第一話 二
「お勧めのパスタとチョコレートケーキを一つずつ。あ、このショートケーキも追加で」
正午過ぎの喫茶店に響いたのは、涼やかで凛とした女性の声。
声だけを聞いたならば、二十代中頃に思える落ち着いた声だった。
「フィリアは本当によく食べるよね。それで私よりも軽いんだから、どうなってんの?」
よく大人と間違えられるフィリアに向けて、苦笑いを浮かべながら注文をメモしているのは一人の少女。軽食とデザートが好評の喫茶店『至福の一時』の店員で、フィリアの友人の一人だ。
フィリアよりも頭一つ小さい小柄な少女で、腰まで届く髪を左右で三つ編みにしている事と、見ているこちらまで元気になる笑顔が印象深い。
「私は戦いが専門だから……しっかりと食べないと」
いつも元気な友人――ロザリヤの言葉を受け取ったフィリアは、メニュー表を見ながら次に来る際のデザートを物色していく。本来は昼食を食べる事が目的であるのだけれど、どうしても甘い物が目に入ってしまうのだ。
「ただ甘い物が好きなだけでしょ。私も忙しいんだから、メニュー貰うね」
すると、甘い物が目から離れないフィリアを見かねた友人は、強引にメニュー表を奪い取った。
お客様に対して中々に横暴な態度を取るロザリヤではあるが、フィリアは放って置くとずっとメニューを眺めてしまう癖があるために仕方がないのかもしれない。
(……また来ようかな)
メニュー表を奪われたフィリアは、友の背中を見送りながら残念そうに心中で呟く。
それと共に注文したメニューが届くまでの空き時間を用いて、周囲を見渡す。
喫茶店『至福の一時』は、神都ルーティシアの南に位置する商店街に位置する一店舗で、店内だけでなく店外に木製の丸テーブルと椅子を設けているのが特徴的だ。
衛生面と食い逃げを防止するために、食事出来る場所を店内のみに限定している喫茶店と比べると、この解放的な雰囲気が好ましいという事で、定期的に通う者が多い人気店の一つでもある。
現在この場所にいるフィリアも週に一回は足を運ぶくらいに利用頻度が多い店であるのだが、今回の場合に限ってはただ食事をしに来た訳ではない。店の人気を頼りに、とある男との待ち合わせ場所に指定したのだ。
その男との待ち合わせは三の鐘が鳴る時刻。一の鐘は朝の七時、二の鐘は十時、そして今回の三の鐘は午後一時に鳴る鐘の事だ。
定刻にはまだ早いような気もするが、残り十分程で都市の中心に位置する大聖堂の鐘が鳴り響く事だろう。と言っても、定刻通りに現れるかどうかは分からないのだけど。
しかし、そんなフィリアの懸念は数秒の内に霧散する。突如として、フィリアを覆うような影が覆い被さったからだ。
「――あんたかい? 俺を呼び付けたのは?」
その影の正体である長身の男は、開口一番に必要事項を訊いた。
弾かれるように見上げたフィリアではあったが、すぐに言葉が出る事は叶わない。それもその筈で、日頃から戦いに、それも特異な部類に該当する魔導書関連の事件を担当しているフィリアが、ここまでの接近を許してしまったからだ。
接近されるまで気が付かなかったというのが、正直な所である。
またそれだけでなく、体に合ったタイトなウェアも、固そうなズボンも漆黒で、さらに身に纏うロングコートですら『黒』という徹底した格好が表ではない、まだ見ない裏の世界を覗かせて、身を強張らせたのかもしれない。
「そう固くなるなって。傭兵だからといって、あんたを殺す訳ではないんだからさ」
固まったままのフィリアを見かねたのか、男は一度肩を竦めると。
フィリアの向かい側の席へと許可を得ずに座った。元々仕事を依頼するために呼んだのだから座るのは極自然だ。どちらかと言うと、言葉を返さずに固まっているフィリアの方に問題があるように思う。
しかし、了承を得ずに座るのは、少々礼儀に反するのではないだろうか。
「申し訳ないけど、俺も暇ではない。用件を聞いて……無理なら辞退させてもらう」
考えが伝わったというのか。
漆黒の髪を全て後方へ流す、という変わった髪型をした男はテーブルに右膝をついて、人差し指を真っ直ぐに天へと伸ばした。その仕草は「一つ教えてやる」と言いたいのか、それとも「別件がある」と言いたいのか。さすがにそれは分からなかった。
「依頼は単純です。蘇生の魔導書――リーヴァを止めたい。そのために力を貸してもらいたいのです」
しかし、この場合は分からなくてもいい。そう判断したフィリアは、単刀直入に用件を切り出した。幾分か乱暴な気もするけれど、後は出たとこ勝負だ。
そう思って、彼の様子を窺っていると。
「蘇生の魔導書。人または動物……生命あるものの生気を吸って蓄える事で力を発動させる禁忌の魔導書だな。そして、あんたの姉であるリーゼが……リーゼロッテが所持していた魔導書でもある。彼女の目的は――戦で死んだ恋人であり、騎士でもあったランスターを蘇生する事」
彼は気にした様子もなく、知り得ている知識を披露した。
おそらく、お互いが保持している情報に食い違いがないかを確認したいのだろう。
「はい。大筋は間違っていません。ただ問題なのは、姉が保有していた時は社会的な不適合者……つまりは、神官が罪人と断定した者を対象に生気を吸っていました。ですが、リーヴァは……蘇生の魔導書が形成した人格は『罪』に対する認識が極端なようで、とても罪人とは呼べない者まで攻撃対象にしています」
ならば、持っている情報を全て吐き出した方が賢いと判断したフィリアは、淡々と言葉を紡いでいく。
「あんたには悪いが……俺からすればどっちも問題があるように思うけどな。あんたのお姉さんも、リーヴァっていう子も」
だが、言葉を受け取った方は対して関心がないようで、溜息交じりに言葉を吐き出した。
確かに彼の反応は自然だ。どんな想いがあるにしても、死者を復活させるために他人の命を奪う事などあってはならないのだから。それが例え罪人の命であっても。
それは分かっている。分かっているけれども、姉の気持ちも事情すら知らないままに踏みにじられる事は許せなくて。
「――何も知らないのに、勝手な事を言わないで」
内から湧き出た感情を、そのまま彼へとぶつけてしまった。
言葉は時には真剣で斬ったよりも深く、深く相手を傷つける事を知っていても、フィリアは気持ちを止められなかったのだ。
「何も知らない……か。まあ、仕方がないだろうな。実際に会った事もないんだから。まずは自己紹介といこう。俺はゼラルド・アーネスト。今は亡きランスターの親友だった男だ」
だが、さすがに彼は大人だったようで。
フィリアの怒りを正面で受け止めたにも関わらず感情を表に出す事なく、自身の正体を明かしてくれた。
「ランスターさんの……親友? 傭兵をしている、あなたが?」
それでも、フィリアはその言葉をすぐに飲み込む事は出来なかった。
飲み込んで素早く整理しなければならないというのに、まるで喉に異物が詰まったかのように内へと入ってこないのだ。
しかし、冷静に考えれば彼は姉の事を一度「リーゼ」と呼んで、「リーゼロッテ」と言い直している。何か関係があったと考えて然るべきだったとも言えるだろう。
「俺は元騎士だ。だが、ランスターがいなくなってからは……この様だ。元々向いてなかったのだろうな。国のために戦うのも、何かに縛られるのも耐えられない。俺は今のように自由に戦う方が好きだ」
対応に困るフィリアを救ってくれたのは、やはり余裕がある男の方だった。
元騎士ならばランスターと接点があるのも納得出来るし、騎士を辞めた理由も幾分か想像出来る。
「そう……ですか。だから、あなたのような有名な方が……私のような小娘の依頼を」
「そう。俺にも無関係な話ではないんでね。それに今回の件で……どうしても、脳天に風穴を開けたい奴がいる」
ようやく事態に追いついたフィリアが確認すると、彼はさも当然という顔で返した。だが、後半の言葉には背筋が凍るような殺気が込められていて、肩を抱きたいような寒気が襲う。
まさにその瞬間に。
「――パスタ、お待たせー!」
場の空気を見事に破壊したのは、三つ編みが目印のロザリヤだった。
ロザリヤは言葉の通りに、大皿に盛られたパスタをにこやかな笑顔を浮かべながら、木製のテーブルへと置く。当然、今までの張り詰めた空気など吹き飛んでしまった。
「……ありがと」
今も震えが止まらないフィリアは、羽虫が鳴くような声で友人に感謝の言葉を呟く。
「二人でゆっくりと召し上がれ」
しかし、事情を知らない友人は料理を運んだ事に感謝したと思ったようで、正面に座る傭兵へと取り分け専用の皿を起きつつ、一つウインクした。どうやら彼女は彼をフィリアの恋人候補か何かだと思ったらしい。
(……後で訂正しないとね)
ロザリヤのおかげで調子を取り戻したフィリアは、内心で苦笑いを浮かべる。
「――悪かった」
対するアーネストは、何故か謝罪の言葉を口に出した。
今の会話の流れで彼が謝罪するような事があっただろうか。幾ら考えても結論が出ないと思ったフィリアは、小首を傾げて彼へと問う。
「どうして謝るのですか?」
「いや、俺の個人的な感情であんたを怯えさせてしまったからな。だから、悪かった」
すると、彼は銀製のスプーンでクリームソースのパスタを巻きながら、もう一度謝罪した。勝手に怯えたのはフィリアの方で、彼が謝る事などはない。
それでも、アーネストはフィリアを気にしてくれたようだった。
「いいんです。あの程度で震えた私がいけないんですから。リーヴァを……姉の願いを止めると決めたんです。だから、私は強くならないといけません。もう……弱いままの自分でも、姉を追いかけてばかりいた『凡人』な私でもいけないんです」
そんな優しい彼へと送ったのは、精一杯の笑顔だった。
彼には作り笑いだと分かってしまうのだと思う。しかし、それでも精一杯前へと進む気持ちを伝えたいと思ったのだ。共に歩むとするならば、絶対に。
「あんたは凡人ではないと思うがね。俺なんかよりも……よっぽど強いさ」
笑顔を受け取った彼は、一応は認めてくれたらしく薄っすらと微笑み返してくれた。
リーゼロッテという繋がりが無ければ、頭を下げたとしても力を貸してくれなかっただろう傭兵の男。そんな彼に少しでも認めてもらえた事は、素直に嬉しいと感じたフィリアは一度頷くと。
「あんたではなくて――フィリアでお願いします」
自身が注文したパスタにフォークを突き刺す。
このままぼうっとしていると、彼に全てを食べられてしまうような気がしたのだ。
「あいよ。よろしくな、フィリア。お代は出世払いで許してやるよ」
「はい、アーネスト」
「いきなり呼び捨てかよ。しかも、アーネストねぇ。親しみを込めて、ゼラルドさんと呼んで欲しいもんだよ」
共に名を呼び合った二人は、自然な笑みを浮かべて笑い合ったのだった。




