十話:種族 1
「これがサン・コロネール門か・・・・・・」ニトのつぶやきが、まるで池に投げた石のように静かに吸い込まれていく。「この国で三番目に有名な場所よ」イリスがつぶやきに返答をよこす。
真下から見上げると、その高さは恐ろしく感じてしまうほどだった。白い外観と大雑把な四角い造りは、単純だが、ゆえに迫力があった。とてつもなく太い支柱を支える、これまた巨大な土台には植物をかたどったのであろう石の装飾と、その中に天使の姿を見ることができた。
「・・・ん? 天使?」
ニトはそこまで見てふと気が付いた。装飾の中の天使は、元の世界で想像するものと似通っていたのだ。年若い美少年が古代ローマ的な、布を巻き付けたような服を纏い、慈愛に満ちた表情で両腕を左右に広げている。
しかしここは異世界だ。元の世界の特徴的な文化が一致することなどないはずだ。
「イリス、あれは天使なのか?」
指をさし問うと、イリスは不思議そうな顔をした。
「そうよ。天使。よく知ってたわね」
「あれ、俺の世界でもよく知られてるんだ・・・」
イリスがびっくりして目を張った。
「ど、どういうこと? あれはこの世界で神聖視されている種族よ・・・?」
「しゅ、種族・・・? どういうことだ? 俺の世界であれは天使といって、神様に仕える存在なんだが・・・」
「ええそうよ。神様に仕えている種族。古くから人間を導いてきた存在よ」
ニトが顎にゆびを添えて考える。
「ちょっと待ってくれイリス。言い方が引っかかる。種族とか導いてきたとか、まるで本当にいるみたいな言い方じゃないか・・・」
恐る恐るニトがイリスを見ると、イリスは「何言ってるのよ・・・」と困惑した目で見つめてきていた。
「いるわよ実際に。私だって何度も話したことがあるわ。特に死霊の森を抜けなきゃいけなかったときは再三にわたって一緒に祈ってもらったり―――――――」
ニトはぶんぶんと首を振った。なんだそれはと頭が警笛を鳴らすのが聞こえる。知らなければよかったと後悔が波になって押し寄せてくる。
「まず天使がいるのに驚いた。しかしまあこれは百歩譲ったら乗り越えられた。だが死霊はだめだ。信じないぞ」ニトは頬がぶるぶると揺れるほど首を振った。「ほかには何もいないんだろうな? 天使だけだぞ俺が信じてもいいのは」
イリスはニトの動揺の仕方に苦笑する。だが質問には真摯に答えた。ニトはそれを見て血の気が引いたが、指を八本立てていた。
「まずは人間。あと天使、あと死霊に悪魔、妖精、竜、人魚・・・あと種として数えていいのかは微妙だけど、魔法使い」
ニトは力なくうなだれる。「なんだそのファンタジーは・・・」彼のささやきは、風に吹かれた砂のように散っていった。
イリスはがっくり下を向くニトの正面に立ち、顔を両手で挟み上を向かせる。
「大丈夫ニト? そんなに怖くないから安心して? 旅には危険がつきものだけど、ニトはきっと生き残れるわ。だって私がついてるんですもの。世界一になることを運命づけられた幸運な吟遊詩人が、ね?」
見つめられ、終いには調子づかれてウインクまでされてしまう。普段ならばドキッとしたであろう場面だが、違う意味で心臓はどくどく脈打っている。
「やだ・・・そんな危険なことしたくない・・・っていうかなんで元の世界でも伝説として語られてる種族なんだ・・・簡単に想像できたぞ・・・恐ろしい、恐ろしい・・・怖い・・・・・・」
「あら、知ってるなら話が早いじゃない。じゃあ洒落にならないほど危険な種族については知ってるかしら。そうね、端的に言えば、死霊と悪魔と竜は会えば間違いなく死ぬ。わかったかしら」
「わっかんないよ」
冗談でも嘘でもないんだろうな、とニトは頬に涙が伝うのを感じた。
突然、イリスが空を眺め始めた。雲が流れゆくのをニトも追って見つめる。やがてイリスは一つ息をつき「人なんてこの雲と同じ。流されて散らされていずれ消え去るのよ」と告げた。
・・・そうか、とニトはそれを聞いてあきらめた。彼女こそがすでにあきらめているとようやく気付いたのだ。しかし依然震える肩は治りそうにもなかった。
「もし、俺が死んだら、墓はうんと立派にしてくれよ・・・?」
「じゃああなたにも同じことを頼むわ・・・『世界一の詩人ここに眠る』って書いてね・・・」
ニトは薄情な空を見つめながら、異世界のことをまた一つ学んだ。『旅をすればどうしようもなく死ぬこともある・・・』と。




