九話:あれに見えるは
「イリス、外歩いてもいいか?」
「いいけど、あんまり無駄遣いはできないわよ?」
「何か買うわけじゃないんだ。ただ町を見たいってだけ」
「ああ、なるほど。ニトはこの世界のことあまりよく知らないんだものね」
イリスはそういうと部屋の戸を開ける。「いいわよ、私が案内するわ」とニトを手招きした。
ニトはその後に続き、部屋を出てその戸を閉める。
いくつかの部屋を通り過ぎ、中央が色剥げしている階段を降り、宿屋の店主に向かい挨拶を済ませる。店主は今度、変わり果てたニトの姿に、先ほど二人が通った時よりも目を見張っていた。
外はまだ日光があたりをきらきらと照らしつけ、人の通りは多かった。
しかし一番街から少し外れた二番街、その中央街道は、一番街のそれと比べると随分と通りやすいものに思えた。
背の高い家屋の立ち並ぶ中、イリスとニトは歩き出した。
ニトが周りを見渡しながらイリスに問いかける。
「二番街っていうのはなにか特徴があるのか?」
「あるわよ。そうね、例えばこの街の人たちはいつも言ってるわ『一番街で騒ぎ立て、二番街で一休み』って。つまり、二番街は宿屋とか、レストランとか、キャバレーとか、居酒屋とか、そういった店が並んでいるのよ」
「居酒屋があるならそこでも騒いでいそうだが・・・」
「ふふ、そうね。確かにそうかもしれないわ。」
「お、あれはなんだ?」
ニトは、ある空き地に出来た人の小さな群がりを指さした。
イリスはそれを遠目に見た後、人差し指を上にぴんと立て説明を始めた。
「あれは人形師ね。かわいいお人形を細い糸を使って動かして、小さな演劇を始めるのよ。すると子供たちが両親をつれて、ああやってやってくるの。でも、ずるいのは演劇のあとね。人形を使って自作のアクセサリーなんかの宣伝をするのよ。子供たちは目をきらきらさせてそれを両親にねだるんだから、全くいい商売よ」
「イリスも詩に何かの宣伝をのせればいいじゃないか」
「それがあなたの理想の吟遊詩人?」
「い、いやそうじゃないが・・・」
「でしょう? 夢がないわ。却下」
イリスは金銭主義ではないらしかった。それはそれで心配にはなるのだが、しかし一文無しが心配してもどうしようもないという事実もある。
「じゃあイリス、あれはなんだ?」ニトは自分たちが歩んでいくと行きつくことになるであろう場所、街道の果てを指さした。
遠目にしか見えないが、そこには大きな門があるようだった。しかし町を囲うような壁も無く、その門だけが寂し気にぽつんと立っているように見えた。
イリスは手を横にして額に当てながら、その場所を見やる。やがてうんうんと頷いたかと思えば、人差し指をぴんと立て自慢げに話した。
「あれはサン・コロネール門。今は近隣諸国との外交のおかげで戦争がないけど、昔はこの街も戦争が絶えなくて、市壁に覆われていたらしいのよ。あれはその時の名残。もともと神聖視されてた門だけあって、壁が壊されるときには国民がこぞって門だけは壊さないように王様に頼み込んだらしいわ」
妙に知識があるなぁとニトはイリスを見つめた。するとイリスは種明かしをするときのような、もたいぶった笑みを浮かべる。
「私が博識なのに驚いたわね? そうよ、何を隠そう私は吟遊詩人ですもの。歌の材料になりそうな伝説や民話は詰め込んでるの」
「それは驚きだ。イリスって結構頑張る方なんだな」
ニトの言葉にイリスは胸を張って鼻を高くする。「えっへん」と言って両手を腰にあてた。
次第に景色が変わってきた。人があまりいなくなってきていた。後ろを振り返ると点々と存在はしている。
そのあたりは居酒屋が多いようだった。まだ昼間だからだろう、居酒屋は物静かとまでは言わないものの、喧騒とはかけ離れた様子だった。
その居酒屋を何気なく見つめていたニトだったが、急に腕が引っ張られ危うく転びそうになる。
腕を引っ張った犯人は言うまでもなくイリスだ。そして当人はニトが転びそうになったことなど露知らず、とある一方向に視線を注いでうっとりとしていた。
「ねえニト、あれが何かわかるかしら」
「えなに、どれ?」
「あれよ。あのお人形よ」
そういわれ、イリスの視線を追った先には、確かにまちがいなくお人形がいた。宿屋の店先に置かれた樽、その上に置かれたビスクドールだ。
ニトはイリスに引っ張られるままにその人形の元まで歩かされる。
「なにかおかしいところでもあるのか? ただの人形じゃないか」
ドールは黒いドレスを身に纏っていた。足から覗けるフリルがひだをたくさんつけながらスカートをふんわりと膨れさせている。
ビスクドールのそばの窓から宿屋の店主であろう人がじっとこちらを見つめていた。イリスは全く気づいていないようだったが。
先程のニトの言葉に、イリスは信じられないといった顔を向けた。
「このお人形を見てなんとも思わないのかしら。かわいそうな人」
「かわいそうとはなんだ。人形を見てそんなに興奮しているほうがかわいそうな人だろう」
イリスは次いでむっとした顔をする。桃色の頬を膨らませ、唇をすぼませる。
どうやら不機嫌にさせてしまったようだった。
しかし、イリスの少女的な表情変化の方がビスクドールよりよほど可愛げがあるような気がした。
なんと面倒なことか、とニトは頭をかいた。
「ああ悪かった。確かに可愛いな。思わず抱きしめたくなるような可愛さだ」
「そうよね。やっとわかってくれたようでうれしいわ。私理解ある人は好きよ?」
そう無邪気な顔で言われてしまう。ニトは恥ずかしくなって眉をひそめた。いっそのこと声を大にして叫びたい。イリスは自分の女の子らしさに気がついていないのだ、異世界で孤独な少年には刺激が強すぎるのだ、と。
これ以上は耐えきれるかどうかわからないので、ニトは本音を隠し冗談めかしてそれを伝えることにした。
「イリス、一応今後も行動を共にするから言っておく。俺に好きとかいうな。ただでさえ人にやさしく接されるのは久しぶりなんだ。そういうことを言われるとコロッと落ちる」
「あら、じゃあもっと言って落としてあげましょうか? 私もらえるものはもらっておく主義なのよ」
予想に反した答えに頬が熱くなるのを感じた。
「ブ、ブチ切れるぞ...」
精一杯のにらみを利かせ、赤くなった顔でイリスに向かう。イリスはそんなニトを見て吹き出した。
「あはは、冗談よ。男女間のあれこれなんて詩の中だけで十分。恋愛は旅から私を遠ざけてしまうもの。『愛しあう二人は全てのしがらみに別れを告げ、二人だけの世界へ――――――――』なんて私には似合わないわ」
ニトはなんだかほっとしたようなもやっとしたような不思議な気分に陥るが、頭を振り振りすぐに思考を切り替えた。
「そうか、なら行くぞ。人形見てるなら俺一人でいくからな」
イリスは肩をひそめた。
「急に冷たいわね。私たちはパートナーなのよ? 一心同体。運命共同体。おいていくなんてナンセンスだわ」
「パートナーでも時には離れ離れになる展開があったほうが燃えるだろ」
「それは確かにそうね・・・って違うわよ! いや、もう違っててもいいわ、センスいいわねあなた! 今度私の戯曲づくりに協力してみる気はない?」
「ああはいはい、わかった。行こう」
そうして吟遊詩人たちは止まり話しある気を繰り返しながらひたすら進んでいった。サン・コロネール門がもはや目の前に来ても気づかなかったほどであった。