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「全く……この三年、事件らしい事件もなかったというのに……」

「あの少年……何者です?」

「ん? 日柄君かね」


 羽足邸前。署長は軽く顎を掻く。

「確か羽足博士の知り合いの息子さんだったかな……ご両親を早くに亡くしてね。それで博士が失踪の直前に引き取られたそうだ」

「……ほう」

「まさか彼を疑ってはおらんだろうね。彼はいい子だよ、博士がいなくなって以来、ずっと乃麻君のお世話をしておるんだ、」

「いえ、私は」

 有沢は乾いた唇をゆっくりと舐める。

「年頃の男女がこう、一つ屋根の下にいるというのは、よろしくないのではないかな、と。間違いが起こらないとも、」

「ハッハッハ、馬鹿を言うな」

 署長は笑い飛ばしつつ、車に乗り込んだ。

「日柄君は生真面目な好青年そのものだよ。決して軽率な真似はせん、わしが保証する」


「男がそうでも、女の方は分かりませんよ。あの年頃の女性というのは、こう、人間離れした、ねえ」


「いい加減にせんか」

 温厚そのものの署長の顔に、明らかな不快感が表れる。

「わしは一旦署に戻るが、いいか、彼女をくれぐれも頼んだぞ」

「はっ」


 テールランプを赤く残して、車は去っていく。有沢刑事は一息吐いて、煙草を取り出す。


「聞いてたかい、居候さん」


「……いえ、特には」

 いつからそこにいたのか――後ろに立つ千明は、学生帽を深々と被りなおす。

「あと僕は、書生です。それより――気付いてますか? 近くまで来てますよ、彼」

「ああ、そうかい」

 気のない返事をした有坂は、千明がマントの下、腰に一本のステッキを下げていることに気がついた。

「おい、なんだそれは」

「ああ、これですか」

 千明は微笑みながら、それを軽く撫でる。


「ちょっとした、護身用ですよ」


「へえ……」

 刑事は煙草を咥えて、暗闇の中をゆっくりと歩き出す。

「ボディガードだかなんだか知らないが、ガキがあまり粋がるなよ。こいつは、警察おれたち領分しごとだ」

 千明は何も言わずに、その背中を見送る。


 へっ……有沢は煙草の煙を吐く。何が「近くまで来ている」、だ。彼は千明の発言を全く信じてはいなかったが、しかし油断のない刑事らしく、その右手は腰の拳銃に這わせていた。

「けっ、来るならどこからでも来やがれ、どんな奴だか知らねえが、返り討ちにしてやるよ……」

 千明に言い聞かせるように、独り言を呟いて、彼はゆっくりと歩く。


「……あ。あぶない!」

「ああ?」


 一体何が――有沢はゆっくり振り返る。なんだ、眩しいな……赤い、光……?

 はっと気付いて身をかわそうとするのと、闇の向こうで銃声が響くのと、ほぼ同時だった。

「があっ……」

 左肩を抑えて、有沢は地面に倒れこんだ。数百メートルは先の相手を、一撃で射抜いてきやがった。


「す、狙撃銃スナイパーライフルだと……とんでもないもの持ってやがる……」

 ぱっ、と赤光が、今度は千明の額を照らし出した。素早くその場を飛び退いたその場所に、第二射が飛来する。

「うーん、この距離から狙ってこられると、さすがにちょっと厄介だな……」

 既に相手は移動を始めたようだ。ここでの戦いは長引くだけ、乃麻に危険が及ぶ。

「刑事さん、あなたは身を隠していて下さい」

「なっ……!?」


「お嬢さまを守るのは、僕の仕事です」


 千明は地を蹴って、その場から駆け出した。

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