第十一話5
木曜日の放課後。
授業が終わると、陽一は鞄を持って教室を出た。来葉が鈴と喋っているのが見えた。目は合わせない。木曜の行き先は来葉も知っている。
電車に乗って一時間半。車内で制服から冒険者の装備に着替える。トイレの個室で手早く。防刃ジャケット、ブーツ、グローブ。短剣を腰に。マジックバッグを肩にかける。ギルドからの貸与品。泥時代から使っている。素材の納入は廃坑のギルド支部でやっているが、マジックバッグはどのダンジョンでも持ち歩く。
駅を降りて、山裾のダンジョンまで歩く。ダンジョンの入口付近には冒険者が何人か出入りしている。平日の夕方は土曜ほどの人数はいない。
管理事務所で入場手続きを済ませて、一人でダンジョンに入った。
土曜と水曜は来葉とパーティで浅層を回る。木曜は一人で来る。今日は下見ではなく、目的があった。
第1区を一時間で抜けた。大穴鼠の変種を処理しながら奥へ進む。第2区に入ると空気が重くなる。発光鉱石の光が減り、通路が暗い。来葉一緒の時は第1区で動くが、一人の時は泥の時と同じだ。索敵して、接近して一撃。考えなくても手が動く。
第2区の奥。分岐を右。三つ目の横穴を左。
通路が狭くなり、肩幅ぎりぎりしかない。天井も低い。腰を屈めないと頭がつかえる。発光鉱石の光がここではほとんどなく、視界が利かない。身体強化で目に魔力を流す。泥時代に覚えた暗視の代用。完全な暗闇では使えないが、微かな光があれば輪郭が拾える。
足元の岩が湿っていて、地下水が壁面を伝って床に薄い膜を張っている。ブーツの底が水を踏むたびに小さな音が通路に響く。ここまで来る冒険者はいないだろう。通路の狭さというのは、魔物と遭遇すれば死を目にするようなものだ。素材の産出量が低いし、高価に売れるような素材というのはもっと奥深くにある。こんな手垢もついて、中級者が一人で来れるような場所では盲点だ。
だからこそ、残っている。
突き当たりの壁面に着いて足を止めると、ゲームの記憶通りの光景が広がっていた。
壁面の岩盤に、薄く青い結晶が脈のように走っている。暗い通路の中で、結晶だけが自ら光を放っていた。発光鉱石とは違う、海の底に近い深い青。静脈のように枝分かれした筋が岩盤の表面を這い、奥に向かって消えている。魔導触媒鉱。術式の発動を安定させる素材で、ゲームでは中盤に買うアイテムの原料だ。産出座標が記憶に残っていなければ、序盤で見つかるはずがない。
短剣の柄で壁を軽く叩いた。コン、コン、と硬い音が返ってくる。三カ所目で音が変わった。少し高い。空洞がある。鉱脈の結晶が集中している場所。泥時代に覚えた採掘の要領で、壁を叩く音で中身を読む。孝三郎に教わったわけではない。廃坑で鉱石蜥蜴を追ううちに、壁の音と鉱物の密度の関係を体で覚えた。さすがにゲームではこの感覚はわからない。
刃を岩の隙間に差し込んだ。てこの要領で、慎重にこじ開ける。力を入れすぎると結晶が砕ける。少しずつ。岩盤が軋む音。破片がぱらぱらと足元に落ちた。
親指の先ほどの結晶が三つ、岩から外れて掌に転がった。
手の中で、青い光が脈打つように明滅している。心臓の鼓動に似たリズム。暖かくはない。むしろ指先に吸いつくような冷たさがある。だが確かに魔力が流れている。生きている石。
一つで十分だ。来葉のグローブに組み込む分。残りは予備。布で包んでマジックバッグにしまった。結晶同士がぶつかると魔力が干渉する。分けて包むのは鉱石の基本である。
目当てのものを入手したら戻るだけだ。狭い通路を逆に戻るだけだが、背中に冷や汗が伝っていた。第2区の奥で一人きりの採掘。魔物が来たら逃げ場はない。泥時代と同じだ。何百回もやった。慣れた。だが緊張しなくなったわけではない。
いつもの大通路まで戻るとさすがに安心できた。帰り道で大穴鼠をさらに数体処理し、魔石と素材をマジックバッグに詰めて、入口に向かった。
ダンジョンの外に出ると、夕方の光が目に刺さった。日が傾いているが、まだ沈んではいない。空が橙色に染まっている。四月の末の夕方。東京の日没は六時半を過ぎる。入口で時計を確認すると、五時四十分。想定より二十分早く出てこれた。採掘の手際がなかなかのものだったのだろう。
買取所に素材を納入してから浴場で汗を流すと、商店街の通りに出た。
商店街の外れ。修理店と食堂が並ぶ通りから路地を一本入った先に、小さな工房があった。看板は出ているが色褪せている。「槇村加工所」。木の看板に彫り文字で屋号が入っている。下に小さく「装備修繕・素材研磨」と添え書き。扉は開いているが、客の姿はない。
ゲームの記憶にある名前だ。
中盤以降に名を上げる若い鍛冶師。今はまだ駆け出しで、商店街の片隅で装備の修繕と安い素材の研磨を請け負っているはずだ。触媒加工に関しては、ゲーム内で右に出る者がいなかった。
扉を叩いた。
中から返事があった。作業台の前にいた男が振り返った。二十代前半。痩せ型。手が大きい。指先に研磨剤の粉がこびりついている。作業用のゴーグルを額に上げて、陽一を見た。
「客?」
「加工を頼みたい」
槇村の目が陽一を一瞥した。その上から下までを一度撫でて、無言で続きを促した。
「何の加工」
腰にあるマジックバッグから結晶を一つ取り出した。陽一の掌の上で青い光が脈打っている。
槇村の目が変わった。
「・・・魔導触媒鉱か」
「グローブの掌に嵌め込めるサイズに研磨してほしい。術式の発動を安定させる形状で」
槇村が結晶を受け取った。指先で転がし、光に透かした。素材を前にした職人の目で眺めている。
「・・・天然もの、しかも状態がいいな」
通常出回る魔導触媒鉱は加工済みである。汎用性のある大きさにカッティングされ、多くの装備に対応できる。その代わり、一点ものに適さないものとなることが多く、有力な探索者は鉱石業者とのつながりで加工前の物を手に入れる伝手を持っている。
「研磨と形状加工で10日。加工賃は百五十万円」
一通り形状を確かめると、それだけを言った。素材の出所は聞かない。槇村という職人にとって必要なのは素材の品質と注文の内容だけだ。
「頼む」
「名前は」
「照川」
槇村は結晶を作業台に置いた。もう客の方を見ていなかった。指先で結晶の結目を確かめている。頭の中で加工の手順を組み立て始めている顔だった。
「よろしく」
聞いてはいないだろうが、一声かけてから陽一は扉を開けた。
商店街の通りに戻ると、ダンジョンから上がってきた冒険者が何人か歩いていた。疲れた顔。汗を流した後の緩んだ体。陽一もその一人だった。
工房を出た時から、視線を感じていた。商店街の通りに紛れて消したかったが、消えていない。背中の一点にだけ熱が残っている。
通りの中ほどで、声がかかった。
「あんた」
振り返った。
二人の女が立っていた。
一人は髪を一つに結んだ女。冒険者の軽装備。腰に武器はない。指先が赤い。術式の発動痕。来葉にも同じ赤みがあるが、この女の赤みは長い時間をかけて染みついた濃さだった。
その顔に、引っかかるものがあった。ダンジョンですれ違った記憶ではない。もっと奥に沈んでいる、ゲームの記憶の方だった。
隣にいるのは双剣を腰に提げた女。黒い短髪。イリスのメンバー。こちらは中三の夏から何度も見かけているから見覚えがある。
声をかけてきたのは、髪を結んだ方だった。
「あんた、国立の一年だよね」
陽一は足を止めた。商店街の通り。夕方の人通り。冒険者が何人か歩いている。その中で、この女は陽一の前に立っている。
女の目が、陽一のブーツの底から肩までを一度にすべらせた。
「装備もしっかりしているし、汚れ方も冒険者のそれ。前々からソロで活動している若いやつがいるってのはみんな知ってるけど、訳アリの泥とは違う」
知られていた。噂になって当然ではあるが、個人の事情を詮索しないのが不文律であるはずだ。陽一の足に少し力が入った。
「まぁ、大学生くらいの年齢で事情があるんだろうなって思ってたけど、先週体育の時に校庭に出る際にたまたま廊下にいる君を見かけた。めちゃくちゃ驚いた。は、学校にいるじゃんって」
女はクスクスと笑うと、ゆっくりと近づいてきた。
体育の時ということは、養成学校の生徒か。しかし、俺に近づいてきた目的はなんだろうかと陽一は訝しんだ。
「あなたも国立ですか?」
「柊木。二年よ。学校の実力者は大体頭に入っているし、上履きのカラーを見てもどう考えてもあなたは新入生」
柊木。名乗られて繋がった。やはり柊木蕗だ。髪型が違うから顔だけでは確信が持てなかったが、名前で確定した。ゲームでは大河の物語に深く絡むネームドの一人。二年生になってから大河が外の世界で活躍する橋渡しとなる存在であった。だが、彼のいないこの世界ではどんな話に展開するかはわからない。一年であるうちに接触したことは僥倖か、はたまた奇禍か。
商店街の食堂から冒険者が出てきて、陽一たちの横を通り過ぎた。焼き魚の匂いが流れてきた。柊木は気にしていない。陽一だけを見ている。
「去年のあんたは中学生だったってことだよね」
「・・・ええ」
「中学生が一人でここにね。毎週」
答えなかった。事実だが、肯定する必要はない。
「・・・この界隈では他人のことを詮索しないのがマナーだと思いますけど」
陽一は抑揚のない声で言葉を投げかけた。それに対して柊は何も感じていないように一歩距離を詰めた。
「冒険者ならね」
柊木は少し間を置いた。
「でも私はあんたの先輩だから」
気づけば手が届きそうな距離まで近づいていた。
双剣の女が後ろで苦笑した。だが口は挟まなかった。腕を組んで壁に背を預けている。「どのくらい前から来ているの?」
「家が装備の商社なので。現場を知る必要があって」
「聞いたのは理由じゃなくて期間。問いにはっきり答えないで違う情報から喋りだすのは何かがあるって言っているようなもの」
直球だった。陽一は一瞬黙った。商店街の灯りがぽつぽつと点き始めている。日が傾いている。
「・・・中三の夏くらいからです。ここには」
「ここには、ね。その前は」
「別のダンジョンに」
「一人で?」
「ええ」
柊木は腕を組んだ。陽一の顔を見ている。答えの中身ではなく、答え方を見ている気がした。何を言って、何を言わないか。どこでぼかすか。相手はただの一学年上の先輩というわけではない。今後、最強の一角になりうる存在だ。下手に関わりたくもないが、悪印象を与えたくもない。
間があいた。通りを冒険者が歩いていく。装備の金属が擦れる音がいつもよりやかましく聞こえる。
「短剣だよね。流派は?」
陽一の腰を見た。
「ないです。独学で」
「独学」
柊木が繰り返した。声に色がなかった。だが目は動いていた。独学の短剣使いが、中学からソロでダンジョンに通う。その情報が柊木の中で組み合わさっているように見えた。
双剣の女が壁から背を離した。
「蕗、戻るよ。みんな待ってる」
柊木は陽一から目を離さなかった。まだ聞きたいことがある顔だった。だが双剣の女の声に体の向きを変えた。
「また来るでしょ」
「たぶん」
「木曜?」
「・・・ええ、木曜が多いです」
「ふーん、覚えたからね」
それだけ言って、双剣の女と一緒にダンジョンの入口に歩いていった。
柊木の背中が商店街の雑踏に紛れていく。一つに結んだ髪が歩くたびに揺れる。双剣の女が横を歩いている。二人の歩幅は揃っていて、統制がとれていた。
しばらく木曜は来るのをやめておこう、と思った。
駅に向かって歩き始めた。足が、いつもより重かった。
柊木は「覚えた」と言った。つまり毎週木曜にここにいれば、また会うことになる。接触の頻度を上げられたくない。少なくとも今は。大河のいないこの世界で柊木がどう動くか、情報が足りない。
駅のホームで来葉にメッセージを送った。
『柊木蕗にダンジョンの帰りに声をかけられた』
ポケットにスマートフォンをしまった瞬間に振動が起こった。返信が早い。
『柊木蕗ってヒロインじゃん! なにしてんの!?』
向こうから接触してきたのでこちらから何かしたわけではない。そんなことを考えながら返信を打つ。
『同じ学校だと知ってて声をかけてきた。入学前から潜ってたかって聞かれた。ぼかした』
『ぼかせた?』
『わからない。納得してなかった』
また間が空いた。来葉が文章を考えている。
『ネームドが向こうから接触してきた。これは大きいよ。大河がいない今、柊木がどう動くかはわからない。何に引っかかったのかは気をつけた方がいい』
『ああ』
『まあ・・・向こうから来たなら防ぎようがないか。どんな人だった? ゲームと同じ?』
陽一は画面を見て、少し考えた。どんな人だった。
『ゲームと同じで聞きたいことを聞くタイプだった。遠慮はない。一緒にいたイリスの女に止められてた』
電車が来た。二両編成。ドアが開いて、車内はほとんど空だった。ベンチシートに座る。ドアが閉まり、電車が動き出した。
窓の外を山が流れていく。トンネルに入る。窓が暗くなって、車内の蛍光灯が映り込む。
スマートフォンが震えた。
『次に会ったらどうする?』
『普通にする。向こうが聞いてきたら答える範囲で答える。それ以上は出さない』
『了解。気をつけてね。A判定の特待生で、華族の誘い全部断って外で潜ってるような人だから。鼻は利くと思う』
スマートフォンをポケットに入れて、窓に額を寄せた。
四月の夕暮れが終わりかけている。空の端に橙色が残っていて、その上に紺色が広がっている。電車の振動が座席を通して背中に伝わっている。
その週の水曜日、パーティでの四回目のダンジョンに向かう。
ギルドで入場申請を行う前にロビーで陽一は鞄から小さな布袋を取り出して来葉に渡した。
「なにこれ?」
そう言いながら来葉は怪訝そうに重さを確かめている。
「開ければわかる」
袋の口を緩めると、研磨された結晶が嵌められたグローブが出てきた。それは魔導触媒鉱。元の岩肌の荒さは消え、表面は水滴のように滑らかに仕上がっている。青い光は採掘した時より落ち着いていて、奥に静かな脈動だけが残っていた。槇村の仕事の成果だ。加工賃以上の精度だ。
来葉は結晶部分を光に透かして、息を止めた。
「この間、第2区の奥で魔導触媒鉱を採ってきた。加工に出してグローブにとりつけてもらった」
陽一はぶっきらぼうに言葉を続けた。
「魔術師の精度が上がるやつでしょ? 序盤で手に入るわけないって言われてたアイテムの原料」
早速、来葉は手首のマジックテープを外して装着した。
「なんか手のひらがあったかい。結晶が脈打ってる感じがする」
「魔力に反応してる。来葉の魔力と触媒が同調し始めてるんだ」
「・・・ありがとう。大事に使う」
「壊れたらまた採ってくる。鉱脈の場所は覚えた」
来葉は何か言いかけて、やめた。代わりに小さく笑って、女性用ロッカーに向かった。心なしか、顔が赤みを帯びていたような気がした。
浅層に入って五分も歩かないうちに、最初の大穴鼠と遭遇した。
来葉が構えた。肩から腕、腕から手首、手首から指先へ、いつも通りの流れで魔力を通す。
火球が指先から離れた瞬間、来葉の目が見開いた。
まっすぐ飛んだ。
先週まであった、指先を離れた後のブレがない。火球が空気の中を一直線に進み、大穴鼠の頭蓋に命中した。乾いた音。大穴鼠が怯んだ。
「─え」
来葉が自分の手を見た。二発目。すぐに構え直す。肩から流す。指先から離れる。また、まっすぐ飛んだ。胴体に直撃。大穴鼠が横倒しになった。
起き上がらなかった。
「・・・嘘」
来葉の声が震えていた。だが先週のような感動の震えではない。困惑だ。
「二発で倒した? 先週は二発当てても倒せなかったのに」
「威力は変わってない。精度が上がった。頭に当たれば一発で怯む。二発目が胴の急所に入れば倒せる。今まではブレて急所を外してた」
来葉がグローブの掌を見つめた。裏地に縫い込まれた結晶が、微かに青い光を放っている。
「こんなに違うの・・・グローブの中にあるだけで、魔力の流れが全然違う。指先で散ってた魔力が、全部火球に乗ってる」
「精度が段違いになる素材だ」
二匹目。来葉が一人で処理した。一発目で頭、二発目で胴。正確に。陽一は前に出る必要がなかった。
三匹目。通路の角から飛び出してきた大穴鼠に、来葉が反射で撃った。火球が顔面に命中。怯んだ隙に二発目。倒した。
「あなたは自分の足で第2区まで行って掘ってきたけどね」
陽一は答えなかった。来葉の火球が安定したことで、パーティの戦闘が一段上がった。前衛が受けて後衛が撃つ、ではなくなった。後衛が一人で仕留められる。前衛は索敵と護衛に回れる。構成が変わった。




