第39話 墜ちた正義
その日も、港区の洋館の前には長い行列ができていた。
三上翔が光の指先で行列を整理し、真壁楓が鋭い眼光で不審者をチェックする。
それは、ここ数日で定着した「聖女教騎士団」の日常風景だった。
「……ん?」
真壁の足が止まった。
行列の中ほどに、見覚えのある男がいたからだ。
いや、忘れるはずがない。
警察組織の中で、真壁に汚職の罪をなすりつけ、懲戒免職へと追いやった元上司――管野元警視正だ。
かつての尊大な態度は見る影もない。
頬はこけ、肌は土気色に変色し、高級スーツがブカブカに見えるほど痩せ細っている。
末期癌だ。誰が見てもわかる死相が漂っている。
「……ッ」
真壁の全身が強張った。
憎しみではない。ただ、生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がる。
無意識のうちに、彼女の周囲に『絶対防御』の波動が漏れ出した。
透明な空気が歪み、ピリピリとした圧力が周囲の客を怯えさせる。
「真壁さん、どうしました!?」
三上が駆け寄ってくる。
だが、先に声をかけたのはレイナだった。
「……汚い色ね」
レイナがサングラスをずらし、行列の中の管野を見下ろす。
「あの男、心の色がドロドロの『汚物色』よ。自分の命が惜しくて、プライドも過去の罪も全部投げ捨てて、ここに縋りに来たのね。……あなたの仇?」
「……ああ。私から『警察官』という誇りを奪った男だ」
真壁がギリリと奥歯を噛む。
三上が表情を変え、指先に魔力を溜めた。
「追い返しましょう。あんな奴、ヒミコ様に会わせる価値もない。僕がビームで威嚇して――」
「やめろ」
静かな、しかし絶対的な声が響いた。
源田壮一郎だ。
彼はテラスから、眼下の管野を冷徹に見下ろしていた。
「客が来たんだ。私情で追い返すのはプロの仕事じゃない」
「ですが! あいつは真壁さんを……!」
「三上。ここは裁判所じゃない。ヒール屋だ」
源田は真壁を見た。
試すような視線ではない。ただ事実を確認する目だ。
「真壁。お前はどうする? 門番として、その客を通すか、通さないか」
真壁は深呼吸をした。
震える拳を握りしめ、そしてゆっくりと開く。
かつての怒りが消えたわけではない。だが、今の彼女にはそれ以上に守るべき「ルール」があった。
「……通します。彼は今、ただの『客』ですから」
◇
順番が来た。
管野がよろめきながら、ヒミコの前へ進み出る。
その横には、護衛のように真壁が立っていた。
「……ま、真壁……」
管野が掠れた声で名を呼ぶ。
濁った瞳が、すがるようにかつての部下を見上げた。
「助けてくれ……。どこの病院でも、もう手遅れだと……。わ、私が悪かった。あの件は、上からの圧力でどうしようもなくて……」
「黙って座ってください」
真壁は氷のように冷たく告げた。
「言い訳も、謝罪もいりません。必要なのは一万円だけです」
「う、うう……」
管野は震える手で、財布から一万円札を取り出した。
かつて権力を笠に着て、真壁を嘲笑った男のプライドは、死の恐怖の前に粉々に砕け散っていた。
ヒミコが、おにぎりを置いて管野に向き合う。
真壁の心臓が早鐘を打つ。
ヒミコは、この男の汚れを見抜くだろうか。拒絶するだろうか。
だが。
「……ん。おじちゃん、顔色が悪い」
ヒミコは、何の躊躇いもなく手をかざした。
そこに「悪人を救う葛藤」など微塵もない。
彼女にとって、目の前の男は「一万円を払った、お掃除が必要な人間」でしかなかった。
「お掃除」
カッ……!!
いつもの白銀の光が溢れる。
管野の体を蝕んでいた癌細胞が、瞬く間に消滅していく。
死の淵にあった顔色に赤みが差し、呼吸が整う。
奇跡的な回復。
管野は自分の体を見下ろし、涙を流した。
「な、治った……。ああ、神よ……! 私が許されたのか……!」
「はい、終わり。次の方ー」
源田が事務的に声をかけた。
その言葉が、管野の歓喜に冷水を浴びせる。
「……え?」
「治療は終わったと言っているんだ。つっかえているから、さっさと退いてくれ」
管野は呆然とヒミコを見た。
聖女はもう、彼のことなど見ていなかった。次のお婆さんに笑顔を向け、新しいおにぎりに手を伸ばしている。
許されたわけではない。
裁かれたわけでもない。
ただ、「一万円分の作業」として処理されただけだ。
その事実は、どんな罵倒よりも残酷に、管野という人間の小ささを浮き彫りにした。
◇
健康を取り戻した管野は、逃げるように洋館を去っていった。
礼を言うことも、真壁に再び謝ることもできず、ただ圧倒的な「無視」に打ちのめされた背中だった。
「……いいんですか、真壁さん」
三上が小声で尋ねる。
真壁は、小さく息を吐き、そして憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。
「ああ。これでいい」
復讐など必要なかった。
聖女の光は、善人も悪人も等しく照らす。
その圧倒的な平等の前では、かつての権力闘争や冤罪など、あまりにも些細な出来事だった。
「毎度あり」
源田が領収書を切り、風に飛ばした。
真壁はその白い紙切れを見つめ、三上の肩を叩いた。
「さあ、仕事に戻るぞ、三上。まだ行列は続いている」
「はいっ! 了解です、真壁さん!」
最強の矛と盾は、再び定位置に戻った。
彼らが守っているのは、単なる少女ではない。
この不条理な世界で、唯一公平な「一万円の奇跡」なのだ。
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