消えた町
ふうっと深く息を吐いて、喜助が柴一を見た。
「着いたよ」
喜助の言葉に、柴一は強く握りしめていた喜助の着物を恐々と放して周りを見渡してみる。
「着いたって。何にもないじゃねえかよ」
構えていたのか、拍子抜けしたような表情を浮かべて、柴一は喜助を見上げた。
「あったんだよ、町が。もう、三三〇年以上前に閉鎖されたけどね」
見える景色と言えば、草原に崩れ果てた煉瓦が幾つか見える程度で、理解し難そうに柴一がもう一度周りを見渡してみている。
「三三〇年って」
「まだ、お父さんが人だった頃だったんだ。原因不明の病が、たった一日で町を閉鎖に追い込んでしまったのは。八割近くが、あっというまに死んでいった。それと、たった一人だけ、病の原因を知ってしまった人が殺された」
喜助の言葉に、柴一が言葉なく見上げた。
喜助は当時の記憶を思い返しながら、今の景色と当時の景色を重ねてみる。人の身長の何倍もある煉瓦塀に囲まれた町。国境に近かったことから貿易が盛んで、活気があった。
「殺された人はね、俺の義理の兄にあたる人。本当なら、次期国王になる筈だった人だよ」
町の中心地にあった噴水の前で、柔らかい笑みを浮かべて義理の兄が喜助を見詰めている記憶。柴一は、じっと喜助を見ながら言葉に耳を傾け続けている。
「ここはね、篠木という町があったんだ。俺は篠木で一番と言われた薬屋惣一の長男でね、姉が一人いた。一五歳の時に隣町の薬屋に下宿するまで、ずっとここで過ごしたんだよ」
するりと、柴一の背から喜助の手が離れた。ゆっくりとした歩調で歩きだした喜助に、柴一は歩調を合わせて左隣を歩きだす。
重なった景色の中で、義理の兄の隣には楽し気に笑う姉と、大きく手を振って出迎えてくれる父。父の隣でうれしそうな表情をしている母の姿が映し出されている。
「一八歳の時、原因不明の病がこの町を襲って、母親を失った。その頃の姉はこの国、柳の王宮を護る護衛隊の副隊長でね、任務として義兄の護衛をしていたんだ。二人共お互いに好きになって、夫婦になって。俺はね、知らせを聞いて、嬉しくてね。二人を祝いたかったから、隣町から戻って来たんだ」
草の間に突き出した煉瓦を避けながら、喜助は歩いて行く。柴一は、隣で喜助の顔を見上げながら歩いた。
「でも、町に着いてからの雰囲気が異常に思えて、慌てて実家に戻ったら母だけがいて。眠っていた。どうしてだか分からないけど、町に居たら拙いと思ってね。町の外、この国の町は壁で囲われていて、町の外に出れば何とかなると思ったんだ」
懐かしい景色は一変して、篠木の町では一度もかかったことのない濃い霧に覆われた景色が現れる。
「町の外に出たけど、母は眠ったまま一度も目を覚まさないで亡くなったよ。父と姉夫婦は、妖霊山の主の家族三人と一緒に前日から薬草を採りに森に入っていて、病には侵されずに済んだ。代わりに戻ってから町の状況を知った義兄さんは、町を調べると言って入って誰かに殺されて、妖霊山の主の子のお守りをしながら、町の周辺を歩いていた俺を探しに行った姉は、何者かに連れ去られて行方不明になって」
喜助の中で映し出していた景色で笑っていた家族の姿は、寂し気な表情をした父以外、消えてしまった。柴一の右手が喜助の袖を掴もうかと迷うような仕草を見せている。
「姉が心配しなくても良いくらい、強くなりたいと思ったよ。姉がいなくなったのは、俺のせいだからね」
姉の幸せを奪ってしまった。喜助の中で罪悪感だけが今も残されている。ゆっくりと歩いている喜助の袖を柴一は、迷わせていた右手で掴んだ。
「何、心配してくれてるの。大丈夫、昔の話だから」
喜助の表情が、何時になく柔らかい笑みを浮かべている。無言で頷いて、柴一は話しだすのを待つように喜助を見上げていた。
「町が閉鎖されて、町一番の薬屋の父は王宮の薬師長になって、俺は姉の後を継ぐと決心して護衛隊に入隊したんだ。一〇年かけて、護衛隊副隊長になって、二〇年して護衛隊隊長になった。でも、姉は幾ら探しても行方不明のまま。姉を探し出すことすら出来ないまま、人として過ごしてしまった」
強い風が吹いた。前方に気配を感じつつも、目を瞑らずに、喜助は目を瞑った柴一がそっと目を開きながら喜助を見上げたのを確認する。確認してから視線を前にいる、外套を纏った青年を見た。風になびいていた髪が陽に透けて青く見え、陽に当たらない髪は青に黒みを帯びている。柴一が青年を見ると、髪の色に惹かれたのか不思議そうな表情を浮かべていた。




