4 掃除当番
休日、ダイニングでスマホを弄っていると、ドアチャイムの音がした。昼食の用意をしていた母親が台所にあるインターホンに応答する。斜め裏の家のおばさんの声だ。おばさんと言うか、私から見ればお祖母さんくらいの歳の人だけれど。
母親が応対に出たのを、こっそりインターホンのモニター越しに見る。
「ゴミステーションの掃除当番、来週、お願いね」
おばさんがそう言って掃除用具一式(バケツ、ホウキ、チリトリ)を母親に渡しているのがモニターに映っている。
「はい。判りました」
ゴトゴトと大きな音がする。母親が掃除道具を受け取ったのだろう。
「ええ匂いしてるね。今日は生姜焼き?」
おばさんの声が心なしかウキウキしている、ような気がする。
「ご飯は貴方が作ってるん?」
「はい、まぁ」
「家出てたのにお母さんが大変やから戻って来たんやてね。偉いねぇ。家の事、ようして」
これには母親は困ったようで返答は聞こえない。
おばさんは気にしていないのか、そのまま話を続ける。
「お嫁さんになる人は幸せやわ」
人間関係を煩わしがる母親は、以前から共働きをいい事に近所付き合いを最低限度にしかしておらず、友達と呼べるほど仲のいい近所の人は居なかった。病気になったのも、ゴミステーションの掃除や自治会でやってる公園の清掃等を父親が担ったのを不思議に思った近隣の人に聞かれて、漸く近隣に知られたのだ。まぁ、隣のおばあちゃんに知られた途端に、近所中の人が知ることになったのだけれど。
自治会の仕事に母親が復帰した時には母親の見た目はすっかり「兄ちゃん」になっていた。ゴミステーションの掃除をしている母親を見とがめた隣のおばあちゃんに尋問された私が、しばらく居なかったとか、一応うちの家族だとか答えたら、おばあちゃんは引っ越してきた時には喧嘩して家を出ていた長男だという風に納得したらしい。そのまま噂が駆け巡り、母親は酷かった反抗期を終えて帰ってきた孝行息子として近所中に認定されたのだ。
「貴方も働いてるんやろ?ゴミステーションの掃除は誰がするん?」
「自分がします」
その「自分」という言葉に強烈な違和感を感じた。私と喋る時、母親の一人称代名詞は「お母さん」で、父親と喋る時は「私」なのに・・・と、そこまで考えて、久しく父親の前で母親が自分の話をするのを聞いていない事に気がついた。
「お父さんは仕事やし、妹さんは高校やしねぇ・・・お母さん、早う良うなったらええのにね」
それからしばらくほぼ一方的におばさんの話す声が聞こえていたが、母親は何とか話をぶった切ったようで、漸くおばさんは帰って行った。
「来週、ゴミステーションの掃除?」
インターホンで聞いていた事を噯気にも出さずに何気なく言ってみた。
「うん」
気が重そうに母親は返事をする。ゴミの収集車は月曜と木曜の午前中に来るのだけれど、来る時間はどういう訳か気まぐれだ。8時頃に来る事もあればお昼前に来る事もあるらしい。
「午前半日、休み取るか・・・もし早目に来たら時間休で対応出来るかも知れんし」
母親は台所に戻り、おばさんの長い話で少々冷めた作りかけの生姜焼きを再び炒めながら、うーん、と唸っている。
「仕事、大丈夫?」
「まぁ、来週の月・木はお客さんがある日でも現場に行く日でもないから、なんとかなるかな」
「たまにはお父さんに頼んでみたら?」
考えてみれば、父親と母親は同じようにフルタイムで正社員として働いているのだから、ゴミステーションの掃除の度にいつもいつも母親が休みを取る必要は無い筈だ。
「そやなぁ」
母親は気乗りのしなさそうな返事をした。どういう訳か母親は父親に家の用事の為に仕事を休んでくれと頼まない。三者懇談の時もそうだった。見た目を訝しがられて嫌な思いをするのをわかっていながら自分で何とかしてしまった。
「私がお父さんに言うたげる」
そう言ってしまったのは何だかモヤモヤした気分になったからだ。母親はそれに返事をしなかった。
その日の晩、夕食を食べる父親に声をかけた。朝、早く起きる母親はもう寝室に入っている。
「ゴミステーションの掃除当番が回ってきてん。来週やねんけど」
父親はふうん?という表情をしたが無言だ。
「お父さん、掃除、行ける?」
「お母さんは無理やって言うてた?」
父親は平然とご飯を食べているだけで予定を確認する訳でもなかった。私が黙っていると肯定したと思ったのか、ふぅと溜息をついた。
「ばあばに頼んでみるか」
ばあばというのは父親の母親、つまり私の祖母だ。うちの家から歩いて5分程のところに住んでいる。
「お父さんは無理なん?」
「ゴミステーションの掃除で休み貰うんはなぁ・・・お母さんが病気の間は皆んな、気の毒がってくれてたから休めてたけど」
申し訳なさそうに父親は言う。父親が言うには、父親の会社ではそんな理由で男性が仕事を休む事はないらしいのだ。
休むと同僚から何か嫌味でも言われるのだろうか?
もしかすると母親が父親に家の用事で仕事を休んで欲しいと言わない理由は、こんなやり取りをしたくないからかも知れない。
「お母さん、仕事、忙しそうやから。休めん事は無いみたいやけど」
「忙しそう?」
「だって、毎日帰りも凄い遅いし」
父親は驚いたような顔をした。
「残業はせぇへん主義やったと思てたけど」
「お母さんは早く帰りたいねん。でも急いで仕事終わらせたら、次々仕事回されるらしいで」
「まぁ・・・普通、そうやろうけど」
父親は短くそう答えただけだった。
結局、掃除は母親がやったようだ。隣のおばあさんが「あんたのお兄ちゃんは偉い」と褒め讃えるのを散々聞かされたから多分間違いない。




