偽銀貨事件(5)
【side:ダン・オーガス】
誰も声を上げねぇ。
それはそうだろう。俺ですらまずいことが起こっていると分かる。フィンもカナタもイシドロも、俺よか頭がいい。頭のいい奴は不安の鉱脈を見つけ出したら、掘り尽くす。不測の事態を失くすといえばそうだが、支えもなく掘れば崩れる。
道は暗い。だから、俺が支える。他の三人よりも一歩前に出る。口も頭も回らねぇ俺はいざ酒場に着いても、できることは少ない。ならここは俺が先導する。
ヴァロワは王に背くつもりだ、そんな噂は嫌でも耳に入ってくる。信じているわけじゃない。けど、一度浮かんだ疑念は消えない。
着こんだ鎧がぶつかる金属音がやけに大きい。フィンの荒い息が混ざる。来る時はなんでもなかった道が遠く感じる。
落ち着けよ、ダン・オーガス。不安を断ち切れなくても、俺は盾で仲間を守れる。
王都の門の守衛騎士に、一度止まれと声を掛けられる。慌てて胸元の騎士章を見せる。守衛の顔を見れば知り合いだった。
「今日は遅かったな、ダン。……どうした?」
「すまねぇ、急ぎだ!」
すると守衛は驚いた表情をしてから「おぉ、珍しいな。行けよ」と俺の背中を叩いた。
「ごめんな、今度飯おごる」
それだけ言うと、返事も待たずに俺はまた走り始めた。
「火事だぞ!」
背後で誰かが守衛にそう叫ぶのが聞こえた。
人の流れがいつもと違う。表情も違う。
酔っ払いが路上で寝てねぇ。日が暮れたばっかりだってのに露店のおっちゃんが急いで店を畳み始めている。子どもを抱えた女が不安げな表情をしている。
足の速度を上げる。裏通りへと進む。
風、熱風。目が乾く。強く瞬きをする。煙の匂いがわずかに鼻を衝く。くそ。わらわらと人が向こうから走ってくる。
俺たちはそこを逆走する形だ。
「悪ぃ!どいてくれ!」
そう言いながら掻き分ける。
大きな音が聞こえる。何かが燃えて崩れる音だ。煙が濃くなっている。
酒場は、燃えていた。
「マジかよ……」
大きな炎が踊っている。燃え落ちた屋根から、人を馬鹿にするようにくねっている。
俺が足を止めると、カナタ、イシドロも足を止めた。
けれど、フィンは足を止めずに、そのまま走った。
左手から魔法陣を放つ。印は風。燃え盛る炎を押し退けて、そのまま強引に入る。
「待てよ!」
追いかけようとするも、フィンが開いた隙間は一瞬で閉じてしまう。燃え盛る炎を前に足がまた止まる。
逡巡。
行けよ、ダン・オーガス。
一歩、足を出して炎を踏みつぶした。
伸びてくる炎を盾で払いながら前へ進む。
ついさっきあんなに盛り上がっていた卓が火を吹いている。安い硝子で出来た酒瓶が床に転がって溶け始めている。見慣れた模様の札が、端から徐々に灰になっている。
「フィン!」
フィンはまっすぐ立っていた。目線は下。俺もその先を見る。
酒場のマスターが倒れていた。切り裂かれてぱっくりと開いた首は、影が落ちて黒く見える。流れた血は乾いて赤黒くなっている。火のせいか、それとも時間が経っているのか。どちらにせよ、もうマスターに息が無いことは分かった。
フィンは無言のまま、鞘から剣を抜いた。そして、虚空を一閃する。切り裂かれた風が、炎を揺らめかせる。
火が爆ぜる音だけが耳に残る。
「フィン……」
ずっとなにかに怒っているのは知っていた。俺には見えないものが見えている。俺もそこに、一緒に立たせてくれよ、フィン。
「……出ましょう、ダン君」
フィンはまた風の魔法陣を放った。しかし、魔法陣に火の粉が飛び込み、砕けた。陣が乱れれば魔法にならねぇ。
俺はフィンの肩を掴んで、盾を前に出す。
「……ありがとうございます」
「気にすんなって」
俺たちが外に出ると、カナタとイシドロが駆け寄ってきた。
「大丈夫か? 火傷とか」
「ああ、俺らは大丈夫だ」
集まった警邏騎士が隣家に燃え移らないように大きな土壁を作って、水の魔法で消火に当たっている。中から飛び出してきたのを見て、一人の警邏騎士が話しかけてくる。
「君! 学院生か? 中に人は?」
「生きている奴はいなかった」
俺の返答に警邏騎士はぐっと口元を閉じ「分かった」とだけ。そして消火活動へと戻っていく。
何か言いたげなイシドロとカナタを察して、フィンが低く言う。
「場所を変えましょう。ここは人目が多いですので」
それから広場へと移動した。火災から逃げた人がまばらにいたが、全員火事に目を向けていた。誰も俺たちを見てはいない。フィンがゆっくりと口を開く。
「酒場のご主人は何者かに殺されていました。首を斬られていたので間違いありません」
カナタが信じられないといった顔で俺を見る。俺は「本当だ。確かに見た」と付け足す。
イシドロが小さく舌打ちした。
「蜥蜴の尻尾切りじゃな」
「……悔しいですが、ここまでかもしれません」
カナタが胸元から一枚の銀貨を取り出す。
「これだけじゃあな……」
酒場の金箱から抜いた一枚。
「俺が盗んだやつだから、あの監察騎士も知らなかったんだろ」
手元に残った唯一の証拠。だけど、それで何かが証明できるとは思えなかった。
「警邏騎士に渡しましょう。もう僕らにはそれしか……」
フィンの言葉をイシドロが遮る。
「いや、カナタ。ワシにそれを渡せ。伯父貴に渡す」
「伯父貴……?」
「失礼ですが、イシドロ君の伯父様は何者でしょうか?」
「ああ、カナタ以外には言っていなかったんじゃな。オルセン家当主、オルター・マルキス・オルセンじゃ」




