三十七度
違う。
この冷気は会場内の何処かではない。
もっと身近、ポケットが発生源だ。
エンニチが静かに怒り狂っている。
縦ロールの時以上に怒っているのが分かるのだが、ポケットの中でピクリとも動かないのが逆に怖い。
顔にかかっていたかもしれないワインだかジュースだかは、エンニチのおかげで胸から腰辺りが濡れているだけで済んだ。幸いにもそれは反対側の方なのでエンニチは濡れてはいないのだが…
いやーんセラフィーナ、こっわーいっ☆…
…………ウッヒョエーーッ、たすけてぇ〜っ!!
嵐の前の静けさだ。
ブラザーズもベルもランちゃんも、間近でエンニチの怒気に当てられたのか固まったままで誰も助けてはくれない。
会場を守る騎士や感のいい人たちなどは青ざめてこちらを見ている。
私も固まりたい。もしくは気を失いたい。
しかしこのままでは確実に殺人が起こる。
縦ロールの時には、暗殺しようとするエンニチを何とか止めることに成功したのだが、今回はポケットの中にいるので直接話すことも出来ない。つまり以前成功した、お願い☆私の側にいて欲しいの攻撃も使用不可能だ。
それどころか逆に私が止めるそぶりをみせればその前に瞬殺するかも知れない。それぐらい怒っているのだ。
出来ることといえば、鬼神エンニチをこの場から連れ出すことだけだろう。
…連れ出す…?
それだっ!!
私は女優、女優だ。
両手でドレスをギュッと掴みうつむいた。
「…お、お父様にいただ(く前に私のモノだと勝手に着用した)いたドレス…っ…わ、わたし失礼致しますわ」
ドレスを翻し、優雅に素早く撤退だ。
背後からベルたちの声がしたが、無視して出入り口に向かい出来るだけ早歩きだ。
ニヤける顔を両手で覆い隠すことも忘れない。
そうして私は無事に会場から脱出することに成功したのだった。
この状況を回避し、エンニチの殺戮も防げる、まさに一石二鳥だ。自分の才能が怖い。
パパさんが折角用意してくれたドレスを汚された事だけは許さんが。
小娘、良くやった!
…コムスメ、許さん。
追い付かれてはなるものかと適当に進んだ結果、迷子になった。
しかも足がジクジクと痛む。靴が新品だった為に靴擦れをしてしまったようだ。
擦れた箇所が痛むので靴を脱ぐと、うっすらと血が滲んでいた。絹の靴下を丸めてポケットに入れ両手で靴を持ち裸足になると寒さが足元からくる。
どこか落ち着ける場所は…っと。
運良く近くにベンチがあったのでテテテテッと急いで駆け寄り腰を掛け、ようやくホッと一息つけた。
周囲を見渡すと空は薄暗く、魔法の明かりより月明かりの方が明るいぐらいだ。
リーンリーンっと小さな虫の音と何処からかふんわりと沈丁花によく似た香りが漂ってくる。
何処かホッとする静かで穏やかな場所だ。
遠くには一際明るい場所があるのであちらが会場だと思われるのだが、また騒ぎになりそうなので近くに行くのは遠慮したい。
夜は気温が下がる。
小娘のかけた液体によりペッタリとドレスの生地が肌に張り付き冷たい。
芝生のモフモフとした感触は楽しいが、だんだんと寒くなる。
寒い。本当に冷える。本気で凍える。
小娘許すまじ。
体温が下がる一方だ。
だれかー、へるぷみー。
寒くて動きたくないー、パパさんー、ブラザーズー、ダスティさんー、助けてー。
トカゲなどは、気温が下がると動きが鈍くなるというが、私も正にその状態だ。
私の前前世は哺乳類ではなく爬虫類だったかも知れない。
おい、…おい……
…低体温症でもなったのか幻聴まで聞こえる。
ベルの声がするのだ。
探し…ぞ……こんなに冷たくなって…まったく
だい…いセーラは…な…
幻聴でもお説教は言うのか。
妙なところで感心していると、肩に何かかけられたと同時にフワリと周囲があたたかくなった。
ぬくい…。
…だ……流れ……じゃないけど……一緒にいたいんだ…か…
一緒に…?うんそうだね、(この暖かさと)ずっと一緒にいたい…ああ…ぬくい…ぬくいぬくい。
本当かっ!?
お、俺、……を暖かく包み込めるよ…な、そんな大き…男になる…ら…
なぬっ暖かく包み込むですとっっ!?
しかも大きいっ!?
ええ、ええっ。お願いいたしますーっ。
ずっと一緒におりまするぅーーっ!
叫んだ瞬間、ガバリっと誰かに抱き締められた。
驚きとともに意識もはっきりとしたが………私は何故にベルに抱き締められているのだろう?
こんなに上機嫌なベルを見るのも珍しい。顔を高揚させ、まるで生き別れになったご主人様と出会えたワンコのごとく、シッポをブンブン勢いよく振られる幻影が見えてしまう。
……ををう。夜なのに美少年のキラキラ笑顔が眩しい。
「あ、あのー」
「ありがとうセーラッ!俺、俺絶対幸せにしてみせるからなっ」
…幸せ?意識朦朧とした中で、私は何を言ったんだ?
混乱する私を他所に、感極まったのかベルはそのまま抱きしめながらクルクル回り始めた。
裸足の私を気遣ってか地面に下されることはないが、目、目が回るぅ〜ぅ。
それはしびれを切らしたエンニチの回し蹴りが炸裂するまで続くことになる。
目を回した私はそのままブラックアウト。
そうして目が覚めて、正式に私とベルが婚約者同士の間柄になっていた。
何故だ。
◆◆◆◆◆◆◆
『おい、レブスよ。 即刻あの娘を縛り首にするがよい』
「おいおい、シュバルツ。子供がたかが飲み物を服にひっかけただけだろうが。縛り首はよせ、縛り首は。
ちゃんと俺が穏便に育て方を間違えたバカ親共々罰を与えるから我慢しろ。
まぁ最も、俺が先にやるよりセーラの周りの奴らが報復するだろうがな」
『当たり前だ。我もそのうちの一人ぞ』
「お前、ほんっとセーラを気に入ってるな」
『ふん。…行けば優しく撫でて自分のオヤツを分け与え、休めばクッションや毛布を手ずから持って来る。この世界にそれをしてくれる女子がどれだけいると思う?しかも我の正体を知らずに』
「まあなぁ、何の思惑もないワインなんて思わず涙が出そうだったもんなぁ…あれ?俺って寂しい奴?」
『なにを今更。ところで、その育て方を間違えたバカ親は何処ぞにおるのだ?』
「ん?ほら、あっちに泡を吹いて倒れているヤツがいるだろ。アレだ」
『…何じゃ。あれは趣味の悪い飾りものではなかったのか』
「いやいや、それは言い過ぎだろ。まぁ分からなくもないけどな。ホントあの娘は父親に似なくて幸せだったな」
『愚王が。よいか?いくら見目よかろうが性格が最悪ならオーク以下よ。
可哀想に、セーラは泣きながら出て行ってしまったではないか』
「いや、アレにやけてなかったか?」
優雅なダンスや修羅場を想像していた方、すみません。
あれ以上進むと、エンニチ&シュバルツによる物理破壊か精神破壊で収拾がつかなくなりそうだったので。
( ̄▽ ̄;)




