第1話 女帝VTuber 静かな遺産
「それでは、発表します」
画面の中で、青髪の少女が微笑んだ。
白い軍服風のワンピース。肩には金色の飾緒。
背後には、巨大なホールを思わせる仮想空間が広がっている。
コメント欄は、すでに読めない速さで流れていた。
南野結衣。
配信上の名前は、女帝様。
そう呼ばれるようになったのは、彼女が偉そうだったからではない。
金の使い方が、いつも少しだけおかしかったからだ。
SNSでは、彼女は「資本家系VTuber」と呼ばれるようになっていた。
本人は、その呼び名自体はあまり気に入っていない。
ただ面白そうなことに金を出していたら、いつのまにかVTuberにされて、周りが勝手にそう呼び始めただけだった。
もちろん、その金額が普通ではなかったことは認めている。
結衣が指先を動かすと、画面いっぱいにロゴが浮かび上がった。
――Virtual World Expo 202X
その下に、参加企業の名前が次々と並ぶ。
ゲーム会社。
音楽レーベル。
アニメスタジオ。
配信プラットフォーム。
通信会社。
海外の巨大IT企業まで混じっていた。
コメント欄が、一瞬だけ止まったように見えた。
<え?>
<待って、これ公式?>
<並んでる企業名が強すぎる>
<個人配信の発表規模じゃない>
<女帝様、また何か買った?>
「これは、ちゃんと協賛と出資と業務提携ですよ」
結衣は穏やかに訂正した。
その言い方があまりにも普通だったので、コメント欄はさらに荒れた。
その様子を眺めていた結衣は、少しだけ目を細めた。
「“世界はもっと近くて、自由で、面白い”って、本気で証明してみたくて――。
お金も夢も国境も関係なく、みんなで一緒に“新しい時代”を遊びましょう」
隣で、公式マスコットのアセットくんがふわりと浮いた。
「みんなー、今のを普通の発表だと思っちゃダメだよー」
丸い手で、結衣の方を指す。
「この人、思いつきでイベントをやる顔をして、裏で半年かけて企業を巻き込むタイプだからね。良い子は真似しないでね。普通は破産するよ」
<草>
<普通は破産する>
<アセットくん、正しい>
<女帝様の資金感覚を一般化するな>
<だいじょうぶ絶対マネできねえw>
コメント欄は笑いとツッコミで埋まり、
現実の夜景とバーチャルの光が、画面の中で混ざり合っていく。
配信の最後、結衣はいつものように笑った。
「世界は、もう少し面白くできると思うんです」
その言葉だけ聞けば、夢を語る配信者に見えたかもしれない。
けれど彼女のモニターには、スポンサー契約書、収支計画書、協賛企業ごとのリスク一覧が開かれていた。
南野結衣は、確かに夢を見る。
ただし、そのために必ず電卓を叩いていた。
その癖は、社会人二年目の春から少しも変わっていなかった。
◇
春、都心の朝。
社会人二年目の南野結衣は、目覚ましより少し早く目を覚ました。
布団の中でスマホを開く。
経済ニュース、不動産市況、地価マップ、再開発予定地の資料――。
通勤前の布団の中で見るものとして、再開発予定地の資料はたぶん少数派だ。
けれど結衣にとっては、天気予報を見るのと同じくらい自然な習慣だった。
別に、金が好きなつもりはない。けれど数字の並びを見ると、不思議と気持ちが落ち着いた。家族や友人の雑談が横を通り過ぎても、結衣の頭はいつも“データ”で満たされていた。
朝食のテーブルで、母が明るく言う。
「今日は気持ちいい天気ね」
父は新聞を読みながら、味噌汁に手を伸ばしている。
兄はスマホを見て、少し呆れたように笑った。
「駅前、マジでとんでもない値段になってるな。
不動産会社、何社からも営業来てるってさ」
父が新聞を畳み、ため息まじりに言った。
「売りませんか、貸しませんか。毎月どこかしらから来る」
母は苦笑した。
「おじいちゃんたちが聞いたら、びっくりするでしょうね」
結衣は黙って箸を動かした。
家族の空気はどこまでもあたたかい。
けれど、結衣の中では別の“景色”が広がっていた。
──売るなら、たぶん今だ。
そう思った瞬間、結衣は少しだけ自分が嫌になった。
思い出のある祖父母の家の話をしているはずなのに、自分の頭の中では売却価格と税金と手残りが勝手に計算されている。
思い出より先に数字が浮かぶ。
それは便利な癖であると同時に、少し寂しい癖だった。
けれど表情は変えない。
「うん、みんなで納得できるのが一番だよね」
その夜、兄から家族LINEに通知が入った。
《今日、また不動産会社から電話あったらしい。一回ちゃんと話さない?》
すぐにグループ通話が始まった。
「思い出はあるけどさ、誰も住まない家を守るのって、結局誰かに負担が寄るだろ」
「売るにしても、片づけどうするんだ」
兄の意見に対して、父が最初に言ったのは思い出の残る荷物のことだった。
「おばあちゃんの食器、まだ残ってるでしょ。写真も」
母の声は、少しだけ小さかった。
「全部捨てるわけじゃないよ。必要なものは持ってこよう」
そう言う兄の言葉に結衣は画面の端でうなずきながら、頭の中で言葉を選んでいた。
売却価格。
解体費。
譲渡所得税。
管理費用。
言えることはたくさんある。でも、最初にそれを言うのは違う気がした。
「結衣はどう思う?」
父に聞かれて、結衣は一度だけ目を伏せた。
正解だけなら、もう結衣の中では決まっている。
売るべきだ。
今の相場なら条件はいい。
このまま持ち続ける理由は、数字の上ではほとんどない。
でも、それだけを言えば、きっと冷たい。
「……売るなら、今はかなりいいタイミングだと思う」
そこまで言ってから、結衣は少し笑った。
「でも、寂しくないわけじゃないよ」
母が、ほっとしたように息を吐いた。
「そうね。寂しいわよね」
その反応を見て、結衣も少しだけ安心した。
「管理もそろそろ限界だし、思い切るのもアリだな」
父の言葉に、母は少し目を伏せる。
「寂しいけど、前に進むのも大事かもね」
会議の後、結衣は机の引き出しを開けた。
そこには、祖母からもらった古い封筒があった。
就職祝いに添えられていた手紙だった。
『結衣ちゃんは、昔から考えすぎるところがあります。でも、考えられるのは悪いことではありません。大事なものを選ぶときは、怖がらずに考えなさい』
読み返すたびに、不思議な気分になる。
祖母はたぶん、土地の売却の話など想像していなかった。
それでも今の結衣には、その言葉が妙に都合よく刺さっていた。
◇
週末、結衣は祖父母の家の跡地を歩いてみた。
工事車両が忙しく行き交い、昔の面影はほとんど消えてしまっている。
でも、庭のツツジだけが変わらず咲いていた。
翌週の昼休み、会社のカフェで芽衣が結衣のスマホをのぞき込んだ。
「……結衣さん、昼休みに何見てるんですか」
「うちの実家の近隣の成約事例」
「女子の昼休みで出てくる単語じゃないですよ、それ」
芽衣は呆れたように笑った。
「でも、最近ちょっとスッキリした顔してますね」
「そう?」
「はい。前より、ちゃんと寂しそうです」
その言い方がおかしくて、結衣は少しだけ笑ってしまった。
◇
その夜、結衣はベッドの中でスマホを開いた。
再開発エリアの地価推移。
近隣の成約事例。
税率表。
相続に関するメモ。
誰にも見せていないフォルダには、家族で話す前から集めていた資料が入っている。
結衣が画面を閉じても、数字はまぶたの裏に残ったままだった。
みんなと同じように寂しがりたい。
それなのに、自分だけが数字の向こう側を見てしまう。
そして数週間後。
祖父母の土地は、結衣が想定していた上限よりさらに高い金額で売れた。
家族で分けても、社会人二年目の結衣には不釣り合いな額が残った。
通帳に並んだ数字を見たとき、結衣は喜ぶより先に、こう思ってしまった。
――このお金、寝かせておくのはもったいない。
このときの結衣はまだ知らない。
この数字ばかり見てしまう癖が、やがて自分を、給料をもらう側ではなく、会社を買う側へ連れていくことを。
このお話のコンセプトはVTuberが配信者として億万長者になるのではなくて、イーロ〇・マスクがVTuberになったらです。
もし少しでも興味を持っていただけたら、ブックマーク・評価など頂ければ大変うれしいです。




