lesson3 『アイとゴリラとテスト』
「……ぅん、朝か……」
目を開けて最初に視界に飛び込んできたのは、木面がボロボロの天井と裸電球。
朝起きると何もかも夢でした。などというベタな展開は勿論無く、しっかり俺はこの六畳一間のボロアパートで朝を迎える。
「やっぱ現実か………痛ッ⁉︎」
畳の上でそのまま寝落ちしてしまった身体は、疲れが取れるどころかあちこち痛む。
「まず布団買わなくちゃな」
横になった状態で首だけを動かし、カーテンが付いていない窓を覗くと、まだ夜が明けきってないのか外は少し薄暗かった。
「変な時間に起きちまった」
などと、独り言のつもりで口を開くと、目の前に放ってある端末がすぐさま言葉を返す。
『おはようございます。寝起きの顔は二割り増しで間抜けに見えますね』
はぁ、夢じゃ無いなら当然こいつも居るわな。
「よいしょっと……」
まだ気怠い身体を起こし、時間を確認しようと端末を手に取る。
すると画面には、昨日まで存在しなかった制服を着た女の子が映し出されていた。
「んん?」
『な、何ジロジロ見てるんですか?』
その言葉に合わせて画面内の女の子も口と身体を動かす。
「お前、これって……?」
『えぇ、そうですよ! これが私ですよ! 何ですか、文句あるんですか⁉︎』
画面内に映る彼女の容姿は、ピンク髪をツインテール風に結び、ややツリ目気味の目元からは気の強さが滲み出ている。
身体的特徴を言うと、胸部は大きくも小さくも無い平均的なサイズをしており、全体的に見て細くスラっとしたスタイル。何より気になるのが……
「お前、その格好……」
俺と同じデザインの女子用ブレザーを着ている点と、ニーソックスを装備している点。
ツインテール・制服・ニーソックス……
なんだ、この特定の人種にしか需要が無いスタイルは?
あまり詳しくは無いけど、これって漫画やアニメに出てくるツンデレキャラ?とか言うやつじゃ?
『ぃ、言っておきますけど好きでこんな格好してるんじゃないんですからねッ⁉︎ この姿をプログラムをしたのは全部綾乃院長ですからッ!』
やっぱり綾乃さんか。
あの病院内のセンスといい、あの人のセンスは訳がわからん。
「ま、まぁ……別にいいんじゃないですか…」
『ちょっと、なんで急に敬語になるんですか⁉︎ 変なら変って言って下さいよ!』
「変だ」
『何をォォォ⁉』
するとこいつは画面の中で、握り拳をつくり噛み付く様な目付きでこちらを睨む。
「はは」
口調自体は昨日と何ら変わっていないが、この小さい画面の中でピーピー言ってる姿は何だか笑えるものがある。
「つーか何で昨日はその姿見せなかったんだよ?」
『いや、だってナビ画面でしたし……この格好よく分からないですけど、何だか恥ずかしくて…』
自覚はあったのか。
『プログラムだから身体は要らないって言ったのに、綾乃院長が無理矢理……』
「お前も気の毒だな……ん、そういえばずっとお前の事”お前”としか呼んでないが、名前あんのか?」
するとコイツはキョトンとした表情でこちらを向く。
『名前? 名称の事ですか?』
「名称? まぁ、何にせよあるなら教えろよ。呼ぶとき困る」
『えーと、綾乃院長は確か私の事を”成長型人工知能プログラム試作機スーパー綾乃スペシャル”って……』
「は? なんて?」
『だから成長型人工知能プログラム試作機スーパー綾……』
「わかった! わかったからもういい!」
駄目だ、綾乃さんもう色々と……
「そんな長いの毎回呼んでられるかよ。んー、そうだな……もういっそ端末って呼ぶか!」
『じゃあ私は貴方の事を人間と呼ぶ事にします』
「うっ、じゃあやめとく」
『そんなに名前って大事ですか? 他の物と区別する只の記号でしょう?』
「いや、そうは言ってもだな、何かと不便だし」
すると、こいつは少し考える素振りを見せると、何かを思い付いた様に人差し指を上げる。
『では、こうしましょう。不本意ですが貴方が付けて下さい』
「俺が? でもいいのか俺が決めても?」
『本来なら生みの親である綾乃医院長にお願いする所ですが……あの人のセンスでは……その……あの……』
うん。言いたい事は凄く分かる。
それにしても名前か、どうすっかな?
どう見てもこいつは女だから女っぽい名前で、どうせなら簡潔で呼びやすい方が良いと思うし、うーん………そうだ!
「AIだからアイってのはどうだ?」
女の子っぽいし二文字で呼び易い。名前の由来もしっかりしてるし。我ながら良いセンスだ。
『”アイ”……ですか……』
命名すると先程までツンツンした態度から一転し、その表情は何処と無く柔らかいものへと変わっていく。
なんだよこいつ、名前なんて記号だ。とか言ってたクセにやっぱ嬉しいのか……
『まぁ、妥協点ですね』
「は?」
『子供でも思い付く、何の捻りも無い安易な名前ですが……前の名前よりましですし、低脳の貴方にはこれが精一杯でしょう』
「お前ッ、ケンカ売ってんのか? 俺と全国のアイさんに!」
『違いますよ! 私はAIって単語からアイという名前しか連想する事が出来ない貴方の貧相な発想力を馬鹿にしてるんです!』
「あぁ、そうかい! じゃあ別の名前に……」
『ですが! 貴方の脳みそではこれ以上は望めないでしょう……ですから、これで我慢しときます……』
と言いながら背を向ける仕草は、やはり漫画やアニメに出てくるツンデレキャラの様だった。
なんだこいつ! 素直にありがとうって言えねぇのか⁉︎
つーか綾乃さん絶対こいつにツンデレ設定プログラムしてるだろ? 外せよ! 邪魔だよ!
「はぁ、疲れた」
たったこれだけのやり取りで、どっと疲労感を感じる。
やっぱ疲れ溜まってるな……二度寝でもするか。
『ところで、こんなにゆっくりしてていいんですか? 入学式は9時からですよ?』
「ぁん? 外見てみろよ、まだ薄暗いじゃねぇか」
『ここはFランクの家ですよ? 日当たりも最悪に決まってるじゃないですか。辺りの高層建築物に囲まれたボロアパートまで日が届くわけ……』
「ちょっと待てッ! じゃあ今何時だよ⁉︎」
『8時50分です』
「なにィ――⁉︎」
『ちなみに学校までは徒歩20分、走ったら10分って所ですね』
この馬鹿! もっと早く言えよ!
いや待て、10分なら死ぬ気で走ればなんとか……って、あれ? そういえば学校ってどこにあるんだ?
『では準備出来たら教えて下さい。学校まではしっかり”この私”がナビゲーションしますから!』
――――――おわった……
※ ※ ※ ※ ※
結論から言う。
入学式には間に合わなかった。
だが、家を飛び出して30分。俺は奇跡的に目的地である高校の校門前に立っている。
「ハァハァ……なんとか…着いた……な」
全力疾走でろくに呼吸も出来ない状態だが、何とか昨日みたいに街をぐるぐる彷徨わずにはすんだ。
『ふふん。少し遅れはしましたが、まぁ上出来ですね。これも全ては私の優秀なナビゲーションの賜物ですね』
肩で息をする俺の胸ポケットからアイの上機嫌な声が聞こえてくる。
勿論こいつのナビゲーションを無視し続けたのは言うまでも無い。
地図を見て大体の場所を把握した俺は、取り敢えずその方向目指して走った。まぁ、賭けではあったが着いて良かった。
今日から通う《都立甘木高等学校》は上空から見下ろすとカタカナの【コ】に似た形をしている。
校舎に囲まれた内側の空間に中庭あり、校舎の隣に並んで建っているのが体育館。
と言った具合に言葉で表現すると何処にでもある普通の高校に思える。が、
「で、でかい……」
地上30階建てである。
大き過ぎて学校のシンボルである最上階の大時計が霞んで見える。もはや時間を知らせるという時計の存在意義を果たしていない。
『そんな大きいですか? こんなの小さい方でしょう?』
確かに100階級の建築物が当たり前のこの時代では、目の前に見える校舎は小さい分類に数えられるだろう。
でもまぁ、遠目からでも逆に目立ったお陰で、すぐこの場所がわかったんだけどな。
『さぁ、行きますよ。入学式は終わってるので目指すは教室です。教室までは勿論この私が案内しますから!』
何やら胸ポケットからアイの自信に満ち溢れた声が聞こえる。
「できたら校内地図も見せてくれ」
『えー。私が案内しますって』
「いやいや、あんまりお前の手を煩わせてもな。このくらい自分の力でやんなくちゃ人間ダメになるってもんだ。うん」
『そうですか? それなら……』
アイは画面に校内地図を表示すると、俺はそれだけを頼りに教室を目指す。
自動ドア式の入り口から校舎内に入ると、そこは下駄箱だった。
アイから自分の下駄箱の位置を聞くと、中にはサイズぴったりの上履きが入っており、俺はそれに履き替える。
外観は例により近未来的だが、屋内に入ってしまえば校舎内の造りは平成のものと然程変わりない。
それにしても静かだな。誰も居ない。今はHR中ってところか?
「えーと、俺の教室はと……」
『5階の1−Bですよ』
「はいよ。5階か、じゃあエレベーターで」
『無いですよそんなの。この学校は全て階段です』
「え、30階建てだよな?」
『この学校は、若い内から楽をするな。ってスタイルらしいですから』
まじかよ。もし教室が最上階だったら余裕で登校拒否になるレベルだぞ。
俺は階段を見つけ体力を削りながら5階まで登り、ようやく1−Bと書いてある教室の前に到着する。
ソッと教室内へ耳を澄ませてみると、中からは先生らしき低い声しか聞こえてこない。やはりHR中の様だ。
「入り辛ぇ……」
只でさえ入学式早々遅刻して悪目立ちしてるのに、HRを割って入ろうものなら教室内の視線は一気に俺へと集まる。いい晒し者だ。
「……今日は帰ろうかな」
『はぁ⁉︎』
「馬鹿! 声がデケーよ」
『貴方が訳の分からない事を言ってるからでしょ! それともなんですか、そんなにGランクに落ちたいんですか?』
うッ、それを言われると弱い。
「わかったよ、ただ今はタイミングを見計らってんだ。ちょっと静かにしてろ」
するとアイは満面の笑みで言葉を放つ。
『これ以上コソコソしてる様なら、警報サイレン並の音を出しますよ?』
「なッ‼︎」
こいつ、なんて恐ろしい事を。
くそ、進むも地獄、退がるも地獄……それなら……えぇい、ままよッ‼︎
俺は意を決して教室のドアを開ける。
「すみません、道に迷ってしまい遅刻しま……いッ⁉︎」
……ご、ゴリラ⁉︎
目の前の教壇に立って居たのは2メートルに手が届きそうな巨体を誇る強面のスーツを着た男。
髪型は角刈りで極太眉毛、スーツが張ち切れんばかりの筋肉は、誰がどう見てもゴリラとしか言い様がない。そんな男が教壇に立っている。
って事は……この人が俺の担任なのか?
くっ、駄目だ。
この手の体育会系は時間に遅れる事を絶対許さない。俺は今からここでお説教され晒し者になるんだ……
「遅刻か?」
ゴリ……じゃなくて、先生が低い声で尋ねる。
「は、はい……」
「そうか、座れ」
「へ?」
それだけ? お説教は?
「一番後ろの席が二つ空いてるだろ? お前はその窓際だ」
「……ゎ、わかりました」
予想外の事に戸惑いながらも言われた席を確認するべく、教壇の上から見下ろす形でクラス内を一望する。
「ッ⁉︎」
そこから見たクラスの光景は異様なものだった。
ざっと見たところ教室内には30人程の生徒居る。が、問題なのはその頭髪の色。
茶髪や金髪どころの騒ぎじゃない。赤やオレンジ、緑や水色……果ては紫など学園アニメなどでしかあり得ない髪の色の人間がゴロゴロ存在している。
それにもう一つ気になるのが、こんな状況にも関わらず誰も俺を見ていない事。
いやいや、勿論この反応は俺としては喜ばしいん事なんだが、普通こんな状況だったら少なからず俺に視線が集まるものだろ。
まぁ、突っ立っててもしょうがない。
俺は指示された席の方へ向かい着席する。と、同時に先生は何事も無かったかの様に言葉を発した。
「では続ける」
その一言でクラス内の視線は一斉に先生へと集まり、結局誰も俺に触れる事はなくHRは再開される。
そ、そうか! 誰も他人に興味が無いんだ。
この先生は、説教するしない以前にそもそも他人に対する関心が無い。それはクラスの奴らも同じ事。
これが、シングル社会。
都合のいい事に一番後ろの席になった俺は、しばらくクラスの雰囲気を観察する様に眺める事にした。
すると、胸ポケットから俺にだけ届く程度の声でアイが尋ねてくる。
『どうです、感想は?』
それに対し俺も小声で返事をする。
「まぁ、シングル社会を実感してるよ」
『驚きました?』
「まぁな。それより何なんだこいつ等の髪の色は? 目が痛いぞ」
『今や国境に関係なく様々な遺伝子が混ざり合ってますからね、純粋な黒髪の方が珍しいんですよ』
あぁ、そういう事か。一瞬どこのヤンキー学校かと思ったぞ。
ん? そういえば、
「綾乃さんは黒髪だったろ?」
『えぇ。綾乃医院長は特殊なパターンなんです。徳永医院を継ぐ為に先代の遺伝子のみで構成されている純日本人なんですよ』
「ふーん。そういうパターンもあんのか……ャバッ‼︎」
一瞬ゴリ……いや、先生と目が合った気がした。
「おい、これ以上は不審に思われる。話は後でしよう」
『はいはい了解しました。では私は暇なので綾乃医院長のPCにでも遊びに行ってきます』
そんな事も出来るのかよ。
胸ポケットをチラリと覗き、画面からアイが消えた事を確認すると俺は先生の話に集中する。
「えー、では次に遺伝子ランク昇格の件だが……」
昇格? 興味深い話だ。
「主に文部科学省が定めた最重要教科である”国・数・理・社・英”の5教科の成績により行われる。これは中学の頃と変わらない」
つまり早い話が、その教科の成績を上げれば自然と遺伝子ランクも上がって、あのボロアパートから脱出できるって事か。
「勿論その5教科だけに限らず、体育や家庭科などの教科も昇格に関わってくるから手を抜かない様に」
運動は苦手じゃ無いし、家庭科は一人暮らしで鍛えてある。うん、イケるぞ!
「それと高校から特例として個人の特技なども文部科学省が国に必要と判断すれば、それも立派な昇格材料となるから覚えておく様に」
個人の特技? まぁいい。取り敢えずメモメモっと……あれ? 引き出しが無い?
この机には引き出しが付いておらず、当然筆記用具の類が見当たらない。その代わりに机上には少し大きめの薄型タブレットが置いてある。
辺りの様子をチラリと覗くと、他の奴らは先生が重要な事を話す度に何やらタブレットに打ち込んでいた。
多分このタブレットはこの時代のノート代わりって所か……チッ、説明が欲しい時に限ってアイの奴は居やしない。まぁ、適当に操作してみるか。
何とか見よう見まねでタブレットを起動させた俺は、先生の重要そうな言葉をメモする。
主に話の内容は、校則や校内施設の使用方法、それとテストの話だったが、要約するとこうだ。
この時代の1年間も1・2・3学期で構成されており、その毎学期には必ず学期末テストが行われる。
これが遺伝子ランクを上げる最大のチャンスの様だ。
つまり俺があのボロアパートでの500円生活を抜け出す方法はただ一つ。
期末テストで好成績を叩き出すこと。