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第17話 泥色の嘘

挿絵(By みてみん)


 港区の朝は早い。

 『ヒミコ治療院』のダイニングキッチンで、レイナはコーヒーを片手に、少し不思議そうな顔で周囲を見回していた。


 ヒミコによる「脳内配線の繋ぎ直し」から数日。

 聴力を取り戻したレイナの視界は、以前とは決定的に異なっていた。


(……すごい。本当に「色」が見える)


 レイナの瞳には、人の発する感情が、オーラのような「色」として映っていた。

 それは彼女が長年、相手の表情筋や仕草から無意識に読み取っていた膨大な情報が、脳内で瞬時に処理され、視覚化されたものだ。


「……ん? レイナさん、俺の顔に何かついているか?」


 エプロン姿で味噌汁をよそっていた剣崎が、レイナの視線に気づいて振り返る。

 その瞬間。

 剣崎の全身から、ボッ! と音がしそうなほど真っ赤な色が噴き出した。


(うわ、真っ赤っか。……この人、本当にウブねぇ)


 「赤」は、極度の緊張と羞恥心。

 最強の剣豪も、派手な部屋着ヒミコのジャージを着たレイナと目が合うだけで、ゆでダコのように沸騰しているのが丸わかりだ。


「な、何もついてないわよ、マッチョマン。今日もいい筋肉ね!」


「ぬ、ぬぅ……! からかうな!」


 剣崎は顔を真っ赤にして、逃げるように厨房へ引っ込んだ。


 視線を移すと、そこにはタブレットでニュースをチェックしている源田がいる。

 眉間に皺を寄せ、難しい顔をしているが……。


(ゲンさんは……綺麗なオレンジ色)


 冷徹に見えるその背中には、焚き火のような温かいオレンジ色が揺らめいている。

 それは「安らぎ」と「慈愛」。

 この空間と、ここにいるメンバーを、彼がどれほど大切に思っているかを示す色だ。


 そして。


「……レイナ、おはよ」


 二階から降りてきたヒミコが、目をこすりながら席につく。

 彼女の色は――


(……透明)


 色がない。

 どこまでも澄み渡った、純粋な水のような無色。

 善も悪も、嘘も真実も、すべてを飲み込んで流してしまうような、圧倒的な透明感。

 研究室で「ナンバー135」という記号として扱われてきた彼女は、まだ何色にも染まっていないのだ。


「ヒミコ、おはよう。髪、跳ねてるわよ」


「ん。……直して」


 レイナは微笑み、ヒミコのサラサラした髪を指で梳いた。

 この透明な色を、汚い色で濁らせたくない。

 レイナは心からそう思った。


          ◇


 その夜。新宿、歌舞伎町。

 高級キャバクラ『ジュリエット』に、No.1キャスト・レイナの姿があった。


「あーん、お久しぶりですぅ! 元気にしてました?」


 煌びやかなドレスに身を包み、レイナはVIPルームのソファに滑り込む。

 以前なら、この空間は地獄だった。

 男たちの欲望、見栄、嘘。それらがノイズとなって脳を突き刺し、吐き気を催していたからだ。


 だが、今は違う。


(……スイッチ、オン)


 レイナが意識を集中すると、世界に色が乗る。

 隣に座る常連客の社長。笑顔で高いシャンパンを開けているが、その胸元には「薄い黄色」が見える。

 それは「見栄」と「承認欲求」。

 ――俺はこんなに金があるんだ。すごいだろ。もっと褒めろ。


(なるほどね。今日は部下の前だから、格好つけたいわけか)


 本音が分かれば、対処は簡単だ。

 レイナはわざとらしく驚いて見せる。


「すごーい! 社長、またお仕事成功したんですかぁ? やっぱり器が違うなぁ!」


「はっはっは! まあな、レイナちゃんのためなら安いもんよ!」


 社長の黄色い色が、満足げに輝く。

 簡単だ。あまりに簡単すぎて笑えてくる。

 これが、ヒミコがくれた「心眼ギフト」。


 その時だった。

 ボーイに案内され、一人の男が店に入ってきた。

 仕立ての良いスーツを着た、知的な雰囲気の中年男性。

 だが、レイナの表情が強張った。


(……うわ。何、あの色)


 男が纏っているのは、ヘドロのように淀んだ「泥色」。

 計算、欺瞞、そして探りを入れるような粘着質な「灰色」が混ざり合っている。


「ご指名ありがとうございますぅ。初めまして、レイナです」


 レイナは警戒心を隠し、満面の笑みで男の席についた。

 男は名刺も出さず、薄く笑ってカクテルを注文した。


「噂通りの美人だ。……実はね、君に聞きたいことがあって来たんだ」


「えー、なぁに? 私のスリーサイズ?」


「ははは、それも興味あるがね。……最近、港区に奇妙な治療院ができたという話を知らないかな?」


 男の声が、少し低くなった。

 泥色が、ドロリと濃くなる。


「一万円でどんな病気も治す、白亜の洋館の『ヒミコ治療院』。……君、そこの院長と親しいそうだね?」


(……ビンゴ)


 レイナはグラスを揺らしながら、男の目を覗き込んだ。


「へぇ、そんなお店があるんですかぁ? 私、最近は美容整形とか興味なくて」


 しらばっくれるレイナ。

 だが、男は引かない。


「隠さなくていい。私はただのフリーライターでね。その奇跡の治療法について、独占取材をしたいだけなんだ。紹介してくれれば、君にも悪いようにはしないよ」


 男は胸ポケットから、厚みのある封筒をチラつかせた。

 言葉は丁寧だ。態度も紳士的だ。

 だが、レイナの目にはハッキリと映っている。

 男の腹の底で渦巻く、どす黒い「欲望」と「悪意」が。


 ――独占取材? 嘘ね。あんた、ただの記者じゃない。

 ――その色は、「特ダネ」を狙う色じゃない。「弱み」を探して、高く売りつけようとしてるハイエナの色よ。


 レイナはふっと笑い、男の手をそっと握った。

 男が「おっ」と期待したような顔をする。


「ねえ、おじ様。……私、嘘つきな男の人って、嫌いじゃないの」


 レイナの声色が、冷たく変わる。


「でも、下手な嘘つきは嫌い。……あんた、記者じゃないでしょ?」


「な……何を」


「その泥みたいな色。……誰に雇われたか知らないけど、あの子の周りを嗅ぎ回るなら、相応の覚悟してきなさいよ?」


 レイナの瞳が、妖しく輝く。

 男は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 見透かされている。

 自分の正体も、目的も、何もかもが。


「……チッ」


 男は舌打ちをし、封筒を引っ込めた。

 泥色が、「焦り」と「恐怖」の青ざめた色に変わっていく。


「……勘違いしないでくれたまえ。ただの世間話だ」


「あら、もうお帰り? 延長料金、高いわよ?」


 男は逃げるように席を立ち、会計もそこそこに店を出て行った。

 レイナは冷めた目でその背中を見送り、新しいタバコに火をつけた。


「……雑魚ね」


          ◇


 深夜。

 仕事を終えたレイナは、タクシーで港区の洋館へ戻った。

 リビングでは、まだ源田が起きて仕事をしていた。


「……おかえり。遅かったな」


「ただいま、ゲンさん。……ちょっと、害虫駆除してきた」


 レイナはソファにドカッと座り込み、ヒールを脱ぎ捨てた。


「ネズミが一匹、嗅ぎ回ってたわよ。フリーの記者を名乗ってたけど、中身はゴロツキの情報屋ね。ヒミコの秘密をネタに、強請ゆすりでもしようって魂胆が見え見えだったわ」


「……またか。最近、そういう輩が増えてきたな」


 源田が渋い顔をする。

 ヒミコ治療院の噂が広まれば、当然、その利権や秘密を狙う有象無象が集まってくる。


「でも、安心して。私が全部、追い払ってあげる」


 レイナは二階の、ヒミコが眠る部屋を見上げた。

 そこには、あの無色透明な、純粋な色がある。

 それを濁そうとする奴は、誰であろうと許さない。


「私のこの『嫌な目』も、あの子を守るためなら悪くないわ。……嘘つきの相手は、No.1キャバ嬢の得意分野だからね」


 レイナは不敵に笑い、源田に向かってウインクをした。

 その瞳は、以前のような怯えの色はなく、強い意志の光を宿していた。


 最強の矛を持つ用心棒。

 最強の頭脳を持つ弁護士。

 そして今、最強の「目」を持つ情報屋が、完全に覚醒した夜だった。


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