王都の門・前編
「凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し」
ーー孫子ーー
先に場を押さえた者が、後から来る者より有利に立つ。
王都とは3名が初めて「先手」を試みる場所だった。
王都が見えた。
馬車の窓から、城壁が見えた。高い。学院の塀とは比べ物にならない高さだった。
城門の前に人が溢れていた。
商人、貴族の馬車、旅人、兵士…
全員が動いていた。止まっている者が1人もいなかった。
王都だ…
二度目でもやはり、別の場所に見えた。
ミア姉様が窓から身を乗り出した。
「……すごい人ですね…」
「王都ですから…」
「学院とは全然違いますね…、なんか、緊張してきた…」
ミア姉様が緊張している…珍しい。
エドが窓の外を見たまま言った。
「……城壁が高い。」
「そうだな。」
「……守りに来たのか、攻めに来たのか…」
城門を潜った。馬車が石畳の上を走り始めた。
王都の中は、外よりもさらに混んでいた。
大きな建物が両側に並んでいた。商会、貴族の屋敷、教会、市場…
人の声と馬の蹄と荷車の音が混ざって、ひとつの音になっていた。
これが、王都だ。
ここで、修行が始まる。
王城に着いた。
謁見の間ではなく、大臣たちの執務棟に通された。
フリッツが先に立った。俺たち3名が後に続いた。
執務棟の廊下は長かった。
両側に扉が並んでいた。それぞれに大臣の名が刻まれた銘板があった。
「法務大臣室」、「軍務大臣室」、「財務大臣室」、「外務大臣室」、「内務省長官室」、「王室長官室」と続いていた。
これが、国を動かしている場所か…
突き当たりに大きな扉があった。
会議室だった。
扉が開いた。中に10名ほどの男たちが座っていた。
全員が…こちらを見た。
大臣たちだ…
全員が、値踏みするような目をしていた。
父上が上座に座っていた。
「……来たか。」
俺は、礼をした。
ミア姉様とエドも礼をした。
父上が全員を見渡した。
「紹介する。ルーク第5王子、以後、大臣付き見習いとして各省の公務を学ぶ。
ミア・ハイルベルク、財務大臣付き見習いとして財務省の公務を学ぶ。
エド、王族騎士団および近衛騎士団の騎士見習いとして双方で訓練を行う」
大臣たちが、静かに頷いた。
その中の1人が、俺を見た。
目が、笑っていなかった。
礼儀正しい顔をしていたが、目だけが、違った。
細身の男だった。
40代くらい、清潔な身なりで、物腰が柔らかかった。
銘板には、「財務副大臣 ランツ伯爵」とあった。
ランツ伯爵が、丁寧に頭を下げた。
「……殿下、ご着任をお待ちしておりました。」
会議が終わるまで1時間程かかった。
その間中、大臣たちの視線が刺さった。
「……子供が来た」という目をしている者が3名。
「王子だから形式上のことだろう」という目をしている者が4名。
「これは使えるかもしれない」という目をしている者が2名。
決めかねているものが残りの2名。
全員が、値踏みをしていた…
これが王都だ。笑顔の裏で計算が動いている。
その中で、一人だけ違う目をしている者がいた。
財務大臣のヴォルフ卿だった。
六十代の細身の男で、物腰が静かだった。
俺を見る目が、他の大臣と違った。
値踏みではなく、「観察」だった。何かを測るような目だった。
ヴォルフ卿が俺に小声で言った。
「……殿下、ハイルベルクのご令嬢はよく数字がわかるそうで…」
「そうですね…」
「……期待しております」と言って、軽く頭を下げた。
表情は変わらなかった。目の奥に、何かがあった。
好奇心ではなく、観察していた。
この王都でそういう目をしている大臣は、珍しかった。
その後、ランツ伯爵が立ち上がった。
「ミア・ハイルベルク嬢には、財務大臣ヴォルフ卿の下でご指導いただきます。宜しくお願い申し上げます。」
ミア姉様が「宜しくお願いします!」と言った。
爽やかな返事だった。
ランツ伯爵が、少し微笑んだ。
目は、笑っていなかった…。
会議が終わった後、廊下でフリッツが俺に小声で言った。
「……全員の顔を覚えましたか?」
「覚えました。」
「誰か、気になる者はいましたか?」
俺は少し考えた。
「……財務副大臣のランツ伯爵。」
「……何が気になりましたか?」
「目だ。笑っていなかった。しかし、態度は完璧だった…」
フリッツが、静かに頷いた。
「……他には?」
俺は少し迷った。
「……法務副大臣のベルナー卿。軍務副大臣のクラウス卿も…」
「……なぜですか?」
「ランツ伯爵とは違う。しかし、何かが引っかかる。うまく言葉にできないです。」
フリッツが、また頷いた。今度は少し違う頷き方だった。
「……今は言葉にできなくていいです。引っかかりを覚えておいてください。」
……引っかかりを、覚えておく。
……フリッツは、なぜ「今は」と言ったのか。
夜、宿に戻った。
エドが先に戻っていた。
椅子に座って動かなかった…
ミア姉様が「……エド、ご飯食べた?」と言った。
「……食べてない。」
「食べないとだめだよ…」
「……腹が減っていない。」
「体が限界だと…、お腹も減らないよね。でも食べた方がいい。」
ミア姉様が、宿の食堂から黒パンを2枚持ってきた。
エドの前に置いた。
エドが少し黙った。それから食べた。
ミア姉様が、自然にやった。
計算ではなく、当たり前のように。
俺が「……ミア姉様も食べてください」と言った。
「食べる!」
3人でしばらく、黙って食べた。
ミア姉様が言った。
「……緊張した。」
「何がですか?」
「全部…。大臣って、みんなあんな目をしてるの?」
「そうですね、多分…。」
「……慣れるかな。」
エドが黒パンを食べながら言った。
「慣れなくていい…」
「え?」
「……慣れたら、鈍くなる。あの目をずっと気持ち悪いと思ってていい…」
ミア姉様が少し間を置いた。
「……そっか。そうだね。」
エドが珍しいことを言った。
しかし、正しかった。
「……覚えておいてください。今は動かない。見るだけです。」
「今は、とは?」
「……今は動かない。見るだけです。という事でございます。」
今は動かない。
フリッツが「動かない」と言った。
つまり、「いつか動く」ということだ。
翌朝から、始まった。
まずエドが、近衛騎士団の訓練場に連れて行かれた。
近衛騎士団長 ヴァイス卿
50代の大柄な男
王城で最も剣が立つと言われている。
エドが訓練場に入った瞬間、ヴァイス卿がエドを見た。
「……お前が見習いか?」
「そうだ…」
「礼儀を知らんのか?」
「……はい」
エドが「はい」と言った。
珍しかった。
ヴァイス卿が木剣を投げてきた。
「受けろ…」
エドが受けた。
「構えろ…」
エドが構えた。
ヴァイス卿が、踏み込んだ。
次の瞬間、エドが吹き飛んでいた。
一合だった。一合でエドが飛んだ。
廃坑でドラクを1秒で制したエドが、一合で飛んだ…
エドが立ち上がった。
「……もう一度!」ヴァイス卿が「受けろ…」と言った。
また大きく吹き飛んだ。
それが午前中ずっと続いた。
昼、エドが宿に戻ってきた。
ミア姉様が「……大丈夫?」と言った。
エドが「大丈夫だ…」と言った。
「全身打ち身だらけじゃないか?」
「剣で切られたわけじゃない…」
「それが大丈夫の基準か?」
ミア姉様が、薬草を出した。
エリカから渡された薬草をまだ持っていた。
エドの腕に、黙って塗り始めた。
エドが「……いい」と言ったが、ミア姉様が「よくない」と言った。
……ミア姉様の「よくない」には逆らえない。
……俺も、毎回そうなっている。
一方、ミア姉様が財務省の執務室に初めて入った時のことを聞いた。
財務省は、想像より若い局員が多かったらしい。
ミア姉様が扉を開けた瞬間、執務室が少し静かになったと言っていた。
「……みんな、びっくりしてたみたいで。」
「そうなんですか?」
「で、一番近くにいた人に、『この省のことを何も知らないので、色々教えていただけますか』って言ったら…」
ミア姉様が、少し笑った。
「……全員が教えてくれた!」
まぁ想像できた…
ミア姉様に「教えてください」と言われたら、断れる人間がいないだろう…
「どんなことを聞きましたか?」
「歳入歳出の仕組みとか、各地方の税収のこととか。みんな丁寧に教えてくれて。で、資料も見せてもらって…」
「……資料まで?」
「うん。何でも見てください、って言われたから!」
……天然だった。
……計算してやっているのではなく、それが普通だと思っている。
結果として、局員全員から資料を引き出していた。
「……一つ気になることがあるんだけど?」
「何ですか?」
「北部の税収。去年より数字が落ちてるんだけど、 ちょっと不自然で。もう少し調べたい…」
ミア姉様は、すでに動き始めていた。
一方、俺は法務大臣の執務室に通された。
法務大臣 エルゼ卿
60代の白髪 眼鏡
机の上に書類が山積みになっていた。
「……殿下。今日から見習いということですかね?」
「宜しくお願いします。」
「まず、これを読んで下さい。」
書類の束を渡された。
分厚かった。50枚はあった。
「……これは何ですか?」
「現行の国法の条文一覧です。今週中に覚えて下さい。」
「拝見致します。」
今週中に…
50枚の条文を…
「……質問していいですか?」
「どうぞ…」
「この条文の中に、矛盾があります…」
エルゼ卿が、少し止まった。
「……どこですか?」
「三十二条と四十七条です。同じ案件で適用される罰則が食い違っています。」
エルゼ卿が眼鏡を外し、書類を見た。
「……実はですね、殿下。」
エルゼ卿が、少し声を落とした。
「この矛盾を私は5年前から上に報告しています。しかし変わりません…」
「……なぜですか?」
「……変えたくない者がいるからです。」
変えたくない者がいる。
誰かが、この矛盾を意図的に残している。
「……それは誰ですか?」
エルゼ卿が、少し間を置いた。
「……今は言えません。しかし殿下が、国法整備に力を入れてくださるなら、いつか話せるかもしれません。」
エルゼ卿が、俺に賭けようとしている。
5年間、一人で抱えてきた何かを…
しばらく、黙っていた。
「……また気づきましたか?」
「はい…」
「……そこは3年前から、私も気になっていた箇所です。」
エルゼ卿が少し目を細めた。
値踏みから別の目になった。
「明主の道は、一を守りて以て万に応ず」
ーー韓非子ーー
明君の道は、一つの軸を守りながら万の局面に応じることだ。
王都とは一つの軸を問われる場所だった。
ルークたちはその問いの中に、踏み込んだ。




