第九章
夜になり、全員で取った夕食が終わる。今日はつばめの希望で、カレーだった。どうもテレビで有名店の特集をしていて、無性に食べたくなったらしい。ちなみに、つばめは辛いものが苦手なので、椿家では途中で味付けを変えるために鍋をわける。直巳は普通に辛いカレーが好きだからだ。つばめのカレーは甘すぎて、直巳にとってはカレーとは別の食べ物だった。
伊武やアイシャが、どちらを食べてもいいように、きっちり半分ずつ作った。
結果、Aは他の人が食べられないぐらいに辛くし、Bはさらに甘く。アイシャは、この後、天木と会うのに匂いがすると嫌だからとカレーそのものを拒否。直巳は仕方なく、アイシャの分はポトフに変更した。台所が鍋だらけになる。
カレーは一鍋作れば終わりの楽な料理ではなかったか? どうしてこう、この人達は協調性がないのだろうと、大量に並んだ鍋を見ながら、直巳は溜め息をついた。ちなみに、伊武は全種類の余った分を残さず食べた。食べられれば何でもいいらしい。作る側としては、非常に助かる存在だ。
ほぼ全員が違うメニューの夕食が終わり、直巳は後片付けをする。
コーヒーを煎れてリビングに戻ると、時刻は20時半だった。伊武とつばめは、直巳の向かいに座り、談笑しながらコーヒーを飲んでいる。アイシャは仰向けになったBのお腹を枕にして床に寝っ転がっていた。どうやら、Bをオットマンやクッションなど、多機能家具として使う道を見つけたようだった。
「アイシャ。もう、結構遅い時間だけど。天木との約束はいいの?」
直巳がたずねると、アイシャは不機嫌そうな声を出しながら、ごろりと転がって顔を直巳の方に向ける。腹の上で転がられたBが、ちょっと変な声を出した。
「天木ぃ? あいつとの約束時間、23時よ、23時。なめてるでしょ、あいつ」
アイシャはイライラしながら起き上がると、直巳の隣りに座った。
「直巳、あたしにもコーヒー」
「ああ、わかった。紅茶じゃなくてコーヒーなんて、珍しいね」
「直巳が紅茶煎れるの下手だからよ」
「はい……すいません」
直巳が席を立ち、コーヒーをいれるために台所へ向かう。アイシャから解放されたBは、つばめの膝の上に乗り、つばめのコーヒーを飲みたがっている。「苦いわよ?」という、つばめの言葉も無視してコーヒーを口に煎れたBは、無表情のまま、ブバッとコーヒーを霧状に吹き出した。その一部が、隣りにいた伊武にかかる。
「ま、希衣ちゃん! ごめんね!? Bちゃんも悪気があったわけじゃ……」
つばめが慌てて、伊武についたコーヒーを布巾で拭き取る。
「い、いえ……大丈夫……ですから……」
伊武はすっかり恐縮してしまい、顔を赤くして、つばめにされるがままになっていた。
一通り吹き終わると、Bがまた、つばめのコーヒーカップに手を伸ばす。Bには学習能力というものが無い。
つばめがBの手をそっと押さえた。
「Bちゃん、もっと甘くすれば飲めるんじゃないかしら?」
「……お?」
つばめは自分のコーヒーに、たっぷりの砂糖を入れてかき回した後、コーヒーよりも多い量の牛乳を注いだ。これなら味もかなりマイルドになっているし、牛乳によって温度も下がっているので安全だろう。
「はい、どうぞ。まだ、苦いかもしれないから。ちょっとずつよ?」
つばめは、作ったコーヒー牛乳をBに持たせる。
「……おお」
Bは先ほどと違う飲み物になったのだと匂いで察知し、カップに口をつけて、一気に流し込んだ。
「――ブフッ」
Bは口いっぱいに含んだコーヒー牛乳を、先ほどのように、ブバッという音と共に、口から吹き出した。今度はきっちりと伊武の方を向いていたので、全て伊武にかかっている。
「うははははは! うはっ! うげっ!」
コーヒー牛乳まみれの伊武を見て、アイシャがむせる程に爆笑する。
「ご、ごめんね希衣ちゃん! Bちゃん、まだ苦かったの?」
つばめが慌てながら、再び伊武の体を拭き始めるが、もう布巾で拭けばいいというレベルではない。Bは何を考えたのか、何も考えていないのか、口いっぱいにコーヒー牛乳を含み、それをすべて伊武に向かって吹き出したのだ。
「な、なんで……なんでコーヒー飲んだのよあんた……コ、コーヒーなんか、い、一滴も飲めないじゃない……うはははは!」
アイシャは笑いが止まらず、椅子から転げ落ちそうになっている。
「……なに? アイシャ爆笑してるけど、何があったの?」
アイシャのコーヒーを持ってきた直巳が、伊武の惨状を見て眉をひそめる。
顔の汚れたB、何かすごい汚れてる伊武と、それを拭くつばめ。笑い転げるアイシャ。
「……Bがコーヒーでも吹いた?」
まあ、想像すればそうなる。つばめが、伊武を拭きながら直巳に返事をした。
「そ、そうなのよ。Bちゃん、コーヒー苦手みたいで。でも、みんな飲んでるから、Bちゃんも飲んでみたかったんだよね?」
つばめが言うと、Bがこくこくとうなずく。多分、理解せずに適当にうなずいている。
伊武は、何事もなかったかのようにコーヒーをすすっている。異常に汚れているのに、本人が冷静というのはシュールだった。
「えっと……Bは牛乳にしとこうよ。カップ持ってくるから」
直巳が台所から、プラスチックのカップを持ってきて、牛乳を注いだ。
「ほら、B。いつもどおり、牛乳しときなよ」
「……ぎゅうにゅう」
「そうね。牛乳にしましょう。コーヒーだと、夜、眠れなくなっちゃうしね」
伊武を吹き終わったつばめが、優しく言って、Bにカップを持たせる。
Bは喜んでカップに口をつけると、また一気に牛乳を流し込んだ。
「――オブッ!」
Bは口いっぱいの牛乳を伊武に噴射した。
「うはははははは! コーヒー関係ないじゃん! ぎゅ、牛乳吹いただけじゃん! も、もう直接牛乳かけちゃえばいいのに! そっちの方が早いのに! B、あ、あんたただの牛乳発射装置じゃん! うははははゲホゲホッ!」
アイシャがむせながら椅子から転げ落ち、それでも涙を流しながら爆笑していた。
伊武は、前髪から牛乳を滴らせながら、大きく溜め息をついた。
伊武はシャワーを浴びて牛乳を流した後、湯船に入る。
伊武は、なぜか謝り続けるつばめの手前、Bをボコることはできなかった。
もう、拭いてどうこうできるレベルではないので、風呂に入るしかなかった。
湯船につかっていると、浴室のドアが開けられて、Aが牛乳臭いBを放り込んできた。
「これ、乾いて変な匂いするから洗っておいてください」
牛乳で汚れたメイド服を着たままのBが、べちゃん、と腹から床に落ちる。
「……まれー?」
Bは、「あれ? 何やってるの?」とばかりに、湯船に入ろうとしてきた。
「……はぁ」
伊武は大きく溜め息をついて、そのまま湯船に入ろうとするBの頭を片手で押さえつけた。
そのまま、牛乳臭いBを抱えて、服ごとシャワーを浴びせて雑に洗った。
段々、Bの洗い方が手慣れてきている気がする。
「……ぎゅうにゅう」
「……触るな」
Bが伊武の胸をわしづかみにしてきたので、襟首を掴んで湯船に放り込んだ。
Bは、服が重たいのか、そのまま上がってこなかった。
伊武が風呂から出る時に引き上げると、失神すらしていなかった。さすが悪魔だ。
風呂から上がった伊武は、このままBを乾燥機に放り込んでやろうかと思った。多分というか、確実にBは無傷で出てくるだろう。だが、つばめが見たら失神してしまうだろうから、やめておいた。一応、見た目は小さな子供だし、つばめも可愛がっているからだ。
伊武はびしょびしょのBの襟首を掴むと、目の高さまで持ち上げた。
「……お?」
伊武は、Bの顔をじっと見つめた。表情から知性が感じ取れないというか、常に表情が死んでいるので、あまりそういうイメージはないが、顔の作りだけでいえば人間離れした可愛さの少女だ。どうやって作ったのだろうと、生命の神秘を考えてしまうぐらいの造形。悪魔に生命の神秘が適用されるのかは知らない。
Bも、ぼーっと伊武の顔を見つめ返す。そのうち、何がきっかけなのか、Bの頭から、猫耳がピコンと飛び出した。よくわからないが、たまに出る。
伊武が猫耳をなでつけると、髪に溶け込むように消えていった。
「……小さくて……可愛い……か」
伊武はメイド服を脱がすと、バスタオルで全身を拭いてやった。昔、自分がHgにしてもらった時のように。
Bは気持ち良さそうに目をつむっており、その姿を見た伊武は苦笑しながら、しょうがないな、というように溜め息をついた。




