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やさしい嘘って、ずるいの?

 嘘はよくない。

 たぶん、それはずっと正しい。

 菜根タンも、そう思っている。

 ごまかしたり、だましたり、ないことをあるように言ったり。

 そういう嘘は、やっぱりよくない。

 でも時々、嘘という言葉の中には、少しだけ別のものも混ざっている気がする。

 言わない方がいい本音。

 そのまま出すと痛い言葉。

 今ここで置くと、相手がただ傷つくだけになりそうなこと。

 そういうものの前で、少しだけ言葉を丸める。

 あるいは、全部は言わない。

 それは嘘なのだろうか。

 それとも、ただのやさしさなのだろうか。

 その日の昼休み、教室では文化祭用の衣装合わせが行われていた。

 みんなが順番に試着して、似合うだのかわいいだの、にぎやかに言い合っている。

 その中で、一人の子が少し不安そうに菜根タンの前に立った。

「……どうかな。変じゃない?」

 その衣装は、正直に言えば少しだけ似合っていなかった。

 色味がその子の雰囲気とずれている。

 形も、良さを引き出すというより、少しだけ窮屈そうに見える。

 でも、それをそのまま言うのは、たぶん少し違う気がした。

 その子は、勇気を出して着てみたのだろう。

 周りの反応を、いま少しだけ怖がっている。

 そういう顔をしている。

「変、ではないよ」

 菜根タンはそう言った。

 言ったあとで、その言葉が少しだけ宙に浮いた気もした。

 嘘ではない。

 でも、本当の全部でもない。

「ほんと?」

「うん。でも、たぶん別の色の方がもっと似合うかも」

 そう続けると、その子は少しだけほっとしたように笑った。

「あー、そっか。じゃあそっちも着てみようかな」

 その場はそれで流れた。

 空気も悪くならなかったし、相手も傷つかなかったように見える。

 でも、あとになって菜根タンの胸には、小さな引っかかりが残った。

 今のは、やさしかったのだろうか。

 それとも、正直さを少し曲げたのだろうか。

 放課後、中庭のベンチに座って、菜根タンはそのことを考えていた。

「今日は、言葉を丸めたあとの顔してるね」

 声がして顔を上げると、論子ちゃんがいた。

「そんな限定的な顔ある?」

「あるよ。今日はかなり」

 論子ちゃんは隣に座った。

 菜根タンは、昼休みのことを話した。

 似合っていなかったこと。

 でも、そのまま言うのは違う気がしたこと。

 だから少しだけ言葉を丸めたこと。

「……あれって、やさしい嘘だったのかな」

 論子ちゃんは、少し考えてから言った。

「嘘、というより“全部をその場で出さなかった”に近いかもね」

 菜根タンは、その言い方をゆっくり受け取る。

「全部を出さなかった」

「うん」

「本当のことって、一枚じゃないでしょ」

“似合ってない”も本当かもしれないけど、

“別の色の方がもっと似合いそう”も本当だったんじゃない?」

 その言葉に、菜根タンは少しだけ肩の力が抜けた。

 たしかにそうだ。

 自分は本当のことを消したわけではない。

 ただ、一番強く刺さる形を選ばなかっただけなのかもしれない。

「じゃあ、やさしい嘘って、必ずしも悪くないのかな」

「その“やさしい”が何に向いているか次第かな」と論子ちゃん。

「相手が立てるように、言葉を整えるためなら、私はそんなに悪いことだと思わない」

「でも、“本当のことを言うのが面倒”でぼかすなら、少し違うよね」

 その時、気だるい声が割り込んだ。

「“やさしい嘘”って、だいたい半分は自分のためよね」

 楊子ちゃんだった。

 菜根タンはすぐに顔を向ける。

「やっぱりそう思う?」

「思うわよ」

「相手を傷つけたくない気持ちがゼロとは言わない」

「でも同時に、“自分が嫌な顔を見たくない”とか、“面倒な空気にしたくない”もだいたい混ざってる」

 その言い方は、やっぱり容赦がない。

 でも、否定しきれない本当らしさがある。

 昼休みの自分にも、たしかにそういう気持ちはあった。

 相手を傷つけたくない。

 でも同時に、その場の空気を固くしたくなかった。

 自分が“きつい人”になるのも、少し避けたかった。

「じゃあ、やさしい嘘って、ずるいのかな」

 菜根タンがそう聞くと、楊子ちゃんは少しだけ首をかしげた。

「ずるい時もある」

「でも、ずるいからって即悪いとも限らないでしょ」

「え?」

「人って、全部の本音をそのまま出して生きてたら、わりとすぐ壊れるわよ」

「だから少し丸める。少し伏せる。少し先延ばしにする」

「その技術自体は、別に嫌いじゃない」

 その答えは、菜根タンには少し意外だった。

 楊子ちゃんはもっと、嘘を嫌う方だと思っていた。

「ただし」と楊子ちゃんは続ける。

「その“やさしい嘘”のせいで、相手がずっとずれたまま進むなら、それは親切じゃない」

「一時しのぎで空気だけ守って、本当に必要なことを全部先送りするなら、ただの逃げよ」

 その線引きは、かなり大事な気がした。

 空気を守るための嘘。

 相手を守るための丸め方。

 そして、現実を見えなくしてしまうごまかし。

 全部似ているようで、たぶん少しずつ違う。

 そこへ、明るい足音が近づいてくる。

「なに話してるの?」

 孟子ちゃんだった。

 事情を聞くと、孟子ちゃんはすぐに言った。

「私は、“やさしい嘘”って言葉、ちょっと好きじゃないかも」

「なんで?」と菜根タン。

「だって、“嘘”って言うと、なんか全部ごまかしっぽくなるから」

「でも、さっきの菜根タンのって、ごまかしたかったわけじゃないでしょ」

「その子に似合う形を、ちゃんと一緒に探そうとしてたんじゃない?」

 その言い方は、孟子ちゃんらしくまっすぐだった。

 そして、かなり本質に近かった。

 そうだ。

 昼休みの自分は、ただいい顔をしたかったわけではない。

 その子を傷つけずに、でも別の選択肢へ繋げたかったのだ。

 もしそこで

「うーん、似合ってない」

だけ置いて終わっていたら、残るのはたぶん傷だけだった。

 でも

「変ではない。でも別の色の方がもっと似合うかも」

なら、次に進める。

 その違いは、かなり大きい。

「……じゃあ」

 菜根タンはゆっくり言った。

「やさしい嘘かどうかより、相手の足場を残してるかの方が大事なのかも」

 論子ちゃんがやわらかくうなずく。

「うん。私はそう思う」

「全部を言わないことが問題なんじゃなくて、相手の現実を見えなくすることの方が問題なのかも」

「で、自分が楽したいだけならだいたい雑になる」と楊子ちゃん。

「そこは楊子ちゃんだね」と菜根タンが少し笑う。

「でも、必要でしょ」

「“相手のため”って言いながら、自分が空気を壊したくないだけの時あるもの」

 その指摘も、やっぱり必要だった。

 ノートを開く。

 白いページに、少し考えてから書く。

 やさしい嘘がずるいかどうかは、

 たぶん何を守ろうとしているかで変わる。

 そこまで書いて、手を止める。

 それから、もう一行。

 相手が立てるように言葉を整えるのと、

 現実をごまかして先送りするのは、似ているようで違う。

 文字を見つめていると、胸の中の引っかかりが少しずつほどける。

「……ほんとのことを全部そのまま出すのが誠実、でもないんだね」

 菜根タンがそう言うと、論子ちゃんが言った。

「うん」

「誠実って、全部をその場にぶつけることじゃなくて、

相手にも自分にも、あとで苦さだけ残さない置き方を探すことなのかもしれない」

 孟子ちゃんも大きくうなずく。

「やさしいって、甘やかすことじゃないしね」

「ちゃんと次に進める形を残せるなら、それはすごく大事だと思う」

 楊子ちゃんは最後にひとこと。

「まあ、綺麗に言っても“自分が楽したいだけ”の時は、だいたい自分で分かるでしょ」

「それは、ちょっと耳が痛い」と菜根タンは苦笑した。

 ノートの下へ、さらに一行書き足す。

 本当を全部出すことより、

 本当をどう残すかの方が、たぶん難しい。

 風が吹く。

 ページの端が少しだけ揺れて、木漏れ日が文字の上を動く。

 菜根タンはノートを閉じた。

 やさしい嘘。

 その言葉は、きっとこれからも少しだけ曖昧だ。

 でも少なくとも、

 相手をただ守るふりをして現実から遠ざけることと、

 相手が傷だけで終わらないように言葉を整えることは、同じではない。

 その違いが見えたぶんだけ、

 昼休みの自分の言葉も、前より少しだけ信じられる気がした。

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