第6話 廃都の残光と泥の中の希望
ドレミアの街を後にした三姉妹を乗せた馬車は、王国の舗装された街道を外れ、東へと進路を取っていた。
二頭立ての頑丈な馬車は、財相ボルマンから「前払い」として与えられた特権の一つだ。荷台には、金貨二千枚の一部を換金した当面の食料と資材、そして最新の魔導触媒が詰め込まれている。
車輪が跳ねるたびに、フィオナが膝の上に置いた大剣が小刻みに震える。彼女は窓の外、次第に荒廃していく景色を眺めていた。
「ねえ、ルナ姉。本当にあそこに行くの? ギルドの連中も言ってたじゃない。『アイゼンは呪われている』って。かつての大震災で魔力が暴走して、今は浮浪者と魔物の掃き溜めだって」
「だからこそ、誰も手を出さないのよ、フィオナ」
ルナは揺れる車内で、ボルマンから譲り受けた古い領地台帳を広げていた。
「王都の貴族たちは、利益の出ない土地には興味がない。彼らにとってアイゼンは、地図から消し忘れた染みのようなもの。けれど、台帳によればアイゼンはかつて、王国最大の魔石産出量を誇っていた。深層の魔力ラインは、今も眠っているはずだわ」
三日間の旅路。標高が上がるにつれ、周囲の空気は重く、淀んだものへと変わっていった。かつて「鉄と宝石の都」と称えられたアイゼンへ至る道は、今や背の高い雑草に覆われ、石畳の隙間からは毒々しい色の蔦が這い出している。
やがて、霧の向こうにその姿が現れた。
崩落した巨大な外壁、半分から折れた時計塔、そして何層にも重なるように建てられた石造りの建物群。それらは夕闇の中で、巨大な怪物の死骸のように沈黙していた。
廃都、アイゼン。
かつての栄華を象徴する壮麗な建築様式は、今や崩れ落ちた瓦礫となり、街全体を死の気配が支配している。
「……酷い。カルナ村の方が、まだ生きてる感じがする」
ミリアが馬車の窓から身を乗り出し、鼻を窄めた。
「死の匂いじゃないよ、ルナ姉。これは……絶望の匂いだ」
馬車が街の入り口、かつての徴税所であったと思われる広場に差し掛かった時だった。
瓦礫の影から、ぼろきれのような服を纏った人影が次々と現れた。その数は十、二十……。皆、手に錆びた鎌や鍬、あるいはただの石を握りしめている。
彼らの瞳には、かつてドレミアで見かけた人々のような「欲望」すらなかった。あるのは、侵入者を拒む、泥のように濁った敵意だけだ。
「止まれ、余所者! ここにはお前たちが奪えるものなど何もない!」
一人の筋骨逞しい、しかし片腕を失った男が前に出た。
フィオナが反射的に立ち上がり、剣の柄に手をかける。
「ルナ姉、下がって。……こいつら、やる気だよ」
「待ちまさい、フィオナ」
ルナは静かに馬車の扉を開け、地面へと降り立った。
高価な絹のドレスの裾が泥に汚れるのも厭わず、彼女は男の前に歩み寄る。
「私たちは奪いに来たのではありません。この街を、再び『王国の宝冠』に戻すために来ました」
男は鼻で笑った。
「王国の宝冠だと? 笑わせるな。王都の連中が俺たちを捨ててから、もう十年だ。震災で地下が崩れ、毒素が溢れ出した時、奴らは何をした? 門を閉ざし、俺たちをこの毒の中に閉じ込めたんだ! 今さら若い女が一人で来て、何が変わる!」
「変わります。私が来たからです」
ルナの声は、騒がしい群衆の声を一瞬で鎮めるほど、凛として響いた。
「私の名はルナ・カーヴィル。財相ボルマン伯爵の代理人であり、この地の『暫定統治権』を買い取った者です。私は、貴方たちを救うつもりはありません。ですが、貴方たちの絶望を『力』に変える方法は知っています」
ルナは懐から、一粒の純度の高い魔石を取り出した。
彼女が指先で微かな魔力を通すと、魔石は柔らかな青い光を放ち始めた。その光は、周囲に漂っていた淀んだ毒霧を、わずかに押し返していく。
「この街の地下で眠っているのは、災厄だけではありません。かつての鉱脈、そして制御を失っただけで、本質的には純粋な魔力の源流……。私たちがここを掃き清めれば、ここは再び、王国で最も豊かな場所になる」
「言うだけならタダだ。だが、今夜食べるパンはどうする! 明日の朝、凍え死なないための薪はどうする!」
「そこに、私の馬車があります」
ルナは後ろを指差した。
「中には、一ヶ月分の食料と、最新の魔導ヒーターが入っています。これを、今日から私の指示に従う者に分配します。……条件は一つ。この広場を、今日中に片付けること。瓦礫をどかし、道を拓く。それが、皆さんの最初の仕事です」
人々は顔を見合わせた。疑念と、抗いがたい期待が、彼らの間で激しく揺れ動く。
一人の少年が、震える足取りで前に出た。
「……本当に、パン……くれるの?」
ルナは優しく微笑み、ミリアから受け取った白いパンの塊を少年に手渡した。
「ええ、約束よ。私の辞書に、不履行という言葉はないわ」
少年がパンに齧り付くのを見て、堰を切ったように人々が動き始めた。
片腕の男は、しばらくルナを睨みつけていたが、やがて重い腰を上げた。
「……フン。一ヶ月だけ、信じてやる。もし嘘だったら、その綺麗な首を撥ねて、残りのパンを奪わせてもらうからな。俺はガルス。かつての鉱山守だ」
作業が始まった。
フィオナは大剣を使い、人の手では動かせない巨石を次々と粉砕していく。ミリアは弓の技術を活かし、周囲の廃屋に潜んでいた小型の魔物を掃討していく。
そしてルナは、崩れかけた噴水の縁に座り、街の地図を広げた。
「ルナ姉、本当に大変なことになっちゃったね」
ミリアが汗を拭きながら隣に座る。
「大変なのは、これからよ。ミリア。……ガルスが言った『毒素』。あれは単なる震災の影響ではないわ。地下の魔力ラインに、誰かが意図的に『歪み』を加えている」
ルナの目は、夕闇に沈むアイゼンの中央、巨大な大聖堂の廃墟を見据えていた。
「この街を再生させるには、まず地下に巣食う『汚れ』を浄化しなければならない。それは、魔物との戦いよりも、もっと精神を削る戦いになるでしょうね」
廃都アイゼンの夜は深い。
だが、その瓦礫の隙間から、わずかな焚き火の煙が立ち上っていた。
三姉妹が灯したその小さな火は、やがて王国を焼き尽くし、新たな時代を照らす「覇道の焔」の始まりであった。
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