考えすぎるのって悪いこと?
考えすぎだよ、と言われることがある。
菜根タンは、その言葉に少しだけ弱い。
たぶん、言われた瞬間に思い当たるところがあるからだ。
決める前に、もう少し考える。
誰かに何かを言う前に、一度飲み込む。
これでよかったのか、別の言い方はなかったか、あとになってからも少し見直す。
そういう癖が、自分にはたしかにある。
だから「考えすぎ」と言われると、少しだけ図星みたいで困る。
そして同時に、どこかでは反発もしたくなる。
考えずに済むなら、その方が楽だろう。
でも、考えないで動いたあとで残るざらつきも、菜根タンは知っている。
その日の放課後、文化祭準備の相談で、クラスの何人かが教室に残っていた。
「これ、今日中に決めちゃおうよ」
「そんな細かいとこまで考えてたら進まなくない?」
話はたしかに前へ進みたがっていた。
でも、進ませ方が少し粗い気もした。
配置のこと。
役割のこと。
片づけの流れ。
今ここでざっくり決めると、あとで困る人が出そうな箇所がいくつか見えた。
菜根タンはそれを口にしかけて、少し迷った。
また細かいと言われるかもしれない。
でも、このまま決めたらたぶん後で詰まる。
「……そこ、先に決めといた方がいいかも」
そう言うと、案の定、返ってきたのは苦笑まじりの声だった。
「菜根タン、ほんと考えすぎだって」
「とりあえずやってみて、だめなら直せばいいじゃん」
教室には軽い笑いが起きた。
悪意というほどではない。
でも、少しだけ“また始まった”みたいな空気が混ざっていた。
菜根タンはそれ以上は何も言わなかった。
その場では話はそのまま進んで、いちおう形だけは決まった。
決まった、のだけれど。
帰り道、胸の中には妙な重さが残った。
自分はほんとうに考えすぎなのだろうか。
それとも、考えた方がいいところを見ていただけなのだろうか。
もし前者なら、もう少し軽くなった方がいいのかもしれない。
でも後者なら、考えすぎという言葉で片づけられるのは少し悔しい。
どちらとも言い切れないのが、いちばん面倒だった。
中庭のベンチに座って、菜根タンはノートを開いたまま空を見た。
空は明るい。
風も気持ちいい。
でも、自分の中だけ少し複雑だ。
「今日は、頭の中で何回も同じところ回ってる顔だね」
荘子ちゃんだった。
いつものように、ふわっとしているのに、妙に当たる。
「そんな顔ある?」
「あるよ」
「ぐるぐる顔」
菜根タンは少しだけ笑った。
荘子ちゃんにさっきの話をすると、彼女は少しだけ首をかしげた。
「考えすぎ、ねえ」
その言葉を転がすみたいに言ってから、菜根タンを見る。
「で、それって誰基準?」
菜根タンは目を瞬いた。
「誰基準って……」
「うん。
早く決めたい人から見たら考えすぎかもね」
「でも、あとで困る人から見たら、むしろ考えてないのかもしれないし」
その言い方が、いつものように少しだけ世界をずらした。
考えすぎ。
その言葉を、菜根タンはなんとなく“悪いこと”として受け取っていた。
でもたしかに、それが多すぎるか少なすぎるかは、どの地点から見るかで変わるのかもしれない。
「でもさ」
菜根タンは言う。
「自分でも、ぐるぐるして動けなくなる時あるよ」
「考えてるうちに、もういいやってなることもあるし」
「それはあるね」と、荘子ちゃん。
「考えるのが悪いんじゃなくて、絡まると面倒なんだよね」
その時、足音が近づいてきた。
「何の話?」
孟子ちゃんだった。
事情を聞くと、孟子ちゃんはすぐに言った。
「考えるのは大事だよ」
「でも、考えるだけで止まっちゃうのはもったいないよね」
その言葉は、まっすぐで、少し熱い。
でも菜根タンには、今それが少しだけ必要でもあった。
「たとえば、間違うのがいやでずっと考えてるうちに、結局なにもやらないとか」
「それだと、考えたこと自体が宙ぶらりんになるし」
菜根タンは小さくうなずく。
「それは、分かる」
「でしょ?」
「だから、“考える”と“動く”は喧嘩させなくていいと思うんだよ」
「少し考えて、一歩動いて、また見直せばいいじゃん」
その言い方は孟子ちゃんらしく、前に出る力がある。
けれど菜根タンの中には、まだ少し引っかかりも残る。
「でも、それで雑になったらいやなんだよね」
そう言った時、もう一つ、やわらかい声が重なった。
「その“いや”も、たぶん大事なんだと思うよ」
老子ちゃんだった。
今日も急いでいない。
見ているこちらの呼吸まで、少しだけゆるくなるような歩き方でやってくる。
「考えすぎって、よく悪いことみたいに言われるけど」
「考えないで済ませたくない場所がある、ってことでもあるでしょ」
菜根タンは、その言葉に少しだけ救われた気がした。
そうなのだ。
全部が全部、ただ心配性で止まっているわけではない。
見ておいた方がいいところがある気がして、そこを放っておけない時がある。
「でも、ぐるぐるしすぎて苦しくなる時は?」と菜根タン。
老子ちゃんは少しだけ笑った。
「その時は、たぶん“考える”より“絡まってる”んだと思う」
「絡まってる」
「うん」
「糸って、ほどく時は一本ずつ見た方がいいでしょ」
「全部いっぺんに引っぱると、余計に固くなるし」
その例えが、妙に分かりやすかった。
たしかに、菜根タンが苦しくなる時は、ひとつのことを深く考えているというより、
あれもこれも一度に気にして、頭の中で何本もの糸が引っかかっている感じに近い。
「じゃあ、“考えすぎ”っていうより」
菜根タンはゆっくり言った。
「“ほどけてない”のかも」
老子ちゃんはうなずく。
「そうかもね」
孟子ちゃんも、少し考えてから言う。
「考えるのが悪いんじゃなくて、考えたあとにどこを一歩にするか決められないと、しんどいのかも」
荘子ちゃんがそこで、ふわっと笑う。
「あと、“考えすぎ”って言う人、だいたい考えるのが面倒なだけの時もあるよね」
菜根タンは思わず笑ってしまった。
「それはちょっとあるかも」
「でしょ」
「“考えすぎ”って便利なんだよ」
「相手の慎重さを、ひとことで雑に丸められるから」
その言い方に、今日の教室の空気が少しだけ別の見え方をした。
あの言葉には、本当に心配してくれている部分もあったのかもしれない。
でも同時に、“早く進めたいから細かい話はしまいたい”という気持ちも、たぶん混ざっていた。
そう思うと、少しだけ楽になる。
全部を自分の欠点として引き取らなくていいのかもしれない。
「……じゃあ」
菜根タンは小さく息を吐いた。
「考えること自体は悪くない」
「でも、絡まって苦しくなったら、一回一本ずつ見た方がいい」
「それで、どこか一つは動かす」
「うん」と孟子ちゃん。
「それ、すごくいいと思う」
「いいね」と老子ちゃんも言う。
「考えるのをやめるんじゃなくて、ほどいて歩ける形にする感じ」
荘子ちゃんは、空を見ながら言った。
「“考えすぎ”って言葉、もうちょっと慎重に使った方がいいのかもね」
「深く見てる人まで、まとめて止めちゃうから」
菜根タンはノートを開く。
白いページに、少しだけ迷ってから書く。
考えることは、たぶん悪くない。
その下に、もう一行。
でも、絡まったまま抱えると苦しい。
ほどいて、一歩ぶんにする方が、たぶん前へ進める。
文字を見つめていると、胸の中の重さが少しだけ形になる。
自分は、これからもたぶん考える。
すぐ決められない日もあるし、ひとつ余分に見てしまうこともある。
でも、それは全部が欠点というわけではない。
大事なのは、考えることを恥じるより、絡まった時のほどき方を知ることなのかもしれない。
「……今日は」
菜根タンは少しだけ笑った。
「帰ったら、文化祭の件、気になってるところを三つだけ書き出してみる」
「全部まとめて抱えるとまた重いから」
「いいと思う!」と孟子ちゃん。
「三つくらいがちょうどいいかもね」と老子ちゃん。
「四つ目が出ても、今日は見なかったことにしなよ」と荘子ちゃん。
「それはちょっとずるくない?」
「ずるいくらいでちょうどいい時もあるよ」
その返しに、菜根タンはまた少し笑った。
考えすぎることは、たぶん時々ある。
でも、考える自分をすぐに悪いものと決めなくていい。
深く見てしまうこと。
立ち止まってしまうこと。
その中にも、ちゃんと自分の大事な感覚がある。
だったらあとは、それを抱えすぎないことだ。
少しずつほどいて、持てる重さにして、また歩けばいい。
ノートの下へ、さらに一行書き足す。
“考えすぎ”と“ちゃんと見ている”は、似ているようで少し違う。
風が吹いて、ページの端が小さく揺れた。
菜根タンはノートを閉じた。
頭の中が全部すっきりしたわけではない。
でも、少なくとも“考えすぎる自分はだめだ”という責め方だけは、さっきより少し遠くなっていた。
それだけでも、今日はたぶん十分だった。




