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第十一話4

 二回目のダンジョンは翌週の土曜日だった。

 朝九時に駅で合流し、先週と同じ電車に乗った。同じ車両、同じ窓側の席。来葉は車内でグローブを何度も握り直していた。指先を曲げ、開いて、また曲げる。先週の感覚を手のひらに呼び戻そうとしている動きだった。

 駅を降りて山裾に向かう道を歩く。先週とは違って、来葉の足取りが軽かった。前回、踏むのを躊躇った地下水の薄い膜を、今日は迷わず踏んでいる。体が場所を覚え始めている。

 ダンジョンの入口、管理事務所で見習い登録証を見せた。受付の女性が「あら、また」と笑った。陽一は会釈だけで通り過ぎた。


 最初の一匹は、五分も歩かないうちに通路の奥から飛び出してきた。大穴鼠だった。

 陽一が前に出ようとするが、その前に来葉が構えていた。

「撃つ」

 右手を前に出す。肩から腕、腕から手首、手首から指先。先週は指先だけで魔力を出そうとしていた。今日は違う。体全体で流れを作っている。

 火球が指先を離れた。テニスボールより少し大きい。軌道は直線ではない。だが大穴鼠のいる方向に向かっている。

 胴体に命中した。大穴鼠が横にずれた。倒れてはいない。怯んだだけだ。

「当たった!」

「止めは俺がやる」

 陽一が詰めて処理した。だが来葉の目は自分の手に向いていた。

「今の感覚。覚えた。肩から流す。ゲームのモーションと同じ。キャラクターが腕を振る動作あるよね。あれ、意味があったんだ」

 プレイヤーの記憶が、ようやく体と繋がり始めているようだ。

 そんなことを考えていると二匹目が脇の穴から飛び出してきた。来葉は火球を放つと確実に捉えた。三匹目。腹に当たって弾かれた。四匹目。頭を狙って外れ、壁に当たった。五匹目。大穴鼠が横倒しになったが、起き上がったので陽一がすぐさま腕を振った。

 今日は十発中七発が形になった。軌道はまだ不安定だが、標的に向かって飛ぶようになっていた。先週の「火花が散って消えた」とはまるで別物だ。

 だがまだ一人では倒せない。火球が当たっても致命傷にならない。

 陽一が前で大穴鼠を引きつけ、来葉が後ろから撃つ。二人の距離は五メートル。陽一が避けた方向と反対側に来葉が火球を放つ。

 連携の骨格が見え始めた所であったが、来葉の腕の角度が落ち始めた。呼吸の感覚も短くなってきていたので、切り上げることにした。不満の声が出るかと思ったが、すんなり来葉は受け入れた。

 浴場に行く途中の道で、来葉がグローブを外しながら言った。

「集中を維持できる時間が短い」

 自己分析。ダンジョンの中では口数が少なかったのにが、頭はずっと回っているようだ。

「一発撃つと魔力の流れが途切れる。連射ができない。二発目を構えてる間に、相手が立ち直る」

「一撃で仕留めるか、一発目で確実に怯ませて二発目を叩き込むか。どっちかだ」

「一撃は威力的に無理。じゃあ一発目の精度を上げるしかない。怯ませる場所を狙う」

「頭だ。大穴鼠なら、頭に当てれば一発で怯む。その隙に二発目」

「次はそれでやる。と言いたいけど、精度を上げるには回数をこなすしかないね」

 来葉の目が据わっていた。風呂上がりのぼんやりした体とは裏腹に、思考だけが鋭い。


 三回目は水曜日の放課後だった。

 来葉は学校を出る前から集中していた。普段の軽口が少ない。電車の中でも、駅から山裾に向かう道でも、ダンジョンの入口で見習い登録証を見せている時でも、言葉を必要最小限まで削っていた。何を考えているかは聞かなくてもわかる。窓に映る来葉の横顔は、教室で鈴たちと笑っている時の顔とは別人のものだった。

 浅層に入って、いつもの通路を奥へ進む。土曜と水曜で何度か往復した袋小路区画。発光鉱石の位置と通路の曲がり方が、もう体に入っている。三つ目の角を曲がった先、通路の奥に一匹、大穴鼠が背を向けて佇んでいた。発光鉱石の光が灰色の毛皮の縁に淡い青を載せている。距離は十五メートル。気づかれていない。

「来葉」

「わかってる」

 来葉が構えた。右手を前に出す。肩から腕、腕から手首、手首から指先。先週と同じ流れ。だが指先に集まる魔力の密度が違う。二回分の経験が、手の中で形になっている。

 大穴鼠がこちらに気づいた。向きを変える。突進の姿勢に入る。

 陽一は動かなかった。来葉の横で、壁に背を預けている。

「・・・頭だ」

「だから、わかってる」

 大穴鼠が走り出した。十メートル。八メートル。

 来葉の指先から火球が飛んだ。小さい。テニスボールより一回り大きい程度。軌道はまっすぐではない。少し右に逸れている。だが大穴鼠の顎を掠めた。

 大穴鼠が仰け反った。走る勢いが止まった。顎に当たった衝撃で、頭が上を向いている。

 一秒。

 来葉はもう二発目を構えていた。先週までは単発で練るのが精いっぱいだった火球だが今ならいけそうな気がする。一発目の残滓が指先に残っている間に、次の魔力を重ねた。

 二発目の火球は一発目より大きかった。来葉の腕が伸びきった瞬間に、指先から今までとは異なる感覚が走った。

 硬い音がした。甲殻が割れる乾いた破裂音。火球が着弾した場所から焦げた毛皮の匂いが広がった。大穴鼠の体が走る勢いのまま横に崩れ、通路の壁にぶつかってから床に転がった。四本の足が一度だけ痙攣し、爪がコンクリートを引っ掻く音が響いて止まった。

 発光鉱石の淡い青白い光の中で、大穴鼠の体が動かなくなっている。頭蓋の左半分が黒く焦げている。来葉の魔力が焼いた証だ。

 来葉は両手を前に出したまま、動かなかった。構えた姿勢のまま。指先がまだ前を向いている。グローブの先端が赤い。魔力の熱が布地を通して皮膚に滲んでいる。

「・・・倒した?」

 自分で言って、信じていない声だった。

「倒した」

 陽一は壁から背を離した。大穴鼠に近づいて、短剣の柄で軽く胴を叩いた。反応がない。完全に絶命している。

「倒した。お前が」

 来葉がゆっくりと手を下ろした。魔力の残滓で赤い指先が震えていた。

 それから、自分の手を見つめた。しばらく通路の暗がりの中で、自分の指先だけを見ていた。

「私が」

「ああ」

「魔法で」

「そうだ」

 来葉の膝が折れた。立っていられなくなったのではない。力が抜けたのだ。しゃがみ込んで、両手を膝に置いて、肩で息をしている。

「ゲームの中では魔法を選択してボタンを押すだけだったのに」

 声が震えていた。

「現実は違う」

「違う。全然違う。指先が熱くて、腕が重くて、心臓がうるさくて・・・。ボタン一つで倒してた時は何も感じなかった。なのに今─」

 来葉が顔を上げた。目が潤んでいた。泣いているのではない。体の中で何かが溢れていて、目から漏れ出しているだけだ。

「撃てた。私の魔法で、倒せた」

 陽一は来葉を見下ろしていた。発光鉱石の光が来葉の髪を照らしている。隣に大穴鼠の死骸がある。ダンジョンの浅層の通路。安っぽくもなく、壮大でもない場所。

 だがここが、来葉の戦場の始まりだった。

「立てるか」

「・・・ちょっと待って。足に力が入らない」

「魔力切れだ。二発続けて撃ったからだ」

「二発目、でかくなったのはなんだったんだろう。一発目より力が入った気がした」

「俺は魔法使いや魔導士ではないから正確なところはわからないが、意識の問題だろうな。似たようなことは剣戟でも起こった。一発目で怯ませた後、二発目に全部乗せる覚悟ができてた。体が勝手に魔力を多く流した」

「覚悟・・・」

 来葉がしゃがんだまま、大穴鼠の死骸を見た。自分が倒した魔物を見ると記念として何かの証を取りたくなってきたのだが、毛皮はボロボロで、雑巾にもなりそうにない。

「・・・もう一匹いけるかな」

「無理だ。今日は帰る」

「えー」

「立て。浴場に行くぞ」

 来葉が立ち上がったが、足がふらついている。陽一が腕を掴んで支えた。来葉の腕は細かった。グローブの上からでも分かるほど。

「・・・なんか、陽一って異性に触れているというのに普通だね。もっと緊張するのが思春期の正しい姿では?」

 来葉はニヤニヤしながらこちらを見てきた。

 そう言われると、そうなのかもしれないと思うが、昔からの男友達というのは中学でいなくなったし、最近になっての会話の多くは妹や母くらいなものだ。

「まぁ、来葉は身内みたいなものだからな」

「・・・どういうこと?」

 その疑問には答えず、来葉を支えながらダンジョンの出口に向かって歩き始めた。


 三回目の帰り道。浴場で汗を流し、食堂でカレーを注文。2人席に座って今日の反省会を始めた。あれこれ言いながら来葉はカレーを半分食べたところでスプーンを止めた。

「鈴ちゃん、呼んでいい?」

 陽一はカレーを飲み込んでから答えた。

 来葉は最低限撃てるようになった。今日は一人で大穴鼠を仕留めた。だが一匹で魔力が切れる程度では、三人目を支える余裕はまだない。鈴は体操出身で身体能力が高い。斥候としての動きは教えれば覚えるだろう。索敵ができれば、陽一と来葉の負担が減る。

「来葉が一人で仕留められるようになるまで、と話してた条件は今日でクリアだ。だが、一匹仕留めただけで安定とは言えない。ある程度の時間活動して自分の足で帰れるようにならないとな」

「・・・じゃあ、あと一回でなんとかする」

「ああ。次の水曜で連射が安定するか見る。それで判断する」

 来葉はそう言うと、カレーの残りを食べ終えた。


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