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 塊からはえているような、歪な四つん這いだとは思えないほど速く四肢が動く。


 膝はそれぞれ有り得ない方向に突き出ていて、ばらばらに動きながら、ソレは生々しい足音をたてて白いバンを追っていく。


 私は吐き気が込み上げた。


 おぞましさに全身から血の気が引くようだった。


 整備された並木道の空気が重く、交差点から離れても震えと恐怖感が私の中にこびりついて離れなかった。


 バイクは車の通りがない道を急かすように走り続け、遠回りした道を市街地へと向けて突き進む。


 私は自分を落ちつけようと努力ながら、すっかり見えなくなった交差点を頭の中から追い出そうとした。


 それでもまだ、心臓は嫌なふうにどきどきと鳴っている。


 私は勘で道を次々と曲がり、ずんずんとバイクを進めていった。


 いつものドライブコースの終点である市街地に出た頃、ようやくバイクのメーターに視線を降ろすと、時刻は午後の二時を過ぎていた。


 私はどこか安堵しながらも、まだ身体の奥がざわざわと嫌な感じがすることに気付いていた。


(早く家に帰って塩を振りかけてもらうか、立ち寄る店で『島マース』――県内で一般的に販売されており、料理や魔よけに盛ったりする県産の塩――を購入して、つきまとうようなアレの気配を断ちたい)


 そう私は思った。


 だが、糸満市街地の中心を通りかけた時だった。


 私はふっと視界の端に朱色の鳥居を見て、ハッとした。しかし振り返るよりも早く、透明でありながら、薄く白い色を持った巨大なナニモノかの手が前方を覆った。


「うわっ」


 私が悲鳴を上げると同時に、進行し続ける私とバイクは、巨大な白い手の柔らかな感触に包まれ――そして通過していた。


 それは、実に不思議な感覚だった。


 ふんわりと雲に触れたような感触で、心地よい冷たさが身体の芯まで通過し、背中や胸、両手足にあった違和感が一気に残らず拭い去られていった。


(今のは、なんだ?)


 私は、前後の車に挟まれて進行を続けながら、横目で鳥居を振り返った。


 こじんまりとした美しい朱色の鳥居の向こうに、真っ白い広大なアスファルトに建つ荘厳と静まり返る神社があった。


 私、は幼い頃に何度かその社を見たことがあった。


 見ているだけでほっとするような安心感を覚えるその神社を、私は長いことずっと探しながらドライブしていたのである。


       ※※※


 無事に帰宅した翌日、私は那覇市から最短経由を用いてその場所へと向かった。


 ありがとう、そう感謝がしたかったのだ。


 しかし、私は再度その場所を見て愕然とした。色褪せた小さな鳥居の向こうには何もなかったのだ。


 そこは『白銀堂』という看板があり、こじんまりとした場所だった。鳥居の隣にある岩の後ろが御願所になっているばかりで、崖に囲まれている。


 私が見たあの神社は、いったいなんだったのだろう。


 私は敷地内を見渡すと、心の中で深い感謝の気持ちを告げてその場所を後にした。夕刻前には家族で予定が入っていたため、長居はできなかったのだ。



 帰ってあと、私は用事のある妹と母の支度の合間に『白銀堂』について調べてみた。


 白銀堂は、糸満市の中心街にある御願所で、航海安全と豊漁を司る海神が祭られているらしい。そこには有名な教訓があるとか。


『意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け』


 昔、大和の武士からお金を借りた一人の漁師がいたが、すぐに返すことができず、怒った武士に刀を振り上げられた際に、彼はその武士に方言でそう言ったらしい。


 武士は納得できないまま大和へと戻ったが、家に帰ると、自分の妻の隣に一人の男が寝ているのを見た。


 武士は怒り狂い、刀を引き抜こうとする。


 その時、彼はふと漁師のその言葉を思い出す。


『意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け』


 武士はそう自分を落ち着けた。そして、冷静になってその男を見てみると、それは自分の母親だった――という話だ。


 武士の男がいない間、母親は武士になりすまして彼の妻を守っていたのだった。


「もう少しで母親を殺すところだったかもしれない」


 武士は漁師の言葉に感銘と感謝を覚えた。


 武士が大和に戻っている間に、漁師は返すお金をきっちりと揃えていた。しかし武士は沖縄へ行くと、漁師に地元で起こったその出来事を伝え、


「感謝している。だから金はもらっておいてくれ」


 そういって武士は漁師のお金を受け取らない。


「いや、借りたお金はきっちりお返ししなければ」


 漁師もそう主張して受け取らなかった。


 それから、しばらくそのやりとりが続いたあと、二人は海岸沿いにあった岩にそのお金を置くことで合意した。


 話を聞きつけた人々がそこに御堂を立て、平安と村の繁栄を祈ることにしたらしい。


 それが今では『白銀堂』と呼ばれる御願所になっている、とのことだった。



 ざっと調べてみた私だったが、その場所にある話の一つが分かったとはいえ、自分の身に起こったことが分からなくて困惑した。


 この記述だけでは、あの美しい神社が現れたことも、そこから伸びてきた優しい気配に満ちた巨大な手のことも分からない。


 私が分からないモノについて悩み、考えるのは初めてのことだった。


 幼い頃に波の上神社の鳥居の向こうにも見え、また時々も別の鳥居の向こうにも見た同じ巨大な神社のありさまが、私の頭の中から離れたことはなかったのだ。



 悶々としたまま、私は妹と母の用事に付き合うため車の後部座席に乗った。


 車窓から風景をゆっくり眺めることも好きなので、私自身に用事がなくても、当然のようにそうやって付き合うのだ。


 ドライブの癖がついてしまったのは、幼少期に商品を配達する父や母に付き合っていたせいもあるだろう。


 しかし、なんという巡り合わせか。


 母が向かったのは南部だった。私は佐敷から山道へと登って豊見城へ抜ける車の中、内心びくびくとしながら流れる景色を眺めた。


「あっ」


 と私が声を上げたのは、母がずいぶんと車を走らせた頃だ。


 山の中腹を真っ直ぐ進んでいた私たちの軽自動車が、十字路で車を誘導する警察官に一時停められた時である。


 十字路を右に下って降りて行けば、昨日の十字路に出ることを私は知っていた。そして、私の目が釘付けになったのは、私たちがいる信号もない山の十字路から更に左へ入る途中に、高く大きくかけられた青いビニールシートだった。


 山の間を道にしたようで、その道は左右を崖に挟まれてじめじめと影を落としていた。


 右側に掛けられたビニールシートには、数人の警察官が出入りしている。


「大きな事故があったみたいね」

「白いバンだったらしいよ」


 母と妹から聞いたのか、お喋り好きな佐敷の従姉妹に聞いたのかは覚えていない。


 私はそれを見た瞬間、昨日の白いバンであることが分かってしまった。ただ恐ろしくて、俯いていることしかできなかった。


       ※※※


 その一年後、私の抱えていた『白銀堂』に関する疑問が解ける機会があった。


 知っている者には分かるらしいのだが、白銀堂は〝死者が通れない道〟と呼ばれているとのことだった。


 勿論、喪に服している者も白銀堂の前は通ることができないので、その場合は必ず迂回して裏道から通らなければいけない――とか。


 白銀堂の前を、死者は通過してはならない。


 私が恐怖と遭遇したあの日、ちょうどそこに神様がいらしていて、通り抜けようとした死者の気配や意識を絶ってしまったのではないか。


 私が見たあの美しく巨大な神社も、神聖なる場所のものであろうと、物知りな知人は推測と助言を加えた。



 不思議なこともあるものだなあ。


 今思い出しても、生々しいほどに覚えているあの気配にはゾッとするが、あれから数年経ち、ようやくどうにかきちんと語ることが出来るようになった。


 見えないモノに翻弄されるけれど、見えない神様にも人間って見守られているんだと思う。


 まあ難しいことはこれ以上考えるまいと、私はやはり口をつぐんでしまうのである。

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