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竜の仕立屋  作者: 翠乃ねぎ
19/24

暗躍

「ご依頼のモノはお約束通り、傷をつけずに捕まえてあります。証拠としてご要望の髪束はこちらに」

「……よくやった。警備隊には気取られていないな?」

「もちろん。我々はプロですから……それで、報酬の方は?」


 そこは豪奢な部屋であった。

 壁には大きな絵画が金色の額縁に入って飾られており、床には足が埋まるような絨毯がみっしりと敷かれている。そこかしこに装飾の多い壺や彫刻が飾られており、大きな執務机の上にも高価そうなランプが置かれている。その表面はよく磨き上げられ、机に座る男の不機嫌そうな顔を映し出していた。


「ふん、カネカネと下賤の輩はうるさくてならんな。ほれ、そこだ」


 呆れたような声音で言い顎をしゃくって見せたその男は金髪碧眼で、いかにも貴族といった華美な装飾の服を着ている。彼がこの部屋の主であることは一目瞭然だ。何せそれに対するもう一人の男は全身を黒に近い暗色の衣服で覆い、顔にまで同じ色の覆面をつけているのだから。

 貴族らしき男から数メートル離れた場所に立っていた覆面の男は、相手が顎で示した布袋をため息交じりに取り上げる。絨毯の上にまるで投げ捨てたかのように置かれていたそれを開き、中をのぞき込むと眉をひそめた。


「……契約と違う。これじゃあ半額だ」

「ああ、半額だとも。婚約式が終わるまでの三日、あの娘をきちんと捕まえておければ、残りの半分を支払おう」

「伯爵、それはルール違反だぜ。俺たちは一つの商売としてアンタと取り引きした。あの娘をさらい、洞窟に幽閉しておくところまでが俺たちの仕事のはずだ。そこから先は三日だろうが一ヶ月だろうが、好きに閉じ込めておけばいいが、それを見張るのは俺たちの仕事じゃないだろう」

「貴様らは汚れ仕事のプロだと聞いたが、三日間、女一人見張ることもできんのか?」

「プロだからこそ仕事の契約は大事なんだよ。そこは契約の範囲外だ、やれって言うなら追加料金をもらうところだ」

「ほほう、この私を脅しにかかるというのか。別に構わんよ、ただなあ……うちの娘が誘拐された、犯人はお前らだと私が一言警備隊に泣きつけば、お前らのような非合法な連中がどうなるか……知らん訳ではあるまい?」

「……なるほど、そうくるか。最低のクソ野郎だな、アンタ」


 覆面の男は吐き捨てるように言うと、金貨の入った袋を懐に入れた。


「ストラバル伯爵、一つ忠告しておくぜ。こういうやり方は利口じゃない。俺たちを使おうとするなら、もう少しこっちのルールを勉強してからにしな……じゃないと、ろくな死に方はできないぜ」

「はは、何があってもお前らよりはましだろうよ。そうやって人を脅すか人を殺すかしなければ明日の食事も取れんような、裏通りのドブネズミのような連中には、飯も食えずに野垂れ死ぬか、絞首刑にでもなる未来しかないだろう?」

「残念だが、俺が死ぬより前にアンタがそうやって死ぬことになるだろうさ。これは予言だ――呪いかもしれねぇな」


 そのまま窓から、まるで鳥かなにかのように飛び立っていく覆面の男を、机に向かった男――ストラバル伯爵はつまらないものを見る目で見送った。


「ふん、弱い犬ほどよく吠える。何が闇ギルドだ、貴様らなどに渡す金など銅貨一枚でも惜しいというのに、足下を見おって」


 それでも彼らに金を払い雇ったのは、マリーアンを秘密裏に誘拐するためだ。

 カサンドラと第三王子との婚約式を間近に控え、ストラバル伯爵家は浮き足立っている。しかしその中で唯一の懸念材料が、マリーアンの存在であった。

 三人の娘たちが少々暴走したせいでこの家から逃げ出してしまったマリーアンは、伯爵が抱える重大な秘密こそ知らないだろうが、「伯爵家の娘として生まれながら軟禁されて虐待を受け、三人の姉たちの指示で両手を潰された」という彼女の存在自体、明るみに出ればこの家を揺るがしかねないものである。

 当初伯爵はそれを盾にマリーアンが自分を脅迫してくるのではないかと思っていたため、周囲に「メルローズの娘を語る不審者が現れた」とあらかじめ予防線を張っていたのだが、脱走から一月経っても二月経ってもマリーアンはやってこなかった。念のため居場所を探らせれば西区の裏通りにある粗末な仕立屋に転がり込んだことがわかって、ならばいっそのことそのまま放っておこうかとすら思っていたのだ。

 だが、カサンドラと第三王子との婚約式を間近に控え、あまり派手に動けぬ時期であるのに問題が起きた。

 送り込んだはずのメイドたちがいまだ到着しないと、大事な協力者であり自領の森に隠れ住む魔術師から苦情が入ったのである。魔術師には第三王子の婚約者に盛る毒を用意してもらった借りがあるし、これからも役に立ってもらう必要があるのだから、今彼に謀反を起こされてはまずいのだ。しかし、国王の信頼厚い宰相からは万一のことを考えしばらく下働きを含む新人の雇用は避けるようにとの命が出ている。人を増やせないまま減らすことになれば、今度は伯爵家の中に問題が出るだろう。貴族としてそれは避けたい。避けたいが、人を――役に立たない女を、送らねばならない。


(長いこと目の上のこぶだったが、生かしておいてやはり正解だったな。こういうときには、いらないものが役に立つ)


 自分たちにとって不要どころか邪魔者であるマリーアンを誘拐し、婚約式が終わるまでは念のため監視下においたあとで魔術師の元に送ってしまえば、口封じもできて一石二鳥だと伯爵は考えたのだった。一人では足りないと言われるだろうが、とりあえず一人、あとからまた送るとでも言っておけばいい。輸送の際いつも使っていた冒険者崩れの男たちは前回の輸送から連絡が取れなくなっているため、不本意ながら少々追加報酬を出して誘拐を頼んだ闇ギルドにすべて任せてしまおうという腹づもりである。三日間の監視が終わったところでその話を出してやれば、相手は食いついてくるだろう。


(どうせ金さえ積めばなんでもやる、浅ましい連中なのだからな)


 本来増額などしたくはないが、あまりケチって手を噛まれては本末転倒だ。やれやれ、とため息を吐きながら机の上のグラスを手に取ると、ノックの音がした。


「お父様、カサンドラです。お時間よろしいですか?」

「おお、カサンドラか。構わんよ、どうしたね?」


 ドアが開くと、カサンドラに続いてパトリシア、それからヴァレリアまでもが入ってきた。一気に華やかになった室内に、伯爵は相好を崩す。親のひいき目を除いても美しく育った三人の娘たちが、伯爵は自慢だった。皆、自分に似て金髪と碧の目を持っているところも良い。妻は若干くすんだ金髪だったが、娘たちは輝くような金の髪だ。王家も代々金髪だから、カサンドラと第三王子との子はさぞや綺麗な髪になるだろう。性格だって、さほど悪くはない。平民に対して少々あたりがきついのは、うるさい相手の前でだけ隠しておけばいいのだ。その使い分けがわからぬほど、娘たちも馬鹿ではあるまい。


「マリーアンのこと、どうなりました?」

「ああ、それか。今報告を受けたところだよ……問題なく捕まえて、奴らが人を閉じ込めるのにいつも使う洞窟に入れてあるそうだ」

「婚約式までの間、そこに入れておくの?」

「念のためね。それが終わったらすぐ、『森』へ送る手はずだ。そうすればもう二度と、お前たちがあの女の顔を見ることもないだろう」


 自分の言葉に、カサンドラが嬉しそうに笑う。


「ふふ、いいわね、最高。お父様、あたし、すっごくいい気分! もうこれで、あたしを邪魔するものは何にもない! あのうざったいメルローズも、その娘もこの世からいなくなるし、馬鹿な男爵令嬢は蹴落とした。これであたしが第三王子の妃になれば、王家とのつながりができてこの家も安泰だし、あたしは王子と馬鹿令嬢のおままごとを見逃してやる代わりに贅沢三昧できるんだもの! パティ、アンタの筋書きって本当に最高ね!」

「まあ、姉様ったら……そんなに褒めてくださるなんて、珍しい」

「でもいいの、おぉ姉様? 王子に愛妾なんて認めちゃってさ。王子はその、なんだっけ……ネリエシュとかって女を選ぶつもりなんでしょ? それって、愛のない結婚、ってヤツじゃないの?」


 不思議そうな顔で言ったヴァレリアに、カサンドラは艶然と微笑む。


「ヴィー、アンタ本当に馬鹿ね。そもそも貴族の結婚に、愛も恋もないのは当たり前。パティだって、お父様おすすめの『物件』に決めただけだし、子供みたいに夢見てんのはアンタくらいよ」

「ええー……あたし、そういうのはやだぁ……」

「だったら愛されればいいじゃないの、ヴィー。たとえ結婚したときに興味がなくたって、そのあとお互いの気持ちが変わることはよくあるわ。相手の好みを知って、相手に望まれる妻になって、首ったけにしちゃえばいいのよ」

「でも姉様がそれをやるとなると、相当悪質ですわねぇ……なにせ、ツヴェンダリ嬢の声を奪った張本人なんですもの」

「ちょっと……あたしじゃないでしょ、それは。薬を作ったのはあの魔術師だし、それを仕込んだのはパティじゃないの。あたしはただの運び屋じゃない」


 くすくすと笑いながら言ったパトリシアに、カサンドラは渋い顔をする。ストラバル伯爵は苦笑して、娘たちの会話に割って入った。


「まあまあ、その話はもういいだろう。明日からはみんなで王城に泊まることになる、短い滞在だが、振る舞いには気をつけなさい。特にカサンドラや、お前はこれから毎日よく寝て、よく食べて、綺麗に身体を磨いてもらうんだぞ。婚約披露のパーティーは改めてやるそうだが、上の方の連中は集まるし……もしかすると、竜王陛下がいらっしゃるかもしれないからな」

「竜王陛下が? お父様、それ本当?」


 その言葉に食いついたのはヴァレリアだ。婚約が決まったカサンドラ、すでに婚約者のいるパトリシアと違い、彼女はまだ相手がいない。だから、身分の高い男性に己を売り込めるチャンスは逃さないつもりなのだろう。


「まあ、お父様。ヴィーにそんな夢物語を吹き込まないでくださいな、この子はすぐ信じてしまうのだから」

「それがなあ、夢物語とも言い切れないのだよ、パトリシア。どうも今の国王陛下は竜王陛下とかなり懇意にしているらしくてな、第一王子の時も第二王子の時も、秘密裏に婚約を祝いに来ていたようなのだ。ことに末息子である第三王子は竜王陛下のお気に入りらしく、婚約式にもおいでになるのではと、早くも噂になっておる」


 婚約式の打ち合わせに王城へと赴いた際、たまたま鉢合わせた公爵から聞いた話だ。齢七十近いがかくしゃくとした公爵はかつて一度だけ竜王をその目で見たことがあると言い、死ぬまでにもう一度会えれば僥倖と笑っていた。会話中もなにかとこちらの目の奥を読もうとするような眼光が恐ろしい老人で、早くくたばって欲しい古狸の最有力候補である。


「へえ……来てくれたらいいわね、竜王陛下。あたしとガインヴェスト様の婚約式が、竜王にまでも祝福されたものになるってことでしょう? 最高じゃない!」

「あーん、竜王陛下の好きな色ってなんだろー? でもなー、わかったところでドレス今から仕立て直せないし……やっぱり胸は思い切って出した方がいいよね? あたしの一番の売りだもんね!」

「アンタあたしの婚約式で竜王陛下に色仕掛けするつもり? 恐ろしい妹だわぁ」

「なによぅ、おぉ姉様はこれから王子様のところに嫁ぐんだからいいじゃない。ちぃ姉様だってもうお相手がいるし……あたしだけなんだから、ここで売れ残ってるの!」

「ヴィーはまずもう少し慎みを覚えた方がいいんじゃないかしら? 誰彼構わず胸を押しつければいいというものではなくて……」


 グラスの中に残っていた酒を舐めるように飲みながら、伯爵は年頃の娘たちの会話を笑って聞いていた。

 だから彼は知らない。

 窓の外で、その会話をすべて聞いていたものがいることを。

 その黒い影は室内の様子からこれ以上の収穫がないことを察すると、窓辺からすっと飛び去った。

 そして一直線に、街の南――冒険者たちが出入りする区画の更に奥、闇ギルドと呼ばれる場所へと、戻っていった。

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