陰陽師の父。
明治以降、陰陽道は「太政官布告」により迷信として扱われ解体された。
それにより、職を追われた陰陽師は占い師に転向したり、神道に帰依し神職の傍ら祈祷師をしたりして難を逃れた者もいるが、どちらもできない場合は廃業するしかなかった。
現在、完全にその筋の人間は消えたかに思われているが、実はそうでもない。
その技術は一族のものに脈々と受け継がれ、表舞台には上がらずとも、
闇の世界で歴然と今も息衝いていたりする。
俺の家系も、その一派ではある。
祖父の時代までは口コミや独自のルートで、こそこそと祈祷を生業としていた時期もあったらしい。
しかし、現在、その祖父も死に、陰陽師の技だけは受け継がれているものの、祈祷や祓いを頼まれたりすることは皆無に等しい。父もかなりの使い手ではあるが、今はしがない中小企業に雇われるサラリーマンであり、陰陽道の技はほぼ私的利用が常であった。
「ただいまぁ」
「…………」
夜遅く、父が帰ってきたようだ。
時刻は23時。残業だろうか。
誰も出迎える気配はない。
もちろん、俺は漫画を読みながら聞こえないふりだ。
弟は既に床に入って寝息を立てていた。
「母ちゃんいまけーったぞ」
一階で空しく響く父の声。
裏返った声から察するに酩酊してるに違いない。
同僚と一杯引っ掛けてきたんだろう。
しばらくして、俺は漫画を読み終えると本を投げ捨てた。
そして、階下の音に耳を欹てる。
玄関から動いた気配はないのだが、一階は静まり返っている。
その場でくず折れて寝ちまったんだろうか。
俺は喉が渇いたので、一階の台所で飲み物を調達しようと考え部屋を出る。
廊下を忍び足で渡り、息を殺して階段を音を立てずに降りていく。
その途中で玄関が視界に入ったが――案の定、廊下に上がりきったところで父は力尽きていた。
壁に背を凭せ掛けて、赤みが残る顔を上にし、鼾をかいて寝ていた。
「父ちゃん、風邪引くよ~……」
俺は本来は優しい男だ。
遅くまで働いてきた父の姿を見てしまっては無碍にもできない。
「おー拓、ありがとよー」
白髪が混じった短めの黒い髪を右手で掻きながら、大口あけて酒臭い息を吐き出す。
動きは緩慢で、充血した瞳は焦点が怪しい。
こりゃまともには動けないな……
俺は深いため息を吐くと、親父を背負った。
「おも……しかも酒くさ……」
「拓わりぃな~」
俺は思わず顔を歪めると、父は甲高い声で謝意を述べながら俺の尻を叩く。
この野郎と憤りながらも、ここは一つ怒りを収める。
父に恩を売るいい機会だ、これをネタに何かねだってやる。
些事な野望を胸に秘め、覚束ない足取りで前へ歩を進めた。
だらりと肩口から垂れた親父の腕が視界を遮るように左右に揺れていた。
鬢から漏れ来る酒臭さと合わさり、俺の不快感は極点に達していた。
だが、夫婦の寝室はこの廊下の一番奥だ。
「よし、もうちょっとだ」
廊下の中間地点まで辿りついて、一息つこうと足を止めた。
その時だった。
後ろで何やら父がもごもご言い出したのは。
「こ、この呪言は……」
気づいた頃には親父は目の前で手印を結び、
何かが放たれてしまう。
「これは……」
目の前には鎧を着た男の式神が立っていた。
俺はその式神の姿を見てすぐに、胸を撫で下ろした。
最強の式神、十二天将ではなかったからだ。
見た目、落ち武者といったところか。
しかし、何か挙動がおかしい。
武者はきょろきょろしながら、何かを探しているみたいだ。
「まさか……」
俺は嫌な予感がして、親父をその場に下ろした。
すぐに印を結び構えたまま、武者の動向を見守る。
この式神を親父は何かに放ったに違いない。
何かを調伏するために現れた式神なんだ。
その証拠に式神は剣を斜に構えている。
ターゲットを探しているんだ。
しばらくして、武者は廊下の右側にある扉にすっと消えていった。