第57話 聖滅の5,459柱と、その代価
『連邦国より、戦略核ミサイル発射! 目標、クライ国上空!』
市ヶ谷総理の悲鳴のような報告と同時に、空の色が変わった。
遥か彼方の空に、死を告げる不吉な光の尾が現れたのだ。
極超音速で飛来する核弾頭。それがもたらす破壊の規模は、これまでの戦闘とは次元が違っていた。
「クソッ……! 真壁、防げるか!?」
「無理よ……っ! 私の『絶対防御』は物理衝撃なら防げるけど、熱量と放射線が桁違いすぎる……! 一瞬で蒸発しちゃうわ!」
結界を展開する真壁が、その凛とした美しい顔を絶望に歪めて叫んだ。
三上の魔力も、剣崎の神速も、都市一つを地図から消し去る業火の前では、あまりにも無力だった。
装甲バスの車内を、物理的な「死の予感」が支配する。レイナは恐怖で震え、蘇ったばかりのアントンは呆然と空を見上げていた。
だが、源田は諦めていなかった。
彼は血走った目でヒミコを抱き寄せ、自らの体で覆い隠そうとした。
「ヒミコ、伏せろ! どんな手を使っても、お前だけは……っ!」
しかし、ヒミコはその腕をすり抜けた。
「……だいじょうぶ」
彼女は静かにそう呟くと、ゆっくりとバスのステップを降りていった。
泥濘の大地に、小さな少女が一人立つ。
吹き荒れる風が、彼女の純白の髪を乱暴になびかせた。
ヒミコは、迫りくる破滅の光――連邦国の方角を真っ直ぐに見据え、小さく手をかざした。
「……聖滅」
その呟きが落ちた瞬間。
世界中の色が、反転した。
カッッッ――……!!!!
ヒミコの小さな体から溢れ出したのは、これまでの「治癒」とは次元の違う光だった。
それは天を貫き、宇宙まで届くかのような、あまりにも巨大で、純白の光柱。
極超音速で突っ込んできた核ミサイルが、その光の柱に触れた。
爆発音は、なかった。
熱風も、衝撃波も、何も起こらなかった。
ただ、核という「死の塊」が、光に触れた瞬間に、砂の城が崩れるように光の粒子となって霧散し、「消滅」したのだ。
物理現象そのものを書き換える、圧倒的な浄化の力。
だが、ヒミコの「お掃除」は、一本のミサイルを消しただけでは終わらなかった。
「……きたないの、ぜんぶ」
彼女の意志に応えるように、天を貫いた光柱が、幾千もの筋に枝分かれした。
光の矢は成層圏を越え、流星群のように世界中へと拡散していく。
その向かう先は、連邦国全土。
地下深くに隠された発射サイロ。移動式の発射台。爆撃機に搭載された弾頭。
今まさに発射されようとしていたものも、冷たい倉庫で眠っていたものも。
連邦国が保有する、すべての核兵器。
その数、5,459発。
世界各地の軍事基地で、地下施設で、突如として純白の光柱が立ち昇った。
5,459本の「聖滅」の光が、地球を覆い尽くす。
それまで人類を恐怖で支配していた最強の兵器は、爆発するいとまさえ与えられず、一瞬にしてこの地上から綺麗さっぱりと拭い去られた。
◇
連邦国の首都、地下深くの核シェルター。
安全圏で勝利を確信していたグロモフ大統領は、モニターを凝視したまま硬直していた。
核管理システムの画面が、見たこともない真っ赤なエラーメッセージで埋め尽くされていたからだ。
『LOST』『LOST』『LOST』『LOST』……
次々と表示される「消失」の文字。
画面の隅に表示されていた「保有核弾頭数:5,459」という数字が、目にも止まらぬ速さでカウントダウンを始め、そして一瞬で「0」になった。
「ば、馬鹿な……何が、起こった……?」
「ほ、報告! 国内すべての核施設から、弾頭の反応が消失しました! 熱源反応なし、放射線反応なし! ただ……光に包まれて、消えたと……!」
「あ、ありえん……そんな、神ごとき真似が、人間に……っ!」
グロモフは、あまりの理解不能な事態に、叫び声を上げることすらできなかった。
恐怖による支配。その拠り所であった最強の矛は、一人の少女の「お掃除」によって、完全に無力化された。
独裁者は白目を剥き、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
◇
再び、クライ国の原野。
空を覆っていた不吉な光は消え、突き抜けるような青空が戻っていた。
全ての光が収束し、静寂が戻った大地に、ヒミコは一人佇んでいた。
だが、その小さな背中は、微かに震えていた。
5,459発もの「人類最大の死」を浄化した代償。
いつもは白銀に輝く彼女の髪から光が失われ、くすんだ色になっている。
ヒミコの体が、ふらりと傾いた。
「ヒミコッ!」
誰よりも早く、源田がバスから飛び出した。
泥濘に膝をつきそうになった彼女の体を、間一髪で抱き止める。
「……やりすぎだ、馬鹿野郎」
源田の声は震えていた。
腕の中の少女は、驚くほど軽く、そして熱を失っていた。金勘定も、損得も、今の彼にはどうでもよかった。ただ、この小さな命が消えてしまうことの恐怖だけが、彼の心を支配していた。
ヒミコは、源田の腕の中でうっすらと目を開けた。
焦点の定まらない瞳で、けれど、安堵したように弱々しく微笑んだ。
「……ゲンさん。みんな……壊れて、ない?」
自分の消耗よりも、仲間たちの無事を案じる言葉。
源田は奥歯を噛み締め、彼女の体を強く、強く抱きしめた。
「ああ……! ああ、無事だ! 誰一人、壊れてねえ! お前が守ったんだ!」
源田の叫びに、バスから仲間たちが駆け寄ってくる。
レイナが、三上が、真壁が、剣崎が。
全員が涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、二人の周りに集まり、その小さな英雄の無事を確信して泣き崩れた。
世界を救った「聖滅」の代価。
それは、感情を持たなかった少女が初めて見せた、自己犠牲という名の尊い消耗だった。
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