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第52話 白旗と領収書

挿絵(By みてみん)


 翌朝。

 泥濘んだ道を、装甲バスが再出発しようとした時だった。


「……ゲンさん。これ、どうしましょう」


 運転席の三上が、困り果てた声で言った。

 フロントガラスの向こうに広がる光景に、車内の全員が言葉を失った。


 白旗。

 白旗。

 白旗。


 地平線まで続く街道の両脇を、埋め尽くすほどの白旗が波打っていた。

 それは連邦国軍の兵士たちだった。

 彼らは銃を地面に置き、両手を上げて整列している。その数は数百、いや、数千に及ぶだろう。


「おい、俺を洗ってくれ! 噂は聞いているぞ!」


「一万円ならある! 死体から剥ぎ取った時計でもいいか!?」


「頼む! 俺はもう、人を殺したくないんだ!」


 彼らは口々に叫び、懐から自国の紙幣や、貴金属、あるいはどこかで調達した日本円を握りしめていた。

 それは軍隊への降伏ではなかった。

 「店」への行列だった。


          ◇


「……チッ。商売繁盛にも程があるな」


 源田壮一郎は舌打ちをして、バスのドアを開けた。

 拡声器を片手に、ステップに立つ。


「帰れ! 当店は本日、予約で一杯だ!」


 源田の怒鳴り声が響いた。


「てめぇらの治療費を払うスポンサーがいないんだよ! クライ国政府が敵兵を助ける金など出すわけがない。連邦国もお前ら裏切り者に金は払わん。俺達はボランティアじゃない、商人だ。金のない客は相手にせん!」


 非情な通告。

 その言葉に、希望に縋っていた兵士たちが崩れ落ちた。

 レイナの心眼には、彼らの絶望が再びドロドロとした黒い煤となって噴き出すのが見えた。


 その時だ。

 源田の胸ポケットで、スマートフォンが震えた。

 着信画面には『市ヶ谷総理(最優先)』の文字。


「……なんだ。今、取り込み中だ」


『源田君! 見ているわよ、ネットの動画を!』


 電話の向こうから、凛とした女性の声が響いた。

 日本のリーダー、市ヶ谷総理だ。彼女は興奮を隠せない様子でまくし立てた。


『すごいことになっているわ! 「日本の聖女が敵兵の心まで救っている」と、世界中で称賛の嵐よ! 我が国の支持率も爆上がりだわ! 国連からも問い合わせが殺到しているの!』


「だから何だ。俺は慈善事業家じゃない」


『お願い、彼らを見捨てないでちょうだい! ここで彼らを救えば、日本は名実ともに平和の守護者になれる! これは数兆円の外交的価値があるのよ!』


 源田は目を細めた。


「つまり、金は出すんだな?」


『出すわよ! 「人道支援および平和構築費」として、全額日本政府が代位弁済する! だから頼むわ、その白旗の群れを全員「お掃除」してやって!』


 源田はニヤリと笑うと、電話に向かって告げた。


「……いいだろう。『国際平和維持特例』で単価1万円だ。いいな?」


『ええ、構わないわ! すぐに決済する!』


 通話が切れると同時に、源田は拡声器を構え直した。

 その声は、先ほどまでの冷徹さから一転、ビジネスライクな「店主」の声に変わっていた。


「喜べ! スポンサーがついた! 日本国政府が全額負担する! これより当店は、国籍不問の『大掃除』を開始する!」


          ◇


 街道沿いに、即席のカウンターが設置された。

 長蛇の列を作った連邦兵たちが、次々とヒミコの前に進み出る。


「……ツナマヨ」


 ヒミコは新しいおにぎりの包みを開け、一口かじると、目の前の巨漢の兵士に手をかざした。


「……ん。ここ、真っ黒。お掃除」


 カッ……!!


 白銀の光が弾ける。

 兵士の体から、古傷と共に、ドロドロとした「洗脳と憎悪の煤」が剥がれ落ちていく。

 鬼のような形相をしていた兵士が、光が収まると、憑き物が落ちたような穏やかな顔つきに変わっていた。


「……俺は……故郷の母さんに……」


「はい次。一万円。日本政府へ請求」


 源田が数取器カウンターをカチリと鳴らす。


「……次」


「お掃除」


「はい一万円。……次」


 もはや治療ではない。ベルトコンベア式の浄化作業だ。

 ヒミコの光を浴びた兵士たちは、武器を拾うことなく、東の空――自分たちの故郷の方角へ向かって、深々と頭を下げて歩き出していく。

 彼らはもう兵士ではない。ただの人間だ。


「すごいな……。戦わずして、軍隊が消えていく」


 剣崎が刀の柄に手を置いたまま、呆れたように呟いた。

 物理的な破壊ではなく、経済と魔法による「無力化」。

 それは、どんな最新兵器よりも確実に、戦争の根幹を解体していた。


          ◇


 一方、連邦国の首都。

 グロモフ大統領の元には、前線からの悲鳴のような報告が相次いでいた。


『第4機甲師団、前進を拒否! 「聖女に洗い流してもらう」と言って脱走者が続出しています!』


『プロパガンダ放送の効果がありません! 兵士たちはスマホで日本の動画を見ています!』


 グロモフは震える手でマイクを握り潰さんばかりに叫んだ。


「ええい、切断しろ! ネットを遮断しろ! あの小娘を見せるな! あれは兵器だ! 核兵器よりも危険な、国家転覆の毒だぞッ!!」


 だが、もう遅かった。


 「一万円で人間になれる」という噂は、風に乗って国境を越え、抑圧された人々の心に火をつけ始めていた。


 夕闇の中、ヒミコは最後のおにぎりを飲み込むと、空になった名簿の山を見上げた。


「……ゲンさん、お腹いっぱい」


「ああ、よく働いた。……本日の売り上げ、一億二千万。市ヶ谷も腹を括った甲斐があっただろうよ」


 源田は満足げに数取器をポケットにしまった。

 この日、歴史上初めて、金銭取引によって一つの軍団が消滅したのだった。


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