8話 魔王とデトロイトの黒人(と犬)
『45口径と一緒に異世界転移』から現タイトルへ変更しました。
真ん中に金色のボタンが五つ並んでいる真黒な服。学ランってやつだろう。日本の学生服だ。
ジャパンフリークじゃなくても、それくらいは知っている。
問題なのは、さっきまでこの場所にいなかったはずのこの童顔の少年が、いついかなる手段で俺の目の前に立つに至ったかだ。本当に一瞬。瞬きをしたその刹那、図々しく感じるほど、気がつけば当たり前の顔をして視界の一角に存在していたのだ。
「僕の噂話をしてたみたいだったので、来ちゃいました。百聞は一見にしかず。実物はこんな感じでしたー」
少年はにこやかに言った。誰もが好感のもてるような、嫌味の欠片もない笑顔だった。
――が、少年はこの上なく浮いていた。間違いなく、この場にそぐわない存在だった。
「自己紹介がまだでした。僕はナゼと申します。字は……少し難しいので割愛します。下の名前は嫌いなので教えません。「ナゼナゼナアニ?」のナゼと。そう覚えていただけると幸いです」
「ナゼ、って……」
ちょっと待てよ、おい。
「おいジョニ―! この野郎が魔王だってのか!?」
ナゼと名乗った少年越しに立っているジョニーに叫ぶ。
「……この野郎? お前は何を言っているんだ? それより、そのちゃちな武器でナゼを殺すと言ったか? おもしろくもない冗談だ」
ジョニーは先程の俺の発言を咎めるように言う。まるで目の前の少年の出現を気にもとめていない。俺は強烈な違和感を覚えた。
パトリシアとさつきを見る。二人ともジョニーと同様に、少年に驚いた様子も、関心を寄せる様子もない。
見えてない……のか。
「チャチですって。無知は怖いですねー。こんな大口径の銃で撃たれたら、人間なんて誰でも死んじゃうのになー」
なんだと?
俺が固く握りしめていたはずの45口径が、今は少年の掌の上でクルクルと弄ばれていた。
「おいガキ、おもちゃじゃねえんだ。そいつをよこしな」
冷汗が背中を伝った。
こいつは――なんだかまともじゃない。
「まあ、初めて見るものです。軽んじても仕方がないかもですね。人間は痛みを知って初めてその本質を知る――僕の言葉ですけど」
な……!
少年――ナゼは、なんの躊躇いもなくジョニーに向けて引き金を引いた。
「あれ? あれ?」
空砲が数発放たれただけで、ジョニーは無傷だった。
「残念。弾が入って無いじゃないですか。これじゃあ、このお兄さんは無知なままですよ」
ナゼは不満そうに言って、呆気にとられている俺の膝に銃を置いた。
「中身が空っぽの銃で僕を殺すなんて言ったんですか? いくらなんでも、僕を見くびりすぎでは? ……あ、この娘、僕と同い年くらいだ!」
今度は興味津々といった様子でさつきをじろじろ見る。
「日本からの転移者は僕以外初めてだなー。どこの学校だろう? やっぱりトラックに轢かれた口かな。ちなみに僕は電車に轢かれました」
――なんだ?
さつきを無遠慮に見ているナゼの周囲の空気が、蜃気楼のように揺れていた。
「あなたの名前は?」
ナゼは俺を見つめる。俺は見下される。まつげの長い、年上ウケしそうなベビーフェイスが纏っている、ゆらゆらとしたものは、一体なんだ?
はっきり言おう。俺は一回りも二回りも年下であろう目の前の男に、気圧されていた。
「……ジェイコブ。ジェイコブ・シェパード」
「かっくいー名前ですね。ミスタージェイコブ。僕は今から、あなたとゲームをしようと思います。あなた、なんだかおもしろそうだから。あなたの持つその銃。その銃は、僕を唯一殺せる武器だと規定します。未来永劫にね」
ナゼはそれがさも楽しいことのように、愉快げに言う。
「ルールは簡単。あなたがその銃で僕を殺すことができたらあなたの勝ち。その前にこの世界が壊れしまったら僕の勝ち。これぐらいの催しがあった方が盛り上がるでしょう。最後の年ですし。僕も退屈で死にそうだし」
「この銃で……お前を殺す?」
「あと追加ルールとして、あなたは最後に残しておくということで。僕からは手を出しません。僕が殺しまくってる隙をついてもいいですし、正面から挑みかかってきてもいいです。この世界に人類が残っている限り、僕はあなたには一切危害を加えません。どうです? 破格のルールでしょう。何か質問はありますか?」
「ちょっと待て、この銃は弾が――」
「ジェイコブさん? 独り言ですか?」
さつきが不思議そうな顔で俺を見る。そのすぐ横で、ナゼがくすりと笑った。
「この子には、しばらく目隠しをしてもらいましょう」
そう言って、人差し指でさつきの額に触れた。
「あ、あれ? 突然真っ暗に――」
混乱するさつきを横目に、ナゼはパンっと手拍子を打った。するとナゼの纏っていた蜃気楼が火柱となって、ジョニーとパトリシアの体にまとわりついた。一瞬の出来ごとだった。二人が悲鳴をあげようと口を開くと、炎が待ってましたとばかりにそこから体内に入っていった。
「もーえろよもえろーよー……時にミスタージェイコブ。アメリカでもキャンプファイヤーの時、ダンスとかするんですか? あ、そもそもこの文化って欧米から入ってきたんでしたっけ」
「ジョニー! パトリシア!」
「ジェイコブさん! 何が起きてるんですか!?」
俺は自由の利かない手を使いなんとか立ち上がると、炎に内と外から焼かれ、よたよたと足をもつらせている二人に近づいた。
が、火は勢いを増し、ジョニーとパトリシアは立っていられなくなったのか、床を転がった。
この炎、床や天井に燃え移る気配がない。まるで体にピタッと貼り付いているようだ。
不意に、腕の拘束が弱まるのを感じた。渾身の力を込めると、拘束が解けた。俺は部屋に消火器が無いか、混乱した頭で探そうとする。
「あ、その呪文が解けたってことは、術者、もうすぐ死んじゃうかな。いいんですか? この炎、僕が死ぬまで消えませんよ?」
「この、糞ガキが!」
俺はナゼに遮二無二殴りかかった。が、またも俺は床に転がっていた。
――体をすり抜けたのか?
「だめですよミスタージェイコブ。僕を殺せるのはその銃だけ。あなたのパンチもキックも全然無効です。……と言っている間に、いい感じに焼けてきましたねえ」
ナゼはくんくんと鼻をひく付かせる。
辺りには噎せ返るような、人肉が焼ける匂いが立ち込めていた。
「本当は一瞬で炭にも、蒸発させることもできるんですけど、それだとあんまり味気ないなと思って。この人達にはゆっくりじっくりウェルダンになってもらいましょう。その方が、あなたに僕という存在がどういうものなのかをわかってもらえると思いますし」
「ジェイコブさん! そ、そこにいますか!? なんだか変な匂いが」
さつきが半狂乱で叫ぶ。
「ああいるよ! さつき、ちょっと待っててくれ、今そこの糞野郎をぶっ殺すから――」
「目隠しおーわり」
ナゼがまたさつきの額に触れた。
さつきは暗所から太陽の下に出た時のように目を瞬いた。そしてすぐそこで真黒い物体になりつつある物を目にした。
「な、なにこれ……燃えてる!? ジェイコブさん、火事! 火事ですよ!」
さつきは慌てて椅子から立ち上がると、俺の腕を握った。さつきの拘束も、いつの間にか解けていた。
「あ、あれ。ジルベールさんとパトリシアさんがいない……?」
きょろきょろと辺りを見回す。
「可愛い子ですねえ。僕、日本の女子高生見るの百年ぶりだから、新鮮な心持ちです。お話したいなー。どうしよっかなー」
ジョニーとパトリシアは、もう助からない。
パチパチと火の粉が弾ける音を聞きながら、俺はその事実を理解した。
今俺がすべきことは、一刻も早くこの野郎からさつきを逃がすことだ。
さつきに耳打ちする。
「……さつき。いますぐこの部屋を出ろ。そしてなるべく遠くへ行け」
「……ジェイコブさん?」
さつきは不安そうな顔をする。
「お前は見えてないだろうが、ナゼって野郎が今目の前にいる。お前の目が突然見えなくなったのも奴の仕業だ。いかれたやつだ。だからお前はここからできるだけ離れてくれ」
「え――」
さつきの表情が凍った。今彼女の頭のなかでは、目まぐるしく事実認識がなされているのだろう。この不思議世界に適応するのも早かった。聡明な子なのだ。
さつきは燃えカスを指差して言う。
「こ、この燃えてるのって、まさか――」
「何も考えるな。……行け!」
俺はさつきの背中を押した。
「ジェイコブさんは!?」
「後から追いつく」
さつきは何か言いたげに俺を見たが、黙ってドアから部屋を出て行ってくれた。
よーし、いい子だ……。
「お別れはすみました?」
ナゼは膝をかかえた恰好で床に座っていた。
俺はその姿に、なかなか帰ってこない親を待つ子供のような印象を受けた。
「……一つ言っておくが」
今度は俺がクソガキを見下す。
「俺はこの世界が滅びようが、お前のマスカキのティッシュになろうが、そんなことは一つも知ったこっちゃない。勝手に滅びてくれって感じだ。何しろ俺はこの世界に来て三日も経ってないんだ。どうなろうと構わないって思うのは、当然のことだろ? そして俺に自身に関しても」
唇を舐める。
「あっちの世界で自殺して、気がつけばこの世界にいた。そして俺はまた死に場所を探してさまよってたんだ。いいか? 俺は自分の命に、一ミリ、一オングストロームも価値を感じちゃいない。いつ死んでもいいくらいだ。仮にたった今ここに隕石が落ちてくるとしても、笑って、鼻くそほじりながら死ねる自信がある」
「汚いですね」
「だから今お前とできることなんて、お喋りぐらいしかないぜ? それでもいいなら付き合うけどよ。日本のアニメなら多少わかるから、それからいくか? ガン○ムは好きか?」
「嫌いです」
「そうか。実は俺も見てないから、あんまり話せるようなことはなかったんだ。じゃあドラゴンボ――」
「嘘をつく人は嫌いですよ」
ナゼはそう言って立ち上がった。
「あなた、たった今あのJK――さつきちゃんを逃したばっかりじゃないですか。全然、どうでもよくなんかないじゃないですか。今死んだ二人にしたってそうです。どうでもいいなら、なんで鼻くそほじりながら、燃えてるあの人たちで暖をとらなかったんですか? 僕にタックルかまそうとしたじゃないですか」
「それは――」
「例外ですか? 人間って、例外作るの好きですよね。あの時はああ言ったけど、これは特別だ、とかなんとか言って。それが積み重なっていくと、何が本当の気持ちなのかわからなくなるなるのに」
こいつは、何の話をしている?
「このゲームは真剣勝負なんです。真面目にやってくださいよ」
ナゼは俺をたしなめるように言った。
「あとジェイコブさん、一つ忠告です。あなたはあのドアの向こう側を安全だと思うのは自由ですけど、彼女に対して無責任すぎやしませんか? 向こう側がどうなっているのか、知りもしないのに」
「……少なくとも、お前の近くにいるよりかは安心できるぜ」
「本当にそうですかね」
「どういう意味だ……?」
「ご自分の目で確かめてきては?」
ナゼはドアに向かって手のひらを差し出した。
俺はドアを見る。アンティーク調のドアは、何の変哲もなく見えた。
へ、はったり言いやがる……。
だが、頭の片隅では否定しきれなかった。ジョニーとパトリシアを燃やした、不気味な炎。俺以外には見えないナゼ。常識では計り知れないことが、この世界では起こり得ることを、俺はもう知っているのだ。
ゆっくりとドアの方に歩み寄る。ナゼの言われるがままにするのは癪だが、やつのはったりをあばかなくては。この糞ガキが一番危険に決まってるんだ。さつきは今、安全な場所を探しているに違いない――
ドアを開けると、広大な草原が広がっていた。
目をこすっても、頭を振ってもダメだ。扉の向こう側は、まるで海原のように若草が広がっていた。小高い丘も見える。遠くには、連山の山峰が見えた。
ここはアルプスかどこかか? 俺はこんなハイキングの夢を見るようなお年ごろだったのか?
「ちょっと失礼」
後ろから押され、俺はドアの敷居をまたいでくさっぱらに転げ込む。
「何しやがる!」
「どうです? いいところでしょう。空気がおいしいですし、人間はいないし。僕のお気に入りの場所です」
ナゼは後ろ手にドアを閉めた。見ると、あろうことか大草原のど真ん中に扉の枠ごとぽつんと立っている。が、さすがにもうそんなことで驚きはしなかった。
さつきもこの草原のどこかにいるのか?
手で庇を作り、遠くを眺める。
――犬、か?
俺は、四足歩行する生き物が遠くで駆けているのを認めた。
「彼女はヘレンケラー」
ナゼがそう言うと、犬はピタリととまり、それから方向転換してこちらに走ってくるのが見えた。
「生まれつき目が見えないし耳も聞こえないんですが、嗅覚がずば抜けてるので、そこは本物のヘレンケラーと違うところですね。僕の匂いに気付いたのでしょう」
「お前が飼ってるのか?」
「飼う、なんてとんでもない。彼女は僕の友人です。まあ、たまに餌を連れてきてあげますが」
連れてくる?
犬がこちらに近づいてくるにつれ、地鳴りのような音も一緒に接近してくる。
「お、おいあの犬、えらいでかくないか?」
と、言っている間にも犬は視界の中でどんどん大きさを増していく。大型犬どころじゃない。グリズリーも比較対象としては小さすぎる。アフリカ象ぐらいか? いや、それよりも?
「……とんだ化物じゃねえか」
まるでトラックがこちらにバウンドしてくるような迫力。ヘレンケラーとナゼが呼ぶその化物は、俺たちの直前まで来て急停止した。風が巻き起こり、獣臭い突風が顔面に当たる。
「元気そうでなによりだよ。ヘレン」
ナゼが手を差し出すと、化物は当たり前の犬のように、自分から撫でられに頭を下げた。
化物は、オオカミをずっと獰猛にしたような凶悪な面をしていた。垣間見えた犬歯はカラーコーンぐらいの大きさがある。そしてその口元は、何かの血か、べったりと赤く染まっていた。
「おい、こいつ何か食ったみたいだぞ。血があちこちについてる」
俺はげんなりして言った。生臭い匂いも辟易モンだ。
「そりゃあ生き物は何かを食べないと生きていけないですから……あ、何を食べたのかのヒントがありましたよ」
ナゼは化物の歯茎に挟まっている、血と唾液でネトネトになったものを引っ掴んで取り出した。ボロ雑巾みたいな――なんだこれ――
「残念。さつきちゃん食べられちゃったみたいです」
それは――さつきの着ていたセーラー服の切れ端だった。
「僕がいる時は、僕が食べていいっていうまで何も食べないお利口さんなんですけどねー。だから今は、ジェイコブさんを食べようとしないでしょう?」
膝がガクガクと震え、立っていられなくなる。
さつきが、この化物に食われた?
「僕はあの子、殺すつもりはなかったんだけどな。ジェイコブさん。あなたのせいでさつきちゃんは死んだんですよ。かわいそうね、さっちゃん」
俺が逃げろって言ったから、さつきは死んだ?
「ふざけるなクソガキが!」
おまえがこの化物の元にさつきを連れていったんだろう!
「死ね! てめえはあああ」
ナゼの腰にしがみついて、草むらの上に引き倒す。馬乗りになり、拳を振り上げた。
「銃以外の攻撃は無効ですよ」
「黙れ!」
殺す。こいつだけは。殺さなければならない。
「あー……もう抑えられないや」
刹那、俺の体は宙に浮いていた。
「が……っは……」
「ヘレン、もぐもぐはもうちょっと待ってねーそのままねー」
化物に……食われたのか……?
体を牙が貫通しているのが、焼けるような感覚からわかった。
「僕というものがどういうものなのか、少しはお分かりになりましたか?」
「殺……す……」
「本気になってもらえたようで何よりです。でも、その銃はもう弾が無い。だから僕を殺すことはできない。これじゃあ、ゲームになりませんよね? 安心して下さい。実は、今までのはチュートリアルでした。あなたに僕を知ってもらうための」
頭が……働かない……死ぬのか……俺は……
「銃の弾、今度は大切に使ってくださいね。僕は、あなたを待ってますから」
体が……冷たく……暗い……ねむ……い……
「それではまたいずれ、どこかで――」
………。
目を覚ます。
なんだか、とんでもなくファンタジーな夢を見ていた気がする。
俺は目覚ましを止めようと、枕元に手を伸ばす。
が、時計はそこにはなかった。それどころか、俺はスプリングがいかれた硬いベッドの上ではなく、野外の、枯草の上に寝ていた。
ここは――最初の、あの森じゃないか。
夢じゃ、なかったんだ。
さつきが、ジョニーが、パトリシアが死んだのも、全部現実だったのか……。
「Fuck!」
拳で地面を叩いた。
ナゼに、また飛ばされたってことかよ……!
手には変わらず45口径を持っていた。だが持ってみて、違和感に気付く。弾は空っぽのはずだが、やけに重い。
リボルバーを外してみると、銃弾が全弾装填されていた。
どういうことだ……?
一人混乱していると、すぐ近くで女の悲鳴がした。
激しい既視感。それにこの声。最初にこの世界で出会ったあの娘の悲鳴も、こんな声だった気がする。
俺は恐る恐る、悲鳴のした方へと歩いていった。
――耳の尖った女が、豚面の化物に襲われていた。
残弾は、六発。