第77話 仲裁と入学枠
源田が世界に向けて放った『魔法医療禁輸措置』の宣言は、瞬く間にアメリカという巨大国家を内部崩壊の危機へと追いやっていた。
魔法治療の順番を待っていたウォール街の富裕層、巨大企業のCEO、そして不治の病を抱える軍の上層部たちが激怒し、ホワイトハウスを包囲して暴動寸前の抗議活動を始めたのだ。彼らにとって、金で買えない『命の保証』を取り上げられることは、どんな経済制裁よりも恐ろしい死刑宣告に等しかった。
蜂の巣をつついたような大混乱の中、米国政府がなりふり構わず『仲裁の特使』として日本へ送り込んできたのは、ヒール屋と唯一強いパイプを持つITの巨人、ハワードだった。
「ヒミコ!」
港区の建設現場にあるプレハブ小屋のドアが開くなり、金髪の少女が歓声を上げて飛び込んできた。ハワードの愛娘、アリスである。
「アリスちゃん! 遊びに来たの?」
ヒミコが目を輝かせて出迎えると、アリスは嬉しそうにヒミコに抱きついた。かつて不治の病に侵されていた彼女の面影はもうない。二人は言葉の壁など最初から存在しないかのように、すぐにキャッキャと笑い合い始めた。
その微笑ましい光景を横目に、ハワードは深く疲労した顔で源田の前に座った。
「ゲン……ホワイトハウスは今、完全にパニック状態だ。大統領は今朝から三回も胃薬を飲んでいるらしい」
ハワードは特使としての建前を捨て、一人の友人として、そして父親として誠実に問いかけた。
「君たちの怒りはもっともだ。だが、このままでは本当に国が割れる。……どうすれば、魔法治療を再開してくれるんだ?」
源田は表情一つ変えず、極寒の深淵を思わせる鋭い眼差しでハワードを見据えた。
「条件はシンプルだ。まず、俺達がかつてアメリカに滞在していた際、あろうことかUSアーミー(米軍)がヒミコを襲撃し、拉致しようとした件。これに関する公式な謝罪を要求する」
ハワードが息を呑む。それは米国政府がこれまで「テロリストの仕業」として徹底的に隠蔽してきた不都合な真実だった。
「次に、魔法利権を不当に奪うために課した五十パーセントの追加関税の即時撤廃と、それに対する謝罪だ。……これらを飲まぬ限り、一滴の魔法もアメリカには流さない」
一切の妥協を許さない、絶対的な通告。
しかし、源田はそこで言葉を切らず、冷徹な声のトーンを一段階下げた。
「だが、もしアメリカ大統領が自ら日本へ来日し、我々に頭を下げて謝罪するならば……当『ヒール屋』は米国との同盟を検討してもいい」
「大統領自らが、来日して謝罪だと……?」
「同盟の暁には、現在建設中のこの魔法学校に、米国専用の入学枠を『一枠』だけ提供してやろう」
その瞬間、ハワードの背筋にゾクッと悪寒が走った。
魔法学院の入学枠。それはつまり、アメリカが自国の人間を『魔法の使い手』として育成できる権利を得るということだ。たった一人の魔法使いの存在が、国家の軍事・医療バランスをどれほど激変させるか、ハワードは誰よりも理解していた。
金や権力では決して手に入らない、まさに『神の椅子』である。
「そ、そんな破格の条件を、本当に……」
ハワードが戦慄した、まさにその時だった。
「ねえねえ、その『にゅうがく』って、アリスちゃんも来ていいの?」
おにぎりを食べ終えたヒミコが、ひょっこりと二人の会話に首を突っ込んできた。政治の駆け引きなど全く理解していない、ただ純粋な無邪気さで。
「アリスちゃんがお勉強しに来るなら、私、アリスちゃんがいいな!」
「えっ? 本当!?」
アリスが目を輝かせてヒミコの手を握った。
「パパ! 私、ヒミコと一緒に魔法のお勉強したい!」
「アリス、お前……いや、しかしこれは国家間の……」
国家の命運を懸けたどろどろの利権争いが、たった一言、「友達と一緒にいたい」という少女たちの純粋な願いによって鮮やかに塗り替えられていく。
狼狽するハワードを見て、源田は微かに口角を上げた。
「……聖女の御指名だ。ハワード、大統領に伝えろ」
源田の底冷えする声が、決定的な一打となって響いた。
「これが我々の最終回答だとな」
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