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第58話 不格好なおにぎりと、魂の温度

挿絵(By みてみん)


 突き抜けるような青空の下を、装甲バスは静かに走っていた。

 ほんの数十分前まで、世界を終わらせるはずだった5,459発の核弾頭が空を覆っていたことなど、まるで悪い夢だったかのような穏やかな景色が窓の外を流れていく。


 だが、車内は重苦しい静寂に包まれていた。


 後部のソファベッドには、ヒミコが静かに横たわっている。

 いつもは白銀の輝きを放っている彼女の髪は、今はまるで色を失ったように灰がかっており、艶もなかった。

 人類最大の危機をたった一人で「お掃除」した代償は、彼女の小さな体に重くのしかかり、深い眠りという形で現れていた。


「……『絶対防御』なんて、格好つけてた自分が恥ずかしいわ」


 沈黙を破ったのは、ヒミコの額の汗をタオルで拭っていた真壁だった。

 凛とした美貌を持つ彼女は、今はその顔を悔しさに歪め、ぽつりとこぼした。


「私たちが護衛として雇われたのに。……結局、一番守らなきゃいけない子に、全部背負わせちゃった」


 真壁の言葉に、運転席の三上も、壁に寄りかかっていた剣崎も、無言で唇を噛み締めた。

 魔力も、剣技も、結界も、あの絶望的な熱量の前では無力だった。

 彼らはヒミコの盾になるどころか、彼女の無垢な自己犠牲によって「守られてしまった」のだ。


「次は、絶対に私たちが壁になる。……二度と、この子にこんな無茶はさせない」


 真壁の悲痛な、しかし確かな誓いに、三上と剣崎が力強く頷く。


 そんな中、源田だけは無言で立ち上がり、バスに備え付けられた小さなキッチンスペースへと向かった。

 ネクタイを少し緩め、腕まくりをする。


「……ゲンさん?」


 レイナが不思議そうに声をかけたが、源田は答えず、無骨な手でボウルを取り出し、米を研ぎ始めた。

 法と金しか扱ってこなかった、凄腕弁護士の冷徹な手。

 それが今、ひどくぎこちない手つきで炊飯器をセットし、備蓄のツナ缶の蓋を開け、マヨネーズをかき混ぜている。


 やがて炊き上がった熱々のご飯を手に取り、源田は顔をしかめながら必死に形を整え始めた。

 数億、数十億という金額を動かす時すら揺るがなかった彼の手が、今は熱さと不慣れさで震えている。


 数分後。

 皿の上にコトリと乗せられたのは、お世辞にも綺麗とは言えない、いびつな三角形のおにぎりだった。

 海苔の巻き方もズレているし、少し大きすぎる。

 だが、源田は世界一高価な宝石でも扱うかのように、その皿を両手でそっと持ち運んだ。


 ソファベッドの横に彼が立った時、まるでその匂いを感じ取ったかのように、ヒミコの長いまつ毛が震えた。


「……ん」


 ゆっくりと、ヒミコが目を開ける。

 髪の色はまだ完全には戻っていなかったが、その瞳には微かに命の光が宿っていた。


「……起きたか」


 源田は努めて平坦な声を出しながら、彼女の顔の前に皿を差し出した。


「ほら、約束のツナマヨだ。コンビニの市販品じゃねえから、形が悪いとか文句は言うなよ」


 ヒミコは、皿の上に乗った不格好なおにぎりをじっと見つめ、ゆっくりと体を起こした。

 そして、小さな両手でそれを包み込むように持ち上げる。


 はむ、と小さくかじりついた。


 車内の全員が、固唾を呑んでその様子を見守る。

 ヒミコはもぐもぐと口を動かし、ごくりと飲み込んだ後、手の中のおにぎりと源田の顔を交互に見比べた。


 いつもなら、ここで感情のない声で「おいしい」とだけ言うはずだった。

 しかし、ヒミコは不思議そうに少しだけ首を傾げ、ぽつりと呟いた。


「……あったかい」


 ヒミコの瞳が、ほんの少しだけ揺れていた。


「美味しい、だけじゃなくて。……ゲンさんの手、すっごく、あったかい」


 その言葉に、源田は一瞬だけ目を見開き、そして照れ隠しのようにフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 耳が、少しだけ赤くなっているのを、誰もが見逃さなかった。


 その光景を側で見守っていたレイナは、思わず息を呑んだ。

 彼女の心眼が、ヒミコの魂の色の変化をはっきりと捉えていたからだ。


 出会った頃のヒミコの魂は、あまりにも純粋で、無機質で、空っぽの「純白」だった。

 喜びも悲しみも、命の重さも知らない、人間離れした空白の色。


 だが今、彼女の純白の魂の中心に、ほんのりと色づくものがあった。

 まるで春の陽だまりのような、温かく優しい桜色の光。

 それは間違いなく、誰かを想い、誰かからの温もりを受け取った人間にしか宿らない、感情の色だった。


(……ヒミコは、人間になっていってるんだ)


 レイナは胸が熱くなり、そっと目頭を押さえた。


「ゲンさん」


 運転席から、三上の静かな声が響いた。

 フロントガラスの向こうに、重々しいコンクリートの壁と、黒煙を上げる巨大な都市のシルエットが見えてきたのだ。


「クライ国の首都、境界線を越えます」


「……ああ」


 源田は振り返り、ネクタイを締め直した。

 その顔はもう、不器用な保護者のものではない。世界を敵に回してでもツケを回収する、ヒール屋の冷徹なボスの顔に戻っていた。


「お前ら、仕事の時間だ。世界を救った馬鹿げた代金を、あの独裁者から耳を揃えてむしり取ってやる」


 不格好なツナマヨおにぎりを両手で大事そうに食べる少女と、彼女を家族として守る決意をした一行。

 装甲バスは、いよいよ最終決着の地へと足を踏み入れた。


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