18) それは犯罪行為です
こうやって、ゆっくりと腰をおろして食事をしたのは何年ぶりだろうか。
私は月光樹の中という、まるで未知数な神域に居る。まだここから脱出する術を見つけていないし、脱出できるのか不明だ。しかし、おそらく打開策を出さなくても、己の死とは直結しないといと判断ができたのは心理的に大きかった。なぜか私に懐くヌルの反発は免れないだろうが、後1カ月したら無罪放免となり街に戻れる可能性が高い。
何より、ここなら、某勇者はいない。『日課か!』と叫びたくなるほど襲撃される我が家よりも安全だ。
私は、日々勇者の影に怯えながら生活をしていたか。なにしろ、酔っぱらった勇者に不意打ち攻撃を喰らって、気絶から目を覚ました頃には魔物に取り囲まれていました、なぁんて事は両手の指で数えきれないほどある。この安息の地に居さえすれば、後先を考えない乱暴な討伐に巻き添えを受けた被害者の皆さんの罵声を浴びながら、長蛇の列の患者を治療するという苦行を強いられることもない。
あの腹黒い笑顔は、思い出すだけでも、ぞっとする。
そのような意味合いで言うなら勇者のほうがよっぽど悪だ。レティシアと話し合い、己が微妙な立場に居て、しかも暗雲が立ち込めていることに気がついたが、それは今直ぐ勃発することではない。とは言っても、このままで良いというわけではなく、むしろ悩みの種は増えた。
この急場をしのげば、何とかなるかもしれない。けれども、この先10年経ってヌルが大人になったら、きっと彼の行動範囲はさらに広がるだろう。
そうなれば噂が噂を呼ぶことになる。
ヌルの計画が子供らしく大雑把で穴だらけであるというのは、見ての通りである。このまま放置していたら宜しくない結果を招くことは火を見るよりも明らかだ。
レティシアの『ここで生活をしたい』という願いは出来れば叶えてあげたい。
けれども10年経って彼の怒りが風化すれば良い。だが、彼の執着ぶりは想像を絶するもので、あきらめる彼の姿を想像することは残念ながら出来なかった。それよりも年月が経つことによって、怒りの矛先が彼女に向きかねないように思えた。
それに、無関係な龍たちが実害を被っている以上、彼らが勇者の私怨により絶滅するのを見ているほど私の精神は図太くない。
信仰心はさほどないかもしれないが私だって、それなりに龍を神聖視しているのだ。まぁ、『神の使いなんだから、敬え!』と堂々と相手に言われたら、信仰心も何も吹っ飛んでしまうが、エルフの大人たちも、特に白龍を崇めていた。
だから、私もその影響を受けている。
「へぇ、冬なのにこんな果実もとれるのか」
「はい。この辺りは森の恵みも豊かで……、雪の下に埋もれてる冬の味覚もあるんですよ。秋に食べるよりも、ずっと味に深みが出るんです」
口直しに、と持ってきた朱色の果実の皮を包丁で器用に剥いたレティシアは、その果物をヌルが採取したのだと言う。
野性味が強く、癖のある感じだったが、それもまた美味だった。
そして現在、たらふく食べて満腹になった私は、心地よいまどろみに襲われている。これもまた人間からの奇進物という大きな木製の掛け時計は夜8時を指していた。
「レティシアとヌルは何時も何時ぐらいに寝るんだ?」
と、尋ねると、
「6時には寝ていますね」
「はやいな」
「えぇ。私は居候ですし、まだヌルは子供ですから……」
レティシアは、人間の生活にヌルを馴染ませたくないらしい。そのため、あまり人間のものに頼らない自然な生活をしているのだと言う。
ここからだと、私の住んでいた街が最も近いだろう。その街だって、数百年前はただの草原だったと聞く。
元々は地元に住んでいた者が白龍を信仰しており、その流れで今の白龍信仰が形成された。
「ヌルは、それこそ太古の昔から変わらない生活をしています。だから私も、その生活を尊重して、見習うようにしているんです」
「ふぅん。レティシアは偉いな」
物資が限られているから、朝日が昇る頃に起床する生活に、自然となったのだろう。
「ミゼア様もお疲れでしょうし、そろそろお風呂の支度をしてきますね」
と言って、レティシアは何処かへ行ってしまった。ちなみに私が声をかける暇もなかった。客人である私に手伝いをさせたくなくて気を使ったのだろう。
ヌルに案内してもらったが、月光樹の中は入り組んでいる。彼女が、いったい何処へ行ったのか検討もつかなかった。後を追ったら逆に迷子になって彼女の手を煩わせてしまいそうなので、大人しく彼女の帰りを待つことにした。
きっと良いお嫁さんになれるだろうなぁと思いながら、私は夜空を鑑賞した。
昨夜が満月なだけあって、奇麗な月夜だ。
星が瞬いた、と思ったら尾を引いて堕ちた。もしかして流れ星かと思って凝視したら、また1つ天から流れてきて、ドキリとした。
こんなところでこんなものを見るとはと、感慨深いものがあった。昔々、まだ子供だった頃にエルフの仲間たちと一緒に流れ星を見て騒いだっけなと光る星を見て懐かしくなる。
そうして20分ほどが経った。
レティシアが、まったく戻ってくる様子がなかったので、私は心配になってきた。
「レティシアはどうしたのかな……」
もしかして用意に手間取っているのだろうか。レティシアが居なくなると、部屋に静けさが増して不気味だった。
とっぷりと日が落ちて、ホウホウ、とフクロウの鳴き声が聞こえてくる。やけに大きな声で聞えるので、何処にいるんだと目を細めて探したら、月光樹の枝にいたのでギョッとした。
どうやら月光樹の周囲を縄張りにしているようだ。
私の気配に気がついたのか気が付いていないのか、獲物を見つけたようでバサリ、と遥か彼方へ飛んで行ったのを見ると、結界は小動物には影響がないのかもしれない。
「げッ」
何気なく通路のほうへ振り向いたら、ぼんやりと人魂みたいな光の珠がふわふわと浮かんでいる。それも1個だけではない。数えきれないほど、それは浮かんでいた。おそるおそる指を突っ込んでみたら、ほのかに温かい。
月光樹と呼ばれるだけあって、不思議な現象が多い。
そうしているとレティシアが戻ってきてお風呂へと誘導されたが、ありとあらゆるところに、その光の珠はあった。レティシアに聞いてみると、精霊の魂なのだと言う。
その言葉に私は口を引き攣った。
「指を突っ込んでしまったのだが、大丈夫か?」
「えぇ」
私も良く転んでぶつかっちゃいますから、とレティシアは微笑んだ。ちょっと熱めの湯に入ると、私は寝床を案内された。
目覚めた時に寝た時とは違う部屋だった。
曰く、こっちの部屋のほうが暖かい場所にあるのだと言う。
どうやら私が怪我をしていたので月光樹の入口にある部屋から動かせなかったらしい。
「さて」
ふっかふかの羽根布団に倒れ込みたい。
けれども、この布団の膨らみはなんだろうか。
とっても嫌な予感がした。
頭隠して尻尾隠さず。
むんずと、出ている尻尾を掴んで引き上げてみると、綿毛のようにモフモフな腹が見えた。ぐるりと回転させると、見覚えのある色の目をした白龍の子供がパチクリと目をまたたく。
というか、もしかして熟睡していたのか。こっそり移動させれば、そのまま寝ていたんじゃなかろうかと思い当たって、私は渋い顔になってしまった。
もう子供は起きてしまった後だ。
「……、やっぱりお前か」
「お前じゃないよ、ヌルだよ! 尻尾はなして!」
「はいはい」
キャンキャン騒ぐな、犬じゃあるまいし。
「わぁッ」
「出ていけ! ここはお前の寝床じゃないだろ!」
「添い寝希望……?」
「断る!」
「ミゼアのケチ!」
けっきょく布団の上で言い争っている内にコテンと寝てしまったヌルを放置するわけにもいかず、私はヤツを布団の隅にいれて寝るしかなかった。
翌朝、なんかやけに息苦しいと思ったら、私の腹の上ですやすやと寝ているヌルを発見して悲鳴を上げた。
やっぱり、ここも私にとって安息の地ではなかったようだ。