戦の準備
女王の侵攻に備えて兵士や騎士は慌ただしく動き回り、私たちは最悪籠城も視野に入れて準備に追われていた。目が回るほど忙しい。
ユリウスとラザルスは、常にティベリオと行動を共にして作戦について話し合っているようだった。
ルークは騎士団と一緒に訓練に余念がない。マルティーノ騎士団長の隣で颯爽と歩いている姿を頻繁に見かける。
国軍については、今回は中立を保つために安全な場所で戦の様子を見守ることに落ち着いたようだ。ガイウス師団長とはほとんど顔を合わせないが、たま~に見かけると眉を顰めて睨みつけられる。
……仕方ないか。
私は主に食べ物と飲料水の確保と、怪我人を手当てするための救護所を設営するために動いていた。
誰も傷つきませんようにと願うけれど、戦いでそれは難しいだろう。
せめて力一杯戦えるように美味しいものを食べてもらいたい。
実はだだっ広い演習場の片隅に畑を作った。城内や城近辺に住む領民たちが川底の土を運んできてくれるし、せっかくの栄養満点の土なので卵を死滅させた後は有難く畑として有効活用させてもらっているのだ。
前世でも野菜を育てるのは得意だったが、魔法が使えるようになってからそれに拍車がかかった気がする。
ココとピパも手伝ってくれるし、魔法で植物の発育を促進できるので、現在も多くの種類の野菜が大豊作だ。
野菜、マメ科植物などは豊富にあるのだが、如何せん動物性蛋白質が足りない。
戦いに赴く騎士たちにはやはり動物性蛋白質が必要だよな~、と思っていたら、ユリウスがあっさり問題を解決してくれた。
「俺とラザルスで狩りに行くけど、何の肉が欲しい?」
「何でもいいんだけど、熊とかイノシシみたいな動物だと鍋にしやすいかな。一頭200~300キロくらいあるだろうから、一、二頭でも十分に皆に行き渡るくらいの量になるし」
本当にその日のうちに熊とイノシシを狩ってきてくれた。
しかも、超巨大! すごいな!
ラザルスの鳥たちが獲物を見つけてユリウスが矢で仕留めたらしい。
夢中になって褒めちぎると二人は顔を赤くして照れていた。
そんな私たちをルークは遠くから見ている。彼はまた塩対応に戻ってしまった。顔を合わせる機会もほとんどないし、たまにすれ違うことがあっても赤の他人のように無視される。
……仕方ないんだけど、少し寂しいな。
でも、忙しいおかげでいろいろ考えずにすんで助かっている。
その日の夜は熊鍋にした。
城の料理長とはすぐに打ち解けて、私はアガタと一緒に毎日お手伝いをしている。私の作る料理にも興味を持ってくれて、熊鍋も私のレシピを元に協力してくれた。ちなみに熊の解体は専門の料理人たちにお任せした。
圧倒されるほど大量の熊鍋ができた。
私とアガタが大鍋の前で給仕していると、みんなが満面の笑顔で「美味しそう!」とか「いい匂い!」とか声を掛けてくれる。
そんな声に喜びながらも、給仕にもう少し人手があったらいいのに……と思いつつ必死にお椀に熊鍋を盛り続ける。
その時、涼やかな声がした。
「お手伝いさせてもらえませんか?」
振り返るとモニカさんとティベリオの妹のディアナ様がきっちりと髪をほっかむりで隠し、エプロンをつけて立っていた。
「助かります! お願いします!」
二人のためのスペースを空けると、にっこり笑ってレードルを手に取った。前世では『おたま』と呼ばれていた料理用具だ。
ディアナ様とモニカさんは仲良しのようで一緒にいるのをよく見かけていた。
妹は少し人見知りをするとティベリオが言っていたが、恥ずかしそうに笑顔を向けてくれるディアナ様はとっても人懐こくて可愛らしい。
幸い熊鍋は大好評で多くの人が何回もお代わりにくる。食事中の明るい笑い声が聞こえてくると幸せな気持ちになった。
顔なじみになった騎士や兵士らが通り過ぎる度に「美味しかった!」「ごちそうさま!」と言ってくれて、四人でせっせと給仕しながら微笑みあった。
アガタは額にうっすら汗をかいて頬を紅潮させながらも笑顔で給仕を続けている。
ああ~、可愛いなぁ、と見惚れてしまう。
王城に閉じ込められていた頃は笑顔をほとんど見たことがなかったけど、最近のアガタは屈託なく笑ってくれる。
今も私の専属侍女をしてくれているが、感覚的には友達みたいなものだ。忠実なアガタは過保護な時もあるけど、いつでも私を大切にしてくれる頼りになる親友だと思っている。
私との面会予約も一手に引き受けてくれていて、私に会いたい人はアガタに面会の予約をしないといけない。一度事前の約束無しにラザルスが部屋に来たことがあって、アガタにこっぴどく叱られていた。
それ以来ラザルスは鳥を使ってアガタに事前にメッセージを送るようになった。アガタが鳥から手紙を受け取っているとその日にラザルスが来るんだなと予想できる。
ラザルスは同じ年だし、気兼ねなくお喋りできる家族だ。一番気楽で心を許せる存在かもしれない。私の感情の動きにも敏感で苦手な話題は避けてくれる気遣いもある。
だからルークのことがラザルスとの間で話題にのぼったことはない。でも一度だけ彼が呟くのを聞いたことがある。
『俺も母さんもユリウスも……特にモナのことは好きじゃないから』
『どうして?』
『……ルキウスも彼女のことが好きなわけじゃない』
『え!? でも、婚約しているんでしょ?』
『色々大人の事情があるんだ』
『どんな事情? 私には教えてくれないの?』
『ルキウスがユリアには知られたくないって言うから…。ごめん。こんなことを話すのもルキウスに怒られそうだけど』
『ううん。話してくれてありがとう。何か事情があるのね。でも……やっぱり私には言えないのか……』
やっぱり血のつながった家族じゃないからかな……。
『違う! ユリアは完全に俺達の家族だよ。ただ、ルキウスにはルキウスの事情があって……あああ、ごめん!』
私の顔色を読んだラザルスが頭を抱えているのを見て申し訳ない気持ちになる。
『こっちこそ気を遣わせちゃってごめんね。ルキウスには事情があるっているのは分かった。でも、モナさんは悪い人じゃないと思うよ。私を助けてくれたのはモナさんだから感謝しているんだ』
彼女が腕輪を外してくれなかったら私は逃げられなかった。
ラザルスは私の肩に手を置いた。
『ユリアは俺たちにとって、すごく、すごく大切な存在なんだ。何か辛いこととか、少しでも心配なことがあったら、必ず言って欲しい』
私は『ありがとう』と曖昧に微笑むしかできなかった。
***
『そんなこともあったなぁ』なんて考えながら深皿や椀に熊鍋を盛りつける。
すると目の前に当のモナさんが立っていた。
「モナさん! 元気にしてる? 沢山食べてね」
明るく話しかけながら熊鍋をお椀に盛ると、それを受け取りながら探るような目つきで私を睨みつけた。
「最近ルキウスとはどうなの?」
うう……答えにくい質問だわ……。
「最近は全然会う機会がないのよ。みんな戦いの準備で忙しいしね~」
できるだけ軽く返事をした。
「ふ~ん、そうなの。ルキウスが一人で苦悩しているから、何かあったのかなぁ、と思ったんだけど。あ~あ、相変わらず、あんたはつまらないわねぇ」
モナさんは若干胡乱な目つきで私を見た後、手をヒラヒラさせて去っていった。
「な、な、なんなんでしょう! あの言い方! なんて失礼な!」
会話を聞いていたアガタがワナワナと怒りで震えているので、慌てて彼女を宥めた。
それよりも気になることがある。
ルークが苦悩しているってどういうことなんだろう?
ラザルスが言っていた事情って何? それに関係していること?
ああ、何だか心配になってきた。
ルークは大丈夫なのかしら?




