58.5 試験と、詠唱魔法②〜フィリアと、自分の言葉〜
「おや、随分と早かったね」
その言葉とは裏腹に驚く様子もなく、
テオドールは穏やかに笑っていた。
「いい魔法が出来たのかい?」
その表情の奥に何を考えているのかは読み取れない。
けれど、声に含まれたわずかな喜びに、
期待されているような気がしてならなかった。
「はい、必ず合格します」
自分が納得いくまで何度も練習をした。
クリスタルの動きのパターンも把握した。
ほぼ逃すことなく、魔法を当てられるようになった。
もう、十分。
そう思えるほどに。
「そうか。では、始めようか」
テオドールの言葉とともに、
空間が歪み始める。
先ほどまで本が高く積み上げられていた狭い個室が消え、視界いっぱいに草原が広がっていく。
澄んだ空気。
風に揺れる草。
鼻をくすぐる青々とした匂い。
普通の人なら、草原へと転移させられたと勘違いしてしまうだろう。
「……これは、空間展開魔法」
きっと先ほどまでの部屋もそうだった。
試験室の扉を開いた瞬間から、
先生の作った幻影空間の中へと導かれていたのだ。
気づくのが遅かったかもしれない。
試験の内容で頭がいっぱいだった。
ここは先生のテリトリー内であり、
何が起こっても不思議ではない。
現に私は、目の前に広がる草原を本物だと錯覚している。
「そう、そんなに堅くならなくて大丈夫だよ」
いつの間にか姿を消したテオドールの声が、
草原全体に優しく響く。
「広い草原の方が、気兼ねなく魔法を使えるだろう? ただ、それだけだよ」
その言葉と同時に、目の前に自律移動型のクリスタルが現れた。
陽光を浴びて、きらりと光る。
何度も練習に使ったものと、変わらない。
変わらないものがあるだけで、ホッとする。
「それでは試験を開始する」
テオドールの声が響く。
「五分以内に、三等級以上の詠唱魔法でクリスタルに魔力を満たすこと」
言葉に反応するように、クリスタルが明滅を繰り返し始めた。
ついに始まる。
右手をクリスタルに向けたまま、
魔力を静かに集めていく。
大丈夫、練習どおりやればできる。
最初に向かう方向さえわかれば、
あとは足止めして……。
「始めっ!」
ーーブオォォォォ!
開始の合図と同時に、クリスタルが動き始める。
「なっ……!」
強い風圧を巻き起こしながら、
見たことない速さでクリスタルが遠ざかっていく。
どうして?
練習用に渡されたクリスタルとは、
速さがまるで違う。
「先生っ、これはーー!」
抗議の声を上げようとした瞬間。
最初からこうなることを知っていたかのような、
テオドールの穏やかな笑い声が響いた。
「君の弱点はもう一つあってね」
「それは……予想していなかった場面に直面した時の、対応能力が不足していることだよ」
「これも試験の一部だ。さぁ、君の本気をみせてくれ!」
穏やか声が、耳に響く。
それは少し楽しそうで、私を試している。
ーー失敗した。
想定外の事態に、下唇をきゅっと噛む。
あらゆることを想定したと思っていたのに。
自分で自分の視野を狭くしていた。
“お前の弱点は人を簡単に信用しすぎることだ”
ここにきてラグナの言葉が胸に刺さる。
確かに、その通りだ。
先生の言葉を、渡された物も、
何一つ疑っていなかった。
勝手に思い込んでいた。
ラグナは教えてくれていたのに。
試験がそんな簡単なものではないのに。
自分に対して怒りが湧いてくる。
あまりにも考えが足りていなかったと。
ーーでも。
そうなるように仕組まれた試験なのだから、
仕方がないよね。
両頬をパンッと叩く。
気持ちを切り替えなくっちゃ。
今は、試験中で……。
止まることなど、できないんだから!
◆
勢いよく遠ざかったり、急接近したり。
クリスタルは不規則な動きを繰り返している。
その動きを、じっと見つめる。
これが魔獣であれば、相手の行動にはある程度予測がつくのに。
1、2、3……1、2……。
軌道を変えるタイミングに、法則性はなさそう。
速さも変則的。
最高速度は未知数だけど、
たぶん目で追えなくはないと思う。
冷静に分析していく。
やがて、クリスタルが向きを変え、
真っ直ぐこちらへ向かってきた。
――今。
今ならいける。
右手に魔力を集め、言葉を紡ぎ始める。
「巡りゆく風よ、彼のものを惑わせ、歩みを奪え。
完成された時の中で貴方を包みましょう。
ー妖精境!」
――ゴォォッ!
風の渦がクリスタルに直撃する。
ーーやった!
風の渦がクリスタルを包み込み、
こちらへ向かってくる勢いを押し留めながら、
少しずつ魔力を満たしていく。
――これで、合格できる。
幾度となく練習した光景と同じ。
ほっと胸を撫で下ろす。
風の渦に包まれて、クリスタルの姿はもう見えない。
でも。
このまま魔法が解ければ、
そこには魔力を満たしたクリスタルが――。
ズズズズ……。
「……え?」
押し留めているはずの風の渦から、
クリスタルが這い出してくる。
しかも。
魔力がほとんど満たされていない状態で。
「嘘……どうして?」
声が震える。
「練習では三等級の魔法で、簡単に満たされていたはずなのに!」
――ブオオオオオオオッ!
風の渦を突き破ったクリスタルが、
その勢いのまま高速でこちらへ向かってくる。
ーーもう、避けられない!
「ストーンウォール!」
咄嗟に魔法陣を描いてしまう。
地面から高く頑丈な岩壁がせり上がり、
フィリアの目の前を塞いだ。
直後、クリスタルが岩壁へ激突する。
――ガンッ!
弾かれたクリスタルは、すぐさま軌道を変えて走り始めた。
「あ……」
魔法陣、使っちゃった……。
私……試験失格、なのかな……。
その場にへたり込み、自然と涙が溢れていく。
失格の声が聞こえるのを静かに待つと、
空から穏やかな声が降ってくる。
「勘違いしているようだが、魔法陣を使ってもいいんだよ?」
「え……?」
……確かに使っちゃいけない、とは言われていない。
「クリスタルに魔力を満たすこと。それだけは詠唱魔法であればいい。あとは好きにして構わないよ」
その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
けれど――。
また、気づかされる。
私が練習で使ったクリスタルと、
今試験で動いているクリスタルは別物で。
三等級の魔法では、魔力を満たすどころか、
足止めすることすら難しくて。
そして、「魔法陣を使ったら失格だ」と、
勝手に思い込んでいた。
「三等級以上の詠唱魔法で、
クリスタルに魔力を満たすこと……」
試験内容に嘘は一つもない。
けれど。
その言葉の表面だけを受け取っていたのでは、
見えないものがある。
――私の考えは、甘いのかもしれない。
人から与えられた言葉を、
そのままの意味で受け取ってしまう。
それがすべてだと、勝手に思い込んでしまう。
それも、私の弱点。
◆
残り時間が少ない……。
三等級の魔法では、魔力を満たすどころか、
足止めすらできない。
どうにかしないと。
現実を理解するほど、焦りが増していく。
もっと……強い魔法を。
そう思っても、うまくイメージが浮かばない。
呼吸が浅くなる。
視界が霞んでいく。
――もっと強い魔法を用意しておけばよかった。
どうして、こうなることを考えられなかったんだろう。
準備が足りなかった。
また、自分を責め始める。
――いつもそうだ。
抜けてばっかり。
完璧だったことなんて、一度もない。
いつも何かが足りない。
そう。
足りない――。
そこまで考えて、はっとする。
「……違う」
小さく首を振る。
「そうじゃない。ほんと、悪い癖ね」
想定することにも、準備することにも限界がある。
大切なのは。
想定外のことが起きた時に、どうするか。
「そう……きっと、そういう試験なんだ」
袖でぐっと目元を拭う。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
――まだ、大丈夫。
――まだ、間に合う。
お話しを読んでくださってありがとうございます。
また、ブクマをしてくださった方ありがとうございます。
ゆっくりですが更新していきますので、
よろしくお願いします(*´꒳`*)




