162. 野外演奏会で見付けます(本編)
ウィームはその日、ネアが待ちに待った野外演奏会の日を迎えた。
朝から賑やかなリーエンベルク前広場には、けれどもこれ迄にはない緊張感がひたひたと満たされている。
対応策に時間をかけてきたインクの瓶の竜の予言にある馬車が、とうとうアルビクロム国境域に近付いているという報告が入ったのだ。
その報告を受け、ディノとアルテアは、ダリル等と話し合いに出ている。
残念ながら、エイコーンから持ち帰った祝福の改良と量産は叶わなかった。
手にした者を同郷の者の災いから守る役目を持ったその祝福は、技術的には可能であったが、育むのに時間のかかる魔術だったのだ。
石畳に落ちる木々の影に、瑞々しくふっくらとした薔薇の花。
そこに揺蕩うのは豊かな音楽で、大きな木の枝にはその調べに耳を澄まし、うっとりだらんとなっている小さな生き物達が沢山いた。
涼やかな風の吹くリーエンベルク広場から街に向かう街路樹の上には、枝の上に乗れるくらいの小柄な竜達も集まり始めている。
招聘した歌姫やソリスト達の公演の前に、まずはウィーム中央の学生楽団の演奏が行われており、ネアはその演奏を家族と聴いてきたばかりだ。
(素敵だったな………。あの曲は初めて聴いたけれど、また一つ、お気に入りの曲が出来てしまった)
学生とは言え、彼等もウィーム中央の音楽院の生徒達である。
その指先が奏でる音楽は素晴らしく、ネアはすっかりご機嫌になったが、その中でも騎士達のいつもとは違う警戒ぶりを目にすれば、やはりきりりと気持ちを引き締めざるを得ない。
問題の呪いはまだこの国に入ってはいないのだが、アルビクロムがその道筋になるのは時間の問題であった。
そして、魔術の理に於いて、どれだけ離れていても国というものは同じ基盤として認識されるのである。
あの馬車が国内に入ったら、ウィームは、騎士達や一部の公共施設の魔術災厄の警戒レベルを即座に上げる予定なのだ。
(本来であれば、王都にも知らせを出して、国境防衛を徹底させるべきなのだけれど、こちらの予言がある以上は、馬車がウィームに到達するのは避けようがない………)
であればウィームとしては、アルビクロム側の情報を逐一得られなくなるとしても、今はまだ素知らぬ顔をしておく方がいい。
リーエンベルクの騎士達には柔軟な対応が出来るように事前に通達を出し、ある程度の連携は王都とも取りつつ、エーダリアが前線の指揮を任される事を避け、出来れば、魔術的な被害の出難いアルビクロムで呪いの馬車の魔術階位を下げて貰おうという算段なのだった。
そしてネアは、よりにもよってそんな野外劇場の日に、魔物達には内緒の新しいお友達候補に出会ってしまったのである。
「……………まぁ、迷子さんなのです?」
その少女を見付けたのは、リーエンベルクの西門の辺りであった。
門に面した街路樹の影に蹲り、青みがかった灰色の瞳に灰色の髪の少女が震えている。
何事だろうと覗き込んだ拍子に顔を上げた彼女と目が合うと、途方に暮れたような表情があまりにも無防備で、ネアは思わず話しかけてしまった。
迷い子だろうかと思ったのは、つい先程、野外演奏会の会場で迷子になっていた子供と同じ目をしていたからである。
「…………私は、迷い子なのだろうか」
声をかけたネアにびくりと肩を揺らし、こちらを見た少女は、なぜかそんな事を口にした。
「そう仰られるという事は、ご自身で迷い子かなと思われる節が、どこかにあるのでしょうか?」
「………分からない。だが、馬車に同乗していた者達から、ここにいてはいけないと無理やり押し出されたのだ。………近くにいた者にも手助けされ、馬車から転がり落ちて、………気付けばここにいた。ここに来るまでの経緯が自分でも分からないのだ」
「………むむ、馬車から追い出されてしまったのです?」
「ああ。………だが、彼等は私を逃そうとしてくれていたようだ。周囲がとても暗くて姿が見えず、誰なのかは分からないが、………とても大切な人達だったような気がする」
意外にきりりとした口調でそう話してくれた少女に、ネアはこくりと頷いた。
(馬車の内側の人達に逃され、尚且つ、外にいた人にも助けられたとなると、事故か何かだろうか………?)
奇しくも馬車問題を警戒しているところなので一瞬どきりとしたが、話を聞いている限りは、呪いの馬車に襲われた人ではなさそうだ。
この話ぶりでは、呪いの馬車から下車した事になってしまう。
「………お話の内容からすると、………あなたは、直前の記憶がないのかもしれませんね」
「………そのようだ。ローレンスがいれば、分かるかもしれないのだが、…………近くにはいないのだな」
「ローレンス………さん?」
「従兄弟なのだ。………頼りないが、頼りになる」
「ふふ、素敵な方の予感です。口にしなくても良いのですが、ご自身の名前は覚えておられます?」
「っ、………ああ。………ああ!覚えているようだ。………覚えていると知ってほっとした………」
自分の名前については考えてみなかったのか、目を瞬き恥ずかしそうにこちらを見た灰色の瞳には親近感を覚えるし、ネアがこうして同性と話を出来る機会はあまりない。
それが嬉しいのは勿論だが、おまけにこの少女はなぜか、……なぜか、ほんの少しだけネアに家族の事を思い出させた。
(……………誰かに似ているだなんて、そんな事はないのだけれど………)
それは奇妙な感覚であったが、その眼差しや声の温度に、ふとした時に郷愁の念のようなものが震える。
となると、こうして感じている親しみを魔物達に伝えたなら、素早く排除されてしまうのではという不安が芽生えた。
ネアの伴侶はとても優しい魔物だが、これはその狭量さでぽいとされてしまう要素に違いない。
ネアもそろそろ、魔物達が荒ぶる箇所が分かるようになってきたし、同性の友人を得る事にはなぜかとても敏感なのだ。
「これ以上のお話を聞く前に、まずは、こちらの事情をお話しさせていただきますね」
「君の、事情?」
ネアがそう言えば、少女は首を傾げた。
その装いは、深い紅玉色の騎士服のようなかっちりとした服装だが、女性らしい柔らかさもあるものだ。
正直、然るべき機関に回せば、この服装からだけでも身元が判明しそうなものだが、いきなり誰かに引き渡すよりも、少しだけここで話を聞いてあげたい。
(通りがかって声をかけただけの他人とは言え、今のこのお嬢さんにとって、私は何とか掴めたこの土地との繋ぎの糸のようなものなのだ。いきなり突き放して、余計に不安にさせたくはないから………)
確実に己の欲望をも反映させているが、ネアは、己の身勝手さからはぷいと顔を背けて、ぐいんと背筋を伸ばした。
とは言え、危うい問題に自ら飛び込む羽目にならないよう、ポケットの中のきりん符はきちんと握り締めている。
少し体を屈めて目線を合わせようとしたところ、少女がはっとしたように立ち上がった。
優雅に短く一礼され、ネアも慌ててお辞儀をする。
「ええ。実は、私は歌乞いなのです。歌乞いという職業をご存知ですか?」
「ああ。唱歌で招いた魔物と契約するのだったな。であれば君は、公的な役職に就く者なのか」
「ふむ。あなたのお国は、歌乞いは公的な役職に就くのですね。…………私がお伝えしておきたかったのは、私の魔物はとても狭量で、同性のお友達を許してくれないという事なのです。ですので、私の魔物に見付かると私はあなたから引き離されてしまいますが、報告をしないという事も出来ません。なので、魔物を呼ぶ前に出来る限りお話を伺わせて貰いますが、途中でいきなり退場する可能性がある事をお伝えしておきますね」
「……………そうか。確かに、魔物はそういうものだと聞いた。こうして話している事で、既に君に迷惑をかけていたりはしないだろうか?」
そう問いかけた眼差しには真摯さしかなく、ネアは、ああこの人は好きだなという思いを噛み締める。
たったこれっぽっちの会話でもと思うだろうが、それだけでも、繊細で思慮深い心の柔らかさを感じられる人物だったのだ。
もしネアが歌乞いではなく、契約の魔物をここまで大事に思っていなければ、魔物にこの出会いを隠してお友達になってしまい、記憶が戻るか素性が分かるかをする迄は甲斐甲斐しくお世話してあげられただろう。
思わずそう考えてしまったが、それは出来ない相談であった。
何しろネアはやはり、自分の魔物が一番大事なのだ。
(……………無念)
そうしたらきっと、友達になれたかもしれないのだと思えば、ネアは無念さのあまりに目眩がした。
この少女に帰り道がなかった場合は、迷い子に手厚いウィームで暮らしてゆけばいいのだから、ますます、お友達になれそうではないか。
そう考えると、不本意にも胸がどきどきしてしまい、わくわくする思いに口角が持ち上がってしまいそうだったが、目の前の少女は礼儀正しい物言いが落ち着いて見えても、まだ怯えているのだ。
(……………他人の不幸を喜んではいけない!)
友達として、それは絶対にいけないことである。
そう考えかけ、ネアは既に心の中でお友達認定をしかけている己の貪欲さにはっとする。
こちらを見ている少女に、こほんと咳払いをして、とても感じのいい微笑みを見せた。
「ここは、ウィームという土地です。この土地の名前に、お住まいや行き先としての心当たりはあるでしょうか?」
「……………ウィーム。………確か、私の一族はウィームという国からやって来たと聞いている。…………だが、肝心な、私が暮らしている国が思い出せない」
「むむ、何らかの事情で、ご自身に纏わる要素が曇ってしまっているのかもしれませんね。馬車から放り出された後にご自身でここを目指したのなら、この近くに、事故や問題を起こした馬車があったのかを調べた方が良いでしょうか………」
「……………いや、そのような報告は上がってきていないな」
背後から聞こえた声に、ネアはそろりと振り返った。
勿論、ネアの魔物達が可動域が上品めな人間を一人で野放しにする事はなく、ネアは現在、エーダリアと銀狐と、そこに護衛として同行してくれているアメリアと一緒にいる。
とは言えこちらはウィーム領主であるので、もしもの場合を考えて巻き込まないように少し離れていたのだが。
「であれば、この領地の外側から来たのかもしれませんね。…………狐さんに、私の義兄を呼んで来て貰いましょうか?」
「そ、そうだな。だが、その間お前を一人にする訳にはいかない。お前の魔物を…」
「ま、待って下さい。私の友達との縁が切れてしまうかもなので、せめて、もう少し感じのいい助言などをして心象を上げてからにしましょう!やっと念願の女の子のお友達が出来るかもしれないですから」
ネアがそう言えば、エーダリアの足元にいた銀狐が、尻尾をけばけばにしてぴーんと立てている。
ムギーと鳴いている銀狐に目を丸くしていた少女は、ネアが視線を戻すと、ふっと困ったように淡く微笑んだ。
「君は、同性の友達がいないのか?」
「……………む、…………むむ。なぜ知っているのですか?」
「今、話していただろう?」
「………私とて、その気になればお友達くらいは出来るはずなのです。とても感じ良く、今後の面倒を見てくれる信頼の出来る騎士さん達などに紹介するので、もし、暫くはこちらに滞在するのであれば、お友達になってくれてもいいのですよ?」
なぜか計画がばれかけているが、ネアが諦め悪くそう言えば、少女はくすりと笑った。
そうすると、先程までの怯えた表情が払拭され、どこか清廉で柔らかな眼差しが、灰色にけぶる雨のように繊細で美しい。
(……………おや、)
ふと、大事な何かを思い出しかけるが、なぜかそれはもやもやとして取り留めがなく、上手く形にならない。
あらためて視線を戻すと、目の前の迷い子かもしれない少女は、男性のように髪を短くしているが、薔薇色の唇や眼差しがどう見ても少女であるというアンバランスさが、不思議な魅力になっていた。
「実は、私もなぜか、同性の友達がいないんだ。どうしてだろうな。ローレンスが、みんな追い払ってしまうからかな」
「まぁ、私と同じなのですね。私の場合も、私の魔物がお友達を作らせてくれないのですよ」
「…………それなら、君と友達になれればいいのに。だが、私にも自分がどうしてこのような事になっているのか分からない以上、親切にしてくれた君を、おかしな事に巻き込みたくない。そんな事を願ってはいけないな」
「…………まぁ。では、今後の将来性を見据えた、仮のお友達としませんか?」
「………仮の?」
「ええ。互いに問題があれば解消する事を前提とした、いつか正式にお友達になるかもしれない、仮のお友達です。せっかくの仮のお友達なので、あなたが困らないように、帰るべきどこかへ帰る為のお手伝いをさせて下さい。それと、もうすぐこちらでは素敵な野外演奏会が始まるのですよ」
「野外演奏会…………」
その言葉にうっかり目をきらきらさせてしまい、少女は、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
(どのような話題から記憶が戻るか分からないから………)
さては音楽好きに違いないなと尋ねてみると、話に出てくる幼馴染みの従兄弟が、音楽家になりたがっていたのだとか。
そんな従兄弟ともっと沢山の話がしたくて、彼女も沢山の音楽を学んだのだそうだ。
ネアは、そんな事を教えてくれた初めての、だが仮の友達がとても可愛らしくて、誰かに自慢したいような誇らしさで胸がいっぱいになる。
「むふぅ。私の仮の友達は、とても可愛いのです!」
「ちょ、ちょっと待て。せめて、ノアベルトに相談してからにしてくれ」
「むむ、仮でもいけないのです?」
「土地の魔術に触れていない以上、迷い子に近しい迷い込み方をしているのは間違い無いのだが、………その少女は、足元の魔術が独特過ぎるのだ。万が一の事があって、お前に何かがあったらどうする」
「……………すまない。このような身の上で、贅沢な事を言った。彼女がとても話しやすかったので、つい、………はしゃいでしまったようだ」
慌ててネアの暴走を遮ったエーダリアは、しゅんとした少女に謝られてしまい、わたわたした。
なぜか目元を染めている上司の姿に、ネアは、どこか凛々しい雰囲気が清廉さを宿す美少女と、そう言えばすぐに騎士達を呼ぶような事をしなかったウィーム領主とを見比べる。
「……………ふむ」
「………その目は何なのだ……」
「初めて、人間の女の子に心惹かれたのです?」
「っ?!………な、何を!!」
「ですが、私の仮の友人は、従兄弟さんのことを思われているのではないでしょうか。ここは、拗れる前に早めに自覚しておいた方が………」
「っ、わ、私が、ローレンスを?!」
「まぁ、こちらも無自覚なのでした……」
「はいはい、そこまでだよ!」
「ノア!」
「ノアベルト…………」
そこに現れたのは、ネア達が大いにわたわたした隙が出来たので、そこで魔物に戻ってくれたらしいノアで、ネアは、目の前の少女との語らいの時間が終わることを察したものの、隠れて悪さをしているような罪悪感から逃れられる事に少しの安堵も覚える。
一応、銀狐は最初から目の前にいたのだが、やはり人型の時とは動きが違うのだ。
「…………むぐ。お友達欲しさに、すぐにディノを呼びませんでした」
「まぁ、僕が傍にいたからっていうのもあるけれどね。…………さて、君は……………ありゃ?確かに足元の魔術の様子がおかしいね」
いきなり現れた人ならざる者に、灰色の瞳の少女は目を丸くして竦み上がっていた。
ネアは、そんな仮の友達を安心させてあげたかったが、とは言え、もし良くない存在であれば、我が儘を通して大切な家族を危険に晒す訳にはいかない。
ここは、これ以上不用意にそちらを庇う動きを見せてはならないと、ぎゅっと指先を握り込んで不安をやり過ごしながら、ノアの続きの言葉を待った。
「…………人間かなと思ったけれど、どちらかと言えば、魔術の欠片みたいだ。………でもって、どこかからこれを引き剥がしたのって、…………… うーん」
「………思い当たる要素があるのです?」
「随分と古い魔術で引き剥がされているんだよね。これだけの魔術の扱いが出来るとなると、僕が知っている限りではスープ屋の彼くらいのものだけど、………それに、鎮めの魔術で剥離させた欠片って事は………うわ、まさかね………」
考え込んだ様子でそう呟いたノアに、ネアは、そろりと少女の方を見た。
すると、高位の人外者に対面してしまった時とは違う蒼白さでぶるぶると震えていて、堪らない気持ちになってしまう。
「大丈夫ですか?その、お水を飲んだりされます?」
「……………私は、人間ではなく魔術の欠片なのか?」
「ノア…………」
「…………うーん、人間じゃないのは確かなんだけど、人間の魂は内包しているんだよね。これもかなり希少な祝福が外殻になってるんだけど、これもどこかで見た事のある魔術の輪郭だなぁ」
「…………それは恐らく、光竜の祝福ですね」
「ヒルド?!」
不意に加わったその声に、ぎょっとして振り返ったのはエーダリアだ。
そこには、呆れ顔をした森と湖のシーがいて、今回は後ろめたさを抱えるネアも、びゃんと飛び上がってしまった。
「わーお。それかぁ。………え、光竜ってことはバーレンの知り合いなのかな?」
「であれば、そちらに連絡を取ってみた方が良いでしょうね。ですが、妖精の祝福の気配もありますね。…………アンリー・ベル。妖精の最後の祝福と言われるものです」
「…………アンリー・ベルか。久し振りに聞いた名称だ。…………であれば、どこかで事故や事件が起きたのは間違いないだろう。………迷い子であれば、その時代から既に剥離されている可能性もあるが…………」
「ええ。我々の対応では限界がありますから、専門家に任せた方が良いでしょうね」
(アンリー・ベル………?)
初めて聞く言葉に首を傾げているネアの向かいで、そんな話し合いを、少女は、困惑と怯えを含んだ目でじっと見ていた。
しかし、仮とは言え友達の不安げな様子に心配でおろおろしてしまうネアに気付くと、少しだけ微笑みを浮かべようとしてくれる。
それは、ほんの一瞬とは言え、友達になれるかもしれないと共にはしゃいだ、その僅かな繋がりの上での不思議な親しみと共にあって、ネアに一つのことを決めさせた。
「…………ノア、一度背中の後ろに隠して下さいね」
「ありゃ、どうしたんだい?」
「取り出したい物があるのです。………これを、」
義兄の魔物の背中の後ろに隠れて首飾りの金庫を漁ると、ネアは、すっかりご愛用になっている小さな結晶石を、手のひらにざらりと取り出した。
そこから一際大きな粒を三つ程選ぶと、他の物はまた金庫に戻す。
「………この失せ物探しの結晶石を、仮のお友達にあげたいのです。もし、良くないことに巻き込まれていたのだとすれば、帰り道を探す為の、何かの助けになるかもしれません。ノア、どうにかして差し上げる事は出来ませんか?」
取り出した小指の先程の結晶石をそう言って見せると、ノアは青紫色の瞳を瞠って、困ったように眉を下げる。
「うーん…………」
「…………これも難しいでしょうか?」
「この子はさ、生粋の迷い子かどうかが少し危ういからなぁ。もし、何らかの魔術の部品だと、場合によっては手助けをした事で厄介な現象を引き起こしかねない。………どちらにせよ、迷い子の担当者に引き渡すなら、もう少しこの子の履歴が見えてきてからにしようか」
「………ふぁい」
しゅんと項垂れたネアに優しい目をすると、ノアは、どこからか、小さな青色の天鵞絨の小袋を取り出した。
その小袋に何かを呟き、ネアの手のひらから失せ物探しの結晶を取り上げる。
「ノア?」
「もし、この子が災いにならないものであれば、君からの贈り物が使えるようにしておこう。………僕はさ、僕の妹の勘みたいな物を結構信じているんだよね。………収穫の祝福を沢山持っている君が見付けたんだから、………この出会いには、収穫の役割を果たす意味があるのかもしれない」
「…………ぎゅわ。…………ノア」
「はいはい。優しいお兄ちゃんを抱き締めてもいいからね。…………それと、君は、この土地で正式に迷い子の受け入れをしている機関に引き取って貰うよ。このウィームは迷い子が多い土地で、君に色々な話を聞く担当官も元迷い子だから、嫌な思いはしないと思うよ」
ノアは、足元の魔術が不安定だと言いながらも、少女にとても良くしてくれた。
ネアはその対応に胸を撫で下ろしつつ、もしかしたら友達になれるかもしれない少女を見つめる。
「それと、これは僕の妹からの贈り物だ。君の素性や履歴が判明して、君がこの祝福結晶を手にしても問題がないと判明すれば、結晶に触れられるようになる。その時は、結晶に触れて取り戻したい物を呼ぶといい。………触れられるという事は、君にはその権利があるのだから、その時は心のままに呼べばいいさ」
「……………はい。有難うございます」
左足を引き、少女は優雅なお辞儀をした。
目上の相手に対するその作法は、ネアとの挨拶の時にはなかったものだ。
ノアを見て、高位の人外者だと察するだけの理解力があり、尚且つ、こうしてその前で礼儀正しく振る舞えるだけの精神の胆力がある。
この少女が、かなり高い魔術可動域を持っていたのは明らかで、ネアはもう、その魂がどこから来たのかが分かってしまった。
(……………きっともう、ノアにも分かったに違いない。エーダリア様や、ヒルドさん達にも…………)
寧ろ、なぜそんなことに気づかなかったのだろう。
そう考えると、思考にかかる不思議なもやのようなものは、いつの間にか晴れていた。
ヒルドの指示を受け、リーエンベルクの外周の警備にあたっていたグラストとゼノーシュが、少女を連れてゆく。
その先が本当に迷い子の為の専門機関なのかどうかはさて置き、けれどもその手には、ネアの渡した三粒の結晶石を入れた袋があるのだ。
じゃわわんと、どこかで威勢のいいオーケストラの音楽が聴こえてきた。
重なり合い響くのは、バイオリンの音色だろうか。
野外演奏会が始まったのだ。
「…………ノア、あの方は………エイコーンから来たのでしょうか?」
「…………多分ね。あのお辞儀で気付いたのかい?」
「はい。私には普通の挨拶でしたので、なぜか、習ったばかりのお辞儀を見るまで気付きませんでした。…………それに、灰色の髪で、どうみても美少女ですが、男の子のような姿をしています」
「うん。僕も気付くのが少し遅れたんだ。となると、本人の認識が曖昧だったことで、周辺にも認識が曖昧になる影響が出ていたのかもしれない。あの子は、魔術になりかけた特殊な状態だから。…………これは、もしかすると、もしかするかもだね。………ネア、アルビクロムには、ラエタの魔術師がいたよね?」
「むむ、ウェルバさんですか?」
「そう。…………その彼が、今どこにいるのかを知りたいんだ。もしかすると、僕達にとっていい情報が分かるかもしれないよ。………ええと、僕はここから離れられないから、ダリル達と打ち合わせをしているアルテアを引っ張り出そう。同居している梱包妖精と面識があるのは、アルテアだからね」
そう言ったノアはとても魔物らしい、どこか満足げな微笑みを浮かべていて、ネアは、騎士達の再手配を終えたエーダリアとヒルドと顔を見合わせてしまう。
「…………ダナエさんとカードを分け合っているのもアルテアさんなので、まずは、アルテアさんを捕まえなければなりませんね」
「うん。………エーダリア?」
ここでふと、エーダリアが、先程の少女が消えた方向をじっと見ている事に気付き、ノアが声をかける。
その声に目を瞬き、ゆっくりとこちらを見たエーダリアが、不思議そうな顔をする。
「まぁ。やはり恋を………」
「い、いや、そういう事ではないのだ!…………ただ、上手く言えないのだが、あの、魔術の欠片で構築された少女を見ていると、………不思議と、懐かしいような奇妙な気配を覚えてな………」
「そのように認識させる、魔術展開があったという事でしょうか?」
瑠璃色な瞳を細めてそう尋ねたヒルドに、エーダリアは短く首を横に振る。
「…………魔術的な効果ではないのだと思う。それよりも、………一部の、古くからこの地に暮らす領民達に感じる気配にとても近い。あるべき者が、この地に招かれたような親和性の高さを感じた。………あの者は、自分の一族がかつてはウィームの民だったと話していた。その何かが影響しているのかもしれないな」
「ありゃ。そうなると、エーダリアが魔術の親和性を感じるくらいってことは、かなりウィーム王族に近しい血筋だったのかもね。とは言え、完全にその血筋を残したままこの地を訪れたら、統一戦争時に敷かれたヴェルリアの殲滅魔術に何らかの反応がある筈だから、王家筋だとしてもどこかで指定枠を外れた血統かな」
「そのような事があるのか………?」
「一度、人外者への転属を経ている可能性はあるよ。例えば、妖精に嫁いだ人間が妖精に転属して、その子供が取り替え子として人間に戻されるとか。何通りかね。………統一戦争時には間に合わなかったやり方だけど、それ以前に偶然そうなって、あの粛清を免れた者はいたと思うよ」
ノアの言葉に、エーダリアは神妙な面持ちで頷いている。
だがネアも、ここでどうしても伝えておきたい事があった。
「わ、私もです!私も、全く似ていないのに、家族を思わせる方だと感じたのですよ!」
「ありゃ。………って事は、心を傾けさせるような、魔術侵食があったのかな………」
「な、なぬ。こちらは、運命のお友達候補ではないのです………?」
「うーん、ネアがこの土地に認識された魔術的な区分を思えば、それが親和性として反応したのかもだけれどね」
「…………運命のお友達候補…………」
「わーお、かなりご執心だぞ」
「ネア様、今回は不確定な要素も多く、場合によっては呪いに類する危険を過分に孕みますので、どうか不用意に縁を繋ぎませんよう」
「……………ふぁい」
窘められてしまったネアは、一度リーエンベルクの中に戻り、ディノ達と合流しようとなるその道中で、ヒルドに先程の言葉の意味を尋ねてみた。
アンリー・ベル。
それは、死にゆく妖精が愛し子に贈る、最後の祝福の事だという。
終焉の系譜に連なる魔術的なその祝福は、時として、滅びの夜に生まれた赤ん坊が戦場で守られるように、終焉から愛し子を生き延びさせる祝福に転じる事もあるのだそうだ。
強い強い愛情と、魔術的な契約が交わされている場合にのみ可能な祝福は、自分がいなくなっても幸せになって欲しいだとか、どうか生き延びて欲しいという妖精の願いが強い魔術となってかけられた者を守るのだとか。
(……………もし、)
だからもし、この想像が当たっているのなら。
ネアは、芽吹いた小さな小さな希望を一つ、胸の中に育ててしまう。
けれども、それが呪いに根差した物であるのならば、安易に成就などを願ってはならないのだ。
だからネアは、その願いを心の奥にある頑強な棚の抽斗に押し込み、祈るような思いでしっかりと鍵をかけた。
もし出来るのなら、ヴェルクレアに向かっている呪いの馬車の扉を開いて、中を確かめてみたいくらいだ。
いるべき人がそこにおらず、先程の少女に授けられた祝福や守護が彼女を守ればいいのにと思ってしまう。
だが。呪いや災いには、決して魅入られてはならないと言うではないか。
だからネアは、この出会いが、ノアの言ってくれたように、収穫の祝福が齎したものであるようにと、そう祈るしかなかった。




