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 タッ。千明の身体が宙に踊る。マントを空にはためかせ、彼の小柄な体躯は驚くほどの滞空時間を経て、次の屋根へと着地する。


 彼は走る。そしてまた飛ぶ。屋根から屋根へ、屋根から塀へ、塀から電柱へ。壁を、柱を地上を蹴って、彼は縦横無尽に駆ける。その姿は余程注意深く見なくては、鳥かあるいは、単に傍らを一陣の風の吹き過ぎていったようにしか思えないだろう。


「全く人使いが荒いんだから……」


 ブツブツ言いながら、千明は急ぐ。普通に歩けば数十分はかかる中心部までの道のりを、既にわずか三分足らずで大部分を踏破している。しかし、往復五分で帰らねば、恐らく乃麻はご機嫌斜めだろう。


 スタッ、石畳の上に彼は舞い降りる。ようやくメインストリートまでやってきた。後は件のケーキ屋を探して……周囲を見渡した千明は、大通りの一角、黒山の人だかりが出来ている事に気付いた。


「英子、しっかりしてよ英子ー!」


 哀願のような悲鳴が薄暮の街角に響く。あの声は確か、乃麻の同級生の――一体何が? 駆け寄ろうとした次の瞬間、千明は一つの息遣いを、聞いた。


 すぐ傍の路地裏。じっとこちらを見ている。地べたに座り込んでいる。誰かがいる。


「何か用ですか」

 息が荒い。何かを呟いている……? なんにせよ。確かなのは。こちらに向けられた、むき出しの殺意。

 千明は路地に入り、ゆっくりと男に近付いていった。男はその様子を注視している。

「大丈夫ですか……どこか悪いなら、救急車でも……」


 男が立ち上がる。千明は気付いた。ポケットに突っ込まれた右手に。


「あの……?」

「グッド、」


 良い(グッド)……? そんなことを考えた一瞬に、隙が生じた。


「バイ」


 一メートルの至近距離。まずい。千明が後方に身を翻すのと、銃声が響くのがほぼ同時だった。

「うぅ……」

 二、三歩、後ろずさって、千明は仰向けに倒れた。男は深く息をついて、横たわる彼に歩み寄る。


「あっけねえ……。人間なんて、こんな……」


 ピクッ。千明の右手が幽かに動いた。仕留め損なったか? とっさに、男は拳銃を構え直す。次の瞬間、男の両の手に衝撃が走る。あっ、と思ったときには、拳銃は既に宙に蹴り上げられていた。


「なっ……!」

 驚いている暇はなかった。続く蹴りが、彼の腹に入る。男は悲鳴とともに、路地の逆端にまで吹っ飛ばされた。


 千明はゆっくりと立ち上がった。マントについた埃を、丁寧に払う。街はまだ、この騒ぎに気付いていない。


「て、てめえ……!」


 男は震える膝で、その体を支えていた。手には、拳銃。先程とは別のものだ。


「ッざァけるんじゃねえッ、何で死なねえんだッ!?」


 次々と銃弾が吐き出される。狙いも定まっちゃいない。千明は構わず前進する。


「う、うああああああッ!」


 一発、こちらに真っ直ぐ飛んでくる。千明は表情も変えず、左の掌を向けた。バシィッ! 金属音が鈍く、高く鳴る。握り締めた掌から上がる、煙。


「だって、僕……」

「ひっ……」


「人間じゃ、ありませんから」


 掌を開く。銃弾が足元に転がる。千明は、左の拳をそのまま、水平に上げる。


発射ファイア!」

 声とともに、手首から先が火を噴いて、男めがけて飛び立った。


「ろ、ロケットパンチぃ!?」


 男は悲鳴にもならない声を上げて、その場から逃げ出す。


「逃がすか……!」


 その時だ。千明のポケットから、高い電子音が響いた。あ、お嬢さまからの電話――千明は逡巡した。まずいな、出ないと怒られる……でも今、手が離せない(ていうか離れてる)し……。



「あ」



 気がついたときには、男は既に彼の視界から消えていた。

 千明は肩を落として、鳴り続ける携帯をもう片方の手に取った。

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