思いの丈。
なんとなくきもくなった。
後悔はしていない。
俺は母親は非の打ち所のない美人だった。その姿は目を閉じればいつでも網膜の闇に映すことができる。 柔らかな長いさらさらとした金髪、淡青色の透き通ったガラス細工のような瞳、しなやかな雪白の木目細かい肌、どの箇所もぬかりなく手入れされていた。端正な顔立ちに凛とした強い輝きを宿し、一方、見つめる瞳はいつも聖母のような柔らかい光を放って俺を暖かく押し包んでくれていたのを覚えている。
そんな母が10年前、突然、セルスタイン家を捨てて出て行った。
父ばかりでなく、俺にも別れも行き先も告げずどこかへ姿を消した。
理由は後で父に聞かされた。父は交易で知り合った他国の女と浮気してたそうだ。
特に珍しくもないありふれた理由だ。
だが、別れた理由は納得がいくものの、なぜあれほど慈しみ可愛がった息子に何も告げずあっさり捨てていけるのか。当時10歳の俺はショックで毎日毎日泣いて屋敷に引きこもりながら、その答えを最初のうちは必死に考えていた。だが、いくら考えてもその答えはわからなかった。それは成人となった今も同じだ。
母が出て行った7年後、父もこの世を去った。残された俺は祖父に殆どの家業を任せてはいるが、ゆくゆくはセルスタイン家の家業を継ぐ長男である。金も権力もほしいままにできる。母譲りの美貌もある。あの時のどうしようもなく頼りなく無力な俺ではない。今は押しも押されぬ豪商の跡取り様だ。
母がなんだ、たかが、女じゃないか。俺が少し色目を流せば、女は五万と後から列をなして憑いてくる――などと粋がってた時期もあった。しかし、やはり母の存在は大きく、俺は何かしらトラウマのようなものを引きずって生きてきた。それはともすれば、俺の表面に浮かび上がってきた。
俺がジル国立魔術学園に通っていた時の事だ。俺はそこで女と知り合う機会があった。そして、実際に何人かと付き合ったのだ。しかし、何回逢瀬を繰り返しても俺は女にある一定の距離を保っていたし本気になることはなかった。大抵1ヶ月もしないうちにあっさりと別れを俺から切り出す始末だ。
母から受けたトラウマは想像以上に深く、女に対して一種の偏見と恐怖を拭い去ることがいつまでもできなかった。
学園卒業後は俺は屋敷で放逸な生活を送っていた。
といっても女色におぼれることなくただ、友人とどこかへ旅に出たり、町で酒をあおったりする程度だ。実に地味な憂さ晴らしというか。
だが、ある日の事、友人であるトルストンが、港に奴隷商の舟がやってきてるのを教えてくれた。
この時代、奴隷渡世は特に珍しいものではなかった。
俺はその日トルストンに連れられてその舟が横付けする港にやってきた。
そこでセルフィと出会ったのだ。
最初は俺自身、何でこのオークションに参加したのかわからなかった。俺のこれまでの女への接し方を知っている友人もその行動には驚いていた。
しかし、家に連れ帰ってその理由は自ずと分かった。
彼女は舟の長旅で表面的には薄汚れていたが、その奥まった瞳の深くに謎めいた魅力を宿していた。
俺はその光を見た瞬間、妙な郷愁と既視感を覚えていた。
そう、彼女は俺を捨てて家を出て行った母とどこか似ているのだ。
一時俺はマザコンかもと悩んだこともあった。だが、自問自答しているうちにそれは間違いであるとすぐに気づいた。俺は母親にそんな俗なものではなく、ある種崇敬にも似た感情を持っていた。あの母の完成された女の輝きに俺は憧憬と嫉妬が入り混じった名状し難い思いを抱いていたのだ。そう、この世界に伝わる女神シールを信仰するような思いを、母にも、そして同じ輝きを宿すこの喧しく生意気な小娘の瞳にも感じていたのだ。そして、いつの日か、女神シールや母のような、ある種、神々しさを纏う美を備えた女性に彼女を育て上げ、俺がこの男ならと納得できる相手に彼女を嫁がせる。そんな無垢でひたむきな思いから生まれ出た、ある意味男のロマンともいうべき欲望を抱くようになっていた。それからは彼女を表向き召使と使いつつ、いつか母や女神シールのような美を備える立派な淑女に育て上げようと日夜腐心し続けたのだ。