、うるっさいわよ! いいから、黙って酒でも飲んでなさいよ! まれー! 飲ませてやって!」
伊武が高田の口に瓶を突っ込んで、瓶を回し始めた。当然、高田がそれを飲みきれるわけもなく、口からブランデーを噴き、それがアイシャにかかった。アイシャは怒って、高田の頭に水をかけたりビンタしたりと、しばらく大騒ぎだった。
車内が酒や水や色んなもので汚れて、ようやく高田は落ち着いた。
「ま、まあ、わかったよ……とにかく、君達が強いのは知ってる。協力してくれるなら、心強い。そういう風に切り替えたよ。うん、大丈夫」
ようやく、車内に落ち着きが戻る。高田も落ち着いて、まともに話せるようになっているのを見ると、伊武が決心したように口を開いた。
「……高田……ちょっと……見て欲しい……ものが……ある」
「ん? なんだい?」
伊武は、車に持ち込んでいた大きな棒状のものを掴むと、巻いてある布をほどいた。布をすべて取り去ると、白く美しい刀身が姿をあらわす。
伊武は、それを高田に見せながら、たずねた。
「これ……何か……わかる?」
高田は考えることもなく、ただ不思議そうな表情で伊武の質問に答えた。
「――アルケーじゃないか。マルジェラに渡したと聞いたけど、どうして君達が?」
全員が反応する。だが、最後の確認のために、アイシャが高田にたずねた。
「高田。あなたと仲の良いクリエイターの名前――Hgでいいのよね?」
アイシャが聞くと、高田は驚いた表情をした後、はっきりと返事をした。
「そうだよ、Hgだ。なんだ、知ってたんじゃないか」
ああ――ようやく辿り着いた。
やはり、偶然ではなかったのだ。
何もかもが繋がっていたのだ――高田も、Hgも。そして、マルジェラも。
高田は観念したように、知っていることを話し始めた。
高田がAにHgの工房の場所を教える。ナビによると、一時間以上かかるらしい。
その間に、直巳達は高田に知っていることを喋らせた。
マルジェラについて。
「僕が、椿と伊武にやられた後の話だ。はぐれた部下を回収している途中で、倒れているマルジェラを見つけた。彼女は、ひどい魔力暴走を起こしていてね。放っておくわけにもいかないから、連れて帰ってHgに見せたんだ。Hgは治療すると言って、工房に連れて帰った。それから先、どうなったかは聞いてなかったけど。そうか、アルケーを渡したのか。そして、君達に敗れて、奪われたと。君達、本当に強いんだね」
アルケーについて。
「盾とセットなんだろう? 開発中のものを見せてもらったよ。僕も欲しいと言ったけど、断られた。結局は武器だから、元から強い人間じゃないと意味がないって。ひどいよね」
天木について
「魔術商を通じて紹介されたんだ。面白い男がいるって。それから何度か会って、いくつかの魔術具を買ったよ。お守りみたいなものさ。バカげた内容のね。猫と良く出会うとか、女性を誘うのに成功するとか、バカみたいな内容だけど、不思議と効果はある。面白いだろう? ああんな面白い護符を扱っているのは、天木だけさ。値段は高いけどね」
Hgについて。
「女性だよ。二十代後半かな。地味で大人しい女性だ。人目を引くような容姿ではなかったよ。特徴は、そうだな。とにかく神経質だ。僕と契約をする時に、色々と約束をさせられてね。空き物件と資金を渡して、好きなようにしろと工房を作らせたのはいいんだが、僕も入ったことはない。鍵も持っていないよ。勝手に入るな、来るなと念を押されたからね。それでも、頼めば色々なものを持ってきて見せてくれたよ。僕はそれだけで楽しかった」
直巳達は、高田から話を聞き終えた。まさか、高田がマルジェラを拾って、Hgに引き渡していたとは思わなかった。高田の気まぐれなのかもしれないが、それがなければ、Hgに辿り着くことはなかったのだから、縁というのは不思議なものだ。
伊武はHgについていくつか質問をしたが、新たに特別な情報は得られなかった。
それでも、Hgという名前で、性別と年齢が一致しているのだ。間違いないだろう。伊武は高田との話を終えると、目を閉じて黙り込んだ。
車はまだ、走っている。到着の予定時刻までは、まだ時間がある。
直巳も黙って時間を過ごそうかと考えていたが、高田に話しかけられた。
「ねえ、椿。僕もこれだけ話したんだから、君達の話も聞かせて欲しいんだけど。とりあえず、どうしてHgを探しているの?」
「……話せないことが多いから」
「話せることだけでいいよ。さすがに、何にも知らないってのは気持ち悪いよ」
まあ、巻き込んだのはこちらだ。さすがに、悪魔達や、伊武の人造天使については話せないが、自分のことなら少しぐらいいいだろう。もし、やばかったら目の前のアイシャが止めるだろうし。
「俺と姉さんが、天使降臨にあってさ。姉さんが俺をかばって、天使の奇跡を受けちゃったんだ。それで、下半身が石膏になっちゃって。それを助けるために、色々とやってるんだよ。Hgなら、それを治せるかもしれないって聞いて、探してたってわけ」
「……姉さん? 君は、姉さんを助けるために戦っているのかい?」
「ああ、そうだよ」
「自分をかばって、石膏になった姉さんを助けるために……あ、危ない思いをして、魔術の世界に足を踏み入れて……た、戦っていると?」
「だから、そうだって言って――」
「う……うう……そ、そうだったのか……き、君は……」
高田が号泣し始めた。酒のせいもあるのだろう。
アイシャがドン引きしていた。
「そ、その君を助けるために……伊武さんや高宮さんは……君に協力を……? なんて美しい話なんだ……ただの暴力魔術師かと思っていたら……泣かせるじゃないか!」
高田の脳内では、勝手なストーリーが繰り広げられているようだった。
別に高田が勘違いしていても特に害はないので、誰も何も言わない。
「――よし! 決めた! 僕も力を貸そう! 今から僕も、椿ファミリーだ!」
「い・ら・な・い」
その提案だけは、アイシャがきっぱりと断った。




