35、隠し事と愛の行方
駆け足になってしまいました…
近頃はそれなりに身の回りが静かだったので、正直気を抜いていたとしか言いようがない。
フェルディアドが先ほど友人たちと話すために、玉座を離れた。リシュエールは流石に席を離れるわけにはいかなくて、大人しく彼が戻ってくるのを待っていたのだがなかなか帰ってこなかった。
「ええっと、フォーレン騎士団長?陛下がどこに行かれたのか知らないかしら?」
先日第一騎士団長になったレクリス・テスラ・フォーレンは、本来ならば侯爵家の人間として舞踏会に参加するところを、騎士団長の一人として王妃リシュエールの護衛を勤めていた。
「……貴族の、ご令嬢たちに囲まれておりましたがそこからは……申し訳ありません。」
「そう……仕方ないわね、今日のあなたはわたくしの護衛ですもの。陛下には陛下で護衛がついているでしょうし、なにも心配はないでしょう。」
身の危険の心配は、だが。
もう一つ、まったく別の可能性には気付かないふりをして、リシュエールはレクリスに笑いかけた。
「大丈夫よ。わたくし、これぐらいのお仕事こなして見せますから。陛下の代わりに、ここで微笑んでいればいいだけでしょう?」
簡単な仕事だ。
相変わらず、リシュエールに友だちと呼べる人はデリーナくらいしかいない。仲良くしようとしてくれる人はいるが、それはあくまでそれぞれの家のためであって、友だちではない。デリーナはデリーナで必要な社交があるので、ずっと話していることもできない。
結局、リシュエールはひとりぼっちになってしまった。
「妃殿下……私でよろしければ、話相手になりますが……?」
「えっ……?」
上手く隠したと思ったのだが、心細く思ったのをレクリスに見抜かれてしまったらしい。心配そうにこちらをうかがう青灰色の瞳に、野心や媚はなくて、リシュエールはその純粋な気づかいにほっと息をついた。
「ふふ、心配させてしまったのね。では少しだけ、話相手をつとめてくれる?」
「喜んで、妃殿下。」
舞踏会がそろそろお開きになるころになって、フェルディアドはようやく戻ってきた。なんだか疲れているように見えたが、まだ仕事があると言う。
「先に寝ていていいからね。」
そう言ってリシュエールの頬にキスを落として、フェルディアドは離れていった。
袖を掴んで引き留めてしまうところだった。いま、離れてはいけない気がしたのに。
でも躊躇った。
自信がなかった。
キスをするために身を近付けたその時、ふわりと漂った香水の香り。
その甘ったるい香りに、リシュエールは覚えがあったからだ。
「……わかりましたわ。お休みなさい、陛下。あまり無理はなさらないで。」
「あぁ、ありがとう。おやすみ。」
フェルディアドの顔が見られない。
恋する人間の表情をしていたらどうしよう。と、不安になりすぎて、リシュエールはぱっと礼をとると奥宮を目指して急いだ。
なんとか部屋にたどり着いたが、それから放心したようにソファに座り込んで動けない。
リディエら侍女たちが心配して駆け寄ってくるが、返事をするのも億劫だ。だが、なんとか大丈夫と微笑む。大丈夫では全然ないのに、心と反対のことを言ってしまって、酷い表情をしているだろうと思った。
近頃は上手くいっていると思っていた。まるでふつうの夫婦のように。
忘れていた。
リシュエールとフェルディアドの結婚に、愛など関係なかったということを。
あぁ、もう。
明日目覚めなければいいのに。
そうすれば、彼がここに帰ってきていないという事実を見なくて済むのに。
*****
その令嬢とは顔見知り程度で、直接声をかけられるほど親しいとは、フェルディアドは思ってはいなかった。
いくら玉座から離れて、友人たちと話していたとはいえ、下級貴族らしき令嬢が国王に直接声をかけてくるなどということはかなりのルール違反だと思う。
本人も無礼なことをしているとわかっているのか、顔色が悪く震えている。この令嬢は、誰かに頼まれでもしているのだろう。
多くの貴族が、眉をひそめて令嬢を見ていた。このままだと、令嬢の悪い噂として話が広がってしまう。彼女は、おそらく彼女よりも身分の高い人物からの頼み事を断れなかっただけなのに。そう思うと憐れに思えて、フェルディアドは彼女の手をとった。
「私に用があるのだろう?誰が待っているのか知らないが、君にこんなことを頼んだ者のところへ連れていってくれる?」
「へ、陛下っ……申し訳ありませんっ!」
「いいから早く。」
「は、はいっ。」
震えて足をもつれさせる令嬢を支えながら、彼女に連れていってもらった先にいたのは、言ってしまえば予想通りの人物だった。
「リリシアナ嬢。」
ついこの前まで、フェルディアドの恋人と呼ばれていたリリシアナが、一人の男とともにフェルディアドを待っていた。
「あぁ、シェーナさん、ありがとう!あなたはもういいわ。」
「はいっ、失礼します。」
リリシアナにシェーナと呼ばれた令嬢が足早に立ち去る。
フェルディアドは周りに人がいないことを確認して、鋭い視線でリリシアナと男を見た。
「久しぶりだね、リリシアナ嬢、アレン・ディート。……アレン、君は舞踏会に出席できる身分ではなかったはずだけど?」
「……リリシアナに、入れてもらいました。」
「ふぅん?まぁ、それは今はいい。何の用かな?申し訳ないけれど、私は君たちとする話はないのだけど。」
予想はついている。おそらく、アレン・ディートの騎士団長降格の話だろう。
とはいえすでに決定、実行されたことに今更口を出してくるとは、フェルディアドもいい気はしない。
「お久しぶりです、陛下……わたし、陛下に会えなくて寂しかったです……」
目を潤ませながらリリシアナがそっとフェルディアドに手を伸ばしてきた。
あからさまに避けるのも、彼女の神経を逆なでしそうでフェルディアドはなすがままに抱きつかれる。
甘ったるい香水の匂いがした。明らかにつくられたとわかる薔薇の香りは、普段香水をつけないリシュエールの、落ち着く石けんや香油の香りと比べてしまうとなんとも品のないものに思える。
以前ならば可愛くも思えたリリシアナの甘えも、うっとうしく感じてしまった。
「……リリシアナ嬢、離れてくれる?」
「陛下っ、わたしはっ……」
「誰に口答えしてるの?」
有無を言わせぬ口調。これは本来は議会の時くらいしか遣わないのだが、あえてきつく言った。
少し顔色を悪くしながら、リリシアナはそれでもフェルディアドをじっと見ていた。
「お願いがあるのです、陛下。わたしの知ってる優しい陛下なら、わたしのお願い聞いてくださいますよね?」
「さて……君の知ってる優しい陛下、とはいったい誰のことだろうね。」
「そんな、そんな冷たいことおっしゃらないで……」
「埒があかないな……」
大きくため息をつくと、フェルディアドは髪をかき上げてリリシアナとアレンを睨んだ。
「仕方がない。話くらいは聞いてあげるよ。……あぁ、アレンは帰ってくれる?流石に直談判しにきたってバレたら、もう騎士として終わりだよ?」
バレるもなにも女性に頼ってる時点でどうかと思うが。男として。
「では、わたしと二人で?」
なぜだかリリシアナがきらきらとした目で、うっとりとフェルディアドを見つめてきた。
リリシアナだけならば、まだ上手く丸め込めると思う。そう考えていることはおくびにも出さず、フェルディアドはにっこりと頷いた。
服に移った香水の香りがうっとうしい。
一度リシュエールのところに戻ってまだ仕事があるというと、リシュエールはやはりおっとりと笑っておやすみなさいと言った。
これならリリシアナと会っていたことはバレていないだろう。やましいことがあるわけではないが、これからは誠実な夫になりたいから、元愛人に会っていることなどは知られたくない。
こう思うことが、もはややましいことなのだとフェルディアドは気付かなかった。




