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163. それもまた予兆でした(本編)




「…………漏れなく引き当てやがって」

「ぐる………」



ネアは、リーエンベルクの外客棟にある会議室に入るなり、そう言ったアルテアにおでこをべしんと攻撃された。


その打撃で、心の奥底に仕舞い込んだ抽斗ががこんと揺れたが、ネアはそんな物はありませんという顔をして、悲しく眉を寄せる。

するとなぜか、アルテアは小さく溜め息を吐くと、ネアの口にぎゅもっと美味しいおやつゼリーを押し込んでくれる。



「むぐ。ぜり………」

「ったく………」

「今回は、リーエンベルクの外周とは言え、魔術基盤上ではリーエンベルクの領域にあたる。私でも声をかけただろう場所だ。どちらかと言えば、この土地にある何かの由縁が、あの者を引き寄せたのかもしれない」


エーダリアが部屋に入るなりそう説明してくれたのは、問題の少女と迂闊に関わってしまったネアの方を静かに見た書架妖精がいたからだろう。

ネアは、その青い目で見据えられ、くしゅんと項垂れた。


「やれやれと言えばいいのか、或いはネアちゃんのお手柄になるのかは、封印庫の魔術師達の判断次第だね」

「………あの方は、封印庫に送られてしまうのですか?」


部屋の入口で待っていてくれたディノの腕の中に収納されつつ、ネアがそう問いかけると、割れるような青い目をした書架妖精は、どうだろうねと薄く笑う。


この妖精は魔物達のように優しくはないので、ネアは、己の欲望に忠実になってあの少女とのお喋りを楽しんだ自分を思い、恥じ入りたくなった。



(何かの助けになるだろうかと思い伸ばした手ではないのだ)



ただただ、ネアがあの少女を気に入ってしまったというだけなのである。



「回収したものをどう扱うべきかは、封印庫の魔術師達の見極め次第だろうね。あの連中は、仕事柄、魔術の天秤がどちらに傾くかの見極めに長けているんだよ。念の為にもう一人、鎮めの魔術を扱うが故に検分に長けた茨の魔術師に声をかけておいたから、その見極め如何によっては封印庫での管理となるね」

「………はい」

「だが、その魔術を一概に封印するばかりが良いとも言えないのではないかな。馬車そのものは、今も変わらずにこちらに向かっているのだろう?場合によっては、引き合うものを隠してしまうと魔術が歪む可能性がある」



ディノのその言葉に、ネアは、腕の中でむぐぐっと顔を上げる。

声音は柔らかいがこちらに寄り添う言葉ではなく、あくまでも冷静にあの少女の処遇を考えているに過ぎない。


ディノの認識でそれは、魔術の欠片のようなものなのだろう。

それが本質であるのならば、どれだけ難しくても、ネアもそう考えなければならなかった。



「まぁね。とは言え、意思を持った呪いになる事程危うい事はないだろう。…………あれは、今回の呪いの核なんだからね」

「………やはり、あの方こそが、馬車の中にいた第二席の方の方なのですね」

「おや、ネア様は別の可能性も思案されていたのですか?」

「馬車の中には、どちらが噂に聞く二席の方だろうと悩んでしまうくらいのお歳のお子さんがいた筈なのですが、あの方は随分とお若く見えました。ですので、息子さんがお嬢さんだったりしたのだろうかと少しだけ悩んでしまいました」

「ああ、それは妖精の祝福の影響でしょう。魔術として呪いから剥離されたのであれば、あの姿こそが、彼女を守ろうとした妖精の思う愛し子の姿だったのだと思いますよ」


ヒルドによると、授けられた祝福が解ける頃には、本来の姿に戻る可能性もあるという。

そんな説明を聞きながらネアは、あの少女を愛しんだ妖精の愛情を思い、ついついヒルドと重ねてしまう。



背後から、抑えた声で何かを議論する魔物達の声が聞こえる。

アルテアはノアと情報を共有し、そのままアルビクロムへと向かうようだ。


グレーティアとの間には通信回路を繋いでいないので、ウェルバの動向を確かめたければ、直接会いに行く必要がある。

これから呪いの馬車が到達するアルビクロムへ向かうのだと思えばとても心配だが、馬車が向かう角度から考えると、にゃわなる師匠邸は随分離れているので問題ないだろう。


ウィームにも言える事だが、アルビクロムは、かつて一国であった土地だ。


今回の件で国境域の武器庫周辺を損なうにせよ、それは外周に過ぎず、さすがに王都であった中心部にまでその呪いを受け入れる事はない。

ウィーム領に入る事は間違いないのだとすれば、事前に検証し尽くされたどのルートにも、一緒に物語のあわいで戦った梱包妖精の屋敷はかかっていなかった。



「ではまず、分かっている事と推論を整理しよう」



そう言ったダリルに、ネアは魔物の羽織り物付きではあるがこくりと頷いた。

部屋を出てゆくアルテアの方を見たが、こちらは振り返らずに出かけてしまう。


自分の身勝手さで呪いの一端に触れたかもしれず、その罪悪感からまたほんの少しだけ不安に心がちりりと焦げたが、馬車に接触する訳ではないのだし、そもそも既に接触したようだが何ともなかった筈だとその不安を宥める。



「ネア?」

「…………ごめんなさい、ディノ。私の我が儘で、あの方とお喋りをしてしまいました。それどころか私は、あの方になぜか親しみを感じるのです」

「ノアベルトから聞いたよ。エーダリアもそうであったのならば、この土地やリーエンベルクとの魔術の親和性が高かったのだろう。君がその魔術と交わした言葉も聞いたけれど、今の段階では特に問題はない。けれど、これ以上はいけないよ?」

「………はい。気を付けます」

「うん。…………ごめんね、呪いに触れるかもしれないから、あまり自由にはさせてあげられないんだ」

「いえ。私もその危険を理解しているつもりで、それでも浮足立ってしまったのです」


その理由を説明しようとして、ネアは口を噤んだ。

自分でもよく説明出来ないものであったし、魔術的な影響を受けて動いた感情である可能性が高い。

だがなぜか、その感覚は、砂に埋もれた宝石を見付けたような、ぽわりと心を温かくする優しいものであり続けるのだ。



(…………願わないように、望まないように)



そうして鎮める心の底で、出会いの向こうにいるあの少女の幸福を願えない自分に悔しくなってしまう。

出会えて嬉しかったと、そう言えたならいいのに。


けれどもいつだってネアの選ぶ物は決まっていて、それ以上に余分な荷物は抱えられないのだ。

多分、この腕の中のものを落としてしまったら、ネアはもう、生きてゆけないだろう。

だから、その端っこに傷がつくだけでも許せない我が儘な人間は、あの少女にこれ以上手を貸してあげる事は出来ない。


それが分かっているのになぜ、ネアはあの時、彼女と友達にならなければと思ってしまったのか。

そう考えかけてふと、同じ感慨を得たのが自分だけではなかった事に何か意味があるような気がしたが、それ以上は何も思いつかなかった。



(アンリー・ベル)



ではせめて、ネアとの出会いがあの少女にとって、彼女を守ろうとした妖精の最期の祝福になることを願えないだろうか。


ネアがその幸福や成就を願えずとも、この存在や、渡した結晶石や、ネア達が彼女の素性を知った事が、呪いの進行やその浸食に於いて何らかの抑止力になればいい。

ネアは自分にそう言い聞かせ、少ししょんぼりしている伴侶の椅子になってくれた魔物の腕の中で、くすんと鼻を鳴らす。




「では、私から説明しよう。西門の街路樹の脇に、あの少女が座り込んでいたのだ。具合が悪いのか、或いは何かから隠れているようにも見えたな。ひどく怯えていて、混乱しているのが明らかだった」

「ふうん。リーエンベルクの西門にね。………それが、偶然、うちの馬鹿王子やネアちゃんが野外演奏会に顔を出した帰り道にかい?いささか都合がいい話だね」

「とは言え、私やネアの守護に影響が及ばなかったという事は、現状では災いの類ではないのだろう。私はそのように判断しているが、ノアベルト、何か気付いた事はあっただろうか?」

「そうだね。現段階では、悪いものじゃないと思うよ」



あっさりとそう言ったノアに、ネアはほっとした思いで表情を緩める。


そっと頭を撫でてくれる魔物を見上げると、光が揺れるような水紺色の澄明な瞳が、気遣わし気にこちらを見下ろしていて、そんな魔物に心配をかけるようなものに触れてしまったという罪悪感が疼き、ネアはいっそうに眉を下げてしまった。


「…………へぇ、現段階では、」

「最初にネアが話しかけた時にはまだ、………どこか様子がおかしかったけれど、人間そのものだったんだよね。だから僕は最初は迷い子かなって思ったし、そうではなかったとしても、妖精に悪さでもされて、体から追い出された人間の残滓かなと思っていたんだ。でも、エーダリアも途中で気付いたと思うけれど、あの子も、ネアと話している内に自身の不安定さを認識したんだろうね。本人の認識が進んで曖昧だった魔術が剥がれ落ちたら、奇妙なものが出てきた」

「ああ。………あの状態は、ただ、ただ、奇妙だった。足元がけぶるように魔術に転じているのに、人間としての輪郭はしっかり守護に覆われている。…………あの守護の独特さにどのような物なのかが判別出来ずにいたが、…………光竜の物だったのだな」

「僕も、あまりそっちは見慣れてないから、判断出来るヒルドがいて助かったよ。…………でも、光竜の守護なら、あの形状も納得なんだよね。あの竜は、あるべきものをあるようにと治める魔術に長けた竜だ。その守護が固い外殻になって、あの人間の魂を、望ましくないどこかから切り分けているんだろう。因みに、あれだけの守護を可能とするって事は、守護をかけた竜の契約の子供か、竜の宝なのは間違いないね」

「…………成る程。そりゃ、厄介だね」



ゆっくりと、噛み締めるようにそう呟いたダリルに、ネアは、それが決して良い事ではないのだと漸く気付いた。


出会って親しみを感じてしまった少女だったからこそ、どうにか彼女の心に優しい形で着地しないかと考えてしまう。

なので、守護や祝福と聞けば、その全てが良い物のように思えてしまったのだ。



(でもそれは、あの子が助かった場合の話なのだ…………)



もし、あの少女の身の上に悲しい顛末が待ち受けていたらどうだろう。

その場合、宝を失った竜は狂乱しやすくなる。

ましてやそれは、滅びたとされている光竜、もしくは光竜に近しいものである可能性が高いのだ。


もしそんな事がウィームで起こったなら、どれだけの災厄となるのかは計り知れない。

その竜が正気で荒ぶるのであればまだしも、狂乱した竜は、本来の階位を超えた災いと化すことが多いというのは、クラ・ノイの一件で教えられている。

そうなってくると、ますますアルテアがバーレンに連絡した結果も気になるので、ネアは、慌ててアルテアとのカードをテーブルの上に開いた。



「…………むぐ。まだ何のメッセージもありませんね。葡萄パイを食べ過ぎるなという、その前にいただいた忠告が届いているばかりです」

「ありゃ、そう言えば葡萄パイ買わなかったね。この話の合間にでも、せめて妖精の歌姫のところくらいは聴きに行くといいよ」

「………そんなにのんびりしていてもいいのですか?」

「あの妖精はさ、以前にここで、まだ根を下ろしきっていない呪いを引き剥がして貰ったからって、今回の演奏会でもまた来たんだよね?その歌声に宿る祝福となると、妖精と呪いとの縁続きの、そこからの解放を歌う加護になるんだ。全く別の事案ではあるけれど、同じ要素を持つ因果がそこにあるのなら、触れておいた方がいいからね。…………という訳で、エーダリアもその部分は顔を出した方がいいよ」

「ああ。ではそうしよう」


そのやり取りを静かに聞いていたディノが、ふっと何かを考えこむような様子を見せた。

腕の中でその表情を見上げていたネアに、僅かに首を傾げてから、ディノはすりりっと頬を寄せてくれる。

真珠色の髪が柔らかく光を孕み、そのヴェールの中でネアは、大事な魔物が少しだけ落ち込んだ事に気付いた。


「…………そのような観点から考えると、全てが予兆だったのかもしれないね」

「シル?」

「この子が出会った魔術の欠片は、妖精の最期の祝福を受けていたと話していただろう?」

「うん。証跡を読み解こうにも、あの子自体がもう本来の形じゃないから難しかったけれど、あれは確かに、妖精の祝福だったね」

「その渦の中に入っている時には、一つの大きな災いに見える事象が、後から考えると訪れるべきものの予兆でしかなかったという事がある。例えば、ウィリアムの系譜では、そのような事が多いかな。彼の出現の前兆や予兆は、人間にとって災いになるものも多い。だから人間は、前兆そのものが一段階目の災いだと思ってしまうようだ」

「…………あ、そう言う事か!」


ここでノアが声を上げ、ダリルが低く呻いた。

ネアはまだ理解出来ずに首を傾げてしまったが、エーダリアとヒルドにも思い当たる事があるようだ。


「………むむ?」

「ネア、私が予兆だったのではないかと考えたのは、君がガーウィンで果たしたばかりの仕事なんだ。君は確かに思いがけない形で林檎の聖杯に触れる事になったし、結果として紐解かれた事実も多い。けれど、………もし君自身があの林檎の聖杯との出会いに紐付く運命に落とされていたのだとしたら、………もう少し困った事になったかもしれないとは思わなかったかい?けれども、林檎の聖杯の今後の管理も含め、あの事件は思っていたよりも災いを残さなかっただろう?」

「そう言われてみれば、………ハーティクスの盃については、結局、王様と林檎の妖精さんが解決してしまったようなものでしたね…………」

「あの道具が湛えた愛情の系譜の魔術には、縁や災いに属する資質が含まれている。とても困った道具だったから、あの事件自体が災厄の落とした影のように思えてしまったけれど、実によく今回の問題につながっていると思わないかい?」


そう言われれば、まるでそれは、物語のダイイングメッセージが繋がるようなものであった。

まったく関連しない事案なのだが、一つのメッセージとして捉えた途端に、一本の線がぴんと張り詰めるような気がするのだ。


その奇妙な一本の糸に気付いてしまうと、ネアは、意味も分からずにぞっとしてしまい慌てて背中をディノにぎゅうぎゅうと押し付ける。

ご主人様との接触に弱い魔物は目元を染めてしまったが、幸いにも、弱らずにきりりとしていてくれた。



「………愛情や妖精に纏わる災い、ウィームに繋がるもの。或いは、ウィームを標的としたものというところでしょうか?」

「そうだね。あの一件自体が示唆だったと考えるのが、正しいのだろう。インク瓶の竜の予言が出た段階で、重なりが多い事に気付くべきだった。信仰の庭で行われる事は、得てして予言や託宣の形を成すものだ。そのような意味でも、ずっとどこかに予兆である印は出ていたのだろう」

「…………ああ、そういう事か!私としたことが、すっかりその事象の出現の意図を読み解き損ねちまった。確かに、こうして考えてみると、あの一件は妙な顛末だったよ。狙われていたのはウィームの王族だったっていうのに、こちらはまるで傍観者にされたみたいな気の抜ける幕引きだとは思ったんだ。隠された謎を解いても解いても、舞台に乗れずに爪弾きになるような肩透かし感があったのは、そういう事だったのかい…………」



(…………であればこれからやって来る馬車は、…………とても恐ろしいものになるのだろうか)



少し危うい場面もあったが、確かにあのハーティクスの盃の一件でのネア達が、最終的には観客のような立場で終わったとする。

だがそれでも、あの場所には一つの滅びた国の再興を巡る大きな陰謀があり、災いを齎す恐ろしい妖精の出現や、それを呼び込む白本の魔物の顕現があったのだ。

それだけの事を予兆とするのであれば、これから先に起こる事はどれだけの意味を持つというのか。


そう思い身震いしたネアに、ディノが微笑みかけてくれた。



「…………ネア、怖がらせてしまったけれど、予兆とその後に起きる事件の規模は一致しない事も多い。予兆というのは、あくまでもその系譜の反応として現れる一種の魔術的な印だからね」

「確かその馬車は、………ウィームにやって来るという事だけは確定しているものの、まだそこまで深刻な様子ではないのですよね?」

「育まれている呪いの形としては、異質なものではあるだろう。けれども、予言が成就してしまった事での扱いの難しさはあれ、君をそこまで怖がらせるような物にはならない筈だよ。…………とは言え、人間達にとっては厄介な災いではあるのだけれどね」

「であれば、その予兆とやらは、………あのインク瓶の竜さんの予言のように、怖い物を退ける為の助けになる物なのですか?」

「うん。そのようになる筈だ。もう少し早く気付けていたら、この土地の周辺に触れるかもしれないと予め警戒出来たのだけれどね………」


それは、林檎の妖精が狙ったのがウィーム王家だったからという事に起因するらしい。

その要素を逆に辿れば、今回の事件で、何かや誰かがリーエンベルク周辺に触れる事が予測出来たかもしれないのだ。


だからこそこの魔物は少し落ち込んだのだと知り、ネアは、慌てて伴侶の三つ編みを引っ張ってやる。

悲し気に視線を揺らしたディノは、示されていたのに取り零したものが、もしかするとネアを損なったかもしれないというのが悲しいようだ。



「つまりさ、シルが見付けてくれた予兆に重ね合わせると、偶然ウィームにやって来る物ではなくて、これは、ウィームを目的地にした呪いだって事だね」

「………っ、エイコーンの者達が、何らかの思惑を持ってウィームを襲撃したと言う事なのか?!」



エーダリアがノアの指摘に真っ青になってしまったのは、そうなれば、他国からの魔術的な侵略に該当しかねない事案だからだ。

これだけしっかりと国境を越えてくるのだから、アルビクロムの手前も、暗躍という範疇には収められない。

エイコーンにウィームの血筋が残っているとなると、厄介な問題に波及しかねないのだ。



「いや、インク瓶の竜の予言があったからさ、念の為にあの国の中は少し調べたけど、そんな気配はなかったかなぁ。であれば、さっきの子の話していたウィームの血筋に由縁する理由かもしれないね。…………うーん、となると、今回の呪いが生み出された事がそもそも意図的かどうかって事かぁ……」

「予兆が現れたという事は、恐らくは偶然ではないかな。陰謀や計略で引き起こされる災いには、あまりその手の印が出ない事が多い」

「そっか。という事は、あの馬車の襲撃そのものはこちらには関係ないと考えると、…………ウィームに馬車を向かわせた理由は、後天的なものになるね」



ネアはふと、ここで、あの少女に不思議な親しみを覚えた事を思い出した。

そしてそれはエーダリアもで、ネアは勿論の事、エーダリアも多分、彼女には不穏な気配は感じていなかった筈なのだ。


(妖精さんが最後に授けた祝福は、…………幸せになって欲しいというようなもの、もしくは、生き延びさせたいというようなものだった)


そうしてネアも、その祝福の存在を知って、自分達こそが祝福になればいいと思ってしまった。

こちらに向かっている馬車を呪いたらしめたのがその妖精だとすれば、それは、今回の呪いそのものの理由とならないだろうか。



「…………もしかすると、あの呪いの中にある何かや、その運行を司る何かは、ずっと助けを求めているのではありませんか?あの方の言うように、ご自身でその血筋にウィームという名前を記憶しているのなら、…………例えば、子供が母親に助けを求めるように、………大きな傷を受けてしまった者が、無意識にこちらに逃げ込んで来るのだという考え方はどうでしょう?あの馬車が呪いに転じたのが妖精さんの思いからであれば、それが同じ方のものかどうかは分かりませんが、生き延びて欲しいと願われた祝福を持った方がこちらに来たのには、その願いが影響しているのかもしれないと考えてみたのです」

「わーお。…………だとすると、光竜の守護もそこに働いたってことか。…………あり得るね。…………ただ、だとしても、あの状態の呪いからの剥離はそうそう簡単な事じゃない。…………例えば、人間の第二席以上の才を持つ魔術師でも偶然居合わせない限りはね。だから、その情報も揃ってから考えた方がいいかもね。そこで悪意を持った第三者の意図が絡むと、また少し見え方が変わってくるからさ」

「………む?」


その話を聞いたネアは、偶然通りがかったアレクシスが、馬車にスープでもかけてくれたのかなと思ったが、どうやら違ったようだ。

暫くするとアルテアから連絡が入り、通りがかったのは別の魔術師だと判明したのだ。



「…………まぁ。あの方を馬車から引っ張り出すお手伝いをしてくれたのは、ウェルバさんだったようですよ…………」

「あ、やっぱりだ。付随している魔術の補助みたいなものが、どうも古い魔術だなって思ったんだよね。あの手の回復と再構築の魔術は、今はもうあまり残っていないんだ。復活薬みたいに禁忌にはなっていないけれど、そうそうこの時代で見かけるものじゃないからさ、もしかしてって思ったんだよね」

「ウェルバさん曰く、たまたま国境域の街で師匠とお出かけ中に、遠くからおかしな災いが近付いてくるなと思い、様子を見に行ったのだそうです。すると、内側に閉じ込められた何かを助けようとしている方々の嘆きがあちこちから聞こえてきて、それが子供を案じる親のような声だったので見過ごせず、外側から引っ張り出して差し上げたのだとか」

「ありゃ。…………ってことは、あの呪いはもう、核を失くしたまま暴走してるって事だよね。そこが厄介だなぁ」

「なぬ…………」



(子供を案じるような………)



それが、あの少女にアンリー・ベルの祝福を授けた妖精のものだったのか、もしくは、彼女自身の子を思う母親の声だったのか。

剥離されたのが彼女だけであれば、一つは叶い、一つは潰えたのだろう。



「核を失くした呪いなんざ、最悪中の最悪だよ……………」

「………ですが、ウィームに属する資質がその呪いの中から少しでも抜けたのであれば、こちらとしては助かるのでは?」

「そうだね。それに、光竜の守護を持ったものが狂うよりは、良かったのではないかな。…………予言というものはね、それを知り適切に対処すれば、事態に変化をつける事が出来る地図のようなものでもあるんだ」


こちらを見てそう教えてくれたディノの言葉に、ネアは、目を瞬き、こくりと頷く。


この話の流れだと、あの少女は助かるのだろうかと考え、少しだけまた抽斗の中に仕舞い込んだ希望がかたかた音を立てているような気がした。

でもそれを引っ張りだすのはまだ早い。

全てが終わってから、これで良かったと微笑んで開くその時までは、眠らせておかなければ。



「一見、私達が起こした動きは関係がないように思えても、その魔術師が通りかかる瞬間に馬車の訪れを合わせられたのかもしれない。今回は、被害を抑えようとしての回避行動だからね。予言を元にして動いた以上、それに見合った成果は必ずどこかに現れている筈だよ。…………最初の予兆に気付いたのなら、今後の変化はもっと顕著に出るだろう。…………そう聞けば、少しだけ安心出来るかい?」

「はい。………呪いのような状態になっても誰かを助けようとした方々がまだ馬車の中にいるのだと思うと胸がぎゅっとなりますが、………残された馬車はもう、どうにかなるような状態ではないのですよね?」

「恐らく、御者妖精や同乗していた者達が、君が魔術の欠片として出会った人間を守ろうとしたことで、そこを核として呪いが育っていたのだろうけれど、思いの外、取り込まれた者達の自我が強かったようだ。だが、守るべき者を逃がしたのであればもう、自我を支えた願いが成就し、ゆっくりと沈み込むように狂って壊れてゆくだけだ。ノアベルトの言うように、呪いとしては想定より壊れた物になる。ただ、逃がされた核をこのまま悪変させずに済めば、竜の狂乱は防げるだろうね」

「むむ、竜さん。…………そう言えば、あの方は頼りないけれど頼もしい、幼馴染な従兄弟さんがいると話していました。その方に話を聞けば、竜さんについて分かるかもしれません」



奇しくもそのタイミングで、アルテアからのカードに、バーレンは今回の事件に心当たりはないらしいというメッセージが届いた。


だが、光竜が絡んでいるとなれば見過ごせないのでと、バーレンはこちらに向かってくれるのだそうだ。

季節の壁を超えられないダナエは、そんなバーレンが心配なので、竜の外套を羽織って一緒に付いて来るらしい。

そのような状態なので戦力にはならないと言っているらしいが、バーレンにとっては傍に居てくれるだけで頼もしいだろう。



「じゃあ僕は、もう一度エイコーンを調べて来ようかな。子供達の父親だっていう第一席だとは思うけれど、その従兄弟とやらが気になるからね」

「アルテアさんにもカードから情報を共有したところ、馬車の様子を確認した後、そのままエイコーンに向かうそうです」

「ありゃ、じゃあそっちは任せるか。…………ダリル、そろそろじゃないかい?」

「だろうね。…………ああ、来たよ」



ここで、アルビクロムで監視を続けていたダリルの弟子から、呪いの馬車がアルビクロムに入ったという一報が入った。



国境を越えようとしているのが妖精の系譜の呪いだと気付いたアルビクロムの国境警備隊で、妖精除けの香を焚いて妖精封じの鉄柵を設けたものの、真っすぐに進む馬車の進行を何とか少し遅らせる事が出来たくらいだという。


半刻もしない内に武器庫のある一帯に到達するだろうという報告に、土地を管理している軍部は対応に追われているのだそうだ。

彼等にとっては、密かに蓄えた武器は大切な財産である。

悍ましい災いが近付いてくると分かってはいても、退く訳にはいかないのだ。



そうしてまた、呪いに触れた者達を飲み込む悲劇がある。

それを糧にして、その馬車は真っ直ぐにウィームに向かってくるのだろう。



得体のしれない怖さをぎゅっと噛み締めたネアに、馬車と接触したアルテアが負傷したという一報が入ったのは、その直後の事だった。







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