収穫祭の足音 歩程1 〜白衣の魔女〜
魔女は灯りを持たない。
必要がないからだ。
その身に宿った『魔女術』が、闇の輪郭を教えてくれる。
階段の音。
石壁の質感。
肌を撫でる暗闇の冷たさ。
白衣の魔女は、目で見るよりもよりも鮮明に周囲を捉えていた。
「……少し急ぐか」
暗闇に響く靴音が、わずかに間隔を狭める。
しばらくすると、規則正しく刻まれるそのリズムに別の音が交じり始めた。
ぐつり。
ぐつり、と。
重く湿った音。
暗闇の底で、巨大な何かが煮立っている。
やがて、階段の終わりが見えてきた。
最後の一段は床ではなく、巨大な釜へと続いている。
石造りの空間を埋め尽くすほどの黒い鉄釜。
縁には煤がこびりつき、分厚い胴には古びた鋲が等間隔に打ち込まれている。
濁った液体が音を立てて気泡を弾く。
紫や橙色の葉。
乱切りにされた根菜。
獣の骨らしき白い塊。
それらが泡に押し上げられ、沈み、また浮かび上がる。
「鈴帽がまだ匙を投げていなければいいが」
そう呟くと、白衣の魔女は躊躇なく一歩を踏み出した。
白衣の裾がふわりと浮かび、身体が煮立つ液面へ沈んでいく。
音はしなかった。
熱も、衝撃もない。
脳天まで液に浸かった瞬間、身体の輪郭が曖昧になっていく。
煮込まれた野菜が崩れるように、肉も骨も熱の中へ溶けていく。
やがて自分という存在が完全に消え失せ、身も心も釜の一部となった頃——白衣の魔女は目を開けた。
目の前には、黒鉄の扉。
隣には屈強な門番が立っている。
「オ待チシテオリマシタ、白衣ノ魔女サマ」
「すまないな。急用で遅れた」
「心得テオリマス。ゴ連絡ヲイタダキマシタノデ」
門番は太く短い腕を胸の前で重ね、重々しく頷いた。
顔の中央には、大きな単眼。
口元からは牙が突き出し、黙って立っているだけなら人を噛み砕きそうな凶相を浮かべている。
しかし、威圧感は薄い。
一般的な"単眼巨"に比べ、手足がどれも極端に短いのだ。
肩の上に頭が乗っているというより、身体のほとんどが巨大な顔で、その脇から四肢が生えているような姿だ。
短い脚を揃え、背筋をぴんと伸ばし、長年王宮に仕えてきた衛兵のような堂に入った構え。
コミカルな外見とも、粗野で低知能と言われる"単眼巨"のイメージからも結びつかない、礼儀正しい門番だった。
「会議はまだ続いているか?」
「イエ……」
門番の大きな単眼が、わずかに横へ逸れる。
組んでいた腕を解き、短い指先で頬を掻いた。
しばしの沈黙の後、門番が観念したように答える。
「マダ始マッテオリマセン」
「……」
白衣の魔女は深く息を吐き、眉間を押さえた。
「軍靴は?」
「雑談ニ興ジテオラレマス」
「角笛は」
「半分ホド、眠ッテオラレマス」
「……鈴帽は」
「笑ッテオラレマス」
「止めていないのか」
「止メヨウトハ、シテオラレマス」
門番の単眼が、再びそっと逸れた。
扉の向こうから微かな笑い声が漏れてくる。
続いて、気の抜けた欠伸。
「……分かった。開けてくれ」
「ハッ」
門番は短い腕を大きく広げ、黒鉄の扉へ両手を添えた。
深く腰を落とし、重い扉を押し開く。
鈍い金属音とともに、隙間から光が差し込んだ。
同時に飛び出したのは、楽しげな女の声。
「――そこでボクは言ってやったのさ。君の頭はパンジャンドラムみたいだねって」
「あはははは!無理っ!もう無理っ!」
扉の先には円卓と6脚の椅子。
そのうち3つに、3人の女性が腰掛けている。
つばに幾つかの鈴をぶら下げた尖り帽子の女は、腹を抱えて笑い転げ。
軍装の女が円卓へ両脚を投げ出し、してやったりとばかりに口元を吊り上げる。
側頭部から巻角を生やした女は、座ったままかくんかくんと舟を漕いでる。
「ああ、ようやく来た。遅かったじゃないか、白衣」
円卓に脚を乗せたまま、軍装の女——『軍靴の魔女』がひらひらと片手を振った。
「君が来るまでボクが場を温めておいた。『釜の底』だけにね」
「煮崩れる寸前だろう」
軍靴の魔女が得意気に笑う。
笑い転げていた『鈴帽の魔女』は、目元の涙を拭いながら、そっと姿勢を正そうとしていた。
「いや、これはその……」
「鈴帽」
「はい」
「始めるぞ」
「……はい」
鈴帽の魔女は一度だけ咳払いし、ずれかけていた帽子を被り直し、姿勢を整えた。
背筋を伸ばし、集まった者たちを静かに見渡す。
柔らかかった眼差しが鋭さを帯び、会議場の空気が一息に引き締まった。
『角笛の魔女』が、閉じかけていた目をゆっくり開く。
軍靴の魔女も、ようやく脚を下ろした。
全員の視線が集まったところで、鈴帽の魔女は厳かに口を開く。
「それでは――定例会を始めます」
鈴帽の宣言とともに、円卓の中央へ淡い光が灯った。
机上を走った光の筋が幾つもの円を描き、やがて一枚の地図を形作る。
山脈。
街道。
大小の都市。
そして、各地に散らばる小さな猫の印。
「出席は4名。帆布と面紗は今回も『多忙につき欠席します』との事。報告事項は『特になし』」
「またかあいつら……これでは船に『留守番猫』を乗せた意味がない。面紗も、自分の予定くらい占ってほしいものだ」
「来ない方がいいって結果が出たんじゃない?」
「実に都合のいい術だ」
白衣の皮肉を、鈴帽は笑って受け流した。
「では、いつもどおり最初の議題から。他の魔女について、何か情報のある人は?」
返事はない。
軍靴は椅子の背へ身体を預けたまま、退屈そうに指先を遊ばせている。
角笛は薄く開けた瞼の奥で、今にも意識を手放しそうになっていた。
鈴帽が順に視線を向ける。
「白衣?」
「成果なしだ。学術院、魔術師組合、各国の研究機関にも該当する人物はいなかった」
「角笛は?」
「んぅ……たぶん、会ってないよぉ」
「たぶんかぁ」
「会ってたら、覚えてると思うからぁ……」
言い終える前に、角笛の頭がこくりと落ちる。
鈴帽は小さく息を吐き、最後に軍靴へ顔を向けた。
「軍靴?」
「残念ながら、ボクも空振り」
軍靴は肩をすくめた。
「見つけた上で記憶を消された可能性もあるけどね」
「お前が一番やりそうだ」
「それは言えてる」
軍靴が楽しげに笑う。
鈴帽はそれ以上追及せず、円卓の中央に浮かぶ地図へ指を滑らせた。
地形と猫の印が消え、代わりに桃色の結晶が浮かび上がった。
「では次。聖核の魔女について、新しい手掛かりは?」
「進展なしだ」
白衣が即答する。
「学術院の 協力者には引き続き各地の文献を調べてもらっている。『聖核』も継続解析中だ」
「そっか」
いつも通りの報告とはいえ、鈴帽の声がわずかに沈む。
しかし、それも一瞬だった。
指先を再度動かすと、桃色の結晶が消え、代わりに幾重もの円環が宙へ浮かび上がる。
互いに重なりながら、決して一つには交わらない輪。
「世界間接続の方は?」
「それなんだが――」
白衣が一度言葉を切り——
「錬金術師を見つけた」
一瞬の沈黙。
鈴帽が身を乗り出した。
「本当に?」
「ああ。間違いない」
「所属は?どこの工房?師は誰?聖核は見せたの?」
立て続けに飛んでくる質問へ、白衣は片手を上げた。
「落ち着け。まだ本人には錬金術師としての自覚すらない。師もいなければ、基礎教育も受けていない」
鈴帽の顔に浮かんだ喜色がわずかに引いた。
「……未修練?」
「まあな。だが私の使い魔の見立てだ。適性の高さは保証する」
軍靴が椅子の背へ預けていた頭を、ほんの少しだけ白衣へ向ける。
鈴帽も「なるほど、それなら……」と顎に手を当て、考え込んだ。
角笛はゆっくりと顔を上げ、にへら、と眠たげに微笑んだ。
「よかったね、白衣」
「ああ。まだ前提条件の1つが見つかっただけだがな」
「それで、その錬金術師はどこに?ちゃんと囲った?」
「囲った……」
その表現に白衣は頬を引き攣らせたものの、鈴帽の目は真剣そのもの。
気を取り直し、白衣の魔女は円卓の上に新たな映像を投影した。
森の中、焚き火を囲んで語り合う9人の人間。
「現在、私が保護している。というより助手にした」
「9人いるけど?」
「それについても話したかった」
羽田創司から聞いた話。
ジャンクスフィアが覗いた記憶。
<望遠>術式の解析結果。
そして前回の定例会で挙がったものの、誰も深く気に留めなかった議題。
重要人物の失踪。
出自不明の人物が突然街中に現れた事件。
それらについて、各地の協力者から寄せられた報告。
それらを基に組み立てられる彼女の仮説を3人へ説明した。
「複数世界から大量に人を移動させて、その後の様子を観測している……私達とは関係ないの?」
「断定はできないが、聖核の魔女によるものではないと考えている。神、精霊、高次元生命体……呼び方は何でもいいが、上位存在によるものと見て間違いない」
鈴帽が——『召喚術』に長けた魔女が、再び思考の海に沈んでいく。
軍靴は興味無さ気に椅子を揺らして問いかけた。
「それで?その錬金術師っていうのはどれ?」
「この男だ」
白衣が映像の中から一人を指差す。
羽田創司の姿が円卓の中央へ大きく映し出された。
軍靴は創司の姿を眺め、僅かに目を細める。
「普通に見えるね」
「外見だけならな。肉体と魂魄の位相がずれている。完全な生者ではないが、死者でもない」
椅子の揺れが止まった。
「へぇ……」
少し前までの軽い調子と違い、その声音には微かな熱が混じっていた。
「『死霊術』を使うお前なら、何か分かるかと思ったが……どうだ?」
白衣の問いに、軍靴はすぐには答えなかった。
椅子へ預けていた身体を起こし、円卓に映る創司の姿を覗き込む。
やがて、軍靴は小さく首を傾げた。
「何も分からないよ」
あっさりとした答えだった。
「こんなのボクも初めて見たもん。確かに肉体は生きてるのに魂が少し外れてるね」
「そうか」
「でも――」
軍靴の指先が、映像の中の創司へ触れる。
輪郭をなぞるように、頬から胸元へ。
口元がゆっくりと吊り上がり、瞳が大きく見開かれる。
凄惨な戦場の果てに、救いの天使を幻視した兵士のように。
そこに浮かぶのは、歓喜にも似た狂気の感情。
「……面白い子を拾ったね、白衣」
鈴帽の魔女が思索から浮上するまで、2人の魔女は円卓に浮かぶ創司の姿を眺めていた。




